5 班分け
翌朝、魔法学校の空気はいつもと少し違っていた。
廊下を歩く生徒たちの足取りが、わずかに速い。
交わされる会話も、自然と同じ言葉に収束していく。
「模擬ダンジョン、どんな感じなんだろうな」
「班分けって、成績順?」
「事故とか……ないよね?」
不安と期待が混じったざわめきの中、マティルナは静かに教室へ入った。
昨日と同じ席。
けれど、気分はまるで違う。
今日は“説明”と“発表”の日だ。
席に着くと、すぐ隣から小さな声がした。
「おはようございます、マティルナさん」
エルナ・フィオラだった。
昨日よりも少しだけ表情が柔らかい。
「おはよ」
それだけの挨拶なのに、不思議と胸が落ち着く。
誰かと並んで座るというだけで、教室の見え方が変わるのだと、マティルナは昨日知った。
やがて、教官が入室する。
昨日と同じ人物だが、今日は補助教員が二人付き添っていた。
「では、これより模擬ダンジョン演習の説明を行う」
教官の声が、教室を支配する。
「模擬ダンジョンは、地下第二演習区画を使用する。構造は単純だが、索敵、罠、模擬魔物が配置されている」
教卓の横に設置された簡易魔法板に、地図が映し出される。
「今回の目的は三つ」
教官は指を立てる。
「一、班行動の基礎」
「二、役割分担と連携」
「三、個々の能力を、集団としてどう使うか」
マティルナは、自然と背筋を伸ばした。
――個々の能力を、集団として。
銃は、単独で使う前提の武器だ。
少なくとも、この世界では。
「演習中、教員は介入しない。ただし、危険度が上がった場合は即時中断する」
生徒たちの表情が引き締まる。
「そして、班分けだが――」
教官は一拍置いた。
教室の空気が、目に見えて張り詰める。
「既に決定しているため、今から発表する」
名前が、一つずつ読み上げられていく。
早く呼ばれたい者。
遅く呼ばれることを恐れる者。
そのどちらでもない感情が、マティルナの胸にあった。
「……マティルナ・ロウェル」
名前が呼ばれた瞬間、いくつもの視線が集まる。
だが、もう慣れていた。
「エルナ・フィオラ」
隣から、ほんの小さく息を呑む音。
マティルナは、ちらりとエルナを見る。
エルナは驚いたように目を瞬かせてから、ほっとしたように微笑んだ。
――同じ班。
その事実だけで、胸の奥が少し温かくなる。
「カミラ・ヴァイス」
次に呼ばれた名前に、教室のあちこちがざわついた。
「あ、あの人だ」
「剣の召喚、上手いって噂の」
「実技評価、かなり高いらしい」
マティルナは、初めてその名前を意識して見る。
教室の少し前方、窓側の席から立ち上がった少女。
背筋が伸び、無駄な動きがない。
短く結ばれた髪。
鋭すぎないが、迷いのない目。
――前に出る人間だ。
それが、第一印象だった。
三人の名前が並べて確認され、班番号が告げられる。
「以上が第一班だ」
第一班。
評価が高いのか、そうでないのか。
その意味は、まだ分からない。
「詳細はこの後、班ごとに集まって確認する。今日は午後の時間を使って役割分担と動線の確認を行え」
説明が終わり、教官が退出する。
教室は、再びざわめきに包まれた。
「同じ班だね……」
エルナが、控えめに声をかける。
「うん」
マティルナは頷き、もう一人――カミラの方を見る。
カミラ・ヴァイスは、既にこちらを見ていた。
視線が合う。
一瞬、互いを測るような沈黙。
次の瞬間、カミラは迷いなく歩み寄ってきた。
「マティルナ・ロウェル、で合ってる?」
はっきりとした声だった。
「うん、あってる」
「私はカミラ。よろしく」
差し出された手には、無駄な力が入っていない。
マティルナは一瞬だけ迷ってから、その手を取った。
「……よろしく」
その様子を見て、エルナが小さく会釈する。
三人が、同じ場所に立つ。
まだ、役割も、立ち位置も、何も決まっていない。
だが――ここから始まるのだ。
模擬ダンジョン演習。
そして、三人の班としての第一歩が。
マティルナは、静かに息を吸った。
一人じゃない。
その事実が、これほど心強いとは思っていなかった。
班ごとの集合が指示され、生徒たちは教室を出ていく。
第一班に割り当てられたのは、演習棟に隣接する小さな作戦室だった。
石造りの壁。
中央には簡易地図台があり、模擬ダンジョンの概要図が浮かび上がっている。
