野良【魔王】なんてうちじゃ飼えませんっ!返してきなさい!
「どこでこんなもの拾ってきたの!」
動揺した私の叫び声が、石造りの壁に反響し木霊した。
森の奥深く、住居も兼ねた小さな治癒院。
暖炉で温まった室内の空気が、開け放たれたままの扉から逃げていくがそれどころじゃない。
回復薬の素材を届けにきたはずの子供達は、私の声に縮み上がり拗ねたように指を合わせる。
「森に落ちてたの」
「リーナのところで面倒みてくれないかなぁって思って」
「ダメです! うちでは飼えません! 元いた場所に返してきなさい!」
扉の先に見える森を指さして、つい支離滅裂な返しをしてしまう。動揺しすぎてしまった。
子供達が連れてきたのは子犬じゃないのに。
子供達の足元には、ぐったりと横たわったボロボロの青年がいる。
脱げたフード。真っ赤な髪の隙間から覗く黒い角や尖った耳は、彼が魔族であることを証明していた。
子供達は、この男が【魔王】だというのだ。
数日前、森の中で弱っていた魔王を発見し餌をやっていたらしい。いや、餌じゃなかった。食べ物っ!
それでも回復することなく徐々に魔王は弱っていった。焦った子供達が、助けを求めて私の元へと担ぎ込んできたというのが事の経緯だ。
子供達の中の一人が、両手を合わせ私を見上げる。
「お願いリーナっ! 【魔王】なんてレアだよ? きっと滅多に手に入らないよ?」
「魔王を素材みたいに言わないの! そもそも魔王って何!?」
「魔王は魔王だよ! 鑑定したらそう書いてあったもん!」
子供達の一人が持っている【鑑定】のスキル。ややこしい薬草の種類を確実に見分ける、その審美眼に狂いはない。魔王であることは確かなようだ。
子供達は揃いも揃って唇を尖らせると、私の目から気まずそうに視線を逸らした。
「元の場所に返すなんて可哀想だよ。死んじゃうかもしれない」
「魔王は簡単に死なないわよ。だから魔王なの。野生の魔王を拾っちゃったら、厄介なことにしかならないでしょう?」
「でも、リーナが困った時はいつでも声をかけてねって言ったんだよ!? それなのに、魔王を見捨てちゃうの?」
「うっ……」
核心を突かれ、言葉に詰まる。
私は苦々しい思いで、もう一度床に落ちた青年に視線を向けた。
私より少し年上だろうか。眉間を苦しげに寄せて、荒く息を吐き肩が上下している。ズタボロなのにとんでもなく美形だった。
魔王だから? いや、だから魔王って何?
この地に来て一年。魔族に王がいるなんて話は、聞いたことがなかった。魔族は凶暴で、残忍で、群れるのが嫌いだったはずだ。
人と似通った姿だけど、魔族には気をつけるようにと言われたことを思い出す。
なんだか、非常に面倒なことに巻き込まれている気がする。魔王を拾うなんて、一般市民に起こっていいイベントじゃない。
まあ、私が一般市民に該当するのかは置いておいて。
追い出したい。全力で追い出したいけれど……
子供達の手前、非情になりきることはできなかった。
教育的にもよくないし、子供達が集めてきてくれる素材がないと、私は今の生活を維持できないもの。街の外れの孤児院に住んでいる子供達だって、ようやく得られた生活の糧を失ってしまう。
私は一つだけため息を漏らし、人差し指をピンと立てた。
「分かったわ。でも傷が治るまでだからね! 傷が治ったら、元の場所に返してくること!」
「……傷が治ったら自分で歩いて出ていくと思うよ?」
「あっ……」
確かに。
魔王に対して、すごく失礼なことを言ってしまったわ。
子供達から魔王を引き取った私は、彼を居住スペースのベッドに寝かせ面倒を見ることになった。
森の奥深くにあるけれど建前上は一応治癒院だから、小さな病室やベッドもある。けれど、もし急患が来た時に隣で魔王が寝ていたら驚かせてしまうから仕方がない。
魔王の身体には、至る所に傷があった。
特に背中に負った大きな傷は、化膿し熱を持っている。
常備してある回復薬を飲ませ、傷を洗浄。
