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イノチの桜  作者: 空羅
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王子様とお姫様

照りつけていた日差しは、緩やかに地平線を目指して天頂から降りつつあった。

木漏れ日は木の幹の部分が伸びてしまって、長い長い影の先にちょこんとくっついているだけになってしまっていた。


西日を背中に受けたぼくは、薄い茜色に染まったワンピースがどこか非現実感を匂わせるそいつに、真っ直ぐ見据えられている。


「・・・え?」

生ぬるい風が遠くの虫の声を運んでくる。樹々の葉や石造りの狛犬の、体の溝に風が当たって砕け、物悲しい音をたてていた。


「ぼくを探しに?」

話の途中までは理解できていたのだ。ぼくは思う。


神様の魔法のくだりも、納得はしないまでもなんとなく合点はいくようの思った。それ以外にこいつの不可思議さを説明しうることは出来ないように感じた。


光がはじけたというその時の、染み込んだ何かのせいで、こいつはここまで脆そうに白くなってしまったのかと思った。


しかし、最後の言葉は全く理解できなかった。


ぼくを、思い当たった?


こいつを助けるために必要だったのが、ぼくだとこいつは言った。 それはおかしい。きっと何かの間違いだ。


だって、ぼくは、今までこいつに会ったこともなかったはずなのだから。


そいつを見ると、目を真っ赤に泣きはらして、暮れてゆく西日を斜めに受けていた。


冷たくなってきた風がワンピースには寒いのか、両腕をすり合わせながら、何も言わずに唇をきっと結んでぼくの目をうかがっていた。


ぼくは慌てて上着を脱いでそいつの肩にかけた。そいつは何の抵抗もせずに上着を羽織った。かける時に触れた一点の黒さもない肩が、思った以上に冷えていて驚いた。


「寒いだろう。どこかに入って、暖かいものでも食べよう。話はそこでもできる」


精一杯優しい声で、ぼくは言った。

今まで不気味に感じていたこいつの態度や雰囲気の意味がやっと解って、憐れみとも同情とも違う気持ちで、優しくしてやらなくてはいけないと思った。


こいつは、かまって欲しかったのだ。


誰かに話しかけて、反応して欲しい。自分が触れたことに気付いて欲しい。優しくして欲しいし、怒って欲しい。自分を一人の女の子として、人間としてあつかって欲しい。


そういった切なる願いが、どういう訳かこいつと関われるようになったぼくにどっと注ぎ込まれてしまっていたのだ。


いちいち消えて見せたのも、わざわざ気を引くように甘えてきたのもきっと、そういうことなのだ。


ぼくは何となく理解した。

ぼくの上着の襟をこもるように閉めて、そいつはぼくを見上げた。


「戯言だと、思った?」

泣きはらした目が、痛々しいくらいに怯えていた。


「怖いの。夜彦さんに信じてもらえなかったらって思うと。だって、信じてくれなかったら、私、他に頼れる人がいない。」


ぼくのシャツの裾を、震える手で掴む。ぼくがまるで、ずっと後ろに引いて行ってしまうのを恐れるように、両手で。しかし怖々と、拒絶されないように、そうっと掴んだ。


「なあ」

ぼくはそいつの方を向いて話しかけた。

その様子があまりにも憐れで、包み込むみたいにしっかりと向き合った。


「君はぼくを、いつ頃見つけたんだい、」


「え?」


もうこれ以上涙を流したら、枯れてしぼんでしまいそうな表情で、そいつはぼくを見上げた。


