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夢追人  作者: 飴川 壱
5/10

夢追人の苦悩

金曜日の午後6時、今日もまた家から二駅離れた街の 高層ビルに囲まれた とある路地裏の小さなライブハウス<夢追人>では、小規模なライブが行われる……かのように思われたが、その日は少し特別だった。

『夢追人生誕祭』

派手な色で飾られた長方形の看板には、確かにそう書かれていた。呆然とする僕に、受付の女性が笑顔で会員証の提示を促す。


「柳瀬 朔様ですね。会場は大ホールとなっております。本日はご来場ありがとうございます、ごゆっくりお楽しみください。」


会員証と共に 5周年記念の缶バッチが渡された。どうやらそれが、参加証明書のようだった。



大ホールに行くと、もうそこには大勢の人がいた。テーブルにはクロスが掛けられ、きらびやかな食事が並んでいて、ステージでは おじさんバンド<飛べない豚はただの豚>が軽快な音楽を奏でている。その音楽に混じってあちこちからする心地よい笑い声に目を閉じ、僕も料理に手を伸ばした時、遠くから僕を呼ぶ声が聞こえた。


「朔くん、来てたんだね」

「瑪瑙さん!」

「やぁ、楽しんでるかい?」


軽くウインクして見せて、タキシード姿の瑪瑙さんがゆったりと微笑んだ。

黒のタキシードといつもの濃紫の中折れハットが普段の大人びたクールさに加え、高貴さを醸し出していて最高にかっこよかった。


しばらく瑪瑙さんと話すことで、このパーティーのことを色々知ることが出来た。

毎年、このライブハウスが出来てからパーティー自体は行われていた。けれど、3年前、今となっては世界的人気を誇るメジャーバンド<鮮色>がデビューしてからは、<鮮色>の寄付からこんな豪勢なパーティーとなったそうだ。

<鮮色>の初ライブが開催されたのがこのライブハウスだったことから、ここを原点の場所だと考えているようで、多忙で中々パーティーに参加出来ない分 寄付しようって訳らしい。瑪瑙さんが、温野菜を口にしながらそう教えてくれた。


<鮮色>とは、3年前突如として現れ、ミステリアスな曲調と意味深な歌詞で話題になった3人組ロックバンドだ。

中毒性のあるサビやイントロが中高生だけでなく、20代30代の社会人までも魅了し、今売れているNo.1アーティストだった。鮮色という名のように、彼らは力強いドラムで大地の鼓動を感じさせ、超絶技巧のギターで宇宙の神秘を説き、どこまでも美しく伸びるボーカルの声で 観客に自然の偉大さをインプットしていた。


「鮮色みたいな、ライブ観た人皆を虜に出来るバンドにしたいな。」


ライブを終えて、帰路を同じくしたときに水嶋くんがふと零した言葉を思い出す。水嶋くんにとって、憧れのバンド<鮮色>。

今、彼らと同じライブハウスでこうしてステージを作ることが出来て幸せだ、と彼は照れくさそうに言っていた。

僕も、彼らの幸せの為に、一人のファンとして支えたいと思った。


物思いに耽りながら料理の置かれた丸テーブルを眺めていたら、不意に肩へ何かがのしかかってきて僕は我に返った。


「朔、お前も来てたんだなぁ。」


振り返ると、上機嫌な紅玉の朗らかな笑みが目に入った。が、次の瞬間、肩から背中にかけて まるで人一人担いだようなずしりとした重みを感じた。


「重っ…………。」


空いた口が塞がらない。

ふにゃりと笑う、やけに子供っぽい紅玉の熱い息が耳にかかる。

背中に感じるのは僕より少し高い人の温もり。


紅玉らしからぬ行為に 動揺で動けない。

普段なら“紅玉”の時に過度な接触は好まない、大人っぽく在りたいといつも言っているのに。急な接触に何の心の準備もしていないせいか、自分の鼓動が彼の体温に反応したかのように乱れた。

少し距離を取りたくて身をよじっても、僕の首元に腕まで回して抱きつくんだから、紅玉の心臓の音まで 背中を通して伝わってしまう。少し早い鼓動が、彼の笑う度に少し乱れる。

不意に、微かなアルコールの香りが鼻をかすめた。パーティー会場だが未成年のバンドも少なからず参加しているここでは、酒類は出されていないから、アルコール臭がするはずがない。


おかしい。

そう思っていると再び、アルコールの香りがした。しかも近くから。

ちらりと肩辺りにある紅玉の顔を覗くように見ると、彼が顔を綻ばせるのと同時に甘い酒の香りがふわりと漂った。


「水嶋くん、未成年のくせに何飲んでんの……。」

「んー……飲んでないよ? <きらら>のやよいさんがくれたチョコ食べたら、ふわふわして朔にぎゅってしたくなっちゃったんだ。」


<きらら>とは、駅前の幼稚園に子供を通わせているママさんが結成している、童謡をアレンジした可愛らしい曲調が特徴のグループだ。子供のクラスが皆きらら組だったことが グループ名の由来だと、この前ポスターに書いてあった。ちなみに、やよいさんとはそのグループのリーダーで、オルガン弾きだ。