包帯を丁寧に巻いた私は、その上から治癒の魔法をかけていく。
「そもそも、魔族自体初めて見るんだけど……人間と同じ治癒魔法でも効くのかしら」
額を冷やすタオルを交換しながら、ありったけの魔力を注いでいると、彼の瞼がぴくりと動いた。薄く見開かれた柘榴のような瞳と目が合う。
「ガヴッ……!」
獣のような唸り声を上げながら、乱暴に手を跳ね除けられた。ベッドから無理やり起きあがろうとして、魔王は床に崩れ落ちる。
「ちょ……ちょっと! じっとして!」
「グッ……ア゙ッ……!」
声にならない呻き声を上げながら、威嚇するように必死に抵抗する魔王。振り上げた爪先ならチリチリと赤い火の粉が爆ぜ、思わず数歩後ずさる。魔王は魔法を使えるらしい。
だが、限界を超えていた魔王の身体はすぐに力尽きた。荒い息を吐いたまま、糸が切れたように再び意識を失ってしまう。
暴れた彼の爪がシーツを引き裂いていて、ぶるりと背筋が震えた。
まるで野犬だ。怪我を負った野犬。
私の彼に対する認識は正しかったらしい。
でも、これは野犬じゃなく魔王で。
野犬よりも恐ろしい存在なのは間違いがなかった。
でも、面倒みるって約束してしまったものね……
彼をもう一度ベッドに寝かせた私は、意識のないうちに爪だけは切っておこうと心に決めて手当を続けた。
* * *
野犬もとい魔王は、治療の甲斐あって少しずつ回復していった。
最初は警戒心が強く食事すら拒否していたが、先に食べて見せて毒が入っていない事を教えたり、丁寧に言い聞かせることで渋々食べてくれるようになった。
敵意剥き出しで睨みつけていた赤い瞳も、徐々に鋭さが消えていく。コツは無理に構わず淡々と安全であることを示す事。
二週間経った辺りで、手当も大人しく受けるようになった。熱も引いたし、自分でご飯も食べられる。
ようやくベッドから起き上がれるようになった頃には、家の中で私の後をついてくるようになった。振り返るとそっぽを向いているのだけど間違いない。
魔王は私に興味のないふりをしながら、全力で私を気にしている。
「リーナ! 回復薬の素材持ってきたよ!」
「あの人はー? 元気になった?」
「ベッドから起き上がれるようになったわよ。ほら、今も後ろに……っていなくなってるわ」
孤児院の子供達が訪ねてくる時だけは、魔王も部屋に引きこもっている。無邪気に構う子供達に危害を加えるわけじゃないけれど、賑やかなのが煩わしいらしい。
訪れるたびに部屋の扉を叩き、様子を尋ねる子供達と、全力で無視し避け続ける魔王。その光景にどこか既視感があった。
あれ? やっぱり保護したのって犬だったっけ?
嵐のように騒いでいた子供達が帰った途端、魔王は部屋から出てきた。全く反応することなくやり過ごしたのにも関わらず、ちょっと疲弊してみえる。どこか儚い角の生えた美男子だ。
そしてまた、一定の距離を開けて私の後をついてくる。その姿がやっぱり犬っぽくて妙な勘違いというか、脳が混乱してきた。
そんな野犬っぽい魔王は、次第に気遣いを見せるようになっていった。高いところの物を取ってくれたり、居間で寝落ちした私にブランケットをかけてくれたりもする。尋ねれば、食事のおかわりを希望したり一緒にお茶を飲むようにもなった。
食費は格段に跳ね上がったが、森の奥にたった一人で暮らしていた私の密かな孤独感が彼の存在によって和らいでいく。
そんな魔王との関係に転機が訪れたのは、私が森に薪を拾いに行った時のこと——
茂みから突然飛び出し襲いかかってきた魔獣が、私の目の前で弾け飛んだのだ。
当然、魔獣を倒したのは私の後をついてきていた魔王である。病衣代わりの簡素な服のまま、彼は静かに草陰から姿を現した。
腰が抜け、地面に座り込んでいた私にそっと手を差し出す。
「あ……ありがとう」
「女が森で一人で暮らすなんて……危ないだろ」
魔王は喋れたらしい。
いや、まあ犬じゃないんだから当然なんだけど、最初に言うことがそれ!?
