24 模擬ダンジョン:大型モンスター討伐訓練
初期ダンジョンを想定した環境下での、大型モンスターへの対処。連携、役割分担、状況判断。その総合評価。
出現想定は、オーガ、トロール、キングスライム、ビッグウルフ、巨人兵のアンデット。
いずれもランクはEからE+。
脅威ではあるが、学生の訓練としては“妥当”な範囲だ。
「……役割、前回と同じでいいよね」
昼休み、訓練区画へ向かう通路で、エルナが小さく確認するように言った。
マティルナは頷く。
「うん。それが一番、早い」
「私は前線。状況に応じて押さえ込む」
カミラが簡潔に言う。
「僕はその補助と、迎撃」
リヒトもいつも通りだ。
誰も異論を挟まなかった。
前回の模擬ダンジョン訓練で、この班の役割分担はすでに固まっている。
――前に出る者。
――支える者。
――撃つ者。
マティルナはその最後だった。
(……また、撃つタイミングだな)
そう思いながらも、不思議と不安はなかった。
皆がいる。配置も、距離感も、理解している。
それで十分だった。
⸻
模擬ダンジョンは、学院地下の広大な演習施設に存在する。
実体の岩盤と魔術的構造を組み合わせた空間。
内部は複数の環境を再現可能で、地形、視界、魔力濃度までも調整されている。
この日の設定は「初期層・混合型」
石造りの通路に、広めの空間。視界は良好だが、死角は多い。
「安全結界、展開完了」
講師の声が、上方の観測室から響いた。
淡い光が走り、班全体を包み込む。
普段よりも層が厚い、とマティルナは一目で分かった。
(……三重、か)
何も言わず、銃の状態を確認する。
刻印は安定。魔力供給も問題ない。
入口の封鎖が解除され、模擬ダンジョンが起動する。
――空気が、変わった。
魔力が“流れ始める”感覚。
生成された環境が、自律的に振る舞い始める前兆だ。
「来るよ」
最初に現れたのは、オーガだった。
通路の奥から、重い足音。
棍棒を引きずる音が反響する。
「前線、行く」
カミラが一歩踏み出す。
リヒトが半歩後ろに付き、聖属性の防御を展開する。
エルナは視界を広く保ち、周囲を見渡す。
マティルナは、撃たない。
この距離、この相手、この状況では、役割外だ。
オーガは程なく制圧され、霧散する。
模擬体特有の消失現象。
「問題なし」
「次、来る」
キングスライム、ビッグウルフ。
いくつかの戦闘を経ても、流れは崩れなかった。
だが。
――妙だ。
マティルナは、魔力の流れに違和感を覚えていた。
(……濃度が、上がってる?)
環境設定では、ここまでの魔力変動は起きないはずだ。
それも、段階的ではなく――引き寄せられるような、偏り。
講師側からの通信はない。
結界も、解除されていない。
「……エルナ」
「うん、感じてる」
エルナの声が、わずかに硬い。
「ここ、何か……重い」
次の空間に踏み込んだ瞬間。
床に、魔法陣が浮かび上がった。
学生用の模擬生成式ではない。
もっと、原始的で、強制的な構造。
「止まって!」
エルナが声を上げる。
しかし、起動はすでに始まっていた。
空間が歪み、熱を帯びる。
天井付近に、影が――。
マティルナは、銃を握り直した。
(……想定外、だ)
けれど。
(でも、みんないる)
引き金には、まだ指をかけない。
魔法陣の発光は、明らかに異常だった。
本来、模擬ダンジョンで使用される生成式は、学院側が厳密に制御している。
学生の魔力に反応して出力が微調整されることはあっても、新たな存在を呼び出すことはない。
だが、床に浮かぶ陣は違った。
複雑で、古く、力任せに“引き寄せる”構造。
空間そのものが、何かを求めて歪んでいる。
「講師! 反応が――」
観測室から声が飛ぶが、途中で途切れた。
魔力濃度が、跳ね上がる。
