17 マティルナの悩み
部屋の扉を閉めた瞬間、外の音がすっと遠のいた。
マティルナは、深く息を吐いてから、背中の力を抜く。
今日一日、張りつめていた感覚が、ようやくほどけていくのがわかった。
机の上に鞄を置き、留め具を外す。
中から取り出したのは、布に包まれた一本の武器だった。
銃剣。
カミラから渡された、自衛用の装備。
刃と機構を併せ持つ、少し不格好な形。
布をほどき、机の上に置く。
金属が、かすかに光を反射した。
――静かだ。
模擬ダンジョンの喧騒も、ギルドのざわめきも、ここにはない。
あるのは、自分の呼吸の音だけ。
マティルナは椅子に腰掛け、銃剣をじっと見つめた。
今日までの出来事が、途切れ途切れに頭をよぎる。
ゴブリンの群れ。
前に出ていたのは、いつもカミラだった。
エルナの精霊が、視界を遮り、動きを鈍らせてくれた。
リヒトは、気づけば一番危険な位置に立っていた。
自分は、その後ろ。
距離を取り、狙いを定め、
「ここだ」という瞬間だけを待っていた。
撃つまでの時間を、稼いでもらっていた。
――守られていた。
その事実が、胸の奥に静かに残る。
嫌な感覚ではない。
むしろ、ありがたかった。
だが、それと同時に、拭えない違和感もあった。
銃剣にそっと触れる。
冷たい感触が、指先に伝わる。
「……これだけで、大丈夫なのかな」
声に出してみると、思ったよりも小さかった。
自衛用の武器。
そう言われて、受け取った。
でも、それは「誰かがいる前提」の話だ。
もし――。
もし、はぐれたら。
もし、挟まれたら。
もし、一対一になったら。
頭の中で、想像が勝手に動き出す。
距離が近い。
装填する余裕がない。
後ろに下がれない。
その時、頼れるのは、この一本だけ。
「……一対一なら」
マティルナは、銃剣を持ち上げる。
重さを確かめるように、柄を握った。
「使わざるをえない、よね」
それは、決意というより、事実の確認だった。
使いたいわけじゃない。
でも、生き延びるためなら、選ばなければならない。
模擬ダンジョンのボスを倒した時の感覚が、ふと蘇る。
一発。
確かな手応え。
周囲の歓声。
あの時は、距離も、時間も、全部揃っていた。
――でも、いつもそうとは限らない。
銃剣を机に戻し、深く息を吐く。
これまでの演習も、ダンジョンも、
自分は確かに「班の中」にいた。
前に出る人がいて、
守る人がいて、
支える人がいた。
その中で、自分は役割を果たしていた。
けれど、もし役割が崩れたら?
もし、誰もそばにいなかったら?
答えは、まだ出ない。
ただ一つ、はっきりしていることがある。
――この不安は、一人で抱えるものじゃない。
マティルナは、布をかけ直し、銃剣を丁寧に包んだ。
それを、鞄の奥にしまう。
今すぐ結論を出す必要はない。
班に、話そう。
正直に。
守られていたことも。
一対一への不安も。
この武器で、本当にいいのかという迷いも。
椅子から立ち上がり、窓の外を見る。
日が傾き、街がゆっくりと夕色に染まっていく。
マティルナは、もう一度だけ、小さく呟いた。
「……ちゃんと、考えよう」
それは、弱さではなく、
次に進むための、静かな始まりだった。
翌日。
放課後の校舎は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
廊下を歩く生徒の数もまばらで、足音がやけに響く。
「……ここでいい?」
演習室の前で、エルナが小さく振り返る。
「うん、大丈夫」
マティルナは頷いた。
中に入ると、白い空間が広がる。
模擬ダンジョン前の打ち合わせで何度も使った場所だ。
少し遅れて、カミラとリヒトも入ってくる。
「今日は訓練じゃないんだろ?」
カミラが、いつものように腕を組みながら言った。
「うん……ちょっと、話したいことがあって」
マティルナは、そう切り出した。
自然と、全員の視線が集まる。
椅子に腰掛ける者、壁にもたれる者。
特に構えた様子はないが、空気は真剣だった。
マティルナは、一度息を整える。
「……冒険者登録も終わったし、模擬ダンジョンも越えたけど」
言葉を選びながら、続ける。
「私、自分の装備について、ちょっと気になってて」
その瞬間、カミラが眉を上げた。
「装備?」