でも、彼は私を見捨てることもできたのだ。
魔王が人にいい感情を持っていないのは、最初から分かっていた。あんなにも敵意を剥き出し、出された食事すら拒否していたのに、私を助けてくれたのである。
魔王に手を引かれ立ち上がった私は、彼の責めるような瞳から目を逸らした。
「森の奥に住んでいるのは、ほら、色々と……事情があるのよ」
「君の持つ、治癒の力が原因か?」
「まあね。でも、面倒はごめんだから」
彼の驚く顔から目を背けるように、私は地面に転がった薪を拾い集めて歩き出した。
私は——この異世界に突然連れてこられた転移者だ。
転移してすぐ、私に治癒の力があることが発覚した。
鑑定で【聖女】であることが明らかになるとその場の空気が一変。
よく分からない一団に「勇者様がお待ちです!」と追いかけられ、辺境の地に逃げ出したのは一年前のこと。
今考えても、あの時の行動は正解だったと思ってる。妙なことに巻き込まれる気配しかなかったもの。
逃げ出した先で運良く親切な人に出会った私は、彼らの助けを借りて森の奥で暮らし始めた。
知る人ぞ知る森の中の治療院。
治癒の力でこっそりと人を癒したりすることもあるけれど、基本は孤児院の子供達が持ち込む薬草を回復薬に加工することで生計を立てている。
【聖女】の力が少し混じった回復薬は効果が高いらしく、それだけでも魔獣の多いこの地域では十分な飯の種になった。
私はこのまま、ひっそりとここで暮らしていくつもりだ。
聖女の力が公になって、誰かに狙われたりしない限り。
家へと続く小道を歩きながら、私は独り言のように自分の事情を彼に打ち明けた。
後ろを歩く魔王の表情はわからない。
転移や聖女なんて荒唐無稽な話と思われても仕方がないし、ようやく見つけた居場所を危険に晒す行為だ。
でも、その時の私は魔獣に襲われたことも相まって誰かに自分のことを聞いて欲しかった。
全てを話し終えたタイミングで、ちょうど家に到着した。蔦の絡まった石造りの小さな赤い屋根の家。
我が家を見た瞬間、心が自然に解けていく。
辺鄙で不自由な場所だけど、安心して暮らせる大切な居場所。
ずっと黙って話を聞いていた魔王は静かに私の隣に並んだ。目も合わせず、何の気なしに彼は口を開く。
「なら俺が、ここでの暮らしを守ってやる」
「えっ……」
あなたも十分厄介ごとなんですけど!?
本人に確認はしていないけれど、魔王なんでしょう!?
魔王は私の返事を待つことなく、足を早めさっさと家の中に入っていった。
小さな窓に橙色の明かりが灯り、パチパチと薪が爆ぜる音が聞こえてくる。どうやら、彼は魔法で蝋燭や暖炉に火をつけて回っているらしい。
呆然としたまま、いつまでも家に入ってこない私に、魔王が扉から顔を出した。
その顔には少し不安が滲んでいて、思わず笑みが溢れる。
私は懐かれてしまったようだ。
本当に犬みたい。魔王だけど。
厄介なことには違いないのだけれど、不思議と嫌な感じはしなかった。追い出したいとは思わない。
番犬と思うことにしよう。
生活も便利になるしね。
私は、魔王の待つ明かりの灯った家の中へと静かに足を進めた。
* * *
しばらくして、全快した魔王は深くフードを被り度々出歩くようになった。どうやら、近くのダンジョンに潜ったり森を探索したりして魔獣を狩っているらしい。
強い冒険者が居着いて、魔獣被害が減ったと街では噂になっている。いつもフードを被っているおかげで、魔族だと気付かれてはいないみたいだ。
でもそれ、魔王だから。
冒険者じゃないから!!
