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夢追人  作者: 飴川 壱
3/10

夢追人の新たな世界

金曜日の午後6時、今日もまた家から二駅離れた街の 高層ビルに囲まれた とある路地裏の小さなライブハウス<夢追人>で、小規模なライブが行われる。

今日の出演グループは、7人の女子大生によるアイドルグループ<だるまっ娘>と激しいロックを歌うヴィジュアル系バンド<Fire Voltage>、コミカルな歌詞で話題の男性3人組<PLANETS>、そしてジャズテイストの大人な学生バンド<Shiny Stones>の計4組だ。


この近辺のライブハウスで近頃人気の<だるまっ娘>や<PLANETS>が出演するからか、今日は一段とゲストが多かった。今日の華は<だるまっ娘>。

<Shiny Stones>は2番目の出演だった。


「こんにちは、今日も頑張ってください!」


ライブに来るようになって半年以上が経ち、こうして本番前に楽屋を訪れることが恒例になってきた。いつ来ても彼らは温かく僕を出迎えてくれて、最近では僕も曲構成に対して意見を求められるようになっていた。


「おう!前回よりもみんなの心を掴んでやるぜ。」


腰に手を当て、力強く拳を握るのはバンドのボーカル紅玉こうぎょくこと、水嶋奏くん。僕にバンドのことを紹介してくれた大切な友達だ。


「…勢い余ってステージから落ちそうになるのだけはよせよ。僕らはスマートさが売りなんだから。」


紅玉の姿をちらりと見て悪態をつく彼は翠玉

(すいぎょく)こと、九条詠丞くん。文庫本片手に口ではこんなこと言っているけど、本当は心配している。彼の真意を分かってか、紅玉は楽しげに返答しながら 翠玉に後ろから抱きついたり、楽しげに戯れ始めてしまった。


「全く、相変わらず 毎日飽きねぇな。」


いつの間にか僕の隣では このバンドのリーダー 瑪瑙めのうこと、森遥大先輩が困ったように眉を下げて呆れていた。


「あんな奴らだけど、これからも仲良くしてやってな?」

「勿論です。」


僕の答えに頷きながら微笑を浮かべる様に、ふとこの人の穏やかな物言いと中性的な声はきっと女性にモテるだろうなと密かに思った。


「いい加減になさい。」


不意にピシャリとした鋭い声が紅玉と翠玉にかけられる。眼鏡越しに冷たい視線で、ノートパソコンを操作しながらいつも彼らを叱るのは藍玉らんぎょくこと、玉澤羽月先輩だ。

普段はもう少し柔らかな眉が、本番前だからか吊り上げられて眉間にはシワまで寄っていた。しかし、見た目に似合わず緊張に弱い藍玉のピリピリに慣れっこなのか、2人は適当な返事しか寄越さない。

その返事にまた更に眉間の皺を深める藍玉。

まるでこのバンドの母親ですね。

危うく出そうになったその言葉を喉の奥に飲み込む。この前学校でそう言ったら、尻を思い切り蹴りあげられたのだ。


そんな賑やかな楽屋でひとしきり過ごした後、衣装に着替えると言う彼らに再び応援の意を述べて、僕はライブ会場に向かった。

騒がしく居るのは本番前に緊張しない為、いつだかとうに忘れたが 水嶋くんが朗らかにそう言っているのを聞いたことがある。

さて、じゃあ今日も楽しみにしていますよ。心の中でそう呟いてから、僕はライブ会場の扉を開けた。


1組目はヴィジュアル系バンド<Fire Voltage>。

激しく掻き鳴らされるベースの刻みと、鼓動に直接響くドラムに頭がガンガンして酔いそうだった。

頬に描かれたフェイスペインティングは彼らのトレードマークで、ファンは一様に頬へシール状の真っ赤な星印を付けて雄叫びを上げていた。こういうのを、ハードロックと言うのだろうか。会場は熱気で暑くて少し息苦しく感じた。

