26 正式ダンジョン入場許可
その知らせは、朝の講義が始まる少し前に届いた。
教室に入ってきた教官は、いつもより表情が硬い。
出席確認もそこそこに、視線を一度教室全体に走らせ、それから一点に留めた。
「……マティルナ・ロウェル」
名を呼ばれた瞬間、空気がわずかに揺れる。
「はい」
「授業後、教務棟第三会議室に来なさい」
「エルナ・フィオラ、カミラ・ヴァイス、リヒト・アルヴァインも同行だ」
一瞬、静寂。
次の瞬間、ざわりと小さな波が広がった。
四人同時。
しかも、会議室指定。
ただの注意や事務連絡ではないことは、誰の目にも明らかだった。
マティルナは驚いたが、表情には出さない。
ただ、小さく頷いた。
「……わかりました」
教官はそれ以上何も言わず、講義を始める。
だが、内容が頭に入ってくる者は、ほとんどいなかった。
休憩時間に入ると、三人が自然とマティルナのもとに集まった。
「ギルド絡み、だよね」
エルナが、小声で言う。
声は抑えているが、隠しきれない不安が滲んでいた。
「間違いないでしょうね」
カミラは腕を組み、短く息を吐く。
「単独行動が絡んでるなら、なおさらだ」
リヒトは、少し距離を保ちながらも、状況を冷静に見ていた。
「学院が公式に動くなら、理由は一つだ」
「ギルドから“正式な何か”が来た」
マティルナは、三人の顔を順に見る。
「……多分、ダンジョンの件です」
言葉にした瞬間、実感が少しだけ増した。
ギルドでの代理任務。
単独火力として成立したという評価。
それが、学院の管理下に持ち込まれる。
それが意味するところを、全員が理解していた。
授業が終わり、四人は教務棟へ向かう。
第三会議室の前には、すでに二人の教官と、見慣れない人物が一人立っていた。
ギルド職員だ。
その胸元には、正式な紋章。
空気が、さらに引き締まる。
「揃ったな」
年長の教官が言う。
「では、入ろう」
会議室は広くない。
だが、余計な装飾はなく、中央の机がやけに大きく見えた。
全員が着席すると、ギルド職員が一枚の書類を机に置く。
「冒険者ギルドより、学院に正式通達です」
その言葉だけで、場の意味が確定した。
「マティルナ・ロウェル」
「あなたに対し、特定条件下でのダンジョン入場許可を発行します」
エルナが、息を呑む音がした。
カミラは眉をわずかに動かし、
リヒトは、視線をマティルナから外さない。
「対象は、訓練用ではない、実稼働ダンジョン」
「階層指定、時間制限付き」
「行動形態は――単独」
その一言で、空気が張り詰めた。
単独。
学院生にとって、極めて異例だ。
教官が口を開く。
「当然だが、これは学院としても慎重に扱う」
「そこで班行動原則に基づき――」
視線が、エルナ、カミラ、リヒトに向けられる。
「君たち三名にも、説明を受けてもらう」
「同行はしない」
「だが、内容を共有し、判断材料とする」
エルナは、思わずマティルナを見る。
不安と、信頼と、言葉にできない感情が混ざった視線だった。
マティルナは、少しだけ背筋を伸ばす。
自分だけが前に出ている。
それを、はっきりと自覚する。
「なお」
ギルド職員が続ける。
「今回の許可は、戦力評価に基づくものです」
「学院の成績や年次ではありません」
それは、はっきりとした線引きだった。
生徒としてではなく、
“火力”としての評価。
マティルナの胸に、静かな重みが落ちる。
教官は、ゆっくりと頷いた。
「ここから先は、詳細説明に入る」
「覚悟して聞きなさい」
その言葉を合図に、会議室の扉は完全に閉じられた。
もう、後戻りできない場所に足を踏み入れた。
マティルナ自身も、そして――彼女を見送る側も。
その全員が、同じことを感じていた。
机の上に並べられた書類は、三枚。
一枚目はダンジョンの概要。
二枚目は行動制限。
三枚目は――例外条項。
ギルド職員は、その三枚目を最後まで伏せたまま話し始めた。