「うん」
マティルナは、鞄から布包みを取り出し、机の上に置いた。
中身は見せない。
それでも、何の話かは伝わる。
「……銃剣のこと?」
エルナが、恐る恐る言った。
「そう」
短く答えてから、マティルナは視線を落とす。
「これ、自衛用としては十分だと思う。でも……」
言葉が一瞬、途切れた。
「……今までの演習とか、ダンジョンを振り返ると」
マティルナは顔を上げ、三人を見る。
「私、ずっと守られてたなって思って」
一拍。
カミラが、鼻で小さく息を吐いた。
「それ、悪いこと?」
「ううん。悪くない」
すぐに首を振る。
「すごく助けられてた。でも――」
そこで、リヒトが静かに口を挟んだ。
「“もしも”を考え始めた、ということだね」
マティルナは、少し驚いたように目を瞬かせてから、頷いた。
「……うん」
リヒトは、顎に手を当てて考え込む。
「一対一になった時、という前提だろう?」
「そう」
マティルナは、正直に言った。
「距離が取れなかったら。装填できなかったら。誰もいなかったら」
言葉が、少しだけ強くなる。
「その時、銃剣だけで、ちゃんと生き残れるのかなって」
一瞬、沈黙。
先に口を開いたのは、エルナだった。
「……私ね」
少しだけ、声が震える。
「正直、マティルナが前に出るの、怖いんだ」
その言葉に、マティルナは目を見開く。
「撃つ時は、すごく頼もしい。でも……」
エルナは、指を組みながら続けた。
「近い距離だと、どうしても」
言葉を探すように、一拍置く。
「銃って、“準備の時間”がいるでしょ?」
「……うん」
「だから、前に立つのは、私たちの役目だって思ってた」
その言葉に、カミラが頷く。
「同感だな」
短く、はっきり。
「銃を使うやつが、前に出る必要はない」
カミラは、マティルナを見る。
「お前は、後ろにいればいい。そこが一番、強い」
迷いのない声。
だが、マティルナは首を振った。
「でも、それって……」
言葉を探す。
「私が一人になった時、詰むってことでもある」
リヒトが、静かに息を吐いた。
「極端だが……間違ってはいない」
そして、視線を上げる。
「だが、班というのは、そういう前提で組まれる」
「前提?」
「一人で完結しない戦力」
リヒトは、淡々と続けた。
「全員が万能である必要はない。その代わり、欠点を共有する」
マティルナは、黙って聞く。
「君が近接に弱いなら、我々が補う。それは弱点ではない」
そこで、カミラが肩をすくめた。
「とはいえ」
少し、柔らかい声になる。
「気になるなら、無視はできないよな」
マティルナは、小さく頷いた。
「一対一になったら、銃剣を使わざるをえないと思う」
正直な気持ち。
「だから、これでいいのか、みんなに聞きたかった」
エルナが、少し考え込んでから言った。
「……訓練、増やす?」
「訓練?」
「銃剣の」
マティルナは、少し驚く。
「近接の基礎だけでも。リヒトなら教えられるでしょ?」
その言葉に、リヒトが軽く目を細めた。
「確かに。最低限の距離の取り方と、防ぎ方なら」
「それなら、安心できる?」
エルナが、マティルナを見る。
マティルナは、少し考えてから答えた。
「……多分」
完全ではない。
でも、何もしないよりは、ずっといい。
カミラが、にやりと笑う。
「じゃあ決まりだな」
「決まり?」
「お前は後ろ担当。近接は“最終手段”」
指を一本立てる。
「一対一になった時だけ、使う。それ以外は、俺たちが前に出る」
その言葉に、胸の奥が少し軽くなる。
「……ありがとう」
マティルナは、素直に言った。
リヒトが、静かに付け加える。
「心配するのは悪くない」
「え?」
「考える者は、長く生きる」
短い言葉だったが、妙に重みがあった。
演習室の空気が、少しだけ和らぐ。
マティルナは、鞄に布包みを戻しながら思った。
一人じゃない。
それを、改めて確認できただけでも、
今日ここに来た意味は、十分にあった。
次に進むための土台は、
もう、ちゃんとできている。
少し、間が空いた。
演習室の空気は和らいだままだったが、マティルナの表情だけは、まだどこか考え込んでいる。
「……でも」
その一言に、全員の視線が集まる。
マティルナは、ゆっくりと口を開いた。
「少しは、接近戦の練習もしておきたい」
