Cross words with...
開いた窓からは、涼しげな風とともに、運動部の溌剌とした掛け声が流れ込んでくる。それらは、心地よく空間を満たし、体を委ねられている。一方、目の前の埋まりきらない正方形の隊列に、あたしの心は掻き乱されていた。
午前の授業を終え、クラスメイト達は部活、帰宅で教室から散っていき、教室に残っているのは、あたしだけとなっていた。
最近、クロスワードパズルにはまっていて、学校に本を持ち込むようになり、ちょっとした楽しみになっていた。基本的に、一日一問を解くペースだったのだけど、今日は少し違った。しおりを挟んでいたページには、一枚の白い紙。開いてみると、モノクロ印刷のクロスワードパズルだった。
こんなの、いつ挟んだっけ。綺麗に四つ折りにされたパズルに全く覚えは無く、少し、不思議に思った。けれど、せっかくだし解いてみようか、なんていう好奇心のほうが勝り、眼を通してしまった。
解き初めてから、どのくらい経っただろう。遠くから足音が聞こえてくる。音の主はどんどん近づいてくる。誰かが教室に入ってきたみたいだ。あたしはその音に耳を立てつつ、箱の中身を埋めようと、左手に握られたシャープペンシルをトントンと一定のリズムで打ち付けた。
「よっ! なにやってんの? そんなに顔、しかめちゃって」
顔を上げ、眼鏡を直すと、またアイツだった。当たり前のように、あたしの前の座席に座る。だから、顔が近いんだって。
「な、なんでもないから!」
語尾を荒げつつ、自然と、上体を後ろにそらし、間合いを取った。教室で二人きりになるのは、何回目かのはずなのに、何緊張してんだろ、あたし。
「なんでもなく無いじゃん。また声、あがってるよ」
そう言ってはにかむ。目が合う。矢のような視線があたしの瞳の中、さらには見透かされたかのよう。一秒も目を合わせてないのに、全身がくすぐったい感覚に襲われるので、あたしはすぐに視線をそらした。
「本当になんでもないの。だから向こう行ってって!」
窓から見える運動部に、それとなく視線をそらして、大げさに右手を払う。でも、それを無視して、アタシの机に視線を向ける。
「へぇ、クロスワードなんかやるんだ。なんか意外だな。ちょっと見せて!」
あたしの机の上の、まだ埋まりきらないクロスワードパズルをひょいと奪った。
「あーもう返してっ!」
「なになに…、埋まってないのは五ヵ所か。俺が埋めてあげよっか?」
半分冗談のようだが、それはご法度だ。無邪気に取り上げた紙を読もうとする。
「いいって、いいって!」
取り返そうと右手を伸ばすが、高く伸ばしたその左手の先には届かない。ホント、アンタって無駄に身長高いんだから。あたしは机にうなだれ、見上げた。
「ねー返してよ」
「やだ。解くっ」
中身は好奇心旺盛な子供だな。あたしはどこかしら母親のような感覚を抱きつつ、おとなしく机に紙を置かせる。
「はいはい、分かった。一緒に解こう」
「そうこなくっちゃ」
紙を机に置き、椅子に座りなおす。丁寧にも、紙の向きをこちらに向けなおした。ちゃんと一緒に解こうという意思があるからなんだろう。
「じゃあ、まずココから」
四角形を指差すと、頭を寄せてくる。わざとかと思うぐらい、おでことおでこがくっつきそうな距離。生暖かい息。なんか、シトラスのいい匂い。なんなの、ホント。空気を伝い、息が首元の肌を撫でていく。血液が、心臓を突き破りそうなぐらい、強く流れる。二人っきりになるたびに、その強さがどんどん強くなっている気がする。
「〈コレが付いたものをはめ込むと、よりいっそう輝きます〉。三文字!」
まるで子犬のように嬉しそうな表情を向けてくる。
「ソレを何かにはめ込んだら輝くってことね。何なんだろう」
「こういうときは、横の列を見て。最後の文字を当ててから考えると良いよね」
「うん。横は…〈アメリカとカナダの国境にある滝〉。五文字。分かる?」
地理だけは苦手で、場所を覚えるのが苦手だ。お手上げといった表情で、視線を送ると、笑い出し、
「なんだ。こんなのも分からないのか? 〈ナイアガラ〉じゃないか! 常識中の常識だぞ」
あたしの左手からシャーペンを奪い取り、〈ナイアガラ〉と五つの正方形を埋める。
「だって、地理、苦手だもん」
「こんなのも分かんないようじゃ、次のテスト、確実に赤点、だよ?」
ペン先をこちらに向け、ニヤニヤとする。
「いいもん! その分日本史で取り返すし」
地理は出来なくてもいいし。日本史で満点近く取れるから補えるし!