討伐で得たお金を家に入れてくれるおかげで、生活はかなり楽になった。
私が治療する怪我人は、やたらと魔獣を狩りにいく魔王がほとんど。もう、彼の専属治療人だ。
回復薬を作る傍ら、孤児達の勉強をみたり、料理を作ったりと穏やかに暮らす日々。魔王は居間で堂々と過ごすようになった。子供達が訪ねてきてもお構いなし。
私の家を訪れる子供達は、そんな魔王に来る度にちょっかいをかける。
「リーナが心配するから、あまり無茶したらダメだよ」
「ねえねえ、魔法を僕にも教えて?」
「煩い。あっちにいけ」
噛み付かないと分かっているからこそ、子供達に遠慮はない。無駄に構う子供達を煩わしそうに睨みつけながら魔王は今日も吠えている。
いつも通りに、私は背後から魔王の頭にトンと手刀を落とした。
「無駄吠え禁止!」
「吠えてない!」
魔王は顔をこちらに向けてまた吠えた。私達の軽快なやり取りに、子供達は楽しげに笑う。そんな和やかな空気の中、一人の子供が魔王に向かってこてりと首を傾げた。
「お兄さんは、人間嫌い?」
「……嫌いだ。お前たちは、魔族を迫害するだろう」
「僕はそんなことしてないし、お兄さんのこと好きだよ。強くて、かっこよくて、憧れる」
「っ……」
「リーナのことも嫌いなの?」
振り返った魔王の瞳が、私の視線と交わった。
彼は眉間に皺を寄せ、唇を結んでしまい次の言葉を紡がない。
どういう顔だろう。
『嫌い』と言いたいけれど、気を遣われているのだろうか。
でもまあ、稼ぎ頭を困らせたままにもしておけない。
仕方ないなと小さくため息を吐いて、私は腰に手を当て子供達を見据えた。
「個人の感情だけじゃどうにもならないことがあるのよ。あまり困らせないの」
「だってぇ……」
「そりゃね。魔族も人間も仲良く過ごせればいいとは思うわよ。彼と過ごしてみて分かったけれど、私達に大きな違いなんてないもの」
魔族の方が、人間より頑丈だし魔力も多い。
対して人間は、弱いけど数がいて魔族よりも手先が器用だ。
そんな二つの種族だが、全く違うかと聞かれるとそうじゃない。
見た目は確かに違うけど言葉だって同じだし、食べるものだって同じだ。世間で言われているような凶悪で残虐な行いもないし、一緒に暮らしていて嫌だと思ったこともない。
人だって、嫌な人もいれば良い人もいるもの。
種族という大きな括りに意識が向きがちだけど、得意なことが違うだけ。
個人の善悪と種族の違いは全く別の話だ。
正直に自分の考えを告げると、魔王の眉間に寄せられた深い皺が解けた。瞳孔が縦に伸び、驚いたように目を見開く。
「……魔族と人間が仲良く」
すぐに目を伏せた彼は、顎に指先を当て私の言葉を反芻する。
子供達は次々に「そうだよね」と私に同意を示しながら、彼の好きなところを語り始めた。話しは徐々に脱線し、角はかっこいいけれど眠る時は寝方が固定されて大変そう、なんてどうでもいい話題に移ってく。
子供らしいといえば子供らしいけど、彼らにとって魔族のデメリットは寝方の固定という一点のみらしい。
無邪気に語らう子供達の前で、魔王はその声に耳を傾けながら何かを深く考え込んでいた。
* * *
その日の夜、就寝前に温めたミルクを飲んでいると向かいに座っていた魔王がふと私を見た。
「本当に仲良くできると思うか?」
「……え?」
「魔族と人間が」
どうやら、彼はずっと魔族と人間の関係性について考えていたらしい。言葉の少ない彼が質問をするということは、考えても自分の中で答えが出なかったのだろう。
まあ、私も魔族に対する偏見がどの程度なのか、歴史的な因縁があったのかどうかすらも知らない身だ。だから簡単に言い切ることはできないけれど——
「ええ。私は、貴方とそこそこいい関係を築けていると思っているもの。憎しみ合うより、協力し合う方が幸せだしね」
「協力し合う……」
「お互いの長所と短所を補い合うの。私は魔物を倒したりはできないけれど、怪我や病気を治すことができる。貴方はその強い力で魔物を倒してくれてる。そのおかげでこの辺りは、前よりも安全に暮らせるようになったわ」