静かな声だったが、迷いはなかった。
「最終手段だとしても、何もできないよりは……」
言葉を探すように、一瞬だけ視線を伏せる。
「怖さを、知っておきたい」
それを聞いた瞬間、エルナが息を呑んだ。
「マティルナ……」
だが、止める言葉は続かなかった。
カミラは、腕を組んだまま、しばらく黙っていた。
視線は、マティルナの立ち姿をじっと測るように見ている。
「……なるほど」
やがて、短くそう言った。
「本気だな」
マティルナは、はっきり頷く。
「うん」
次の瞬間。
「じゃあ、私が相手する」
あまりにもあっさりした一言に、エルナが目を丸くした。
「えっ!? カ、カミラが!?」
「他に誰がいる」
当然だろ、という顔で返す。
「前に出る役。近接。しかも容赦しない相手」
カミラは、腰の武装に手を置いた。
「俺が一番適任だ」
リヒトが、少しだけ眉を上げる。
「……手加減は?」
「しない」
即答だった。
「ただし、殺さない」
それだけ付け加える。
マティルナの喉が、小さく鳴った。
怖くないと言えば、嘘になる。
けれど、逃げたいとは思わなかった。
「……お願いします」
その言葉に、カミラは初めて、わずかに笑った。
「よし」
すぐに、演習用の結界が起動される。
白い床に、淡い光のラインが走った。
「条件は簡単だ」
カミラは距離を取りながら言う。
「銃は使わない。銃剣のみ」
「わかった」
「私は、普通に攻める」
それはつまり、“実戦想定”だ。
エルナが、少し不安そうに声をかける。
「無理そうなら、すぐ止めるからね……?」
「うん」
マティルナは、銃剣を構えた。
これまで何度も持ってきた武器。
だが、今はいつもより重く感じる。
――距離。
相手は、すぐそこだ。
「行くぞ」
合図と同時に、カミラが踏み込んだ。
速い。
思考よりも先に、身体が反応する。
マティルナは、銃剣を前に突き出し、牽制する。
だが、カミラはそれを正面から受けず、半歩ずらして流した。
「っ……!」
一気に、懐に入られる。
刃が、視界の端を掠めた。
――近い。
距離が、近すぎる。
マティルナは、反射的に後ろへ下がる。
だが、カミラはそれを許さない。
「下がるな」
低い声。
「下がるなら、下がり切れ」
圧が、違う。
ただ立っているだけで、逃げ場が削られていく。
マティルナは、歯を食いしばり、銃剣を横に振った。
カミラは、それを腕で弾く。
「甘い」
次の瞬間、マティルナの視界が揺れた。
床。
天井。
そして、止まる。
気づけば、仰向けだった。
結界が、淡く光る。
致命ではないが、完全に取られている。
カミラは、すぐに距離を取った。
「立てるか」
「……うん」
マティルナは、少し息を乱しながら立ち上がる。
心臓が、うるさいほど鳴っていた。
「どうだ」
カミラが、問いかける。
「……近接は、怖い」
正直な感想だった。
だが、そのまま続ける。
「でも、何もできないわけじゃないって、少しわかった」
それを聞いて、カミラは小さく頷いた。
「それでいい」
リヒトが、静かに口を開く。
「今のは、悪くなかった」
「え?」
「距離を取ろうとした判断は正しい。遅かっただけだ」
エルナも、ほっとしたように息を吐く。
「……心配した」
「ごめん」
マティルナは、小さく笑った。
腕は、少し震えている。
だが、恐怖だけではなかった。
――知れた。
それが、大きい。
「今日はここまでだ」
カミラが、そう締めくくる。
「これ以上やると、変な癖がつく」
演習室の結界が解除され、白い空間が元に戻る。
マティルナは、銃剣を見下ろしながら思った。
前に出る戦いではない。
それでも――。
近づかれた時、何もできない自分ではなくなった。
それだけで、十分だった。
演習室の空気が、ゆっくりと落ち着いていく。
誰もすぐには口を開かなかった。
先ほどまでの緊張が、まだ床に残っているようだった。
マティルナは、銃剣を鞘に戻し、深く息を吐く。
指先が、少しだけ震えているのに気づき、握り直した。
「……ありがとう、カミラ」
その声は、少し掠れていた。
カミラは肩をすくめる。
「礼を言われるほどのことじゃない」
いつもの落ち着いた調子。
だが、視線だけは、確かにマティルナを見ていた。
「自衛の最低線だ。できないより、できた方がいい」
