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イノチの桜  作者: 空羅
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イノチの桜


ビジネスホテルをチェックアウトしたぼくは、あいつがそのまま帰ってこないのを信じたくなくて、二時間ほどロビーで待っていた。


なにを待っていたのか、と聞かれても、答えに詰まるだろうな、とは思った。でも、待たずにはいられなかった。


うす寒い夕べの神社の境内の涙も、昨夜のあいつの涙も、みんなみんなぼくを引き止める理由になんかならないはずだった。

はず、なんだ。


それでもぼくはあいつを待って、これでもう二回目の壁掛け時計のメロディを聞いてしまった。


「なんで、何も言わず居なくなるんだよ」

ぽち、とぼくはスマートホンのスイッチを入れてぼそりと呟く。


あいつの番号、知らなかったんだな。

あいつ、そういえば携帯なんて持ってるのかな。


あいつ、こんなんだからーー

「一方通行なんじゃないか……」


ぎゅう、と握りしめたスマートホンが、乾いたみしりという音を立てても、ぼくの中の何か行き所のない感情は落ち着いてくれない。


鞄の中の黒い革の財布が、異様にあいつの幻影を呼び起こしてしまう。麦わら帽子をパタパタとあおいで、ひらひら踊って人の話を聞かない、あの真っ白なあいつ。


「……あ、い、つ」

ぶつり、とぼくの思考は静かに考えるのをやめて、あいつの白い肌と真っ黒な髪、うすももの唇を胸が痛むほど思い起こしていることに気がついてしまった。


「あいつの……名前すら知らなかったんだな……」


すっと手のひらを頬に持っていくと、あいつの冷たい熱が触れたあとが、疼くように蘇る。


「おまえ、どこにでもいるって……言ったじゃないか」


すう、とぼくの疼きを冷やすように、肌寒い初夏の気温に冷やされた雫が、またぼくの頬を流れた。


言ったじゃないか。どこにでもいるって。

今もいるのか? ここに。

ぼくの、となりに、ちゃんと……?



「いるん……だよな……?」

あいつの気配がしない。

あいつのにおいがしない。

あいつが、いないーー




それはぼくのとって何の痛手にもならないはずなのに、それだけでぼくの声を震えてかすれさせるのに十分な虚無感を叩きつける。


なんなんだよ、お前。

あんなに引っ付いてきただろ。あんなに怖がらせただろ。あんなにおちょくって、不法侵入までして、ぼくの大好物を、カレーになんて塗り替えてさ……!!



ぼたぼたとこぼれ出す涙の奔流を、ぼくにはもう止められなかった。


どこにいるんだよ。「怖がらないで」って、「これからよろしくね」って言ったの、お前じゃないか。



ぐしぐしと袖で拭うたびに、シャツが熱をもっていく。


ぼくは今、怖いよ。

お前がいないから、怖くて仕方がないよ……!!