私は両手を上げピースした指を、ピョコピョコと折り曲げた。Win-Winな関係というイメージでやったけれども、魔王は不可解そうに眉を上げる。
「その仕草はなんだ」
「本当に協力し合えたら、誰も損はしないってこと! 平和のピースが二つ!」
「平和……」
「まあ、現実はもっと難しい現実があるんだろうけどね。でも私は今、貴方がいるから結構幸せよ。こんな力があるから、森の中でずっと一人で暮らしていくことも覚悟してたもの」
鑑定すると出てきてしまう【聖女】の表示のせいで、気楽に街でも暮らせない。
この力が誰かに狙われる代物であることは、すでにこの地に辿り着くまで何度も経験をした。
私は別に世界を救うヒーローになりたい訳じゃない。
私を私としてみてくれる人々と、小さな喜びを分かち合うような生活がしたいだけ。だからこそ、今の生活を気に入っている。
「でも別に貴方に押し付けるつもりはないわ。人間を好きになるかどうかも貴方の自由だもの。出て行きたかったら出ていけば良いし、自分が幸せになれる方を選べば良いんじゃないかな」
「……俺の自由」
「そうよ。だってその方が気楽でしょ?」
笑顔を向けると、魔王は両手に持ったカップの中で湯気の立つミルクに視線を落とした。
まあ、ここで出ていかれてしまうと私の向上した生活水準がまた元に戻ってしまうけれど、それはそれで仕方がない。
助けた恩は十分過ぎるほど返してもらったしね。
カップから沸き立つ湯気が見えなくなった頃、ようやく魔王は口を開いた。
「俺は、ここの人間を皆殺しにして魔族の国を作ろうとしていたんだ」
「ブッッ——」
飲み干そうと口に入れたミルクを思わず吹き出した。
魔王によると、魔族達はこれまで人目を避け、山奥に隠れるようにして暮らしていたらしい。暮らしぶりは決して豊かではなく、かといって人の街に降りても魔族だと恐れられ石を投げられる。
ならば人間の国から離れ、魔族だけの国を作るべきではないかと魔族達の間で話し合いがなされた最中、それを見透かしたように軍隊が赴き、魔族の村をめちゃくちゃにしたそうだ。
抵抗したものの魔族は散り散りになった。命からがら逃げおおせた魔王は、森の中で人間への復讐を誓ったらしい。
子供達も私も……よく生きていたわね。
一歩間違えれば、魔王がこの周囲を蹂躙し魔族の国……魔国を興していたということだ。あ、だから魔王か。
「でも、俺もリーナは嫌いじゃない。人間が嫌な奴ばかりじゃないってのも知っている」
「あ……それは良かった……嫌いじゃないならミナゴロシは良くないよね」
緊張していた肩の力が抜けた。
でも、思ったより事態は深刻なのかもしれない。
国から迫害された魔族達が彼と同じことを考える可能性だってある。
そうなったら平和とは程遠い。
魔族との戦争真っしぐらだ。
そうなったら、今穏やかにミルク入りのカップを持っている彼だって変わるかもしれない。
正真正銘の【魔王】に……なっちゃうかも。
私は自分の生活を守るために決意を固めた。
「なら、この近くの街から始めようよ。魔族と人間が協力しあう街にするの。ここは辺境だし、あまり国から干渉されないでしょう? 見捨てられてると言ってもいい。近くに大きなダンジョンがあって物騒だからね。逆にこの地に住む人々からは魔族の力をありがたいと思ってもらえるかも」
「そんなに上手くいくか?」
「私も解決方法を知っている訳じゃないけれど、でも一緒に考えることはできるから」
カップを置いて拳を握ると、魔王は眉間の皺を解いて、初めて柔らかい笑顔を見せた。
「リーナは変わってるな。さっきは嫌いじゃないと言ったが俺は……」
「な……なに?」
「なんでもない」
魔王は言いかけた言葉を止めて、ふいとそっぽを向いた。尖った耳の先が微かに赤い気がする。
「最後まで言ってよ! 気になるじゃない!」
「だから、なんでもないって」
膨れながら続きを促す私を見て、魔王の口元が綻んだ。
笑った顔があまりにも優しくて、ふと頬に熱が集まる。
さすが魔王。笑った顔の攻撃力が抜群だ。
魔王であることに関係があるのかは知らないけれど、本当の笑顔なんて見せられたら心臓が爆発するかもしれない。
全然……犬っぽくなんてないじゃない!
