6 模擬ダンジョン
模擬ダンジョン演習当日。
朝の校舎は、いつもより静かだった。
緊張が音を吸い込んでいるような、不思議な静けさ。
マティルナは、指定された演習用の服に身を包み、鏡の前で立ち止まっていた。
動きやすさを重視した簡素な服装。
防刃加工の入った上着に、膝と肘を守る軽装具。
華美さは一切なく、戦うための服だ。
――魔法学校に来てから、こういう服を着る日が来るとは思っていなかった。
そう思いながらも、不思議と違和感はない。
銃を召喚する自分にとっては、こちらの方が自然だった。
集合場所の演習区画前には、すでに複数の班が集まっていた。
だが、第一班は少し離れた場所に誘導される。
「第一班、準備を」
教官の声が響く。
模擬ダンジョンは、地下に口を開けていた。
石造りの入り口は簡素だが、内部には魔法的に再現された迷路と模擬魔物が配置されている。
出現する魔物は、ゴブリンのみ。
数は少ない。
だが、油断すれば囲まれる程度には多い。
――倒すことよりも、動き方を見る演習。
それは、何度も授業で聞かされたことだった。
「緊張してますか?」
隣で、エルナが小さな声で聞いてくる。
「……少しね」
「私もです」
エルナは、胸元で精霊用の小さな刻印具を握っていた。
風とも光ともつかない、柔らかな気配が彼女の周囲に漂っている。
「でも、一緒なので」
その言葉に、マティルナは小さく頷いた。
「大丈夫」
それは、自分に言い聞かせる言葉でもあった。
「よし」
カミラが、二人の前に立つ。
彼女も演習服姿だったが、立ち姿が明らかに違う。
前線に立つ人間の、それだった。
「確認する。隊形は昨日の通り」
即席ではない。
既に“班”として動く意識がある。
「私が前で敵を引きつける。マティルナは右後方。射線優先」
「了解」
「エルナは最後尾。索敵と精神安定。無理はしない」
「はい」
短いが、十分だった。
カミラは、そこで一度、マティルナを見る。
「……これ、使う?」
そう言って差し出されたのは、短い剣だった。
正確には、銃口に装着するための剣――銃剣。
「弾、節約できる」
当たり前のように言う。
マティルナは、少し驚いてそれを受け取った。
「……いいの?」
「使えるものは使う」
カミラは肩をすくめる。
「近づかれた時、殴るよりマシだろ」
合理的な判断。
そして、マティルナの弱点を理解した上での補完だった。
「ありがとう」
「礼はいらないって言った」
そう言いながら、カミラは少しだけ口元を緩めた。
銃剣を装着する。
火縄銃の先端に、冷たい感触が加わる。
――これで、撃たなくても“戦える”。
それだけで、選択肢が増える。
「第一班、入場」
教官の声。
マティルナは、深く息を吸った。
知識はある。
ゴブリンの特徴も、動きも、倒し方も。
だが、知っていることと、やることは違う。
石の階段を下りる。
空気が変わる。
湿り気と、土の匂い。
模擬ダンジョンの中は、思ったよりも暗かった。
壁に埋め込まれた魔法灯が、一定間隔で淡く光っている。
「索敵、入れます」
エルナの声と同時に、小さな精霊がふわりと前に出る。
気配が広がる。
微弱だが、確かに“感じる”何か。
「……前方、反応あり。数は少ないです」
マティルナは、火縄銃を構えた。
銃剣の重みが、手に馴染む。
「行く」
カミラが一歩踏み出す。
第一班は、迷いなく、模擬ダンジョンの奥へと進んでいった。
これは、訓練だ。
学ぶための場だ。
――それでも。
マティルナの心臓は、確かに速く打っていた。
いよいよ、本番が始まる。
模擬ダンジョンの内部は、外から想像していたよりもずっと「それらしかった」
石を積み上げた通路は天井が低く、湿った冷気が足元から這い上がってくる。一定間隔で埋め込まれた魔導灯が淡く周囲を照らしてはいるが、角を一つ曲がるだけで視界は一気に狭まる。
――授業で何度も聞いた環境だ。
マティルナは一歩、また一歩と足音を殺しながら進み、銃を胸元に構えた。銃口の下には、今朝カミラから手渡された剣――短く、厚みのある刃がしっかりと固定されている。
その少し前を、カミラが歩いている。
片手剣と小盾を構え、迷いのない足取りで通路の中央を進む姿は、模擬演習とは思えないほど落ち着いていた。
「視界、問題なし」
低く短い報告。カミラは振り返らずに言う。
その背後、やや距離を取った位置で、エルナが歩調を合わせていた。両手は空けたまま、精霊具に意識を集中させている。
「……音も魔力も、今のところ反応はありません」
エルナの声は控えめだが、はっきりとしていた。
自然と、三人は三角形を描くような配置になっている。
前――カミラ。
中距離――マティルナ。
後方――エルナ。
昨日、簡単に確認しただけの役割分担だ。それでも、動き出してみると不思議としっくり来ていた。