熱。
圧。
そして、低く、喉の奥から響くような――唸り声。
天井付近の空間が裂け、巨大な影が姿を現した。
「……ドラ、ゴン?」
誰かの呟きが、やけに小さく聞こえた。
現れたのは成体ではない。
翼はまだ完全ではなく、鱗も荒削りだ。
それでも。
その体躯は、オーガやトロールとは比較にならない。
模擬体でありながら、圧倒的な存在感を放っていた。
「あり得ない……!」
観測室が騒然とする。
「出現ログにない!」
「生成条件を超えてる、これは――」
「魔力源はどこだ!」
答えは、ひとつしかなかった。
マティルナ・ロウェル。
彼女の刻印から溢れる魔力量が、
模擬ダンジョンの“許容”を突き破り、
存在してはならないものを引きずり出してしまった。
「全班、即時停止! 結界解除を――」
講師の声が響く。
だが、その指示が届く前に。
ドラゴンが、動いた。
翼を打ち下ろし、空気を裂く。
次の瞬間、衝撃波が走る。
「――っ!」
前線にいたリヒトとカミラが、正面からそれを受けた。
防御は展開されていた。
だが、威力が桁違いだった。
二人の体が宙を舞い、壁に叩きつけられる。
「リヒト! カミラ!」
エルナが叫ぶ。
即座に駆け寄ろうとするが、
ドラゴンの威圧が、足を止めさせた。
魔力の圧が強すぎる。
回復も、拘束も、術式が安定しない。
「……っ、無理……!」
エルナの声が震える。
ドラゴンが、首をもたげる。
赤く光る瞳が、次の標的を定める。
講師陣は必死だった。
「結界解除を急げ!」
「三重防壁が邪魔だ、優先度を下げろ!」
「いや、崩したら学生が――」
この日の結界は、通常よりも強化されていた。
理由は、ひとつ。
――マティルナが、何度も壊したからだ。
安全のために重ねた三重結界が、
今は逆に“解除を遅らせる鎖”になっている。
その間も、時間は止まらない。
ドラゴンは、再び息を吸い込んだ。
熱が集束する。
ブレスの予兆。
(……間に合わない)
誰かが、そう思った。
そのとき。
乾いた金属音が、空気を切り裂いた。
マティルナが、一歩前に出ていた。
銃を構え、視線を固定する。
恐怖は、なかった。
あるのは、理解だけだ。
(幼体。模擬個体。構造は――生体準拠)
胸部。
心臓。
魔力を循環させる“コア”。
そこを撃てば、終わる。
息を整え、引き金に指をかける。
周囲の音が、遠のいた。
仲間が倒れている。
支援もない。
誰も助けには入れない。
だから。
自分が撃つ。
引き金が、落ちた。
轟音。
爆発的な魔力放出が、一直線に走る。
弾丸は、正確に胸部へ――心臓核を貫く。
ドラゴンの動きが、止まる。
一拍遅れて、模擬体が崩壊を始めた。
内部から光が溢れ、
その余波が、空間全体を揺らす。
――バキン、という音。
三重に重ねられていた結界が、
耐えきれず、粉々に砕け散った。
解除。
完全停止。
模擬ダンジョンは沈黙した。
煙の中で、マティルナは銃を下ろす。
胸の奥に、わずかな鼓動の速まりを感じながら。
(……終わった)
轟音の余韻が、遅れて空間に戻ってきた。
粉塵が静かに舞い落ち、模擬ダンジョンの床が姿を現す。
崩壊した結界の残滓が、光の粒となって消えていった。
マティルナは、銃口を下げたまま、数秒その場に立ち尽くす。
――終わった。
そう認識した瞬間、彼女は小さく息を吐いた。
指を離す。
刻印に流れていた魔力が切られ、次の瞬間、銃は淡く光って霧散した。
召喚解除。
何も残らない。
それを確認してから、ようやく肩の力が抜けた。
周囲は、静まり返っている。
ドラゴンだったものは、すでに消失していた。
模擬個体――幼体とはいえ、本来ここに存在するはずのない存在。
沈黙を破ったのは、上方からの声だった。