扉が閉まると、三人きりになった。
最初に口を開いたのは、カミラだった。
「じゃあ、時間も限られてるし、さっさと確認しよう」
回りくどさはない。
その姿勢に、マティルナは少しだけ好感を覚えた。
「模擬ダンジョンは一本道気味だけど、分岐と小部屋がある。罠は簡易型、魔物は模擬体――致命傷は出ない」
カミラは地図を指しながら説明する。
教官の話をそのままなぞるのではなく、実際に動く前提で整理している。
「で、問題は役割」
そう言って、カミラは二人を見る。
「私は前に出る。敵を引きつける役」
即断だった。
エルナが一瞬だけ目を見開く。
「えっと……あの、危なくないですか?」
「危ないよ」
カミラは即答した。
「でも、誰かがやらないと後ろが動けない」
迷いがない。
マティルナは、その言葉を静かに聞いていた。
「あなたは?」
カミラの視線が、マティルナに向く。
「なんか変なの、だよね」
「……うん、“銃”って言う」
「遠距離?」
「中距離が一番安定する」
正確な距離感。
それだけで、カミラの口元がわずかに上がった。
「いいね。前に私が出て、射線を作る。無理に近づかなくていい」
マティルナは、少しだけ驚いた。
銃の話になると、警戒や疑念を向けられることが多い。
だが、カミラは“使い方”として捉えている。
「弾数は?」
「……多くない」
「なら、撃つ場所は選ぶ」
短い言葉のやり取り。
それだけで、戦闘の輪郭が見え始める。
カミラは、最後にエルナを見る。
「エルナ、だっけ」
「は、はい」
「後ろだ。無理しなくていい」
エルナは、少しだけ肩をすくめた。
「……その、精霊で索敵と、気持ちを落ち着かせることくらいしか」
「十分」
カミラは、間髪入れずに言った。
「前線で一番困るのは、後ろが見えないことと、頭が熱くなることだから」
エルナの表情が、ぱっと明るくなる。
「役に、立ちますか……?」
「立つ。はっきり言って」
それだけで、エルナの背中が少し伸びた。
三人の役割が、自然と定まっていく。
前線:カミラ。
中距離火力:マティルナ。
後方補助:エルナ。
誰も異を唱えなかった。
「細かい動きも決めよう」
カミラは地図に指を走らせる。
「敵が出たら、私が止める。マティルナは、私の右後ろから撃つ。射線を跨がないように」
「わかった」
「エルナは、少し離れて。無理そうなら即下がる」
「はい」
淡々と決まっていく。
だが、そこには押し付けも遠慮もなかった。
マティルナは、気づく。
――この人は、ランクで人を見ていない。
「一つだけ、確認」
マティルナが口を開く。
「弾が切れたら……私は前に出られない」
カミラは、少し考えてから答えた。
「その時は、私が前に立つ。下がっていい」
当たり前のように。
「守る役が、守られる役を選ぶ必要はない」
その言葉が、胸に残った。
今まで、誰かにそう言われたことはなかった。
「……ありがとう」
マティルナの声は、小さかったが、確かだった。
カミラは肩をすくめる。
「礼はいらない。生き残るため」
エルナが、二人を見て小さく笑う。
「……なんだか、安心しますね」
三人の間に、奇妙な静けさが生まれた。
それは、不安ではなく、準備が整った静けさだった。
模擬ダンジョンは、明後日。
だが、第一班は、もう動き始めている。
マティルナは、静かに思った。
――この班なら、きっと。
まだ言葉にはならない確信が、胸の奥で形を持ち始めていた。
役割確認が一段落し、地図台の光が消える。
作戦室に、ふっと緩んだ空気が流れた。
「じゃあ、今日はここまでかな」
カミラがそう言って腕を組む。
「細かい連携は、実際に動いてみないと分からない。模擬ダンジョンで調整しよう」
「はい……」
エルナが小さく頷いた、その時だった。
作戦室の扉が、ノックもなく開かれる。
入ってきたのは、別の班の教官だった。
腕には資料を抱え、視線は即座にマティルナへ向けられる。
「マティルナ・ロウェル」
名を呼ばれただけで、空気が変わった。
「少し、確認したいことがある。来なさい」
有無を言わせない口調。
エルナが、不安そうにマティルナを見る。
カミラは一瞬だけ眉をひそめた。
「何の確認ですか」
カミラが問う。
「刻印と召喚の件だ」
教官はそれ以上説明しない。