「何言ってんだよ。両方とも社会のカテゴリーには入ってるけども、教科は別だから、それじゃ駄目だろ! ほら、ちゃんと覚える、覚える。ナイアガラ!」
「はいはい。な、い、あ、が、らっ!」
あたしは一字一字に憎しみを込め、言葉を唱えた。
「よし。で、さっきの三文字とかぶってるのは…〈あ〉、だな。ということは、何かに付いてて、それをはめ込む、最後が〈あ〉の三文字のものか」
「輝くって事は光るもの、かな?」
「そうだな。はめると、いっそう輝くって事は、はめる前から多少輝く…。あ! 分かったぞ」
ひらめきの瞬間、目が大きく見開かれた。
「何?教えて」
「この文句考えた人、若干ロマンチストかもな」
わけの分からないことを言いはじめ、あたしは余計に考え付かなくなった。
「いいから教えてよ」
「仕方ないな。ジェスチャーでなら分かるから、やってやるよ」
そういうと、あたしの手首を掴む。
「え、なに?」
「ちょっと手先、開いて」
そう言うと、親指と人差し指で、何かをつまんだように持ち、あたしの薬指にその二つの指をゆっくりとこすりつけるように、根元へとスライドさせていく。
「え、ちょ!分かったからやめっ!」薬指がくすぐったいのもあるが、周りに誰も居ないか確認しつつ、あたしは掴まれた腕を引っこ抜いた。
「ダイヤ、だよ!」
「分かったけど、ココまでやらなくてもいいでしょ。誰かに見られたら勘違いされるじゃない」
そう言いつつ。あたしは内心、ごっこの範囲を超えて、窓の外に、居ないはずの神父まで想像してしまっていた。
「いいじゃん。それはそれで」
見つめる目は、あたしには真剣に見えた。コイツ、どうかしてるって。
「何言ってんの!?」
その顔を次に意識した瞬間には、やわらかな微笑みに変わっていた。
「冗談だって! どう、本気にした?」
あたしが子供、だったわけね…。
「ちょっと、変な演技しないでよ。急にシリアスにするからびっくりしただけよ」
「顔、面白かったよ」
「うるさい。はい、続き」
やれやれといった表情で、あたしのペンを回しつつ、紙に視線を戻した。こっちのほうがやれやれだよ。
たった五問とはいえ、残り一問となると、達成感というものが、山の向こうから朝日が昇ってくるかのように、目前まで見えはじめてくる。
「やっとココまで来たね」
「ああ、まさかココまで手強いとは思ってなかった」
「ささっと最後ぐらい終わらせよっ」
あたしはヒントを読み上げた。
「〈落ちたら抜け出せないかも?禁断の○○〉だって」
読み上げるとニヤっとしたので、答えが分かったのだと悟ったが、あえて無視して
「うーん。さすがに〈あな〉なんて違うし、〈地獄〉だと漢字だし…」
考えうる二文字を口に出していく。そんなあたしを見て、どんどん口角が上がっていくのが憎たらしい。
「もう、分かってるんじゃないの」
煽り立ててくる目の前の存在にプレッシャーを感じつつ、心臓は更に大きく膨れ上がる。
「待って。出そうなの…」
そのときだった。ドタドタと地面に響く足音が遠くから迫ってきた。廊下のほうだ。ふと教室の入り口に視線を向けると、坊主頭の男子生徒が息を切らして壁に手を突き立っていた。
「こんなところで油を売ってたのかよ。早く来い。部会、始まるぞ!」
「ああ、もうそんな時間か。分かった、すぐ行く! 先に行っててくれ」
目の前のコイツは、そう男子生徒に一言告げると、足音は遠ざかっていった。今度は足音から、ダッシュではなく、ランニングで行ったことが分かった。
「なに、サボってたの?」
「いや、時間があったもんだから。教室に居ないかと思って。あ、昼飯食うの忘れてた」
「なにやってんのよ。ホそれでキャプテンなんて言うのが信じられないわ」
「よく言われる」そういって笑うと「で、答え分かったか? 俺、もう行くぞ」
席を立とうとした。
「あ、それなら教えて行ってよ。キリがいいし」
「仕方ないな…耳貸せ」
仕方なく、右耳を近づける。
「この、ささやきに、俺と同じようにドキッとしたら、多分それが答えだ」
あたしの右手取ると、左胸に当てさせられる。その心臓もまた、一段と速く鼓動を打っていた。そして、そう囁いた、その優しげな声に、あたしの心臓もまた鼓動の速度を上げた。
「え…え!?」
戸惑うあたしを取り残し、席を立ち、教室を出て行く。
「きっと浮かんだだろ。もし、同じことを考えてくれてるなら、明日の放課後、埋めずに空けておいてくれ。二人で埋めたいクロスワードがある。…なんてね。あー臭っさ!」その背中は大きく見えるが、握りこぶしは細かく震えているように見えた。
ねぇ、だとしたら、さっきの神父さんは…そういうことなの。考えると全身が火照った。
「また、明日な」
振り向かずに手を上げて教室のドアの向こうへと消えていった。
いつの間にか聞こえなくなっていた運動部の掛け声は気付けば音を取り戻していた。ただ、風がひゅうひゅうと少し強くなってきていたので、窓を閉めようと、立ち上がろうとした。
ふと、視線を落とすと、シャーペンの芯が折れ、空いていた二つの正方形には〈こい〉と一段と濃く書き込まれていることに気付いた。そして、ひとこと。〈ちなみにコレ、俺が挟んだんだ。作戦成功!〉。さらさらと流れるような字で書かれていた。罠に引っかかっちゃったのか…あたしは。更に悶絶し、あたしは机に伏せた。
「ダイアじゃなくて、ダイヤって書いちゃうバカのくせに。それに、自分のことをロマンチスト、なんて言っちゃうし。どうして、あんな奴のことが…」
一度落ちてしまえば、抜け出せないもの。それが恋ー。
シリーズの進みが難航しているため、過去作品を加筆、改稿したものを投稿させてもらいました。
少しでも、感じていただけるものがあれば、嬉しい限りです。
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