夢追人の未来会議
俺が新撰組の話題を羽月さんに話した2日後の土曜日、SSは俺の家に集まった。
丁度母さんは出張で家に誰も居なかったし、何より此処にはその類の資料が沢山あったのからだ。
昔、父さんが 趣味で集めていた新撰組のグッズ達。それを見つけたのはだいぶ前の事だったけれど、今回の事を考えている内にこのグッズの存在を思い出したのだ。
昨日の夜のうちに電話で母さんからの了承を得て押入れの中を確認していた。中には段ボール箱がいくつもあって書籍や記念品、更には有名な、あの浅葱色をしただんだら羽織やはちまきまであって、これを見せたくて今日は皆を呼んだ。
「すごい、お父さんだったんだな…。」
思わずといった様子で詠丞が呟きを零す。
その言葉には苦笑しかできない。父さんは本当に新撰組が好きで、休みの日にはよく京都まで日帰りで連れていかれたものだった。
新幹線の中では纏った淡い青の服を指でつまんで、浅葱色の上着……これで俺も新撰組の隊士の一員だと言ってはしゃいで、
旧八木邸、西本願寺、油小路、二条城など新撰組所縁の地を順に父さんと一緒に訪れたことは今でもはっきりと覚えている。子どものようにきらきらした目でゆっくりと見て回る父さんもとても印象深かった。
「…この、土方歳三って羽月さんみたいだね。」
暫くの間、段ボール数箱をそれぞれ開けて中身を確認していたが、不意に誰かがぼそりと呟いた。声のした方向を見ると、そこには隊士名簿集と書かれた書籍をパラパラとめくる詠丞の涼しげな横顔があった。
土方歳三、新撰組鬼の副長と呼ばれた幹部の一人であり士道を誰よりも重んじた人。
でも鉄の心、冷徹鋭利で有名だからか羽月さんの顔がピシリと固まる。
やばい、そう思った時にはもう遅くて。
「それは、鬼のように凄腕って意味か、そうだろう、九条 詠丞くん?」
「…………………そうですね。」
作り物の笑みと嫌に優しげな声に背筋が震えた。勿論恐怖で。細められた目には鋭さしか宿ってなくて、対象者は俺じゃないのに物凄い圧力を感じた。流石の詠丞も畏怖を感じたのか、大きな間を開けてから 震えた声が小さく何処かへ響いて消えた。
でも凍ったままの部屋に変わりはない。
空気を変えたくて遥大さんにゆっくり目線を送る。でも、見てから気づいた。こういう時の遥大さんはまっっったく頼りにならない。
やっぱり、楽しそうに笑って、確かに、なんて漏らしていたのだった。
「遥大、ちょっとこっち来い?」
「えー、はづくんはそう言っていっつも痛い事するからなー。やだ?」
「ほぉ………、明日の宿題、見せてやらんでもいいようだな。そうか」
「それはずるいよはづくん。」
「 宿題くらい自分でやるのが普通ですよ遥大先輩?」
「……詠丞くんも辛辣。」
一転して肩を落とす遥大さんに、自然と笑みが零れた。そこへ遥大さんが嘘泣きしながらのしかかるように抱きついてくる。
二人が意地悪だ、傷ついた、と頭をぐりぐり体に押し付けてくる遥大さんはいつにも増して子どもっぽかった。肩越しに問題の二人は含み笑みを浮かべているのが見えた。
無意識に洩れるのは盛大な溜め息。
全く、皆はしゃぎすぎだって。
作業はあまり進んでいない、けれどこんな戯れが不思議なくらい楽しかった。
「もう、あんまり虐めたら可哀想でしょうが…。ほら、手伸ばして。」
肩をぽんぽんと叩いて顔を上げさせ、手に持っていた羽織を遥大さんの袖に通す。そして羽織から伸びた真っ白な紐を後ろで縛り、頭に はちまきを巻いた。
ついさっきまで眉を下げていた遥大さんの顔がわかりやすく変化し破顔した。
ひとしきり歓声を上げてくるりと回って見せ、その様子を二人も満足げに見つめていた。それから遥大さんはひとしきり騒いだり後、何を思ったのかすっと背筋を伸ばす。
