1 初登校とランク評価試験
魔法学校の正門は、思っていたよりも現実的だった。
白い石造りの門柱に、最低限の結界刻印。装飾は多いが、神殿のような威圧感はない。
けれど、その前に立つ生徒たちの雰囲気が、ここが「選別される場所」だと無言で語っていた。
――やっぱり、場違いだな。
マティルナは制服の袖を軽く引き、門をくぐる。
周囲には、家紋を刺繍した外套を羽織る者、明らかに高価な魔導具を身につけた者、召喚獣の気配を隠そうともしない者たちがいる。
貴族。名家。代々魔法を受け継いできた血筋。
町人家庭出身の自分とは、最初から立っている地面が違う。
それは刻印式の前から分かっていたことだ。
――ランクは低くていい。普通でいい。
あの事故さえなければ、そうなっていたはずだった。
入学刻印式。
生涯に一度きりの儀式。召喚能力と将来の役割を決める、人生の分岐点。
そこで自分が「火縄銃」を呼び出した瞬間の、あの静まり返った空気。
爆音。白煙。測定器の沈黙。
思い出すだけで、胃の奥がきゅっと縮む。
「……」
校舎へ向かう廊下で、視線を感じた。
ひそひそ声。
値踏みするような目。
好奇心と警戒が入り混じった、刺さるような感覚。
――ああ、もう広まってるんだ。
刻印事故。
体系外召喚。
測定不能。
噂にならないはずがない。
マティルナは気づかないふりをして歩き続ける。
俯かない。急がない。逃げない。
教室に入ると、さらに空気が変わった。
一瞬の静寂。次いで、ざわりと広がる波。
自分の席は、後方の窓側。
そこへ向かうまでの数歩が、妙に長く感じられた。
「……あの子?」
「刻印事故の……」
「変な武器、って本当?」
聞こえないふりをする。
聞こえてしまった事実ごと、心の端に追いやる。
席に座ると、ようやく息が整った。
――今日やるのは、基礎とランク試験の説明だけ。
実技はあるが、最初は簡単な召喚確認。
大丈夫。撃つ必要はない。
そう思った、その時だった。
教室の前扉が開き、試験官が入室する。
静まり返る室内。
「本日は初登校日だが、例外なく召喚実技の確認を行う」
淡々とした声。
マティルナは、内心で小さくため息をついた。
――逃げ場、ないよね。
彼女はまだ知らない。
この一日が、「普通」でいられる最後の時間になることを。
「では、順に前へ」
試験官の指示で、生徒たちは一人ずつ教壇前に立っていく。
最初は貴族らしい、いかにも模範的な召喚だった。
光の陣から現れる細身の剣。
属性が安定した杖。
小型ながら完成度の高い召喚獣。
教室には、安心したような空気が流れている。
魔法学校において「正しい召喚」とは、こういうものだという共通認識があった。
「魔力制御、良好」
「召喚定着、問題なし」
試験官は淡々と評価を口にする。
生徒たちは胸を張り、席へ戻っていった。
――みんな、ちゃんとしてる。
マティルナはそれを眺めながら、指先に意識を向ける。
刻印は、前腕。布越しでも、微かに熱を持っているのが分かった。
自分の番が近づくにつれ、空気が変わる。
期待というより、警戒。
楽しみというより、観察。
視線が集まってくるのが、はっきり分かった。
「次、マティルナ・ロウェル」
名前を呼ばれ、教室が一瞬、静まり返る。
――はいはい。
立ち上がり、前へ出る。
不思議と足は震えなかった。
教壇に立つと、試験官が一瞬だけ視線を細めた。
刻印式の報告書を、すでに読んでいる顔だ。
「召喚対象を」
「……はい」
深呼吸はしない。
いつも通り、刻印に魔力を流すだけ。
展開した魔法陣は、やはり歪んでいた。
円がわずかに楕円で、刻印文字の配置も不自然。
教室の後方から、ざわめきが起こる。
そして。
光の中から現れたのは、黒く、無骨な筒状の物体だった。
「……?」
誰かが、間の抜けた声を漏らす。
木製の銃床。
鉄製の銃身。
引き金と火皿。
――火縄銃。
魔法道具でも、武装召喚でもない。
この世界の体系に存在しない、異物。
「それが……」
「噂の……」
ひそひそ声が広がる。
試験官は沈黙したまま、じっとそれを見つめていた。
困惑と、明確な警戒。
「……実演は可能か?」
一拍置いて、そう問われる。
マティルナは、少しだけ考えた。
――やらないと、終わらないよね。