「ぼくに会いに来ようと思ったんだろう。君がぼくと、初めに会ったのはいつだったんだい?」


ぼくはそいつの手をとって、石段まで歩いて行った。風が当たらない側にそいつを座らせ、風を受ける側にぼくが腰掛けた。


黄昏の茜色は雲に当たり、黄金色のすじになって伸びた。これだけ話したら、すぐに暖かい場所に移動するから、とそいつに言うと、曇った顔で微笑んだ。


「そっかあ。やっぱり、夜彦さん。覚えてなかったかあ」


狛犬の影を見つめながら、そいつは言った。


「私たちがはじめてしゃべった、桜並木を覚えてる?」


「うん」

あそこ。腫れぼったいまぶたを悲しげに歪ませて、


そいつはぱちくりした。


小学校の最初の夏休みに、あの街に引っ越したの。父の仕事の都合で。でも家は売らなかったから、すぐにまた戻ったんだけどね。


夏休み明けの最初の登校日に、私、熱をだしたの。


お母さんが呼ばれて、お母さんの背中におぶさって帰る途中で、あの桜並木にさしかかったの。


向こうからやってくる、普通に授業を終えた子たちと顔を合わせるのがなんだか嫌で、私はそっぽを向いて、気をまぎらわせるみたいに足をぶんとふった。


そうしたら、靴が脱げてしまったの。

ぽーんと飛んで行って、見知らぬ男の子の足元に落ちた。母がごめんねえ、と言って歩きよると、その子は私の靴を拾って、持ってきてくれた。笑顔の人懐こい男の子だな、と思った。


わざわざどうもありがとう、と笑いかける母に、その子は言った。


「そのこ、どうしたの?」


私は、ぎくりとした。

別に悪いことをしたわけじゃないのに、学校を早退した、ということに罪悪感を感じていた私は、ことさらに身を縮こまらせた。


お熱でね。顔、赤いでしょう。間伸びした母の声が、なんだかすごく恥ずかしかった。見知らぬ男の子に辱めを受けている気分だった。


でも、その男の子は私が思っていることとは全然違うことを言った。


「ああ、だから、えほんにでてくるおひめさまみたいなんだ」


私はびっくりした。驚きのあまり、そっぽを向いているはずなのに、ついそちらを向いてしまった。


「だって、ほら。しろいおようふくに、あかいほっぺだよ。ほら、なんだっけ。」


思い出せない、と言いながら、その子は私の足に靴を履かせてくれた。慣れない手つきで、汗ばんだ手のひらが足に吸いつくみたいだった。


「こうやって、くつをはかせてあげるんだけどなあ。おばちゃん、わかんない?」


うーん。なんだっけなあ。もったいぶって、母が私をちらりと見た。私は、さっき男の子が触れたつま先が熱くて、くらくらしていた。


あ、わかった。夜彦くん。それ、シンデレラでしょう。にこにこしながら言う母に、その子は驚いてとびすさった。


「ええ、おばちゃん、なんでぼくのなまえしってるの。もしかして、おばちゃん、まじょなの」


夜彦くんは絵本が好きなのね。母は少し嬉しそうに笑いかけた。でも、ごめんね。おばちゃん、この子を今から病院に連れて行かなきゃいけないの。それと、紅いほっぺは白雪姫よ?


母は私をおぶった手を片方はなして、男の子の頭を撫でた。その子の髪は汗でくっついて、くしゃくしゃになってしまったけど、そうするとどこか、絵本の中の小さな王子様を思わせるようだった。


「またどこかで会ったら、仲良くしてあげてね。夜彦くん。」


母はいかにも魔女っぽく、怪しく笑って見せたあと、その子に背中を向けて歩きだした。男の子はおっかなびっくりこちらを見送っていたけど、私と目が合うと、手をおずおずとあげて叫んだ。