彼らの音楽を聞くのは2度目だったけど、やはり僕には合わないようであまり好きにはなれなかった。

しばらくして、30分の<Fire Voltage>のステージは終わりを迎え、すぐさま<Shiny Stones>のセッティングが始まった。

今回はどんなステージなのか、期待に胸が膨らむ。

いつも通りの黒のスーツに色違いの中折れハット、jazz調の落ち着いた曲から始まり、自己紹介タイムからのノリのいいフリージャズスタイルの曲だろうか。

それとも、2回前の切ないラブソングからスタートする恋歌メドレーか。

今までの構成を思い出し、予想するだけで僕の心はどんどん高められていった。

今日はライブの華<だるまっ娘>のお陰でゲストが多い。このチャンスをしっかり掴んで、SSを沢山の人に好きになって欲しいと思った。


しかし、予想が大きく外れるとはこの時の僕は思いもしなかった。

楽器が並び、照明が灯された時から何か違和感を感じた。

いつもの藍玉さんの黒々と輝きを放つピアノが無くて、翠玉愛用の大きなウッドベースが無くて、照明が深い青色で何もかもがいつもと違っていた。ゲストの間に動揺が走った。

どうなっているんだ、ジャズテイストのクールなバンド、それがSSじゃなかったのか。

ゲストの口々から僅かながらもそんな声が飛び交った。しかし、その声が聞こえてないかのように毅然とした面持ちで現れる彼ら。

混乱した僕らの目に更に映るのは、黒のスーツと色違いの中折れハットじゃなくて。


浅葱色の特徴的な羽織に、灰色の袴。腰には一様に帯刀したその立ち姿はまるで幕末の侍のようであった。

そう、新撰組、彼らの今日の衣装は幕末の新撰組のものだった。

浅葱色の特徴的な羽織が静かに波打つ。

その音が聞こえるほど、あんなにざわついていた空気が、彼らの登場で一気に静まった。みんな期待しているのだ、新しい彼らの音楽に。

張り詰めた空気の中、彼らはしっかりとした足取りでぴんと背筋を伸ばし、所定の位置に着く。


ピアノの代わりに筝、ウッドベースの代わりに三味線、そしてサックスの代わりに神楽笛を構えて、それぞれ神経を集中させていた。ゲストの息も詰められる。

ライブ会場が一気に静寂に包まれる。

その静寂に溶けるように、筝が流れるようにグリッサンドを鳴らして、消えて。そこに三味線の和音が勢いよく入る。また静寂が部屋を飲み込むと、今度は神楽笛が高らかとロングトーンを響かせ、三味線の細かな刻みと混ざり合う。

早い旋律と旋律のぶつかり合い。

そこに、強い勢いで流れ込むのはハスキーな紅玉の芯のある声だった。



信じられるのは己の技のみ



道を阻むとするならば



容赦なんて、しないぜ───。



魂が震えるような叫声が僕らの心を貫く。普段のジャズらしい穏やかなサウンドはそこに存在しなくて、今日、このステージを支配していたのはただ信念を貫く為に駆け回る1人の男の魂の叫び。

血塗れで倒れる年若い男の間を抜けていく新撰組一番組組長、沖田総司の姿が頭に思い浮かぶ。血に染まる誠の文字、浮き出る血管、むせ返る血の匂い。儚くも散る命の前で 覚悟を決め敵へ切り込む様子が、歌う紅玉の横顔と重なる。


激情に身を任せたような1曲目が終わった時、和楽器の洗練された音の重なりに、僕らは目も耳も心も奪われていた。

荒い息を吐く紅玉がふっと顔を上げ、ゲストへ にやりと意地の悪い笑みを浮かべてみせる。

その笑みに背筋がぞくりと粟立つ。その目のなんと色気を孕んでいることか、彼はそれを自覚した上で僕らに視線を投げかけたのか。

最初の戸惑いは跡形もなく消え、気づくと彼らの新たなる世界への期待が胸に疼いていた。


「本日は、我らの舞台をご静聴頂きありがとうございます。我らは…と、名乗らなくともこの服装でもうお分かりであろうか。」


優雅に一礼し、大袈裟な身振りと口調でMCを始めたのは驚いたことになんと、あの物静かな翠玉だった。

普段は人前で話すのが嫌だからウッドベースをしているんだ、と不貞腐れた様子で語るあの翠玉が、威厳ある様子で僕らに今宵の舞台の説明をしている。

その顔に迷いはなく、彼の顔は普段よりも更に大人びて見えた。


一体どんな心境の変化なのか、僕と同じように感じたゲストも多々いたようで、周りの何人かは期待に口元を綻ばせていた。拍手を忘れ、唖然とするゲストに更に彼が挑発的に声を掛ける。


「なんだ、何か不服か?」


とても高校生には見えない。

先程の話し声より数段低く、唸るようにそう言った翠玉にゲストの胸が大きく波打つ。

彼もまた恐ろしいほど艶のある色気をその身体に宿しており、流し目をして所定の位置に戻る姿に僕も 他のゲストも思わず唾を飲み込んでしまうものだった。じっとゲストを見つめ、翠玉が真っ赤な舌で下唇を生々しく舐める。


「さて、では次の曲へと参ろうか。」


一際大きく彼が声を上げ、カウントを開始する。

また音楽が動き出した。カウントに合わせて、紅玉が大きく息を吸う。しかし他の3人に動きはない。

え、と口から零れるのは僅かな驚き。

そのままカウントに乗って歌い出した紅玉から発せられるのは、伸びやかで美しいハイトーンのメロディ。


紅玉の、アカペラソロ。


しん、と会場が紅玉の声だけに支配された。左胸に拳を当て、何処までも何処までも遠くを見つめて力強く声を上げる紅玉にゲスト全員が釘付けとなっていた。

そして、緩やかに声量を落とし歌い切った後、優しげな筝と神楽笛の音色が心を落ち着かせる。

時々入り交じる三味線の刻みに合わさるように、紅玉が、今度は普段のハスキーな甘い声でラブソングを歌い出す。


前に聴いたことある彼らのジャズテイストのラブソングが、和楽器によって日本らしく奏でられ、更に切なさを増して聴こえた。

これこそがバンド<Shiny Stones>の音楽。

彼らは、格好が変わろうと楽器が変わろうと、常にゲストに自らの最高を披露し、驚かせ続ける。

無意識に僕は制服の上に羽織っていたダッフルコートの裾を強く握りしめていた。そうしていないと、今すぐにでも腰を抜かしてしまいそうだった。

彼らは より一層ステージの上で輝きを放って、何処までも何処までも高みへ登ろうとしている。

Shiny Stones(光る原石)の意味に、僕はようやく気づき始めていた。


それから、30分にわたるSSの新撰組ライブはゲストの盛大な拍手で幕を閉じた。僕も精一杯手を叩いた。

ステージを去る間際、紅玉と目が合った。彼の目には何故か大粒の涙が溜められていて、今にも零れてしまいそうだった。

綻んだ唇と潤んだ瞳がとても印象的だった。


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