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イノチの桜  作者: 空羅
2/8

"病室"

病室



目が覚めたら病院のベッドの上だった。

時計を見やると、午後4時27分。窓の外の日差しは傾き、ほんのりと茜色の光を病室に投げかけていた。


仕事の方は。どうなっているのだろうか。ベッドの脇に置かれていた自分の鞄から携帯電話を取り出し、課長のデスクの電話にかける。2、3コールしてから課長は電話にでた。


「もしもし、稲田です。このたびは突然仕事を休んでしまって。本当に申し訳ありません。今気がついたら病室にいまして、その。」


自分でも言い訳がましいと思いながらも、それ以外に説明のしようが思いつかなかった。


何か自分の身に起こったのではあろう。確か・・・そう、桜の木の下についたところまでは記憶がある。しかしそこからはわからない。なにか忘れているような、致命的ななにかを取りこぼしているような、そんな感じだけが胸のあたりで渦巻いている。


「本当に申し訳がありません。明日からはいつも通り出勤させて頂きますので・・・」


誰に対してもなく頭をぺこぺこ下げながら、ぼくは普通に言った。体に特に異変もなく、しいて変化といえば病室で目が覚めた、ということくらいだ。突然の貧血か、なにかだろう。そう思っていた。しかし、課長は慌てた様子で、声を上ずらせた。


「あー、稲田くん、何を言っとるのかな。君は、君は急性心臓麻痺で倒れんだぞ?明日から働くのはさすがに・・・それは、ちゃんとした医師の承諾が、あったということ、なのかね?」


「き、急性心臓麻痺・・・ですか?」


聞き慣れない単語を、飲み込むまでにいくらか間が空いた。急性心臓麻痺。どこかで聞いたような。キュウセイシンゾウマヒ。


「なんだ、稲田くん、担当医になにも聞いていないのか。連絡があったのは一昨日なんだぞ。」


「一昨日・・・ですか。じゃあ、私は2日も眠っていたのですか・・・」


「本当に、なにも聞いていないのかい。」


ひどく神妙な声で、課長は尋ねた。哀れむような、気味悪がるような、遠ざかった声だった。


「・・・はい。たった今目が覚めました。何をするよりもまず仕事の方が気になりましたので、すぐに電話をかけたところでして。まだ詳しい症状はわかりません。」


「そうか。稲田くんらしいといえば稲田くんらしい。そうだな、では詳しい話しを聞いて、また連絡を入れてくれ。君は心臓とこれからの事を考えると、デスクワークの部署に異動した方がいいかも知れないが、なんにせよ、細かい診断を受けてくれ。それでは、すまないが私も仕事があるのでね。失礼するよ。お大事にな」


社交辞令と仕事の波間に本音をうずめて、いそいそと課長は電話を切った。あまり深く関わってもろくな事がなさそうだ、とでも言いたげな、いそいそだった。


全く訳がわからない。元来、体は丈夫で、しいて取り柄と言えば並大抵の事では病気も怪我もしないことくらいだったはずだ。


とりあえず、枕元のナースコールを探し、早く事情を説明してもらおうと、すがるような心持ちでボタンを押した。


窓から差し込む光が、最後のひと雫をこぼして窓枠から消えた。薄暗くなった病室に、ふと明かりが灯っていないのに気づき、スイッチを探しにベッドから起き上がった。


起き上がる際、心臓に負担をかけないほうがいいのでは、と思ったが、そうっと起き上がってみても、立ち上がってみてもなんら変化はなく、動悸も激しくならない。やはり、なにかの間違いなのだろうか。


首をわずかにかしげながら、カーテンを開け、病室の入り口あたりを見回すと、扉の横あたりにスイッチを見つけた。押すと蛍光灯に明かりが灯り、予想以上に日が暮れていたのだなあと思った。


そろそろ看護師がナースコールに呼ばれてくるだろうか。もしかすると、下手に動き回ったのがわかると入院日数を増やされやしないだろうか。キュウセイシンゾウマヒだからな。


そう思い、こそこそと自分のベッドへ戻る。暖かくなってきたとはいえ、窓際は夜は隙間風で寒いかも知れない。こんな入院服で大丈夫だろうか。服と言えば、ぼくのスーツはどこだろう。まさか捨てられていないと思うが。忙しく頭をくるくる回転させながら、カーテンを開いた。