マティルナは深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
大丈夫。やってきた。
何度も頭の中で、動きをなぞった。
通路が折れ、角に差しかかった瞬間。
カミラの足が、ぴたりと止まった。
「……動きあり。小型、複数」
その一言で、空気が張り詰める。
マティルナは銃を構え直し、視線を通路の奥へ向けた。魔導灯の光が届かない影の向こうで、何かが動く気配がある。
がさり、と石を擦る音。
低く、濁った唸り声。
「……ゴブリンです。三体。距離、二十ほど」
エルナが、精霊を通した感覚を言葉にする。
――模擬とはいえ、本物とほとんど変わらない。
マティルナの指先が、引き金にかかる寸前で止まった。
カミラの声が、すぐ横で響く。
「撃つな。まずは動き見る」
昨日、そして今朝。何度も聞いた言葉。
「私が前に出る。右に寄せるから、無理に詰めないで」
そう言って、カミラは盾を構え、一歩前に出た。
それに合わせて、マティルナは半歩下がり、射線を確保する。エルナも自然と位置を調整し、精霊具を静かに起動させた。
通路の影から、姿を現す。
緑がかった皮膚、歪んだ顔立ち。手に持つのは錆びた刃物。
――ゴブリンだ。
授業で何度も見たはずなのに、実際にこちらへ向かってくる姿には、別の圧があった。
「来るよ」
エルナの声とほぼ同時に、カミラが一体目を盾で受け止める。
金属音が通路に響き、ゴブリンの動きが止まった瞬間。
マティルナは、銃を下げたまま一歩踏み込んだ。
刃付きの銃身を横薙ぎに振るう。
鈍い手応え。
ゴブリンの体勢が崩れ、そのまま後方へ転がる。
「……よし、倒せた」
弾は使っていない。剣として、確かに通用した。
同時に、エルナの精霊が風を生み、別の一体の足元を払う。
「今!」
カミラが踏み込み、残るゴブリンを確実に叩き伏せた。
数秒も経たず、通路は静かになる。
「……全員、無事だね」
エルナがほっとしたように言い、マティルナも小さく息を吐いた。
銃についた刃を見下ろし、ゆっくりと頷く。
――これが、三人で戦うということ。
一人じゃない。
それを、マティルナははっきりと体で理解し始めていた。
静寂が戻った通路に、魔導灯の淡い光だけが残った。
「……初戦としては、上出来ね」
剣を収めながら、カミラが短く言う。その声音には余裕があったが、油断はない。
「マティルナ、刃の感触は?」
「問題ない。重心もずれてない」
「なら続行」
即断だった。
マティルナはその判断の速さに、少しだけ驚く。自分なら、もう少し確認を入れただろう。だが、迷いがない分、班の動きが止まらない。
エルナが小さく手を挙げる。
「……少し、奥がざわついてる。数、さっきより多いかも」
「ゴブリンの群れか」
カミラは一瞬だけ考え、通路の幅と逃げ道を目で測る。
「ここで迎撃する。後退はしない」
「え……?」
マティルナの口から、思わず声が漏れた。
「狭い通路のほうが、数を活かされない。エルナ、足止めできる?」
「……できます。精霊、二体までなら」
「十分」
短い確認。もう決まっていた。
――早い。判断が。
マティルナは気づく。
カミラは「安全」を優先していない。「制御できるか」で見ている。
通路の奥から、複数の足音。
数は――五、六。
「来る」
エルナの声と同時に、精霊が淡く光る。
ゴブリンたちは先ほどより荒々しく、まとまりもない。その分、勢いだけはある。
「一体目、引きつける」
カミラが前に出る。盾で受け、剣で牽制。正確で無駄がない。
「マティルナ、左!」
声に反応するより早く、マティルナは身体を動かしていた。
引き金――引かない。
踏み込み、銃剣で斬る。
手応え。倒れない。
――硬い。
「っ……!」
次の瞬間、別のゴブリンが距離を詰めてくる。
「下がって!」
エルナの精霊が風を叩きつけ、動きを鈍らせる。
「今だ、撃て!」
カミラの声。
迷いは、ほんの一瞬。
マティルナは引き金を引いた。
爆音と煙。
一体が吹き飛び、通路に転がる。
だが――
「弾数、残りは?」
「……あと、二」
その答えに、空気が変わる。
模擬とはいえ、刻印由来の制限は現実だ。
カミラは一瞬で理解した。
「以降、撃つな。近接と支援で捌く」
「でも――」
「弾は“切り札”だ。ここじゃない」
強い口調だったが、無茶ではない。
実際、残りのゴブリンは精霊による足止めとカミラの前衛で、数を減らしていく。
マティルナは、撃たずに、斬る。
重い。遅い。だが――通る。
最後の一体が倒れたとき、三人とも、はっきりと疲労を感じていた。
「……これで、第二波終了」
エルナが小さく言う。
マティルナは銃を下ろし、煙の残る通路を見つめた。
――さっき、撃つべきだった?