「まず、対象ダンジョンについて説明します」
指し示された地図には、学院が管理する模擬施設ではなく、街の外縁に位置する実稼働ダンジョンが描かれていた。
「深度は浅い。想定ランクはE〜D」
「通常であれば、学生の立ち入りは“班行動・教官監督下”が原則です」
そこで一拍置く。
「――ですが、今回は例外です」
教官が視線を受け取って、補足する。
「理由は単純だ」
「火力が過剰だからだ」
エルナが小さく肩を震わせた。
カミラは眉をひそめる。
リヒトは、理解したように目を伏せた。
「通常の班編成では、戦力配分が成立しない」
「前回のギルド代理任務の報告書を見たが……」
教官は書類を一枚めくる。
「君が“撃つ前提”で組むと、他の火力担当が役割を失う」
「逆に言えば――」
視線が、マティルナに向く。
「君一人で成立してしまう」
それは、評価だった。
同時に、切り離しの宣告でもある。
マティルナは、何も言わない。
ただ、静かに聞いていた。
「今回の許可は、単独行動に限定する」
「補助、盾、連携は想定しない」
「危険を感じた場合は、即時撤退」
カミラが、低い声で口を挟む。
「……それは、見捨てる前提にも聞こえますね」
教官は、否定も肯定もしなかった。
「現実的な話だ」
「全員を守る選択肢がない以上、一人を確実に帰す」
会議室の空気が、冷える。
エルナは耐えきれず、マティルナの袖を握った。
「でも……」
「マティルナ一人に、全部背負わせるみたいで……」
ギルド職員が、そこで三枚目の書類を表に出す。
「だからこそ、条件を付けました」
そこには、太字でこう書かれていた。
――学院・冒険者ギルド共同監視下。
「学院側は、常時状況を把握する」
「異常があれば、即時介入」
「本人の意思とは無関係に、撤退命令を出す場合もあります」
リヒトが、静かに頷いた。
「単独だが、孤立ではない……ということですね」
「その通りです」
教官は、マティルナを見る。
「君が前に出すぎないための、最低限の枷だ」
マティルナは、少しだけ考えてから答えた。
「……わかりました」
即答だった。
エルナが、驚いたように顔を上げる。
「そんなにすぐ……?」
「条件は、妥当です」
マティルナの声は、落ち着いていた。
「一人で行くなら、誰かを守れない」
「なら、最初から守らない前提で動く方がいい」
それは、冷静な判断。
だが、エルナには少しだけ、遠く感じた。
カミラは、腕を組んだまま言う。
「納得はする」
「でも、気に入らない」
「同感です」
リヒトも、はっきり言った。
「戦力として切り出すのは正しい」
「だが、仲間としては――」
言葉を、そこで止める。
教官が軽く咳払いをした。
「だから君たちにも、説明を受けてもらっている」
「同行はしない」
「だが、無関係ではない」
視線が、三人に向けられる。
「マティルナが戻った後、班は再編される」
「その前提として、全員が現状を理解しておく必要がある」
マティルナは、胸の奥が少しだけ重くなるのを感じた。
前に出た。
その分、距離ができた。
それを、誰よりも自分がわかっている。
「質問はありますか」
一瞬の沈黙。
エルナが、震える声で言った。
「……無事に、帰ってきますよね」
マティルナは、少しだけ微笑んだ。
「帰ります」
「撃つタイミングは、ちゃんと選びますから」
それが、今の彼女にできる唯一の約束だった。
教官は、静かに頷く。
「では次に――」
「ダンジョン内部で想定される“想定外”について話そう」
その言葉が、次の段階を告げていた。
誰もが気づいている。
この任務は、単なる許可ではない。
学院とギルドが、マティルナという存在をどう扱うか――その試金石なのだと。
その話は、続くはずだった。
ダンジョン内部の危険因子。
監視水準。
想定外が発生した場合の対応。
教官が資料に手を伸ばした、その瞬間――。
バンッ!