「……模擬個体、完全消失を確認」
「結界、全層破断。現在、再構築不能」
制御室の報告は、どこか混乱を含んでいた。
「――待て」
別の声が割り込む。
「ログを再確認しろ。出現プロセスが……おかしい」
講師陣が一斉に視線を上げる。
「魔力流入量が、想定値を大きく超過しています」
「環境側が自動補正に入っていますが……」
「制御が追いついていない」
数秒の沈黙。
そして、はっきりとした声が続いた。
「結論から言います」
「模擬ダンジョン側の不具合です」
その言葉に、空気が変わった。
「本来、E〜E+帯のモンスター群を想定した構成でした」
「ですが、環境演算が異常反応を起こし……」
「結果として、高位存在の模擬データを呼び出しています」
「原因は?」
「不明です」
「魔力量の総量が引き金になった可能性はありますが……」
「特定の個人が直接干渉した記録は、現時点では確認できていません」
その一言で、視線が集まる。
マティルナは、思わず瞬きをした。
「……え?」
自分でも、少し間の抜けた声だと思った。
干渉?
不具合?
自分が、何かを“した”わけではない?
「ちょっと待ってください」
マティルナは講師を見上げる。
「私が……何か、操作したとかじゃなくて?」
「少なくとも、現行ログ上では確認されていない」
講師は慎重に答えた。
「君の魔力量が大きな負荷を与えたのは事実だが」
「それが“意図的な干渉”だったかどうかは、判断できない」
マティルナは、目を見開いたまま固まる。
「……そう、なんですか」
自分が壊した。
自分が引き起こした。
そう思っていたからこそ、驚きは大きかった。
だが、判断そのものは変わらない。
「それでも」
講師は続ける。
「ドラゴン出現後の対応は、正しかった」
マティルナは、視線を戻す。
「幼体とはいえ、放置すれば被害は拡大していた」
「班員が吹き飛ばされた時点で、撤退判断は困難だっただろう」
リヒトとカミラが、少し離れた位置で治療を受けている。
意識はある。
致命傷ではない。
「君が撃たなければ、別の結果になっていた可能性が高い」
その評価に、マティルナは小さく頷いた。
「……はい」
「だから、撃ちました」
胸部。
心臓部――模擬コア。
あそこしかなかった。
エルナは、少し震えた声で言う。
「……一瞬だったよね」
「狙って、迷わず」
「迷ってたら、もっと危なかった」
カミラが低く言った。
「正解だ」
リヒトも、短く頷く。
「判断は適切だった」
「ただ……」
一拍置いてから、言葉を選ぶ。
「想定外が、想定外すぎただけだ」
その表現に、誰かが苦笑した。
講師は深く息を吐く。
「本日の訓練は、これで完全終了とする」
「この件は学院上層に報告する」
「評価・処遇については、後日正式に通達する」
マティルナは、その言葉を聞きながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。
自分が原因かどうか、まだ分からない。
でも、**“自分の魔力量が引き金になった可能性”**は否定されていない。
(……また、撃つタイミングだったな)
心の中で、そう思う。
けれど――。
視線を横にやる。
倒れても、戻ってくる仲間がいる。
怖がりながらも、逃げなかったエルナがいる。
(……みんながいれば)
一人で抱え込む必要は、ない。
マティルナは、もう一度深く息を吸い、吐いた。
模擬ダンジョンの照明が、完全に落ちる。
マティルナたちは演習場の待機区画に戻っていた。
床は現実の石材。
空気は乾いていて、鉄と薬品の匂いが混じる。
それだけで、先ほどまでの出来事が「訓練だった」ことを思い知らされる。
「……戻った、な」
カミラが肩を回しながら言った。