――それとも、我慢できて正解だった?
答えは、まだ出ない。
だが一つだけ、確かなことがある。
この班は――誰か一人の力じゃ、成立していない。
現実を切るカミラ。
場を支えるエルナ。
そして、自分。
評価不能。ランクI。体系外。
それでも。
マティルナは、銃を握り直した。
――ここで、止まるつもりはなかった。
模擬ダンジョンの出口が見えたとき、マティルナはようやく息を整えた。
石の通路を抜け、外の光が視界に差し込む。湿った空気が一気に引き、代わりに乾いた風が頬を撫でた。
「……終わったね」
エルナが、ほっとしたように呟く。
「まだ油断は禁物だけどな」
そう返しながらも、カミラは剣を鞘に収めていた。肩の力が抜けているのが分かる。
三人で指定された待機場所に立つと、監督役の教師が記録板を見ながら淡々と告げた。
「討伐数、規定内。隊形の維持、概ね良好。連携に大きな破綻なし」
それだけだった。
褒め言葉でも、叱責でもない。
ただの「標準的な評価」。
マティルナは、その言葉を静かに受け止めた。
――予想通りだ。
銃を使ったのは一度きり。
目立つことも、派手さもなかった。
教師の視線が、ちらりとマティルナの銃に向く。だが、それ以上は何も言われない。
「次の班、準備」
それで終わりだった。
評価は流れ、空気に溶ける。
少し拍子抜けしながら、三人は装備の確認をする。
「……正直、もっと言われるかと思った」
エルナが小さく言った。
「言われないってことは、問題なかったってことだ」
カミラはそう答える。
「問題にしたら、説明が面倒になるからな」
マティルナは、ふっと小さく笑った。
「それ、嫌われる言い方だと思う」
「現実的って言ってほしい」
そう言い返して、カミラも口元を緩めた。
少しの沈黙。
マティルナは、銃を見下ろす。
引き金にかけた指の感触を、思い出していた。
撃てた。
でも、撃たなかった。
それが正解だったのかは、まだ分からない。
「……弾、温存できてよかったと思う?」
ぽつりと、マティルナが聞いた。
エルナは少し考え、ゆっくり頷く。
「うん。だって、怖くなかったから」
「怖く?」
「撃つときのマティルナさん、静かすぎて……逆に、少し」
マティルナは、苦笑する。
カミラが肩をすくめた。
「私は正解だと思う。弾が切れたら、終わりだから」
「……そっか」
短い答えだったが、不思議と胸が軽くなる。
評価じゃない。
ランクでもない。
一緒に動いた人間が、そう言ってくれた。
それだけで、十分だった。
マティルナは顔を上げる。
空は高く、雲が流れている。
魔法学校。
管理と評価の場所。
でも――。
「次は、もう少しうまくやれる気がする」
その言葉に、エルナが微笑み、カミラが頷いた。
「経験値、入ったな」
「それ、冒険者っぽい言い方」
「事実だろ」
三人の間に、静かな笑いが落ちる。
ランクI。評価不能。
それでも。
マティルナは、自分の足で、ここに立っていた。
撃たずに、考え、選び、進む。
その積み重ねが、きっと――この世界のどこかを、少しずつ変えていく。
彼女はまだ、それを自覚していない。
ただ、銃を抱え、仲間と並び、次を見ているだけだった。