会議室の扉が、文字通り“叩き壊す勢い”で開いた。
蝶番が悲鳴を上げ、空気が震える。
全員の視線が、一斉に入口へ向いた。
そこに立っていたのは――大柄な男だった。
背は高く、肩幅が異様に広い。
学院の教員用外套を着ているにもかかわらず、その下の筋肉の存在を隠しきれていない。
無駄な脂肪はなく、全身が“実戦用”に仕上がっている。
短く刈られた髪。
鋭い目。
表情は、ない。
男は一歩踏み込み、低い声で言った。
「話は聞いた」
それだけだった。
理事長が、深くため息をつく。
「……ナク・レイドル教諭」
「やはり来たか」
その名に、カミラが反応した。
「……実戦科の」
エルナは、小さく息を呑む。
リヒトは、静かに背筋を正した。
ナク・レイドル。
学院でも数少ない、現役冒険者としての実績を持つ教員。
机上ではなく、現場で教える人間。
訓練で無駄な言葉を使わないことで有名な、寡黙な男。
ナクは、無言で一枚の書類を取り出した。
それを、机の中央に叩きつける。
――どん。
「承認証だ」
そこには、三つの署名があった。
学院理事長。
学院校長。
冒険者ギルドマスター。
全員が、顔をしかめる。
理事長が、苦笑混じりに言った。
「……説明は、これからだったのだが」
「聞いた」
ナクは短く答える。
「単独行動」
「学生」
「実稼働ダンジョン」
視線が、マティルナに向く。
「却下だ」
空気が、止まった。
エルナが、思わず声を上げる。
「え……?」
カミラは、眉を吊り上げる。
「今さら何を――」
「単独は認める」
ナクは、即座に言い直した。
「だが、無監督は認めない」
その言葉に、教官がゆっくり頷く。
「……やはり、そこに来るか」
ナクは腕を組む。
「学生がダンジョンに入る」
「戦力がどうであれ、それは“教育案件”だ」
「だが、今回の火力は――」
「関係ない」
ぴしゃり、と切った。
「やっぱり学生には、教員が必要だ」
「それだけの話だ」
理事長が、観念したように言う。
「つまり……」
「俺がつく」
即答だった。
室内が、ざわつく。
エルナの目が、大きく開かれる。
「えっ……!? 先生が……?」
カミラは、思わず口笛を吹きそうになるのを堪えた。
「……それ、監視ってレベルじゃないだろ」
リヒトは、慎重に問いかける。
「同行、という形でしょうか」
「違う」
ナクは、首を振る。
「俺は戦わない」
「介入もしない」
視線が、鋭くなる。
「見ているだけだ」
その言葉が、逆に重かった。
マティルナは、初めて口を開く。
「……それは、どういう意味でしょうか」
ナクは、まっすぐ彼女を見る。
「撃つ判断」
「撤退の判断」
「生きるか死ぬか」
一つずつ、言葉を置く。
「全部、お前が決めろ」
「俺は、それを“教員として”見届ける」
それは、保護ではなかった。
試験でもない。
観測だった。
ギルド職員が、慎重に言葉を選ぶ。
「つまり、最悪の場合……」
「止める」
ナクは、即答した。
「学生が死ぬ前には、止める」
「それだけだ」
理事長が、深く頷いた。
「……これ以上の安全策は、正直ない」
エルナは、不安そうにマティルナを見る。
カミラは、歯を食いしばる。
リヒトは、静かに納得していた。
マティルナは、少し考えたあと、頭を下げた。
「……わかりました」
ナクは、その様子をじっと見てから言った。
「条件が一つある」
「何でしょうか」
「武器の扱い」
マティルナの眉が、わずかに動く。
「召喚、消失、切り替え」
「すべて、俺の視界内でやれ」
「……了解です」
「隠すな」
「誤魔化すな」
ナクは、低く言った。
「俺は、敵じゃない」
「だが、味方でもない」
それが、この男なりの誠実さだった。
教官が、書類をまとめる。
