てけてけ
9月だからか、夜は少し肌寒い。
空は雲もなく月明かりでほんのり明るい。
「世界は今日も平和です」
彼女はそう小さくつぶやいたきり、おとなしくしている。
カギを閉める音、廊下を歩く音、階段を下りる音、私たちから音が生まれる。
私は迷いもなく進む。
彼女は斜め後ろについていく。
黙っているのを不審に思って振りかえると、笑顔で手を振る。
もちろん振り返さない。
足音が二人分だけ、それだけを聴く。
目的地まで、あと半分くらいだろうか。
「ねえ、手、つながない?」
突然目の前に走ってきたかと思うと、笑みを交えながら、当然だと言わんばかりの口調の彼女。
「なんで?」
に、わたしは疑問しか感じない。
「ノリ悪いなー」
彼女はやっぱり笑顔を浮かべ、私が何か言おうとすると、目をそらす。
そしてくるりとひるがえり、先へ先へ歩いてく。
「おい、迷子になる気?」
やっと言葉が飛び出して、まだ私は立ち止まったままだ。
「何度か来たっての」
彼女は振り向いて、けれどもその顔も、体の輪郭も、街灯の下でぼんやりと浮かぶ。
夜に溺れたような姿に、二人の未来が示された気がして、取り残された彼女を前にする。
だから私は、彼女の隣へ歩いていく。
「はぐれるだろ」
私は彼女の手を握る。
彼女はさっきと変わらず、笑ったまま。
彼女は指をからめてくる。
握ったつもりが、逆にまとわりつかれたみたいだ。
彼女の指は私より長い。
形がよく、すこし骨ばっている。
そして、予想に反して冷たかった。
「ごめんなさい……わたし、はぐれメタルだったの」
「はいはいイオナズンイオナズン」
「テレレレッテッテッテー」
「よわっ」
小学生のようなやりとりをし、それがお気に召したか小学生のようにつないだ手を大きく振る。
「お前のそういうとこ、好きだぜ」
そうして小学生でも使わない頭の悪そうなことを言う。
「ああ、気持ち悪い」
そう言い、私は顔を塀へそらす。
黙ってついてきたと思えばこれだ。
けれどもどうせ、誰も見ていない。
そんな風に思っている矢先、向こうの十字路から光があふれだす。
車は姿を現さないまま、駆動音とライトの光を残していく。
どうやら近づいてくるらしい。
「あ、車」
彼女もそれに気づいたらしい。
「それがどうした?」
「離そうか?」
彼女は気を使っているか?
だったら初めからするなって話だ。
「そうしようか」
そのときわたしは彼女の顔を見た。
しかしライトで目がつぶされ、まともに見えやしなかった。
エンジンが怪物のようにうなり近づき、私は手から力を抜く。
彼女は手を固く結んだ。
静かな不意打ちに、わたしは彼女の顔を見る。
やはり光でなにも見えない。
けっきょく車が通り過ぎても、私たちは手を離さなかった。
「見てない見てない」
彼女は小さくつぶやいた。
私の口はまごつくだけで、言葉をつなげない。
彼女は私を一瞥し、そして手を離した。
「どこへ行こう?」
彼女の目は遠くを見ている。
「コンビニに行ってんだろ?」
私は普段通りに話す。
「ちがう、それから」
彼女は窒息しそうな声で返事をする。
それから。
それが遠い未来へ向けた溜息のようなものだと、私は知っている。
このまま買い物をしにいくわけにはいかない。
このままゲームをしているわけにはいかない。
このまま、そんなものはありえない。
けれどそんなの、私だって知らない。
「帰るんだ、私の部屋に」
なので私は、こう断言する。
それから寝るのか、ゲームをしだすのかは知らないけど。
彼女が私を覗きこむのがわかる。
もちろん無視だ。
彼女は私が気がつかないと思ったのか、わざわざ前へ踏み出し、今度は正面から覗きこんでくる。
「おい邪魔」
彼女の顔を、ほおを、横へ払う。
笑う彼女の顔が、ほんのすこし憎たらしかった。