めちゃくちゃ人間だ。いや、魔族!!
人間と魔族と犬が私の中でゲシュタルト崩壊を起こした。
胸を叩く心臓をなんとか押さえつけ、魔王に向き直る。そのまま、私は魔王と共に魔族と人間が協力して暮らしていくための方法を夜が明けるまで語り合った。
* * *
国にもほとんど見捨てられた辺境の街は、魔王の努力も相まって魔族と人間が共存する珍しい街へと変貌を遂げた。
まあ結局、彼がやったことはこれまでとあまり変わらない。人間では討伐が難しい魔獣を狩りまくったのだ。
人を困らせる難しい問題を片っ端から片付けた。
魔獣が湧き出るダンジョンを制覇したりなんかもして、人々の感謝が最大になったのを見計らった彼は、自分が魔族であることを明かしたのである。
あの時ほど、他人の事で緊張したことはなかった。
魔族と人間が共存できるかどうかの分岐点だったのだから。
でも、彼と私の計画通りに事は進んだ。恩人ともなってしまえば、いくら悪い噂のある魔族でも見る目は変わる。
魔族である彼は、街の人達に受け入れられたのだ。
放浪していた魔族達も、人に受け入れられた魔族の噂を聞きつけ彼のパーティーに加わり、力自慢の人間も魔王に同行するようになった。
少しずつ集まってくる魔族と、受け入れた町民達のおかげで、人々は魔獣に怯えて過ごすこともなくなり、とても平和に発展したのだった。
そんな私は、まだ森で過ごしている。
最初のうちは、彼と共にダンジョンへ赴くこともあったのだがパーティーが強くなってからは一線を退いた。
治癒の力が知られ過ぎるのも良くないし、他よりもよく効く私の回復薬があれば魔王達による魔物退治に困ることはない。
——そんなある日のことだ。
キッチンでお肉たっぷりのシチューを作っていると、コンコンと扉をノックする音が響いた。
まだ陽は高い。急患だろうかと扉を開ける。そこには、既視感のある黒髪に鎧を身に纏った青年が笑顔で立っていた。
日本……人?
「やっと見つけた……! 僕の【聖女】!」
「はっ? ちょ、貴方誰ですか!?」
突然やってきたその男は、私の両肩を掴んで顔を綻ばせる。
「僕は【勇者】だ。君の力が必要で、何年も何年も探してた。まさか、こんな危険な森の中にいるなんて……!」
「勇者……? あっっ!」
私がこの世界に来てすぐ「勇者」の元に連れていかれそうになったことを思い出した。驚くべきことに、本人が探しに来たらしい。
勇者の後ろには、顔立ちの整った女性達が面白くなさそうに私の事を睨みつけている。
剣士に、魔術師に、武道家。
聖騎士に錬金術師、吟遊詩人までいる。
パーティーを全員女性で揃える意味とは。
そんな疑問が脳裏をよぎった。
「聞いてくれ。君が聖女の力を持っていることは知っている。何年も前に王都から逃げ出したことも。でも、魔王討伐に力を貸して欲しい。世界の平和のためなんだ」
「魔王……討伐?」
勇者は私の肩に両手を置いたまま、鬼気迫る表情をこちらに向ける。理解できない私が首を傾げると、彼はさらに言葉を重ねた。
「この先に、魔王が支配する街がある。急速に力を蓄えた危険な街だ。いつ他の村や街に侵攻してきてもおかしくない」
「はぁ……侵攻なんてしないと思いますけど。支配なんてしてませんし」
「そんなはずない。魔族が実際集まってるだろ」
確かに、各地から魔族が集まっているのは事実だ。
でも、それは他に行き場がないからで、ここなら安定した仕事にありつけるから。
話が噛み合わないと思っていると、勇者はとんでもない事実を私に打ち明けた。
「僕が原作知識を活かして、魔族が国を作る前にちゃんと奴らを滅ぼせていたらこんな事にはならなかった。魔国はもっと先の地に作られるはずだったし、一つの街が魔族の犠牲になった責任は俺にあるんだ」
「…………は?」
その瞬間、私の思考が止まった。
