表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
刻印式でくしゃみ事故に遭ったら、銃しか召喚できない【判定不能:ランクI】でした。  作者: 仲村千夏


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/39

18 休日

 朝の光は、平日よりも少しだけ優しかった。


 カーテン越しに差し込む淡い陽射しが、部屋の床に細い帯を作っている。

 鳥の鳴き声。遠くで誰かが扉を開ける音。

 学校の鐘も、集合の気配もない。


 マティルナは、布団の中で小さく息を吐いた。


「……休み、だ」


 口に出して、ようやく実感が湧く。


 平日は、起きた瞬間から頭のどこかが張り詰めている。

 講義、演習、模擬戦、班の動き。

 銃を使う以上、いつも“次”を考えていなければならなかった。


 けれど今日は違う。


 弾数も、間合いも、結界もない。

 ここは自分の家で、今日はただの休日だ。


 マティルナはゆっくりと上体を起こし、伸びをする。

 寝癖のついた髪が肩に落ち、視界の端で揺れた。


 小さな机の上には、昨日のまま置かれた教科書とノート。

 その隣に、丁寧に畳まれた制服。


 ――今日は着ない。


 そう思うだけで、少し気が楽になる。


 着替えを済ませ、部屋を出ると、家の中には朝の匂いが満ちていた。

 焼き立てのパンと、温めたミルクの甘い香り。


「おはよう、マティルナ」


 台所から、母の声がする。


「おはよう」


 返事をしながら、マティルナはエプロンを取った。

 これは、いつもの流れだ。


「今日は手伝うよ」


「助かるわ」


 母は笑って、鍋を指差す。


「スープを混ぜてくれる?」


 木のスプーンを受け取り、鍋を覗き込む。

 野菜が柔らかく煮込まれていて、湯気がふわりと立ち上る。


 ぐるり、ぐるりと混ぜながら、マティルナはふと思う。


 ――こういう時間、久しぶりかもしれない。


 学校に入ってから、休日も演習や自主練で潰れることが多かった。

 家にいても、頭の中では戦いのことを考えていた。


 母は、そんなマティルナを横目で見ながら、さりげなく言う。


「最近、忙しそうね」


「うん……ちょっと」


「大変?」


 その問いに、マティルナは少しだけ迷ってから答えた。


「……楽しい、よ」


 嘘ではなかった。


 怖いこともある。

 難しいことも多い。


 けれど、自分の居場所がある。

 頼れる仲間がいる。


 母は、その答えに満足したのか、深くは追及しなかった。


「じゃあ、今日はゆっくりしなさい」


「買い物もあるし、手伝ってもらうけどね」


「うん」


 朝食は、いつもよりゆっくりだった。


 慌てて食べる必要もなく、会話も途切れない。

 町の噂。市場の話。近所の人の話。


 学校とはまるで違う、穏やかな時間。


 食器を片付け終えたあと、マティルナは一度自室に戻る。


 銃は、召喚していない。

 銃剣も、今日は手に取らない。


 代わりに、肩掛けの鞄を手にする。


「じゃあ、行ってくるね」


「気をつけて」


 母の声を背に、家の扉を開ける。


 外は、休日らしい空気に満ちていた。

 通りを歩く人の数も、どこかゆったりしている。


 ――今日は、学校じゃない。


 そう思いながら、マティルナは市場へ向かって歩き出した。


 この一日は、まだ始まったばかりだ。


 市場は、朝よりも少し賑わっていた。


 露店の呼び声。

 野菜を選ぶ人の笑い声。

 焼き菓子の甘い匂いが、通りに漂っている。


 マティルナは、母の隣で籠を持ちながら歩いていた。


「じゃがいもは、これくらいでいいかしら」


「うん、それで」


 返事をしながらも、目はつい周囲を見回してしまう。

 人混みの中にいると、自然と“周囲確認”の癖が出る。


 ――いけない。


 今日は休日だ。


 マティルナは、意識して肩の力を抜いた。


「……最近、姿勢がいいわね」


 母が、ふとそんなことを言う。


「え?」


「前は、もう少し猫背だった気がするんだけど」