開いた途端、ああ、しまった、と思った。

つい最近も思った気のする、取り返しのつかないしまっただ。


そいつはぼくのベッドにちょこんと座っていた。


ぼくと同じ入院服に身を包み、ぼくの開いたカーテン越しに、ぼくを真っ向から見据えて。


「よーるひーこさん」


頭をひらひら振りながら、ころころとそいつは笑った。ぼくは開けるべきカーテンを間違えたのかと思った。しかしよくよく見てみるとベッドの横にはぼくの鞄が置かれている。今年の初詣に買った、可愛くない辰の模様の刺繍入りの交通安全のお守りが、力なくぶら下がっている。


「そんなところに立っていないで、座ろうよ。夜彦さん。」と、自分の隣をぽんぽんと叩く。


その一挙一動に見覚えがあった。どこか心の深い傷をえぐられるような、思い出してはいけないトラウマを、目の前で再現されているような。


「きみ・・・は・・・」

言葉が出なかった。頭の中を違和感が駆けめぐっているのに、それは言葉にならなかった。


そいつは大きな目をくりくり笑わせて、髪をいじった。肩より少し長いくらいの、どこまでも黒い髪をふわふわと指に巻く。


そいつはきっと、ぼくがそいつを覚えていないのを悟ったのだろう。もしくは自分が確実に自分であることを、念入りに釘を刺しておきたかったのかも知れない。


そいつは薄くてかたちのいい唇をすぼめて言った。


「夜彦さん。怖がらないで」

急に、心臓に氷水を流し込まれたような衝撃を覚えた。そうだ。こいつだ。ぼくは知っている。こいつはあの日・・・!


頭の中が真っ白になり、閉じ込めていた記憶が堰を切って溢れてきた。雨が降っていたこと、こいつに会ったこと。ぼくは死んだこと。ゆっくり順を追うように、ぼくは思い出していった。そうして最後までフラッシュバックした時、ぼくは恐ろしくなった。


今度こそ、ぼくの生命をとりに来たのだ・・・!


「どうしてそんなに怖がるの。夜彦さん」

長いまつげをぱちくりしながら、そいつが言う。


脚を投げ出し、指に巻いていた髪をするりとほどく。小首をかしげて大きな目がぼくを捕らえる。


そう、そいつは美しかった。


その美しさは薄く儚げで、危険な香りがした。一度触れてしまえば二度と後戻りはできない、甘い毒を孕んでいるふうに見えた。


「どうして君は・・・私につきまとうんだい?」


精一杯の勇気と平常心を総動員して、ぼくは尋ねた。聞いてはいけないことなのかも知れない。でも聞いておきたかった。


「君と会ったから、私は急性心臓麻痺になったのかい?君に出会ってしまったからには、私は・・・また倒れてしまうのかい?」


「ほら、夜彦さんは怖がってばかり」


そいつはよく澄んだ声で、ころころと笑った。


「だって、そうだろう。君はぼくのお迎えなんだろう。そんなの・・・怖いじゃないか」


震える声で、ぼくは言った。


「どうして、ぼくは死ななきゃいけない? まだ恋人も、子どももいない。出世もしていない。や、やりたいことだってまだ、たくさん・・・」


今まで考えたこともない感情が、ぼくを支配していた。ぼくは、死にたくなかった。生命が惜しかった。こんなくそったれな世の中、といつもぼやいていたのに、くそったれな世界がたまらなく愛しかった。


そいつはぼくの様子を見ていた。ぼくは駄々をこねる子どものように、すがった。目のはしから涙がつたうのも構わなかった。


この世界への未練を思いつく限り言い募り、最後にはなにも出なくなった。ただ、時折しゃくりあげながら、そいつの目を見た。何もかも見透かされそうな、綺麗な目だった。ぼくは、もう何も見透かされることはないと思った。もうすべて吐き出してしまった。


そいつは片手をあげた。ぼくの方に向かってくるその手から、逃げようとは思わなかった。不思議と覚悟ができていたのかも知れない。


そいつはぼくの頬をなぞり、涙の跡を拭った。


「夜彦さん」そいつは呼んだ。


「夜彦さんは私に生命、とって欲しい?」

まっすぐに、そいつは聞いた。


「え、い、いや」

ぼくは口ごもった」。


「そりゃあ・・・とらないで欲しいが・・・」


「じゃあどうしてそんな心配ばかりするの」


そいつはもう片方の手もぼくの顔に当て、自分の顔の正面にぼくの顔を向けた。


「私、夜彦さんを迎えに来たの」


抑揚をつけて言う。

「夜彦さんを待ってたの」




続く


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