「キスで王子に呪いをかけんな……ッ! 逆だろバカ姫……!!」



「……夜彦、さん?」



りん、と鈴が鳴ったように、ぼくの上から声が降ってきた。


遠くから聞こえるような、耳元で囁くような、甘い毒を含んだ声。聞きたくて仕方がなかった、声。



「泣いて、いるの?」

「……うん」

「わたしが、いなかったから?」

「……うん」


「お姫様って、わたしのこと?」

「……悪いか」

「お姫様は、きちんと呪いをかけられた?」



心なしか、その声が弾んだ。

ぼくはむっとして、泣きはらした顔も構わずにあいつを睨みつけた。片手でつばの広い麦わら帽子を抑えて、太陽を背に咲き誇る、儚げな笑顔の花。


小癪な。


「ふん。そりゃあもう、ばっちりしっかりかかっちゃいましたよ。おかげでぼくは、年甲斐もなく人恋しさに男泣きしちゃったよ。しかも人前でね……!!」



憎々しげな怒気の棘をたっぷり含んで、ぼくはあいつに投げつけたつもりだったのに、なぜかぼくの声は甘い香りを含んでぼくの耳に届いた。


「帰ってくるなら、一言書き置きしろよ」


唇を尖らせて、ぼくはむくれるようにあいつの頬に手を伸ばす。むに、と触れるとひんやり冷たく白いあいつのほっぺた。



ここに、いるんだよな。と、確認するように。


「ごめんね」


そっとその手に自分の手を添えながら、あいつは困ったように笑った。



「カレーが、気になっちゃって」


えへへ、と悪びれるその笑顔に、ぼくは……


「……は?」

意味がわからなかった。



「え、だって、二日目のカレーは美味しい法則、知らないってことはないでしょう、夜彦さん?」

「え、ああ、そりゃあ」


「でしょう!? なのに昨日は火を通せてないし、この初夏の気温でダメにしちゃったらもったいないもの。だから、今日のおひるごはんのために、一度火を、通しに……」



最後の方がごにょごにょとちいさくなっていくそいつ。


すぼんでいく唇に、ぼくは先日の覚めたカレーとちらつくスプーンを思い出して、ぐうっとお腹が空いてくるのを感じた。


「うん……そりゃもったいないな」


じわ、と心なしか口の中につばがでる気もする。

よっし、とぼくはごしごしと最後の涙のすじを袖で拭うと、ぽんぽんとあいつの頭を撫でた。


「よくやった。早く帰って、ご飯にしよう。ぼく、そういえば昨日からなんにも食べてないや」


にっこり微笑みかけると、鏡に写ったみたいに、ぱああっとあいつも輝いた表情に変わる。こいつ、本当に可愛い、かも。


「うん!!」

あいつはがばっとぼくの手を握ると、ぐいっと引き起こしてルンルンで歩き出した。大きくつないだ手をふって、にっこにこの笑顔で、りんごみたいなほっぺた。そういえば、また、こいつ白い服を着ている。


「な、なあ。姫、さま?」

ぼくは思い切って、改めて眩しいあいつに呼びかける。


「ん? なあに、王子様?」

きゅっとつないだ指が、どちらともなく熱くなっていく。


ぼくはこれから、必要になるだろうことを、今なら聞ける気がした。


「ぼくは君を、なんて呼んだらいいかな」

「え? 名前ってこと?」

「うん。そういえば、一回も聞いてないし」


「あ、の、ね、そういうのは男の子が先に聞くものなんだよ?」

「……桜並木で、名乗りもせず呼びかけてきたくせに?」

「それはそれ、これはこれ」

「ふうん。じゃ、いいや」

「う、うそうそ。うそだから」


おどけたり焦ったり、こいつは実に面白い。


怖いはずだったよな。最初は。

それが今は、こいつが笑っただけで高鳴る方の、どきどきに変わっている。呪いをかけられたのか、魔法にかけられたのか。

どっちでもいっかな、と思ってしまったりする。


「夜彦さんにとって、わたしって、なに?」


「え?」

「昔のわたしはもう、いないんだもの。今、夜彦さんが思う、わたしの名前でわたしを呼んでほしい」


大きな瞳が、くりくりとぼくを捉える。

純白の中の暗黒。闇の中の光。ぼくにとっての、大切なもの……



「イノチ」

「……え?」

「イノチ、って感じ、かな」

「いの、ち?」

「うん」



ぼくは懐かしむように空を見上げ、そっと腕を開いた。

おいで、と言うように。

あいつは、おおお、とびっくり感激したような顔をして、急いでぴょんと跳ねてぽすんとぼくの胸におさまった。


ぴったりおさまる、小柄で細いあいつ。あいつのサラサラで星空みたいな髪は、あごを乗せられそうなくらい。ほんと、こいつってぼくの欠けたパーツみたいだな、とぼくはもう諦めと嬉しさの入り混じった感情で、あいつをそっと抱きしめる。