 言われて、マティルナは自分の背筋を意識した。


 確かに、伸びている。

 剣の踏み込みを止める位置。

 銃を構えるときの軸。


 全部、無意識に身についている。


「……学校で、色々やるから」


「訓練?」


「うん」


 それ以上は、詳しく話さなかった。

 話せば話せるけれど、全部を伝える必要はない。


 母も、それを察してか、深くは聞いてこない。


 次に立ち寄ったのは、布地の店だった。


「新しい服、いる?」


「……今のので、足りてる」


 即答すると、母は少し困った顔をする。


「そう言って、ずっと同じの着てるじゃない」


「動きやすいし」


「そればっかり」


 小さく笑いながら、母は棚を指差した。


「これは?」


 淡い色合いの、シンプルな服。

 装飾は少ないが、仕立てがいい。


 マティルナは、しばらくそれを見つめてから言った。


「……それなら、いいかも」


 戦うための服ではない。

 けれど、“普通の時間”を過ごすための服。


 そういうものも、必要だと――最近、少しだけ思うようになった。


 買い物を終え、昼前には家へ戻った。


 昼食の準備も、マティルナが手伝う。

 野菜を切り、パンを温め、食卓を整える。


 包丁を持つ手つきは、銃剣とはまるで違う。

 それでも、刃物を扱う慎重さは共通していた。


「……本当に、変わったわね」


 母が、ぽつりと言う。


「いい意味で、よ」


 その言葉に、マティルナは少しだけ照れた。


「……班の人たちが、ちゃんとしてるから」


「班?」


「うん。四人で動くの」


 思い浮かぶ顔が、自然と浮かぶ。


 冷静で現実的なカミラ。

 控えめだけど、周囲をよく見ているエルナ。

 静かで、よく考えているリヒト。


 そして、自分。


「みんな、強いよ」


 その言葉は、少し誇らしかった。


 昼食後、食器を片付けたあと、マティルナは居間の椅子に腰を下ろす。


 窓から入る光が、ゆっくりと床を移動している。


 静かだ。


 学校では、常に誰かの声や音がある。

 魔法の気配。

 剣の風切り音。

 銃声――は、まだ珍しいけれど。


 それらがない空間は、どこか落ち着かない。


 マティルナは、ぼんやりと天井を見上げた。


 模擬戦。

 ダンジョン。

 冒険者登録。


 思い返すと、ここ最近の出来事は濃すぎる。


 ――守られてたな。


 ふと、そんな考えが浮かぶ。


 一対一のときは、否応なく自分で戦う。

 でも、班で動くときは違う。


 前に出てくれる人がいる。

 間を作ってくれる人がいる。

 背中を預けられる。


 それは、心強い。

 同時に、少しだけ――引っかかる。


 マティルナは、無意識に自分の手を見る。


 何も持っていない手。


 銃も、銃剣も、今日はここにない。


「……」


 そのまま、しばらく何もせずに過ごした。


 午後になれば、また別の時間が流れ始める。

 この休日は、まだ続いている。


 静かな違和感を、胸の奥に抱えたまま。


 午後の陽射しは、昼とは少し違っていた。


 窓から差し込む光は柔らかく、影も長い。

 家の中にいると、時間がゆっくり伸びていくように感じられる。


 マティルナは、居間の床に座り、布を広げていた。


 午前中に買った服。

 まだ洗ってもいない、折り目の残る布。


 指で触れると、思ったよりも柔らかい。


「……動きにくくは、なさそう」


 誰に聞かせるでもなく、独り言がこぼれる。


 戦闘用の装備ではない。

 けれど、日常を過ごすには十分だ。


 そのことに、少しだけ安心した。


 しばらくして、母が声をかけてくる。


「これ、たたむの手伝ってくれる?」


「うん」


 洗濯物を一緒にたたむ。

 布と布を重ね、角を揃える。


 単調な作業は、考えごとを呼び起こす。


 ――銃剣だけで、いいのかな。


 自衛用の武器。

 冒険者として動くなら、最低限の備え。


 カミラからもらった銃剣は、信頼できる。

 近接で使えるし、いざとなれば“持っている”という安心感もある。


 でも。


 模擬ダンジョンでは、どうだったか。


 前に立っていたのは、リヒト。