治療は最低限で済み、動きに問題はない。
「正直、途中まではいつもの大型訓練だと思ってたんだけどね」
エルナが苦笑する。
「まさか、ドラゴンが出てくるなんて」
誰も、それに否定を返さなかった。
リヒトは無言のまま、演習場全体を見渡している。
視線は冷静だが、その奥には明確な警戒があった。
そこへ、講師が一人、改めて前に出る。
「本日の模擬ダンジョン・大型モンスター討伐訓練は、これをもって終了とする」
声は、はっきりとしていた。
「環境側の不具合については、学院として正式に調査を行う」
「学生側に故意、あるいは規定違反があったという判断は、現時点では下していない」
その一言で、場の緊張がわずかに緩む。
マティルナは、知らず息を吐いていた。
「なお」
講師は続ける。
「本来想定外の高位模擬個体に対し、班としての連携を維持し、被害を最小限に抑えた点」
「そして、最終的に適切な判断で事態を収束させた点は評価対象とする」
視線が、マティルナに向けられる。
「詳細な評価は後日通達する」
「今日は解散だ。各自、帰宅してよい」
それで、公式な場は終わった。
学生たちはざわめきながら散っていく。
だが、マティルナ班の四人は、その場に残ったままだった。
「……とりあえず」
エルナが口を開く。
「みんな、生きてるね」
「生きてる」
カミラが即答する。
「吹き飛ばされたけどな」
その言葉に、マティルナは小さく頭を下げた。
「ごめん」
「私が撃つタイミング、遅れたらもっと――」
「違う」
リヒトが、はっきり遮る。
「君が撃ったから、終わった」
「それ以上でも、それ以下でもない」
淡々とした口調だが、否定の余地はなかった。
カミラも頷く。
「役割通りだ」
「前回の模擬ダンジョンと、何も変わってない」
その言葉に、マティルナは少しだけ目を伏せる。
確かに、役割は同じだった。
前衛が受け止め、
支援が場を整え、
判断が状況を読む。
そして――自分は、撃つ。
(……また、撃つタイミングだったなぁ)
心の中で、そう思う。
それは自嘲でも、後悔でもない。
ただの事実認識だった。
けれど。
「でもさ」
エルナが、柔らかく言う。
「一人だったら、ああはならなかったと思うよ」
マティルナは顔を上げる。
「え?」
「だって、周り見えてたでしょ」
「無茶はしてたけど、無謀じゃなかった」
カミラが鼻で笑う。
「一人で突っ走るやつは、もっと派手にやる」
「お前は……ちゃんと待って、決めてた」
リヒトは短く締めた。
「班だった」
「だから成立した」
その言葉に、マティルナは胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
(……みんながいれば)
大丈夫だ、と思えた。
完全に平気になるわけじゃない。
怖いものは、これからも出てくる。
でも――一人じゃない。
「次」
カミラが言う。
「どうせ、しばらく話題になるぞ」
「だろうね……」
マティルナは苦笑する。
「でも、班は変わらない」
リヒトが確認するように言う。
「うん」
マティルナは頷いた。
「それは、さっき言われてた」
四人は、顔を見合わせる。
変わらない。
少なくとも、今は。
「じゃあ、帰ろっか」
エルナが明るく言った。
「今日は、さすがに疲れたよ」
演習場を出て、それぞれの帰路へ向かう。
夕方の空気は静かで、何事もなかったかのようだった。
マティルナは、歩きながら空を見上げる。
今日の出来事は、訓練だった。
事故だった。
想定外だった。
けれど――確かに、自分は引き金を引いた。
(……また、次も)
そう思いながら、歩を進める。
不安はある。
けれど、それ以上に――。
信じられる背中が、隣にある。
それだけで、今は十分だった。




