19 指名依頼
その日の授業は、いつも通りに始まった。
黒板に書かれる内容も、講師の口調も、変わらない。
マティルナは席に座り、ノートを取りながら、ふと周囲を見回した。
――特に、変わった様子はない。
冒険者登録を終えたからといって、学校の空気が変わるわけではなかった。
誰かが噂話をするでもなく、教師の視線が集まるでもない。
少なくとも、表向きは。
午前の講義が終わり、昼前の休憩に入った、その時だった。
「マティルナ・ロウェル」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
教室の扉のところに、教務係の職員が立っていた。
その後ろには、もう一人。
「カミラ・ヴァイス」
「エルナ・フィオラ」
「……リヒト・アルヴァインも」
一人ずつ、名前が呼ばれる。
周囲が、わずかにざわついた。
班全員。
しかも、貴族の名まで含まれている。
理由は、聞かなくてもわかる。
「――冒険者登録、だね」
エルナが、小声で言った。
「たぶん」
マティルナは頷く。
廊下を歩きながら、リヒトが静かに口を開いた。
「登録後の説明だろう。制度上、学校とギルドは連携している」
「……やっぱり、ちゃんと話が来るんだ」
カミラが、少しだけ肩をすくめた。
連れて行かれた先は、職員棟の会議室だった。
普段は使われない、小さめの部屋。
中には、講師が二名。
そして、見慣れない制服の人物が一人――冒険者ギルドの担当者だと、すぐにわかった。
「座ってくれ」
促され、四人は並んで椅子に腰掛ける。
まず、確認が行われた。
冒険者登録が正式に完了していること。
刻印の付与が済んでいること。
班単位での行動が前提であること。
形式的な確認が終わると、話は本題に入った。
「――学校と冒険者ギルドの関係について説明する」
講師の声は、淡々としている。
「君たちは、学生だ。同時に、登録冒険者でもある」
黒板に、簡単な図が描かれた。
学校。
ギルド。
その間をつなぐ、一本の線。
「基本的に、学生が受ける依頼は“指名”のみだ」
そこで、カミラが小さく眉を動かした。
「個人での依頼受注は、原則禁止」
講師は、はっきりと言い切る。
「理由は単純だ。安全管理と、教育課程の都合だ」
続けて、重要な点が告げられる。
「授業のある日に、ギルドから指名依頼が入った場合」
マティルナは、無意識に背筋を伸ばした。
「その依頼が完了するまでの期間、学校の授業は免除される」
エルナが、小さく息を呑む。
「ただし」
間髪入れず、条件が付け加えられた。
「依頼を達成した場合、その期間は単位として認められる」
「失敗した場合は?」
リヒトが、静かに尋ねる。
「内容と状況による。軽微な失敗であれば補習。重大な問題があれば、別途対応だ」
甘くはない。
だが、理不尽でもない。
「これは“特例”だ」
講師は、はっきりと言った。
「誰にでも適用される制度ではない。指名依頼だからこそ、だ」
その言葉が、部屋に落ちる。
マティルナは、胸の奥が少しだけ重くなるのを感じた。
――指名。
それは、選ばれるということだ。
同時に、見られているということでもある。
説明は、一通り終わった。
最後に、ギルドの担当者が一歩前に出る。
「では、本題だ」
その一言で、空気が変わった。
「君たちの班宛に――」
わずかに間を置いてから、告げられる。
「すでに、指名依頼が来ている」
会議室が、静まり返った。
マティルナは、息を整えながら、思った。
――来た。
冒険者になった、その続きを。
ここから先は、授業ではない。
短い沈黙のあと、ギルドの担当者が資料を机に置いた。
紙が重なる、乾いた音。
「指名依頼の内容だが――」
その声は淡々としていて、妙に現実的だった。
「日中の門番、臨時交代員」
一瞬、間が空く。
「……門番?」
エルナが、小さく復唱する。
冒険者の依頼、と聞いて想像していたものとは、ずいぶん違った。
討伐でも、護衛でもない。
「期間は一日。朝の交代から、夕方の引き継ぎまで」
担当者は、淡々と説明を続ける。
「通常は、町の常設警備が担当するが、人員不足が出た。今回は訓練も兼ねて、学生冒険者の班を指名した」
その言葉に、カミラが腕を組む。
「危険度は?」
「低い。ランクで言えばE相当」
はっきりとした答えだった。
