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イノチの桜  作者: 空羅
6/8

返答・・・

ぼくらはその街のビジネスホテルに部屋を借りた。


あいつの分は別の部屋をとろうと思ったのだが、どうやらあいつの話は本当らしく、受付の男性にはあいつは見えないようだった。


ぼくが二部屋借りようとすると、お連れ様はこれからいらっしゃるのですか、と尋ねられてしまった。目に見えない人間の部屋をとることは難しいので、ベッドの二つある二人部屋を借りたところなのだった。


あいつは全く自分の方を見向きもしない、その男性を悲しそうに見つめていたが、ほとんどない荷物を持って部屋に着くと急にはしゃぎだした。


「ええ、夜彦さん。そりゃ、さっき、私が襲ったけど、同じ部屋って。私、まだ心の準備が。」


きゃあきゃあと両腕で細身の自分を抱えて、ベッドでのたうちまわっている。時折こちらをちらりと見て、なんとも言えない謎めいた表情を浮かべて、またきゃあきゃあと興奮した様子でのたうちまわっていた。


ぼくはやっぱりこうなってしまったか、と半ば諦めながらも、説明するのも疲れるので、黙って口を閉じて壁際の椅子に腰掛けていた。


先程の神社での出来事が頭の中でぐるぐると再生され、唇にはまだ柔らかな感触が消えていなかった。


ここにたどり着くまで、どんな道を通ったのか、どうしてここに来る事になったのかも、もうわからなかった。


「ねえねえ、夜彦さん」


そいつに呼ばれている事にも、ぼくはしばらく気がつかなかった。


「え、ああ。なんだい」

顔が赤くなっていないのを願いながら、そいつの方に向き直った。うつ伏せになって頭を持ち上げた体勢で、そいつはぼくを呼んでいた。ぼくは理性を奮い起こして、そいつのワンピースの、大きくあいた胸のあたりに目が行かないように懸命に耐えた。


さっきからこいつがほのめかしていることを、ぼくはするつもりはなかったが、こいつがもし本気で誘惑してきたら、ぼくは堪えきれる自信がなかった。


「お風呂は、先に入るの?後がいい?」

顔がかあっと赤くなるのがわかった。


そいつが本気で言っているのか、悪い冗談を言って楽しんでいるのかはわからないが、とにかくどう反応したものか、ぼくは言葉をつまらせた。


「あ、ええと」


泡をくったように落ち着きをなくしたぼくを、そいつは嬉しそうにころころと笑いながら見ていた。


「ぼ、ぼくは」

生唾を飲んで、自分の手綱を必死に掴んで押さえつける。今日はこいつに振り回されてばかりだ。ここで自分を見失ったら、自分もだが、こいつも失うものは小さくはない。一時の迷いに流されるな。


ぼくは必死に言い聞かせる。


「ぼくは、そういうつもりでこの部屋をとったつもりじゃないんだ。君のことがうまく説明できなかったから、止むを得ず、悪いが同室にさせてもらったんだよ。君に手を出すつもりはないから、なんなら、ぼくは床で寝ることにするけれど」


身振り、手振りを大げさにしながら、一息に言い切った。どうしようもなく間抜けな気がしたが、言い切ってからすうっと後悔のようなものが喉の奥に残ったのを、ぼくは遠くで気づいていた。


そいつは薄い微笑みを口のはしに浮かべて、ぼくの方に身体を滑らせた。そのままベッドに倒れこむかと思ったが、体は宙にふわっと流れて浮き上がった。


息を飲むぼくに向かって、上体を起こしながらふわりふわりとそいつは漂って来た。空中にある何かに座るような体勢で、椅子に腰掛けたぼくの目の前に、ひとゆらぎしてからしゃんと静止して見せた。


