23 学科試験と実技試験
学科試験と実技試験が同日に行われると告知された日の朝、校舎の空気はいつもよりわずかに張りつめていた。
廊下には、紙束を抱えた学生や、ぶつぶつと公式を復唱する声があふれている。
緊張と集中が混ざり合った、独特の匂い。
「……覚えてきた?」
マティルナは、隣を歩くエルナにそう尋ねた。
「はい。一応……範囲分は」
エルナは控えめに答えながら、胸元のノートを抱きしめる。
カミラは肩をすくめた。
「覚えたかどうかより、出るかどうかだろ。試験なんて」
「それを言ったら身も蓋もありませんよ」
エルナが苦笑する。
後ろから歩いてきたリヒトは、静かに二人の会話を聞きながら、言った。
「学科は、極端に難しい内容ではない。基礎理論、魔力循環、刻印構造、召喚式の安全規範……理解していれば問題ない」
それは、冷静な分析だった。
マティルナは、その言葉に小さく頷く。
実際、勉強そのものが苦手なわけではない。
魔法理論も、刻印学も、時間をかければ理解できる。
ただ――。
(完璧、って言われると……違うんだよね)
板書を写すのは遅くない。
試験範囲も把握している。
けれど、細部の定義や例外規定になると、どうしても詰まる。
理解はしている。
ただ、それを言葉として整理するのが、少し苦手だった。
学科試験は、午前中。
大講義室に並べられた机に着くと、ざわめきはすっと消えた。
試験監督の教師が、淡々と注意事項を読み上げる。
「――では、始め」
紙をめくる音が、一斉に響く。
問題は、想定通りだった。
魔力の基本単位。
刻印の安定条件。
召喚魔法における干渉回避理論。
マティルナは、ひとつひとつを丁寧に解いていく。
(これは……大丈夫)
迷う問題はあったが、白紙で出すほどではない。
「悪くない」、その言葉が一番しっくりくる出来だった。
そして、昼を挟んで――実技試験。
召喚実技は、屋外演習場で行われる。
石造りの円形広場の中央に、術式用の標準刻印陣が描かれている。
周囲には教官と評価官、それに待機中の学生たち。
名前が呼ばれた者から、順に前へ出る。
防御召喚。
補助召喚。
攻撃召喚。
評価基準は、制御・安定性・威力・魔力効率。
実に公平で、そして残酷な基準だった。
マティルナは、自分の番が近づくにつれて、自然と呼吸を整えていた。
(大丈夫……やることは、いつも通り)
召喚は、彼女にとって“考えるもの”ではない。
身体感覚に近い。
名前を呼ばれ、前に出る。
「マティルナ・ロウェル。召喚実技を開始せよ」
教官の声が、広場に響く。
マティルナは、静かに足を踏み出し、刻印陣の中央に立った。
腰に下げた銃剣は、今日は使わない。
召喚のみの試験だ。
目を閉じ、意識を刻印へ落とす。
その瞬間――。
空気が、変わった。
魔力の流れが、自然と集束する。
押し出すでも、引き寄せるでもない。
ただ、集まる。
教官の一人が、わずかに眉を動かした。
詠唱は短い。
構造は簡潔。
だが、刻印から溢れ出した魔力は、明らかに“規格”を越えていた。
演習場の中央に、召喚体が姿を現す。
輪郭は明瞭。
出力は安定。
そして――威力だけが、突出している。
魔力計測器の針が、一瞬で上限近くまで跳ね上がる。
「……」
周囲が、静まり返った。
マティルナ自身は、表情を変えない。
彼女にとっては、これが“普通”だからだ。
ただ、次の評価がどうなるかは――まだ、誰にもわからなかった。
試験結果は、その日のうちにすべて集計された。
学生たちが寮へ戻り、演習場が静けさを取り戻した頃、評価官と教官たちは別室に集められていた。
長机の上には、個別の評価表と魔力測定記録、刻印安定度の数値が並んでいる。
「まずは全体傾向からだが……今年は、粒は揃っている」
一人の教官が言い、資料をめくる。
「突出した者が少ない代わりに、基礎水準は高い。学科も実技も、平均値が例年より上だ」
「例外は?」
そう問われ、数名が同じ名前に視線を落とした。
「……マティルナ・ロウェル」
記録板が指で叩かれる。
「威力、魔力量、ともに計測限界超過」
「刻印の安定率は高い。暴走兆候なし」
「一方で、効率調整課題は未達」
淡々と読み上げられる評価。
誰かが、短く息を吐いた。
「相変わらずだな」
「ええ。前回の実地でも、同じ傾向でした」
別の教官が頷く。
「抑えようとすると崩れる。だが、全開では極めて安定している」
「普通は逆なんだが……」
その言葉に、室内に小さな苦笑が広がった。
「制御能力が低いわけではない。ただ、“制御の方向性”が極端だ」
「出力を前提にした構造しか、身体が覚えていない」
「つまり――」
「矯正すれば伸びるか、壊すか、どちらかだな」
その一言で、空気が引き締まる。
「現時点では、どう扱う?」
主任教官が問う。
「特別扱いは不要です」
即座に返したのは、先ほどの評価官だった。
「成績はそのまま反映する。優秀だが、満点ではない」
「本人にも、同じ評価を伝えるべきでしょう」
「同感だ」
「今は、まだ“素材”の段階だ」
評価表の束が、整えられる。
そこに記された総評は、簡潔だった。
――学科:安定、理解度良好
――実技:出力・魔力量突出
――課題:効率制御、応用調整
過不足のない言葉。
称賛も、警戒も、過度には含まれていない。
その頃、マティルナは寮の自室で、制服の上着を椅子に掛けていた。