 横を支えていたのは、カミラ。

 後ろから補助してくれたのは、エルナ。


 自分は――決める一撃を撃っただけ。


「……」


 その事実が、重くも軽くもないまま、胸に残る。


 守られていた。

 それは、事実。


 嫌ではない。

 むしろ、ありがたい。


 けれど、それだけでいいのかは、まだ分からない。


 洗濯物をたたみ終え、母が台所へ戻ると、家はまた静かになる。


 マティルナは、窓辺に寄り、外を眺めた。


 通りを歩く人。

 子どもの笑い声。

 遠くで鳴る鐘の音。


 学校とは、別の世界。


 ここでは、銃も、ランクも、評価も関係ない。


 それでも、頭の中では自然と整理が始まってしまう。


 一対一なら、撃たざるをえない。

 距離を詰められれば、刃を使うしかない。


 でも、班で動くなら。


 自分は、どこまで前に出るべきなんだろう。


 銃は強い。

 けれど、弾数は限られている。


 銃剣はある。

 でも、専門ではない。


「……もう少し、考えよう」


 答えを出すには、まだ早い。


 夕方になり、母が夕食の支度を始める。

 香ばしい匂いが、家に広がる。


 マティルナも、自然と手伝いに入った。


「学校、楽しい?」


 唐突な質問。


「……うん」


 少し考えてから、答える。


「前より」


「それは、よかった」


 母は、それ以上何も言わなかった。

 けれど、その声には、確かな安堵があった。


 食事を終え、後片付けをして、日が沈む。


 夜の気配が、家を包む。


 マティルナは、自分の部屋に戻り、ベッドに腰掛けた。


 今日は、戦っていない。

 撃ってもいない。


 それでも、頭はよく動いた。


 銃剣を持つ自分。

 銃を撃つ自分。

 仲間の後ろにいる自分。


 どれも、自分だ。


 どれか一つに決める必要は、まだない。


 ゆっくりでいい。


 この休日は、そう教えてくれている気がした。


 マティルナは、灯りを落とし、布団に潜り込む。


 外では、夜風が静かに吹いていた。


 明日も、きっと――続いていく。


 静かで、さわさわとした時間の先へ。


 部屋の灯りを落とすと、世界が一段、静かになった。


 窓の外には、夜。

 遠くで誰かが歩く音と、風に揺れる木の葉の擦れる音だけが聞こえる。


 マティルナは、布団の中で仰向けになり、天井を見つめていた。


 今日は、何も起きなかった。


 戦闘もない。

 演習もない。

 誰かに評価されることもない。


 ただ、起きて、手伝って、話して、考えて、眠るだけ。


 それなのに、不思議と心は満たされていた。


 ――守られていたこと。


 それを、改めて思い出す。


 模擬戦でも。

 ダンジョンでも。


 自分は、いつも誰かの後ろか、間にいた。


 それを「弱い」とは、もう思わない。


 班で動くというのは、そういうことなのだと、少しずつ理解してきている。


 一対一なら、戦う。

 撃つしかない時もある。

 刃を使わざるをえない場面も、きっと来る。


 でも――。


「……全部、私がやらなくてもいいんだ」


 小さく、そう呟いた。


 銃剣は、手元にある。

 銃も、必要な時に使える。


 それで十分だ。


 少なくとも、今は。


 もっと強くなりたいと思う気持ちはある。

 でも、それは焦るものじゃない。


 今日の一日は、そう教えてくれた。


 母の声。

 家の匂い。

 何気ない会話。


 それらが、自分をちゃんと「戻してくれる」。


 戦うためだけに生きているわけじゃない。

 撃つためだけに、ここにいるわけでもない。


 布団の中で、体の力がゆっくり抜けていく。


 明日は、また学校だ。

 また、班のみんなに会う。


 話して、笑って、考えて、時々戦う。


 その繰り返しの中で、きっと答えは見つかる。


 マティルナは、目を閉じた。


 夜は、静かだった。


 ――大丈夫。


 そう思える自分が、ここにいる。


 それだけで、この休日は、十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