「またね。まじょおばちゃん。おひめさま」


それきり背を向けて、私たちとは反対に走っていってしまった。


「おひめ、さま」


聞き慣れない自分への呼び名を、ゆっくり繰り返してみる。途端に顔とつま先が熱くなって、胸がどきどき鳴って止まらなかった。

男の子は、もう桜並木から出て明るみに入ってしまったから、もう姿は見えなかった。


「お姫様、だってさ。よかったねえ」


にやにやした口調で母が話しかけてきた。


「シンデレラみたいじゃないの。靴まで履かせてもらちゃって。」


お母さんは魔女なのにねー。


私はばつが悪いのをごまかそうと、必死に別の話題を探した。


「そうだ、おかあさん。おかあさんはどうしてあのおとこのこのなまえがわかったの?」


どんな魔法を使ったの。そう聞くと、母はくくくっと嬉しそうに喉を鳴らした。


だって、名前が書いてあったもん。胸に下げた名札に。でかでかとね。稲田、夜彦くん。


「いなだ、よるひこ」


それが、あの子の名前。あの子は私の名前を知らないのに、私は、あの子を知っている。私はなんだか妙に勝ち誇った気分になった。


「王子様みたいだったのに。良かったの?お話ししなくって。」


いつまでも言っている母の背中で、私は小さく咳をした。病院に着くまで、少し眠ろう。そう思って、あの子のくしゃっと丸まった髪や、じわりと暖かい手のひらの感触を、思い返していたの。



太陽が最後の光を地平線から消してから、もうしばらく経っていた。


石段に腰掛けたそいつは、ゆったりとぼくの肩にもたれながら、ぼってりと腫れてしまった瞼を閉じていた。


「まあ、それだけなんだけどね」

ふふ、と笑って目を開ける。私にとっては、とっても大切なことだったの。夜彦さん。思い出した?


小首をかしげてこちらを向いて、そいつは尋ねる。


「うーん」

ぼくはなんとも微妙な記憶を、なんとか拾い集めようとしていた。言われてみると、確かにそんな事があったような覚えがある。


しかし、なにぶん昔のことだから、そこまで明確に説明されると、なおのことわからなくなる。


待てよ。そういえば、かなり小さな頃、魔女に連れられたお姫さまに会った、と当時の野球仲間に話した事があった気がした。


子どもといっても、そんな夢みたいな話を信じるわけもなく、また絵本でも読んだんだろ、と一笑されて終わったことがあった。


あれは、つまるところそういうことだったのか。


「なんとなく、だけど。覚えてるよ」


曖昧に、慎重な言い方を、ぼくは選んだ。あとあとその方が、問題が少ない思った。あまり覚えていないと言えば、また泣き出すかも知れない。これ以上、こいつに痛手を与えてはいけないように感じた。


「ほんとう⁉」

ぱあっと顔を輝かせて、そいつはこちらに向き直った。石段に手をついて、大きな目がぼくの前まで来ていた。くすみひとつないそいつの鼻が、触れてしまいそうなほどぼくに近かった。


「私、嬉しかったの。あのまま、身体のどこか致命的なところを壊して、誰に知られることもなく死んでしまう前に、たった一瞬でも誰かのお姫様になれたことが」


嬉しかったの。まだ雫の光るまつげが震える。

泣き潰れていても、その様子は美しかった。すぐ目の前にある形のいい唇の、うすもも色を見つめると、なにか胸の奥がおかしなステップを踏んだのがわかった。頭がオーバーヒートをおこしてしまったみたいに、働こうとしない。


「絵本が好きだった夜彦さんなら、わかるでしょう? 呪われたお姫様を救えるのは、王子様だけなの」


そいつの顔が、ぐんぐん近づいて見える。

あいつの目に映るぼくの顔が見える。ぼくは、こんなに間の抜けた顔をしていただろうか。


「お願い。一緒にいて。一人にしないで。私、夜彦さんが気づいてくれるのを、ずっと待ってた。辛かったんだよ。」


右手で髪をかきあげ、少し首をひねった。

細くてしろい手首が、ぼくの鼻をかすめた。


「もう私には夜彦さんしかいないの。私を夜彦さんにあげるから、夜彦さん、私をみて。怖がらないで」


息が口元にかかる。


甘くて痛々しい香りにくらくらする。


「好きなの」


ぼくは体が動かなかった。

頭も身体も、痺れて金縛りにあっているみたいだった。


そいつの瞳に涙が浮かぶ。その中に映っていたぼくは、溺れて溶けていく。


「私を助けて。私の王子様」

そいつはぼくの唇に唇を重ねた。


柔らかいような、物悲しいような接吻だった。

受け入れることも、拒絶することもできないままに、ぼくはその唇を感じていた。


遠くで消防車の走る音がする。


頭の痺れはとれてくれない。


そいつの閉じた瞳の中で、きっとぼくはふやふやと溶けて滲んでいる。




続く

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