「では、結論だ」
「マティルナ・ロウェル」
「単独ダンジョン入場を許可する」
一拍。
「ナク・レイドル教諭による監視同行付きで」
その瞬間、マティルナは理解した。
これは、守られているのではない。
測られている。
自分が――どこまで“人間”でいられるのかを。
ナクは、ドアの方へ向きながら一言だけ言った。
「準備しろ」
「現場は、待ってくれない」
扉が閉まる。
残された三人は、しばらく言葉を失っていた。
エルナが、ぽつりと呟く。
「……一人じゃ、なくなったね」
マティルナは、静かに答えた。
「でも、撃つのは私だよ」
その重さを、全員が理解していた。
出発の準備は、思ったよりも静かだった。
騒ぎもなければ、特別な儀式もない。
学院の朝はいつも通りに始まり、鐘はいつも通りに鳴り、生徒たちはいつも通りに行き交っている。
その中で、ただ一つだけが違っていた。
マティルナが、班と同じ方向へは向かわないということ。
模擬訓練に向かう班員たちと、学院門の前で自然と足が止まる。
エルナが、少し困ったように笑った。
「……先に行ってるね」
その言葉は、軽くしようとしているのがわかる分だけ、胸に残った。
カミラは腕を組み、視線を逸らしたまま言う。
「向こうはこっちで何とかする」
「無茶は……するなとは言わないけど」
一拍。
「ちゃんと、帰ってこい」
それは命令ではなく、仲間としての言葉だった。
リヒトは、マティルナの前に立ち、静かに頭を下げる。
「判断は、あなたがする」
「それが一番だと思っています」
余計なことは言わない。
それが彼なりの信頼だった。
マティルナは、小さく息を吸ってから、三人を見る。
「……行ってくる」
それだけで、十分だった。
班が去っていく背中を見送り、マティルナは一人、門の外へ歩き出す。
――正確には、一人ではない。
「準備は?」
隣に並ぶ、低い声。
ナク・レイドル教諭は、相変わらず表情を変えず、歩幅も変えない。
「問題ありません」
「ならいい」
それ以上の会話はなかった。
街を抜け、冒険者ギルドへ向かう道。
学生証ではなく、臨時の許可証が懐にある感触が、いつもと違う重さを持っていた。
ギルド前では、すでに別の班が集まっていた。
火力担当が欠け、急遽の代理。
理由を詳しく知らされていない冒険者たちは、戸惑い混じりの視線をマティルナに向ける。
「……この子が?」
誰かが、そう呟いた。
マティルナは、何も言わない。
ナクが一歩前に出る。
「説明は不要だ」
「判断は、彼女がする」
それだけで、場の空気が変わった。
実戦派の教員が“監視”として立っている。
それは、信用の証でもあり、責任の証でもあった。
ダンジョンの入り口が、ゆっくりと開く。
冷たい空気が、流れ出す。
マティルナは、一歩踏み出す直前、ふと思う。
(また、撃つタイミングか)
けれど、不思議と心は落ち着いていた。
ここには仲間がいる。
遠くには、班がいる。
背後には、見ているだけの教員がいる。
そして――自分自身がいる。
銃は、まだない。
召喚は、必要な時だけ。
判断は、常に自分。
ナクが、最後に一言だけ告げた。
「逃げるな」
「だが、無理もするな」
マティルナは、わずかに頷いた。
「はい」
それだけで十分だった。
彼女は、ダンジョンへ足を踏み入れる。
学院の外。
教室の外。
模擬ではない、現実の境界へ。
そこで何が起きるのかは、まだ誰にもわからない。
ただ一つだけ、確かなことがある。
――撃つかどうかを決めるのは、いつも彼女自身だ。
そしてその判断は、もう誰かに委ねられるものではなかった。
静かに、ダンジョンの扉が閉じる。
次に開く時、
彼女は“学生”のままでいられるのか――それとも。