自分に酔っているかのように悔しげに顔を顰める勇者。原作知識なんて聞いたことのあるワードすらも全てどうでもよくなる。
魔族が国を作る前にちゃんと奴らを滅ぼせていたら——
その言葉があの日の魔王の話にリンクした。
勇者だ。勇者が、何もしていない魔族の国を襲わせた。
必死に説得する勇者の言葉なんて、もう耳には届かなかった。ただその後ろで「勇者は悪くないよ!」「できる限りのことはやりましたわ!」と宣う女性達の言葉だけが燃え盛る心にさらに傷を付けていく。
「——だから頼む聖女。魔王を倒すために力を貸してく……」
——バシン
鳥が飛び立つほどの大きな音が周囲に響いた。
私に叩かれた勇者は赤く染まった頬に手を当て、尻餅をついている。背後の女性達も、何が起こったのかと呆然としていた。
「何もしていない魔族を滅ぼそうとしたの? ふざけないで!!」
「聖女……?」
「いいわ。教えてあげる。この森の先にあるのは魔族の街なんかじゃない。魔族と人間が手を取り合って共存する平和な街よ! 魔王は支配なんかしてないし、むしろ英雄って呼ばれてるわ!」
「魔王が……英雄?」
「悪いけど、勇者なんてここには必要ない!」
実際、辺境だからと国からも放置されていた街だ。
魔王と人間が自分達で一から作り上げた大切で貴重な場所に今更手を出して欲しくなんかない。
一拍おいて、勇者は私の言葉を理解したらしくワナワナと震え始めた。「魔王が英雄なんてありえない」と呟きながら、彼はゆらりと立ち上がる。
「聖女、君は魔族に騙されているんだ!!」
「きゃ……!」
私に掴み掛かろうと詰め寄った勇者の手。
その勇者の手首を、背後から誰かが握って外へと引き戻した。
「……リーナに何をしてる」
そこに立っていたのは魔王だった。
柘榴のような赤い瞳が怒りで陽炎のように揺れている。
勇者が振り返るよりも先に、魔王はそのまま彼の手を後ろに固定し締め上げた。
そう——彼はまだ私と一緒に暮らしている。
討伐を終えると毎日ここへ帰ってくるのだ。
今日シチューを作っていたのも、彼と一緒に食べる為。
振り返り、自分を締め上げる相手を確認した勇者は声を上擦らせ叫び声を上げた。
「お前……魔王か!?」
「魔王? 俺はただの魔族だ」
「そんな訳ない! その顔、何度も原作で見たぞ!!」
魔王は喚く勇者を捕まえながら「理解できない」とばかりに困った顔を私に向けた。
縋るようにこっちを見ないでほしい。なんとなく、勇者側の事情も察したけれど言葉にすることは難しいのだもの。
要は、この世界には元となった物語があるのだ。しかし勇者の知る原作から話が大きく逸脱してしまったのだろう。
私が、命からがら逃げ仰せ野良となった魔王を保護してしまったとこで物語の辿る運命が変わった。
私の立ち位置は、本来勇者側だったのだ。
でも、女ばかりの勇者パーティに籍を置く自分を想像してぶるりと震える。ハーレム構成員の一人になるのは普通に嫌だ。
「勇者として、僕はお前を倒しにきたんだ! 僕と戦え!」
勇者は魔王の手から逃れようと必死に身体を捻って叫び続ける。その姿に、私は冷ややかな目を向けた。
魔族に対して勇者が何をしたのか、魔王に告げるつもりはない。けれど、私はまだ怒っているのだ。
一度叩いたくらいじゃ、この怒りは収まらない。
「……勇者はこう言ってるし、相手してあげたら?」
どんな重傷を負ったところで聖女である私がいれば、死ぬことはないし。
そんな薄暗い気持ちで勇者と戦うことを勧めると、魔王がちょっと殺る気になる。そこへ、慌てて止めに入る人物が現れた。
「戦うのはよくないよ。みんなちょっと落ち着いて!」
もがく勇者と魔王の後ろから現れたのは、あの日【魔王】を鑑定したあの子。
魔王に同行し、我が家に夕食を食べにきたのだろう。