「はい。標的があれば」
教室の壁際に、訓練用の木製標的が設置される。
距離は短い。安全結界も展開された。
「一発のみだ」
「分かっています」
火縄に意識を通し、魔力を流す。
自然に、やり方が分かる。
狙いを定め、引き金を引いた。
――轟音。
破裂するような音と共に、白煙が教室を包んだ。
次の瞬間、標的は中心から粉砕されていた。
誰も、言葉を発せなかった。
煙の向こうで、試験官が硬直している。
測定器は、相変わらず沈黙したまま。
「……中断」
低い声が、ようやく響いた。
「マティルナ、こちらへ」
別室を指示される。
背中に、無数の視線を感じながら、彼女は教室を後にした。
――やっぱり、普通じゃなかったか。
そう思いながらも、不思議と後悔はなかった。
別室は、思ったよりも狭かった。
石壁に囲まれた簡素な会議室。
机と椅子が三脚、壁際には魔力測定器と記録用の水晶板が置かれている。
マティルナは勧められるまま椅子に腰を下ろした。
向かいには、先ほどの試験官と、追加で呼ばれたらしい年配の講師が二人。
重たい沈黙。
「……刻印事故の詳細は把握しているな?」
最初に口を開いたのは、白髪の講師だった。
「はい」
「召喚対象は、あの武器のみか?」
「今のところは」
質問は淡々としているが、視線は鋭い。
調査対象を見る目だ。
机上に、測定器の記録が映し出される。
数値は跳ね上がった直後、すべてが空白になっていた。
「魔力量は高い。だが、属性反応が一致しない」
「召喚物も既存の分類に当てはまらない」
もう一人の講師が、苦々しげに続ける。
「……正直に言おう。評価ができん」
その言葉に、マティルナは小さく瞬きをした。
「危険性は?」
「ある。だが制御不能ではない」
「少なくとも、本人の魔力制御は安定している」
試験官がそう補足する。
議論は、しばらく続いた。
「事故刻印として管理するか」
「特別観察対象にするか」
「実技制限を設けるか」
だが、結論は出ない。
既存の制度が、彼女を想定していないのだから当然だった。
「当面は――」
白髪の講師が、重く言い切る。
「正式ランクは最低位に据え置く。
評価不能、ランクI扱いだ」
マティルナは、静かに頷いた。
――別に、予想通り。
高く評価されたいわけでも、特別扱いされたいわけでもない。
ただ、学べればいい。それだけだ。
「教室に戻りなさい」
「今後の扱いは、改めて通達する」
扉が開き、廊下の空気が流れ込む。
教室へ戻った瞬間、視線が突き刺さった。
好奇。
恐れ。
そして、明確な距離。
さっきまでとは、明らかに違う。
誰も話しかけてこない。
けれど、誰も目を離さない。
席に着き、前を向く。
――やっぱり、変だったか。
そう思いながらも、不思議と心は落ち着いていた。
評価されなくてもいい。
分かられなくてもいい。
ただ、この力は――自分のものだ。
実技試験は、そのまま再開された。
マティルナの後に続く生徒たちは、皆どこか落ち着きを欠いていた。
召喚の詠唱に詰まり、魔法陣の線が揺れ、失敗する者も出る。
爆音と煙が、まだ教室に残っている。
だが、誰もそれに触れようとはしなかった。
試験官は淡々と進行し、名前と結果だけを読み上げていく。
ランクII、ランクIII。
期待通りの結果に安堵する声、落胆するため息。
マティルナの名前は、最後まで呼ばれなかった。
試験が終わり、講師が簡単な総評を述べる。
「本日の結果は、後日正式に掲示する」
「各自、今日は解散だ」
椅子が引かれ、教室がざわつく。
誰かが彼女に近づきかけ、しかし足を止める。
マティルナは鞄を持ち、静かに立ち上がった。
廊下に出ると、外の光が思ったより眩しい。
――最低ランク。
その言葉を、頭の中でなぞる。
けれど、不思議と重さはない。
自分は、自分の刻印を選んだわけではない。
けれど、与えられたものをどう使うかは、自分で決められる。
火縄銃の重みを、掌の感覚で思い出す。
引き金の感触。
撃つ瞬間の、迷いのなさ。
あれは、嘘じゃない。
校舎の外で、風が吹いた。
「……まあ、いいか」
小さく呟いて、マティルナは歩き出す。
評価されない位置で。
誰にも分類されないまま。
それでも、確かに前へ進むために。




