第36話 第一問。魔法とは何か
王立魔法学院の正面ゲートは、かつてないほどの活気に満ち溢れていた。
《大魔導基盤アルカナ》の中枢が再起動されてから、数ヶ月。
王都の空には再び防衛結界が張り巡らされ、街の魔灯は夜の闇を優しく照らしている。
遠く離れた地方や他国との通信も回復し、国境を騒がせていた魔王軍の侵攻も止まり、世界は再び「便利な魔法」を取り戻した。
ゼクスの誘導信号を失った魔王軍は国境で勢いを失い、手動魔法を学び直した兵士たちの反攻によって北へ押し戻されたという。
今も各地では復旧作業が続いているが、もはや誰も、ただ機構が勝手に直してくれるのを待ってはいない。
あの暗闇の期間を経て、世界は確実に変わっていた。
「ここが、新しくできた『基礎魔法学科』の校舎か!」
「すげえ人だ……他国の学生や、大人の職人までいるぞ」
かつて俺が追放された、埃っぽく狭い「古典詠唱科」の教室はもうない。
陽光がたっぷりと差し込む一番大きな大講堂が、俺たちに与えられた新しい学び舎だった。
教壇に立つ俺の目の前には、本当に多種多様な生徒たちが並んでいる。
かつて手動詠唱を鼻で笑っていたエリート魔術師。
領地から派遣されてきた若い衛兵。
魔力適性がないと諦めていた平民の子どもたち。
そして、この新しい教育制度を自国にも取り入れようと海を渡ってきた、他国の留学生たち。
誰もが、魔法の『理』を学ぶために、目を輝かせて教壇を見つめていた。
「おい、そこ。魔力の練り込みが甘いぞ。力任せに出すのではなく、流れを意識しろと言っているだろうが」
一番前の席に陣取っているのは、宮廷魔術師長のガルドだ。
彼は一人の生徒として席に着きながらも、時折こうして隣の若い学生に指導を飛ばす『補助教員』のような存在になっていた。
「もう、ガルド様ったら。今はユーリス先生の授業が始まる前ですよ」
クスクスと笑いながらそれを窘めているのは、治癒院から派遣されてきたセレスティアだ。
彼女は近く『治癒基礎学』の専門講師として教壇に立つことが決まっており、今は俺の授業の進め方を聴講しに来ている。
学院の運営や、この学科を立ち上げるための実務は、若手教師のロイドが泥だらけになって奔走してくれた。
そして、身分や国境の壁を取り払い、誰もが平等に基礎を学べるこの画期的な教育制度を法的に整備し、支えてくれているのは、他でもないフェリシア王女だ。
「先生、準備はよろしいですか?」
俺のすぐ横で、教師補佐の腕章をつけたミリアが微笑みかけてくる。
かつての落ちこぼれだった少女は、今やこの学院で最も頼りになる立派な魔術師であり、優れた教育者へと成長していた。
「ああ、いつでもいける」
俺が頷くと、ミリアは嬉しそうに黒板の前に立ち、チョークを構えた。
教卓の上には、他国の魔法機関や王室から届いた、俺を招聘する手紙の束が山のように積まれている。
だが、俺が今やるべきことは、ここにある。
ふと、視線を感じて窓の外を見た。
風が吹き抜ける中庭の木陰。
そこに、見覚えのある黒衣の旅人の姿が一瞬だけ見えた気がした。
赤い義眼が、教室の活気を確かめるようにこちらを一瞥し、すぐに翻ったマントと共に消え去っていく。
(……見ているがいい、ゼクス。人間は、もう二度と考えることをやめない)
俺は心の中で、あの不器用な共同開発者に向けて呟いた。
そして、俺のすぐ隣に静かに佇む青白い光の少女――アルナへと視線を向ける。
『――新年度、第一回講義。開始時刻に到達しました。ユーリス・クロフト』
アルナの透明な声が、俺の背中をそっと押してくれた。
俺はゆっくりと教壇の中央に進み出た。
大講堂を埋め尽くす数百人の生徒たちが、一斉に背筋を伸ばし、沈黙する。
世界に、便利な自動魔法は残った。
水道の蛇口をひねれば水は出るし、短い言葉で火は灯る。
けれどもう、誰もそれを『当たり前の奇跡』だとは呼ばない。
その裏側で、どんな理が働き、誰がその仕組みを支えているのかを、皆が知ろうとしているからだ。
「皆、よく来てくれた。俺が基礎魔法学科の責任者、ユーリス・クロフトだ」
俺は教室の隅々まで見渡し、新しく魔法を学ぶ者たちへ向けて、かつてミリアに問いかけたのと同じ、あの言葉を口にした。
「さあ、第一問だ。――『魔法』とは何か?」
窓の外には、抜けるような青空が広がっている。
今日からまた、新しい学びの歴史が始まるのだ。
(完)