机の上には、学科試験の問題用紙と、実技評価の控えが並んでいる。
まだ正式な通知ではないが、結果はだいたい分かっていた。
「……やっぱり、そうなるよね」
小さく呟く。
威力と魔力量。
それが評価されるのは、分かっている。
同時に、それだけでは足りないことも。
ベッドに腰掛け、天井を見上げる。
(抑える、か……)
何度も言われてきた言葉だ。
だが、頭で分かっていても、身体が言うことを聞かない。
刻印に触れた瞬間、魔力は“出る前提”で動いてしまう。
それが、自分なのだ。
翌日からは、通常授業に戻る。
学科も、演習も、これまでと変わらない。
ただ一つ変わったのは――自分が、確実に見られる立場になったという感覚だけだった。
評価はまだ途中。
結論は、出ていない。
試験後、追加の授業はなかった。
評価の集計は教官側で行われ、学生たちはそのまま解散となる。
演習場から校舎へ戻る流れもなく、正門へ向かう道に人がばらけていった。
マティルナも荷物を整え、校舎を出る。
風は穏やかで、試験の余熱だけが体に残っていた。
「――相変わらずだね」
声をかけてきたのは、エリナだった。
少し困ったような、でもどこか誇らしげな笑み。
「また、基準を動かしたでしょ」
「そんなつもりは……ないんだけど」
マティルナは肩をすくめる。
そこにカミラが合流する。
「いや、動いてたな。完全に」
腕を組み、軽く息を吐いた。
「実技、見てる側が一番疲れるやつだ」
「疲れる……?」
「“次はどうなるんだ”って思わされるからな」
最後に、少し遅れてリヒトが並ぶ。
視線は前を向いたまま、淡々と口を開いた。
「実技は、想定通りだった」
それだけ言って、一拍置く。
「……学科は?」
問いは、率直だった。
「平均よりは上。たぶん」
マティルナは正直に答える。
「得意ってほどじゃない」
「十分だろ」
カミラが即座に言う。
「実技あれで、学科も落とさないとか反則だ」
エルナが小さく頷く。
「私は学科はそこそこ、実技は……まあ、無難かな」
「効率評価、ぎりぎり」
「私も似たようなものだ」
カミラが続ける。
「出力は抑えたけど、その分迫力はなかった」
リヒトは少し考えるようにしてから言った。
「学科は問題ない。実技も評価基準内だ」
「突出はしないが、減点もない」
その言い方に、マティルナは小さく笑う。
「らしいね」
「それでいい」
リヒトは短く答えた。
正門が近づくにつれ、学生たちはそれぞれの帰路へ散っていく。
試験は終わった。
だが、結果はまだ出ていない。
数値と評価が、どうまとめられるのか。
それが、次に何を呼ぶのか。
マティルナは空を見上げ、静かに息を吐いた。
ふいに、周囲の空気がわずかに揺れる。
伝令用の精霊が、複数同時に展開された合図だった。
マティルナの視界に、淡い光の板が浮かび上がる。
それは彼女だけではなく、周囲の学生全員の前に現れていた。
「……一斉通知だね」
エルナが足を止め、同じ光を見つめる。
内容は簡潔だった。
『二日後、模擬ダンジョン演習を実施する』
『内容:大型モンスター討伐訓練』
『形式:班単位』
『備考:班編成に変更なし』
ざわ、と小さな波が起こる。
だが悲鳴や不満はなく、どこか納得したような空気が流れた。
「やっぱり来たか」
カミラが短く言う。
「個人試験の次は、そりゃこれだよな」
「大型、って書いてある……」
エルナは少しだけ表情を引き締めた。
「本格的だね」
リヒトは通知を読み終えると、静かに頷いた。
「順当だ」
「前回の模擬ダンジョンの続き、と考えていい」
その言葉に、マティルナは小さく息を吐く。
前回の模擬ダンジョン。
班として初めて、はっきり役割を決めて動いた訓練。
「役割も……同じでいいよね」
エルナが、少し様子を窺うように言う。
「変える理由はない」
リヒトが即答する。
「前衛は私とカミラ」
「マティルナが中距離火力」
「エルナが補助と調整」
「了解」
カミラは軽く肩を回す。
「正直、その形が一番やりやすい」
マティルナは、その会話を聞きながら胸の奥で思う。
(……また、撃つタイミングを測る役だな)
前に出すぎず。
遅れすぎず。
班の動きに合わせて、必要な一撃を入れる。
以前なら、少し不安になっていたかもしれない。
威力を出しすぎないか。
巻き込まないか。
判断が遅れないか。
けれど――今は違った。
(……みんながいるなら、大丈夫)
前で止めてくれる剣がある。
無理をすれば声をかけてくれる仲間がいる。
一人で全部を背負う必要はない。
その感覚が、自然に胸に根付いていた。
「二日後か」
エルナが言う。
「準備期間、ちょうどいいね」
「装備点検と調整だな」
カミラが頷く。
「大型相手だと、消耗もでかい」
「当日は、開始前に一度集まろう」
リヒトが提案する。
「動きの確認だけでいい」
「うん」
マティルナも頷いた。
「それがいい」
正門が見えてくる。
学生たちは、それぞれ通知を胸に刻みながら散っていく。
日常は続いている。
だが、その先には確実に次の訓練が待っている。
二日後。
模擬ダンジョンでの大型モンスター討伐。
マティルナは、空を見上げて静かに息を吐いた。
不安は、ない。
緊張も、ほどよい。
「……よし」
小さく呟き、歩き出す。
次は、班としての戦いだ。