やよいさん……チョコってまさか。


「ウィスキーボンボンだったみたいだね。紅玉、気に入ったみたいで何個も食べてたからな。」


瑪瑙がグラスを傾けながらゆったりと微笑んだ。いや、分かってたなら教えてあげてくださいよ、そう抗議したが、グラスを傾けて微笑むだけで聞いてはくれなかった。

終いには、


「好かれてる証拠じゃないか、ま、今日くらい甘やかしてあげなよ。」


なんて言って、中身が無くなったグラスをカラカラと振って、藍玉の元へ行ってしまった。

藍玉の耳に息を吹き入れ、その風に身震いする藍玉をケラケラと笑って鳩尾に拳を食らう瑪瑙。


はぁ…………。

ずっしりと肩に重みを感じ、思わず溜息が口をつくのを止められない。どうにもならない、脱力しきった紅玉を背負い直し、僕は何とかホールの外へ歩み始めた。

ホールから出ると、中との温度差に思わず肌が粟立った。中は相当熱気で暖かかったようだ。

ホールの外に設置された長椅子に彼を下ろすと彼もまた温度差に驚いたのか、ぴくりと瞼を震わせて、ゆったりとブラウンの瞳を開いた。


「ここは……?」

「ホールの外。もう、口に入れるものには気をつけないとだめだよ。」


お前は俺の母さんかよ、と苦笑を零しながら髪をかきあげる紅玉。

どうやら酔いは少し覚めた様だった。瞳の奥には彼がちゃんと居て僕は肩がふっと軽くなった。でも彼は、照れくさそうに謝罪をして、それから思い出したかのように俯いた。


「え、気持ち悪いの?……吐く?」


初めてであろうアルコールの摂取のせいか、赤く火照った頰をしている彼が心配になって声を掛けた。しかし、彼は首を降るだけで何も言葉を発しない。酔いで情緒不安定なのかと思った。

会場の熱気でしっとりと汗ばんでいた肌着が乾き、背中に張り付く感覚が少し気持ち悪い。

だが、じっとその場で彼の背中をさすってやってると、不意に彼が呟き始めた。



最近考えるんだ、SSには新しい音楽が必要じゃないかって。



新たな世界を作っていくべきなんだ、今のままじゃダメなんだって。



静かに語り出す。それは、紅玉の心からの思いに溢れていて、聞いていて心臓が潰れそうなほど悲痛な声だった。

今のままで、今のSSのままでこの先ずっと進化を続けられるのか。ゲストに僕らの音楽を提供し続けられるのか。

彼はずっと考えていたようだ。普段の元気さは形を潜め、しおらしい彼に 僕は何と言ったいいのかわからなかった。

でも、彼の迷いがステージで微かに現れ、洗練されたパフォーマンスにほんの少しの物足りなさを残しているのは確かな事だった。


「SSさん、次のステージお願いします!」


運営の人のSSを呼ぶ声が唐突に廊下に響いた。水嶋くんの顔が“紅玉”へと変わる。

行かなきゃ、感情の見えない声で呟かれた言葉は少しだけ震えていたような気がした。すっと立ち上がった紅玉が背筋を伸ばし、裏口へと歩みを進める。

次第に遠ざかる背中は、しゃんと伸ばされた筈なのに 何処か弱々しい。何か言わなきゃと思うのに、唇から漏れるのは僅かな空気だけで、そんな頼りない自分に思わず舌打ちを落とした。


ホールから歓声が漏れる。

SSが舞台に出たというのが一瞬で分かった。その場で根を張ったのように固まっていた体が、反射的に動き出し、気がつくと既に僕の目には穏やかなオレンジの光が映っていた。

黒のタキシードに色違いの中折れハット、彼らにとって少し特別なその衣装に観客から感嘆の声があがった。

誇らしげに立つ5人の中心で 紅玉が華々しく右手を上げ、ゆったりと一礼してみせる。


「本日はライブハウス<夢追人>生誕5周年おめでとうございます。この良きステージに立てることを誇りに思い、本日は演奏させていただきます。それでは、1曲目【Link】」


軽やかな動作で顔を上げた紅玉の顔に、暖かなオレンジの光がふわりと落ちる。そして、高らかに告げた彼の言葉の後、ウッドベースのピチカートが密やかに始まった。その上をピアノの旋律がゆったりと流れる。

ゲストの間で人気の高い、ライブの定番曲【Link】。イントロが流れると共に、会場は大きな拍手で溢れた。

山々が何処までも連なっていく雄大な自然のイメージで作られた前奏に、紅玉が柔らかく声を重ねる。語りかけるような彼の声は何処までも伸びてゆき、その様子はまるで空を駆け上がる獅子のようであった。

雄々しく、パワフルな彼の声に誰もが目も耳も心も奪われる。さっきまでの弱々しさを全く感じさせない、その紅玉の姿を僕はただじっと観ていた。

音が遠く感じる、彼の姿がまるでスローモーションのように見えた。

力強く音楽を紡ぐ彼らは、黒のタキシードによって更に大人びて目に映り、普段よりも気高く、美しい。

その中で、紅玉はより一層孤高の存在のようであった。


観客に押されてホールの端へ行くと、彼の横顔がライトに照らされくっきりと浮かんだ。正面から見た時には気づかなかった何処か寂しげな表情に、どくりと胸が波打った。

どうしてそんなに苦しそうなんだ。

どうしてそんなに辛そうなんだよ。

ライトの下だろうと、誰よりも近くに居るからこそ気付けてしまう少しの表情の違い。

じっと見つめていると心臓が冷たくなり、その異様な感覚に耐えられず、僕は思わず蹲ってしまった。呼吸が苦しい、胸が苦しい。


今、バンドの中で紅玉だけが特出しているわけじゃない、瑪瑙も、藍玉も、翠玉も、みんなそれぞれの個性を持った特別な存在だ。しかし、何故だかその時だけは、紅玉が特別孤独に見えてしまったのだ。紅玉だけが、どこか苦しそうに見えてしまった。

それから、これ以上彼を見続けることなんて出来なかった。自分自身が耐えられなかった。今の、弱虫になってしまった自分はあまりにも情けなく、無意識に自嘲が零れる。短く息を吐きながら、逃げるように僕は外へと出た。


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