「御用改めである!」
笑みで細められていた目元が突然鋭く此方を捉え、薄い唇が挑発的に歪められる。羽織の隠す背骨のラインに怖いくらいの色気を感じ、背筋がぞくりと粟立った。きりっとした面持ちで声を張る遥大さんは本当に決まっていて、俺は思わず見惚れてしまった。
詠丞の口から洩れた感嘆の音にふっと意識が戻る。得意げな遥大さんの顔が、窓から入る日差しに照らされきらりと輝いて見えた。
「いいね、凄く楽しい。……折角だし、10月入って2回目のライブでこれやらない?」
「ハロウィーン前の。」
「そう、ハロウィーン前の。」
毎年ライブハウス〈夢追人〉では10月の25〜31日までに行われるライブを仮装ライブと称して仮装でのライブを推奨していると以前から耳にしていた。羽織を脱ぎながら笑みをこぼす遥大さんが言っているのは、その仮装ライブのことのようだ。
普段はシックに大人のスタイリッシュさを追求するSSの別の顔。初めての事だから特に、イメージを崩さずどんな風に参加しようか俺も悩んでいたけれど。新撰組、確かに良いかもしれない。
頭の中に白と浅葱の羽織を纏ったみんなの姿が咄嗟に浮かんだ。
ジャズではなく和ロックの色鮮やかな世界。張り詰めた琴の音や不安感を掻き立てる三味線、その間を気高く昇る神楽笛の澄んだ響き───。
周りを見渡すと皆、じっと考え込んでいて、ただ一人遥大さんだけが悪戯っ子のような顔をして笑っていた。
目を閉じ想像してみると、不意に心の中で1つの旋律が浮かび上がった。哀しいような愛おしいような、刹那の響きを忘れないようそっと口ずさんでみる。
むせかえる血の匂い
紅く染まる“誠”
目の前が闇に包まれる、周囲を埋め尽くすのは人、人、人。血濡れた体を横たえて騒がしく散りゆく命の香に、ぎゅっと胸が掴まれたように冷えた。何人斬った、何人逃げた、誰が斬られた……。飛び交う会話は皆同じようなもので、ここは喧騒とした空気が全てを物語る戦場であった。
散りゆく命を前に 気丈だけで乗り切り、彼等の最期を看取る。流れる涙は熱く、掌は驚くほど冷たい。掴んだ腕の弱々しげな様子に苦しげな面持ちの男の心は怖いくらいに凪いでいて。
短いフレーズの間に様々なものが溢れてきた。その想いを掬うようにゆったりと口ずさんだその旋律を、繰り返すように翠玉が歌う。すかさず、藍玉が手元のスマホアプリからピアノでそのフレーズを再現した。
すると、いつの間にか隣の部屋から楽器を取ってきていた瑪瑙がそのフレーズを展開させて、部屋の空気を一気に張り詰めさせた。
残るのはなんとも言えぬ高揚感と切なさ。
誰一人声を出さなかった。いや、出せなかった。
また音が始まる。
藍玉の普段より感情の薄い電子音。そこに加わる翠玉のコーラス、そして藍玉を気にしてか少し控え目なサクソフォンの高音域のロングトーン。
普段の落ち着いたジャズより数倍熱の篭った音の重なりにじっと耳を傾ける。展開される音の広がり方を体全身で感じていた。
しかし、終わりは唐突に訪れる。
ピアノの電子音が消え、コーラスが消え、無音の室内で藍玉が一言言い放ったのだ。
「だめだ」
真意は全員に伝わっていた。
だめだ、此処では、こんな場所では先へと行けない。
羽月さんがおもむろに立ち上がって部屋を出た。後を追うように詠丞も出て行き、二人はすぐに荷物をまとめて何処かへ行ってしまった。
曲担当の二人が動き出したところで、俺と遥大さんはお互い顔を見合わせて少しの間笑い、それからゆっくりと衣装などステージの準備へと頭を切り替えていった。
歯車が回り出す、SSの未来の可能性にこの時から胸が苦しいほどに踊っていた。