――また、か。
マティルナは、胸の奥で小さく息を吐いた。
「すぐ戻る」
それだけ言って、マティルナは立ち上がる。
廊下は静かだった。
作戦室を離れるごとに、さっきまであった“班”の気配が遠ざかっていく。
連れて行かれたのは、小さな観測室だった。
魔力測定用の簡易陣が床に描かれている。
「模擬ダンジョン前に、再確認だ」
教官は事務的に言う。
「君の召喚は、依然として測定不能だが……演習中の安全性確認は必要になる」
「安全、ですか」
「爆音、発火、反動。周囲への影響だ」
マティルナは黙って頷いた。
火縄銃を召喚する。
煙と匂い。
教官たちが、わずかに身を引く。
「……やはり、魔力反応が薄い」
別の教官が呟く。
「だが、現象は強力だ」
「模擬ダンジョン内では、使用を制限するべきでは?」
「しかし、班の戦力として――」
議論が始まる。
マティルナは、その輪の外に立ったままだ。
話されているのは、自分のこと。
だが、自分の意見は求められていない。
――いつものこと。
やがて結論が出る。
「模擬ダンジョン内での使用は許可。ただし、指定された区画のみ。連射は禁止」
それは、妥協の産物だった。
「分かりました」
マティルナは、それ以上何も言わなかった。
作戦室に戻ると、エルナとカミラが待っていた。
「……どうだった?」
エルナが、そっと聞く。
「制限付きで使用可」
「制限?」
カミラが即座に反応する。
「場所と回数」
カミラは、舌打ちこそしなかったが、明らかに納得していない表情だった。
「実戦じゃ、そんな都合よくいかない」
「分かってる」
マティルナは静かに答える。
「でも、今回は演習」
カミラは、じっとマティルナを見る。
「……それでいいの?」
「今は」
短い沈黙。
やがてカミラは、ふっと息を吐いた。
「了解。なら、その前提で動きを組み直す」
すぐに切り替える判断力。
エルナが、少し安堵したように笑う。
「班として、ですね」
「そう」
カミラは頷く。
「一人の都合で決めない。三人で生き残る」
その言葉に、マティルナの胸が、ほんの少しだけ温かくなった。
測定不能。
制限付き。
それでも――この班は、自分を切り離さなかった。
マティルナは、静かに思う。
――私は、ここにいていい。
模擬ダンジョン演習は、もうすぐだ。
だがそれ以上に、今この瞬間が、確かに彼女を前へ進ませていた。
作戦室を出ると、夕方の光が廊下に長い影を落としていた。
模擬ダンジョンの説明、班分け、役割確認、そして再確認の呼び出し。
半日とは思えないほど、密度の濃い時間だった。
「……今日は、情報多かったですね」
エルナが、少し疲れたように言う。
「そうだな」
カミラは歩きながら答える。
「でも、やることは単純だ。前に出る、撃つ、支える。それだけ」
その言葉は、驚くほど分かりやすかった。
マティルナは、三人並んで歩くこの距離感を、心の中で確かめる。
一歩離れても、孤立してはいない。
近づきすぎても、押し付け合いにならない。
不思議と、ちょうどいい。
「マティルナ」
カミラが、歩調を落として声をかける。
「制限の件、気にするな」
「……気にしてない」
それは、半分は本当だった。
「演習は、結果を見る場所だ。評価は後からついてくる」
ランクが高い生徒らしい言葉。
けれど、見下す響きはない。
「当たれば倒せる。それで十分」
その一言が、胸に落ちた。
エルナが、二人の様子を見て、小さく笑う。
「三人とも、違うのに……ちゃんと合ってますね」
「違うから、合うんだろ」
カミラは、当然のように言った。
演習棟を出ると、校舎の向こうに夕焼けが広がっていた。
赤く染まる空を見上げながら、マティルナは思う。
刻印は、事故だった。
評価は、最低だった。
制限は、多い。
それでも――。
「明日、よろしく」
マティルナが言うと、二人は同時に頷いた。
「こちらこそ」
エルナの声は、柔らかい。
「当然」
カミラの声は、短く力強い。
三人が、それぞれの帰路へ分かれる。
マティルナは一人になってから、ふっと口元を緩めた。
班ができた。
役割が決まった。
信じてくれる人がいる。
それだけで、十分だった。
――私は、このまま進める。
銃を持つ少女は、今日も静かに前を向く。
模擬ダンジョンは、もう目の前だ。




