夢追人と出会う前の僕【番外】
あれは今から5年と少し前の、僕が地元の中学に上がったばかりの頃の事だ。
暖かな風が吹き、桃色の桜が舞う お祝いムードいっぱいの華々しい入学式を無事終え、数日の時を忙しなくも穏やかに過ごしていた。僕の通うことになった中学は、生徒の教室や職員室などがある新校舎2棟と 生物室や音楽室などの特別教室がある旧校舎1棟から構成された、県内で数少ないマンモス校だった。
それゆえに、僕は数日後に行われた部活動見学で道に迷ってしまったのだ。
思っていたよりも中学校は広くて複雑な造りだったためか、僕は午後の部活動見学で一緒に回っていた子達とはぐれてしまった。濃茶の古びた木柱や錆び付いた窓枠から、ここは旧校舎なのだというのは分かっていたのだが……。
人影は無く、物音もしない暗い廊下の気味悪く鳴いているのが無気味だった。
でも、元来た道を引き返そうと思った時、風に乗ってふわりと流れてきた音に僕は不意に立ち止まらされたのだった。
聞いたことのあるフレーズが耳に届く。人の声に近い柔らかな音色は心地よく、僕は知らぬ間に引き寄せらていた。
古びた階段を上ると音は次第に大きくなっていき、僕の足はとある一つの資料室の前で止まった。社会科資料室の文字が滲んだ木札の掛かる、腐りかけの柱に潜み、じっと耳を傾けた。
流れてくるメロディーは、やはり耳にしたことのあるものだった。吹奏楽の定番曲、父が所属する市の楽団の定期演奏会で聞いたことのある曲だった。名前は確か……
『銀河鉄道999』
曲名と共に歌詞が頭を埋め尽くす。無意識にその音と一緒に唇が動き出していた。
あの人はもう 思い出だけど
君を遠くで 見つめてる
音が一瞬だけ、戸惑うように止まる。だがすぐにまた音色は広がりをみせ、先程よりもゆったりと流れ始めた。
The Galaxy Express 999
Will take you on a journey
A never ending journey
A journey to the stars
サビの一音を一際長く吹き切り音が止まった瞬間、僕は思わず拍手をしてしまっていた。
誰だ、と柱の向こう側から低い、男の声が廊下に響く。
許可なく聞いていて、しかも口ずさんでしまっていたのがバレて素直にやばいと思った。それから、僕はじっと身を固めていた。彼の足音とその動きと連動する木の軋む音が 次第に近づくにつれ、額に汗が滲んだ。
そして、目の前がふっと暗くなり彼の顔が見えた刹那、僕の楽しい中学校ライフは終わったと思った。
「お前、1年か。」
驚いたような男の声におそるおそる顔を上げると、笑みを浮かべた男と目が合った。制服をきっちりと纏った彼の右手には、金色に輝く細長い金属質の塊があった。彼がにやりと片頬を上げる。
「……お前もやってみるか?」
彼の問いかけに僕は首が壊れるんじゃないかと言うほど、頷いていた。
これが、僕とそれ……トランペットとの出会いだ。
社会科資料室には、もう1つ、彼の持つ金属の塊と同じものが陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
トランペットっつうんだ。
彼、が準備をしながら誇らしげに話し出した。トランペット、改めて言葉にして見ると、よく知っているものの筈なのに知らないもののような感覚の音に心が高鳴った。
近づいた彼の校章入りバッジの色が僕と違って青色だったことから、彼が一つ上の2年生なのが分かった。
マウスピース、という音程をコントロールするためのものを渡され、吹くように促される。すぐに出た音に、先輩の顔が綻ぶ。
「お前、すぐ音が出るなんてすげーな。俺なんて始めた時はちっっとも鳴らなかったんだぜ。」
褒め言葉と共に頭をふわりと撫でられる。素質あるぜ、と言われて素直に嬉しかった。すぐにあの金属の塊、トランペットを渡される。隣で先輩がやっていたように息を吹き入れてみると、弱々しくも聞いたことのある、独特の音が鳴った。
嬉しくて、何度も息を吹き入れてみた。息の入れる強さ、場所によって変わる音が面白かった。しばらく吹き続けていると先輩が苦笑をもらす。恥ずかしくなって楽器を離すと、彼は笑ったままゆっくりと楽器を受け取ってくれた。
「これをまた吹きたくなったら、明日新校舎三階の音楽室においで。」
空はいつの間にか赤く色付き、遠くでは学校のチャイムが静かに鳴っていた。チャイムが鳴ったら帰宅の準備をしなさい、と言っていた担任の言葉を思い出し、僕は小さく頷いた。
ありがとうございました、お礼の言葉を告げて頭を下げると、先輩はまた僕の頭をくしゃりと撫で付け
「また明日な。」
と朗らかに笑った。
次の日、HRが終わるとすぐに階段を駆け上がり、新校舎三階の音楽室へと向かった。力いっぱい扉を開けるとそこには、昨日の先輩以外にもたくさんの人が色々な種類の楽器を手に僕を出迎えてくれた。
「いらっしゃい、ようこそ吹奏楽部へ。今日からよろしくな。」
昨日の別れ際のような朗らかな笑みで手を差し出した彼、鈴原麻野先輩に、僕も名乗りながら 同じように手を差し出した。
そしてそれから僕の吹奏楽部での生活が始まった。