彼はもう子供じゃない。鑑定スキルを活かして魔王パーティに所属するようになった立派な魔王パーティメンバーの一人だ。
「勇者さん、ちょっと自分を見つめ直そ? うちのボスとレベルが全然違うから。戦ったところで消し炭になるのは目に見えてるでしょ!」
「えっ……消し炭!?」
どうやら勇者と魔王ではレベルの差が歴然のようだ。
英雄なんて呼ばれるようになっても、魔王は泥臭く平和を守るために戦い続けていたのだから当然かもしれない。
それを示すように、勇者の後ろでは女性陣が背後から忍び寄った魔王パーティによって、なす術もなくすでに捕縛されている。
これを押し切ればもう弱い者いじめだ。
勇者が消し炭になるのは流石に困る。
復讐は何も産み出さないしね。
異世界から来た私だからこそ、それをよく分かっていた。
勇者がこれ以上余計ことを言う前に……
私はため息をついて、魔王に捕縛されたままの勇者へと歩み寄った。
「こちらの街は、魔族と人間が上手く共存しています。勇者の介入も、国の介入も必要ありません。もし、魔族との関係性に国が悩んでいるようであれば、共存していく方法を一緒に考えることはできますので、消し炭になる前にお引き取りください」
「そんなこと……いででででで!!!!」
聞き分けのない勇者の腕を魔王が捻り上げた。
ほんの少しだけ胸がスッとする。ほんの少しだけね。
なかなか引かない勇者とそのパーティは、魔王とその仲間たちに引き摺られるようにして我が家から離される。
その姿を見送りながら、鑑定持ちの子がぽつりと呟いた。
「【魔王の恋人】に手を出すなんて。勇者って怖いもの知らずだね」
「え、私って【魔王の恋人】になってるの!? 【聖女】じゃなくて!?」
「うん。ステータスって変わるから。魔王は【魔王】のままだけど」
その言葉にさっと血の気が引いた。
街のみんなは彼を認めているし、勇者がこれ以上騒ぎ立てると街を守るために魔王が【魔王】として本当に爆誕してしまいそうだ。というか、その可能性がまだあるということ。
「魔王のステータスを変えるにはどうすればいいかな」
「うーん。魔王の手綱をリーナがしっかり握っておけば? 【魔王の恋人】から【魔王の妻】になれば簡単なんじゃない? きっと魔王もそれを望んでるよ。リーナのこと大好きだから」
そんな気楽に言わないでほしい。
妙な重圧が私の両肩にのしかかる。
どんなことがあっても、このささやかな平和を守ると決めた努力家の魔王に勇者が敵うはずない。
そう思えるからこそ、私の責任は重大だ。
しかも、もう他人事じゃない。
培ってきた大切な人々の幸せがかかってる。
魔王の手綱なんて……握っておけるかな。
一瞬湧き上がった不安は、戻ってきた魔王の姿を見てすぐに消え去った。
これまでと一緒だ。
平和に暮らしていくためにどうするかを、一緒に考えていけばいい。
「リーナ、ただいま」
「おかえりなさい」
魔王は、いつものように微笑んで私の頬に軽い口付けを落とした。いや軽くない。ちょっとしつこいかも。
マーキングじゃないんだから!!
魔族と人間が入り混じった、魔王のパーティメンバーがシチューの匂いに気づき「お腹がすいた」と一目散に家の中に駆け込んでいく。
今日も、誰も怪我をしていない。
聖女としての力はいらないようだ。
こんな日々がこれからも続くように頑張ろう。
私は私のままで、きっと大丈夫。
私は魔王の手を握り、温かな家の中へと戻って行った。
リーナはこれからも魔王と仲睦まじく暮らしていくでしょう。平和が一番だからね。うんうん。
面白かったよ!と思っていただけましたら、下の評価ボタンを押していただけると尻尾を振って喜びます(犬じゃない)
✳︎タイトルは企画にて『こんにちは様』に頂きました。
最高のタイトルをありがとうございますっ!!!感謝!