「ここに、お前がいる」

「むぐ(うん)」

「さっき、お前がほんのちょっといなかっただけで、ぼくは押しつぶされそうな気持ちになった。別にそんな関わりが長いでもなく、覚えていたわけでもないのに」


「むぅぅ。、うぐ、むぐむぐ(むう それはそれでカナシイ)」


「でも、今ここにいてくれて、ぼくはすごく満ち足りてる。悲しくない。むしろ、嬉しい」


「……」

「ここに、いろよ。君はもう、ぼくの『イノチ』になっちゃったんだよ……」



ぎゅう、と抱きしめる手に力を込める。

今度は、拒絶されるかもしれないのはぼくの番。


離したくないよ。でも、決めるのは君だ。

王子を選ぶのは、いつだってどんな絵本だって、プリンセスだから。だから、ぼくはせめて届くように君を包むよ。



「君が……すき、になったよ。イノチ」

見下ろすぼくの瞳が、真っ赤に染まるあいつの顔にぶつかる。

赤い、紅い、ほっぺた。



それは一度ぼくを現実から殺した毒のりんごの赤。

そして今は、ぼくの元に戻ってきた、あの遠い日の姫が連れてきた、桜の花びらの、紅。


「受け入れて、くれますか、お姫様」




ゆっくりと、ぼくは近づいて、ゆく。

拒めるように。イノチが。

ぼくは、あなたを求めます。

貴女が拒むのなら、それもまた受け入れましょう。



だから、ぼくにかけた呪いを、魔法に変えて。

ぼくだけのプリンセス。



「もう、夜彦さんの、ばーか」

ぼくの首に、細くて白い腕が、するりと絡みつく。


「先に好きって言ってるのに、びくつかないでください。本当に、仕様のないひと」


がばっ、と目の前が桜色に染まる。

最後の雪の白、芽吹いた季節が溶かした涙の雫、甘く柔らかい満開の桜の花。



「ハッピーエンドに、してね」



ちう、と唇を離して、涙でぐしゃぐしゃになったそいつは、今、完全にぼくを現実から切り離したのかもしれない。


でも、もう知ったことじゃない。

ぼくの世界は、もうこの薄皮一枚向こうでぼくを待っていた、囚われのお姫様のいる世界。


ぼくのイノチは、こっちにしかない。

だから、もう、向こうじゃどうせ生きていけないんだから。



「もう、ハッピーエンドだよ」

ぼくの顔が写るあいつの大きな瞳に、きっと今はぼくだけが写っている。ぼくの瞳には、他に写すものを見つけられない。



「ここからは、おとぎ話じゃなくて、ラブストーリーがはじまるのかもよ?」

「いや!! そして王子とお姫様は幸せにくらします!!」


「いや、そりゃあそのつもりだけど」

「だって、ラブストーリーになんかなったら……」


しゅん、と唇を尖らせてうなだれるイノチ。

うるうると涙までたたえて、ぼくのお姫様はこんなことを言うのです。



「わたし『彼女』になって、もう夜彦さんの『お姫様』じゃいられなくなっちゃうんだもん」



どき。

そんな顔されると、『彼女』になんかしたくなくなっちゃうな。



「わかったよ。ハッピーエンドに、しよう」

「うん!!」



ホテルのロビーは人で溢れかえっているのに、もう誰もぼくたちを目に止めない。

賑やかな喧騒は、ぼくにはもう紛れ込むことのできないものになってしまった。でも、だからって困ることはなんにもない。


イノチがあって、ぼくの姫がいる、姫の呼んでくれた国。

ここでしあわせをつくろう。

ぼくたちのおとぎ話は、今、はじまったばかりだ。





おしまい

人ではない女の子と、うだつの上がらない男の子のホラーな純愛の物語は、ここで一度幕を閉じます。


ここからは、ぼくの知らない世界。


ほく、は、作者であるぼく。

夜彦くんから、お話の顛末を聞くことができなくなってしまったぼくは、彼らのここからを知ることができません。


いつかもしかしたら、また聞けるかもしれません。

彼らに会えるかもしれません。


でも、それは、きっと向こう側。

こちら側ではないでしょう。


だから、幸せな二人の、二人きりで二人だけの王国の不滅を、不肖な書記ながら、祈ることにしたいと思います。


読者の皆様、ご愛読ありがとうございました。



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