こいつが言っていた、どこにもいることのできる呪いなのであろうことは、なんとなくわかった。


「ふふ。冗談だよ」

おかしそうに、でもどこか寂しげに言った。


「ちょっと、わかった?私の話。嘘はひとつもついていないの。だから、悲しいんだけどね。」


そう言って、ゆっくりと髪をかきあげる。


そのしぐさひとつひとつが、何故だかぼくの心を乱す。恐怖しか感じなかったはずのそいつに、今、ぼくは何を感じているのだろう。


そいつはすうっと頭を寄せてきて、急にぼくの胸にはりついた。あまりに自然で無理のないはりつきかただったので、ぼくは拒絶することができなかった。


ぼくの胴に腕をまわし、ふわふわと漂いながらくっついて離れなかった。すうすうと呼吸の音がすぐ近くから聞こえてきて、ぼくの心臓は落ち着きなく爆発を連鎖させる。行き場を失った腕も、温かい人肌が伝わってくる胸もなすすべもなく、固まったようにじっとしているしかなかった。


「夜彦さん、どきどきしてる。」


ぼくの胸に押し当てた顔をあげて、震えながらぼくを見る。見下ろしたすぐ下にそいつの顔があって、つい先程の状況を思い出して顔がかあっと赤くなるのがわかった。


「私といて、どきどきしてる。」


大きな瞳がぱちぱちと瞬き、つうっとひとすじの涙が流れた。やっと落ち着いてきた赤い瞳は、まっすぐにぼくを見すえていた。色のない頬が薄く染まり、唇の薄もも色から締めつけられるような甘い香りが立ちのぼった。


くらくらして、ぼくはなにがなんだかわからなくなりそうだった。どうしてここにいるのだったか。こいつと、こうしている為だったかも知れない。頭の奥で警鐘を鳴らす理性が遠のいていく。それでも、ぼくはこの整った顔立ちのひとつひとつから目を離すことができなかった。


「夜彦さん、私にときめいてるの?」


ぼやぼやした思考回路に、そいつの言葉はこだまのように響き渡った。部屋中の光が吸い集められたかのように、ぼくはそいつの瞳しか目に入らない。


「そうだと・・・いいなあ。」


ふっと、意識の霧が晴れた。


そいつがいつの間にか身体を引いて、ぼくから離れていたようだ。半歩向こうに浮いているそいつを見やると、寂しげに腕をこすりながら、頬に手を当てていた。まるで、先程までのぼくの温もりが消えていかないように覚えていようとしているのか、頬に当てた指の一本いっぽんが震えていた。


落ち着きの戻ってきた頭は、そいつの様子への罪悪感と、そいつを感じていた熱への名残惜しさにかられはじめた。


「わからないんだ」


一瞬、自分が口走ったのだとは気がつかなかった。はっとしてそいつがぼくを見る。今しがた狭い部屋に響いた声は、ぼくの声であったようだった。


言ってしまおうか。言っていいのか。


ぼくは無意識に迷っていたのだと思った。


「ぼくは君が怖くてたまらなかった。今だって、君と関われるようになった理由も、どうやったら仕事に復帰できるのかも分からない。君のせいなんだとばかり思っていた。ここのところの出来事は。だけど、君はなにかするどころか、すがっていただけだった。」


ぼくは手のひらを握りしめた。混乱した頭はなにを吐き出そうとしているのか。でもきっと、はっきりさせておかなくちゃいけないことなのだろう。


すうっと、息を吸い込んだ。


「君は悪くなかった。同情しているぼくがいる。何とかしてあげたいけど、どうにもできないのは分かってる。それにぼくはさっきから・・・」


あいつの傾いた方の頬に涙が流れる。


「君を見ると・・・おかしい。息がつまるし、顔が火照るし・・と、ときめくなんてのがどういうことなのか、ぼくには分からないんだけど・・」


何を言っているのか、自分でもわからない。さっきの神社のことや密着したことなんて、今まで一度もなかったものだから、ぼくは緊張と同様でふにゃふにゃになってしまっていた。


「さっきのことがずっと頭の中をぐるんぐるん回って、抜けないんだ。」


言っていて顔が赤くなっていく。支離滅裂で、こいつの顔を見ることもできない。


「君の気持ちにどう応えていいのかわからないんだよ。ぼく・・その・・」


しどろもどろなぼくは、胸のうちにある言葉を、懸命にかたちにしようとしていた。


あいつはその様子を、今にも心を持っていかれそうな表情を浮かべたまま、うっすらと玉のような涙を湛えた。


夜彦さん。


と、あいつは言った。


「応えて・・・くれるの・・・?」



続く


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