「ただし」
そこで、少しだけ声音が変わる。
「“何も起きない”とは限らない」
門。
町の出入口。
人も、物も、情報も、必ず通る場所。
「仕事内容は三つ」
担当者は指を立てる。
「一つ。入退町者の確認。身分証、刻印、許可証の確認補助」
「二つ。不審者・不審物の報告。対応は常設警備が行う。君たちは“止めない”」
「三つ。緊急時の初動連絡」
止めない。
戦わない。
その言葉に、マティルナは内心で少し安堵した。
「戦闘行為は原則禁止。正当防衛の範囲を除き、武器の使用は認められない」
銃を使う場面は、まずない。
――良かった、と思ってしまった自分に、マティルナは気づく。
まだ、どこかで線を引いている。
担当者は、視線を四人に巡らせた。
「今回の依頼は、“観察される側”になる依頼だ」
その言葉に、リヒトが静かに目を細める。
「町の人間。商人。旅人。冒険者。警備兵」
「彼らから見て、君たちはどう見えるか。それも評価対象になる」
エルナは、慌ててメモを取り始めた。
内容だけでなく、言い回しまで丁寧に書き留めている。
「服装は学校指定の軽装。武装は最小限」
「交代は三人一組が基本だが、今回は班単位で一枠を任せる」
つまり――
四人全員が、同じ門に立つ。
「担当時間中は、学校の授業は免除される」
講師が補足する。
「依頼終了後、簡単な報告書を提出。これが単位認定の根拠になる」
実習。
だが、実戦ではない。
「質問はあるか」
そう言われて、少しの沈黙。
最初に口を開いたのは、エルナだった。
「……危険があった場合、本当に、下がっていいんですか?」
担当者は、即答した。
「いい。むしろ、下がれ」
強い言葉だった。
「君たちの役目は“守る”ことではない。“繋ぐ”ことだ」
繋ぐ。
報告し、呼び、場を保つ。
カミラが、少し考えるように言う。
「つまり、判断ミスの方が危険?」
「その通り」
早とちり。
過剰反応。
独断。
どれも、門という場所では致命的になりうる。
リヒトが、短く頷いた。
「理解した」
それを見て、担当者は少しだけ表情を和らげた。
「時間帯は朝の鐘から、夕方の鐘まで」
「昼食は交代制。常設警備と調整済みだ」
淡々と説明は続く。
仕事としては地味だ。
だが、責任は軽くない。
説明が終わり、資料が配られる。
エルナはすでに、自分のメモと照らし合わせていた。
「……意外と、やること多いね」
小さく呟く。
「冒険者って、こういうのもやるんだな」
カミラが、少し感心したように言った。
マティルナは、資料を見下ろしながら、胸の奥にじわりと広がる感覚を感じていた。
――撃たない仕事。
――立って、見る仕事。
それは、これまでとはまったく違う形の“役割”だった。
「以上が依頼内容だ」
担当者は言った。
「受諾するかどうかは、班で決めていい。ただし――」
一瞬、言葉を切る。
「これは指名依頼だ。断れば、理由は記録に残る」
脅しではない。
事実の提示。
四人の間に、静かな緊張が走った。
エルナは、メモを取り終え、顔を上げる。
「……ちゃんと、話し合おう」
マティルナは、小さく頷いた。
これは、戦う依頼じゃない。
でも――冒険者として、初めて“町の前に立つ”依頼だった。
説明が終わり、担当者と講師が一歩下がる。
「……では、班で相談を」
そう言われて、四人は部屋の隅へ移動した。
といっても、顔を寄せてひそひそ話す、というほどでもない。
距離は近いが、声は普通。
すでに――答えは、全員の中にあった。
「どうする?」
最初に口を開いたのは、カミラだった。
問いかけではあるが、迷いはない。
エルナは、手元のメモを見返しながら、静かに言う。
「危険度は低い。禁止事項も明確。評価も授業単位に直結」
指で紙をなぞりながら、整理するように続ける。
「断る理由、特にないと思う」
リヒトも、短く頷いた。
「門番は、戦闘より判断を見る仕事だ」
それは、彼自身の価値観にも合っているのだろう。
前に出て斬るより、止める、見極める。
マティルナは、三人の顔を順に見た。
自分だけが、少し違う視点を持っている気がした。
「……撃つ場面、ほぼないよね」
「ない」
カミラが即答する。
「むしろ、撃ったら問題になる」
それを聞いて、マティルナは少し肩の力を抜いた。
安心、と言っていいのかはわからない。けれど――。
自分が“使わなくていい役割”を、班がちゃんと理解している。
それが、嬉しかった。
「町の人から見られるのは、ちょっと緊張するけど……」
エルナが、小さく笑う。
「でも、演習よりは落ち着いてできそう」
門。
町の顔。
そこに立つ、ということは――。
自分たちが、見られる側になるということだ。
「変に目立たなきゃいい」
カミラが言う。
「いつも通りで」
その言葉に、マティルナは小さく息を吐いた。
いつも通り。
それは、銃を構えることではない。
撃つことでもない。
立つ位置。
見る方向。
声を出すタイミング。
そういう、“当たり前”を守ること。
リヒトが、静かに口を開く。
「これは、班として受ける最初の仕事だ」
誰も反論しない。
「なら、なおさら」
彼は、マティルナを一度だけ見てから、続けた。
「受けるべきだ」
それで、決まった。
議論は、そこまでだった。
「……じゃあ」
マティルナが言う。
「受けよう」
誰も驚かない。
誰も迷わない。
カミラは、軽く肩を回した。
「朝から夕方までか。意外と長いな」
「立ちっぱなしは、足にくるよ」
エルナが実務的に返す。
「交代の仕方、ちゃんと決めよう」
すでに、次の段階に入っている。
リヒトは、担当者の方を向いた。
「受諾する」
その声は、はっきりしていた。
担当者は、頷き、記録に印をつける。
「了解した」
それだけで、手続きは進む。
大仰な演出はない。
達成感も、まだない。
だが――マティルナは、胸の奥に、静かな実感が生まれるのを感じていた。
これは、戦いじゃない。
でも。
冒険者として、町の中に踏み出す一歩だ。
銃を構えず。
剣を抜かず。
それでも、班として立つ。
その重さを、四人は同じように感じていた。
受諾の意思が伝えられると、部屋の空気がわずかに緩んだ。
担当者は書類をまとめ、淡々と告げる。
「では、詳細はギルド側から改めて通達する。集合時間、配置、注意事項――すべて当日朝に確認してもらう」
講師も一歩前に出た。
「今回の依頼は、単位取得対象だ」
その一言で、場が少しだけ現実に引き戻される。
「成功すれば問題ない。失敗した場合は補習になるが……」
一瞬、言葉を区切る。
「門番の交代要員という性質上、よほどのことがない限り“失敗”にはならない」
過度な圧をかけない、現実的な説明だった。
「ただし」
講師の視線が、四人を順に捉える。
「“勝手な判断”は減点対象だ。ギルドの指示、町の規則、すべてを優先しろ」
「はい」
四人の返事が、自然に揃った。
それを見て、講師はわずかに目を細める。
「……いい班だ」
それ以上の言葉はなかった。
呼び出しは、それで終わった。
廊下に出ると、いつもの学校の音が戻ってくる。
話し声、足音、遠くの笑い声。
ついさっきまでの話が、夢だったようにも感じられる。
「門番、か……」
カミラが、少しだけ首を傾げた。
「思ってた冒険者像と、だいぶ違うな」
「最初は、こんなものかも」
エルナが、穏やかに答える。
「町の中を守るのも、冒険者の仕事だって聞いた」
リヒトは、周囲を見渡してから言った。
「外に出る前に、内側を知る」
彼らしい言葉だった。
マティルナは、少し遅れて歩きながら、その会話を聞いていた。
自分が“役割を持って呼ばれた”という事実だけが、はっきりと残っている。
試験でもない。
演習でもない。
町の門に立つ。
誰かが通り、誰かが帰ってくる場所。
「……緊張、してる?」
エルナが、横から小さく聞いてきた。
「少し」
マティルナは、正直に答えた。
「でも、悪くない」
カミラが笑う。
「じゃあ、大丈夫だ」
リヒトも、短く頷いた。
「準備はできている」
そう言われて、マティルナは思う。
確かに、自分一人なら不安だった。
銃を持って立つ場所として、門はあまりに“開かれている”。
けれど――。
今は、班がいる。
撃たない判断を、共有できる仲間がいる。
それで、十分だった。
「じゃあ」
カミラが言う。
「当日は、寝坊禁止な」
その一言で、全員が小さく笑った。
冒険者としての最初の仕事は、
派手な戦いでも、危険な探索でもない。
ただ、立つこと。
見ること。
判断すること。
その重さを、四人はそれぞれ胸に抱えながら――。
いつも通りの学校の廊下を、並んで歩いていった。