「うん……」
マティルナは頷く。
強くなった、とは思わない。
勝てる、とも思えない。
それでも。
――何も分からずに怯えている状態ではなくなった。
それが、今の自分にとっては大きかった。
エルナが、そっと近づいてくる。
「無理しすぎないでね……?」
「大丈夫」
マティルナは、少しだけ笑った。
「一人でやる気はないから」
その言葉に、エルナの表情がふっと緩む。
リヒトは、少し離れた位置から二人を見ていたが、やがて静かに口を開いた。
「今日の練習で、一つ確認できた」
「何を?」
マティルナが尋ねる。
「君は、“守られる側”で終わるつもりがない」
それだけ言って、視線を逸らした。
評価でも、称賛でもない。
事実確認のような声音だった。
カミラが、腕を組む。
「班としては、それでいい」
「え?」
「全員が前に出る必要はない。だが、全員が“何もできない瞬間”を持つのは危険だ」
マティルナを、まっすぐ見る。
「今日のは、その穴を一つ埋めただけ」
「……うん」
マティルナは、素直に頷いた。
自分の役割は変わらない。
撃つこと。
決めること。
だが、その前後で――
ほんの一瞬でも、自分を守れるなら。
それは、きっと班全体の余裕になる。
「じゃあ、次はどうする?」
エルナが、少し明るい声で言った。
「また演習?」
「それとも、依頼?」
その問いに、マティルナは少し考えたあと、答える。
「……どっちも」
三人が、少し驚いたようにこちらを見る。
「演習は続けたい。でも、実戦も経験したい」
銃剣を握る手に、もう迷いはなかった。
「一対一じゃない戦いで、どう動くか……ちゃんと確かめたい」
カミラが、静かに頷く。
「いい判断だ」
リヒトも、短く同意する。
「段階を踏もう」
エルナは、少し不安そうにしながらも、最後には笑った。
「……じゃあ、みんなで一緒だね」
その言葉に、マティルナは胸の奥が温かくなるのを感じた。
一人ではない。
守られているだけでもない。
支え合いながら、少しずつ前へ進む。
それが、この班の形なのだと――。
今は、はっきり分かる。。
演習室を出る頃には、日が傾き始めていた。
マティルナは、夕暮れの光の中で、ふと思う。
銃だけでは足りない。
刃だけでも足りない。
だからこそ、仲間がいる。
それが分かった今日の練習は、
きっと、次の一歩につながる。
――悪く 演習室の空気が、ゆっくりと落ち着いていく。
誰もすぐには口を開かなかった。
先ほどまでの緊張が、まだ床に残っているようだった。
マティルナは、銃剣を鞘に戻し、深く息を吐く。
指先が、少しだけ震えているのに気づき、握り直した。
「……ありがとう、カミラ」
その声は、少し掠れていた。
カミラは肩をすくめる。
「礼を言われるほどのことじゃない」
いつもの落ち着いた調子。
だが、視線だけは、確かにマティルナを見ていた。
「自衛の最低線だ。できないより、できた方がいい」
「うん……」
マティルナは頷く。
強くなった、とは思わない。
勝てる、とも思えない。
それでも。
――何も分からずに怯えている状態ではなくなった。
それが、今の自分にとっては大きかった。
エルナが、そっと近づいてくる。
「無理しすぎないでね……?」
「大丈夫」
マティルナは、少しだけ笑った。
「一人でやる気はないから」
その言葉に、エルナの表情がふっと緩む。
リヒトは、少し離れた位置から二人を見ていたが、やがて静かに口を開いた。
「今日の練習で、一つ確認できた」
「何を?」
マティルナが尋ねる。
「君は、“守られる側”で終わるつもりがない」
それだけ言って、視線を逸らした。
評価でも、称賛でもない。
事実確認のような声音だった。
カミラが、腕を組む。
「班としては、それでいい」
「え?」
「全員が前に出る必要はない。だが、全員が“何もできない瞬間”を持つのは危険だ」
マティルナを、まっすぐ見る。
「今日のは、その穴を一つ埋めただけ」
「……うん」
マティルナは、素直に頷いた。
自分の役割は変わらない。
撃つこと。
決めること。
だが、その前後で――
ほんの一瞬でも、自分を守れるなら。
それは、きっと班全体の余裕になる。
「じゃあ、次はどうする?」
エルナが、少し明るい声で言った。
「また演習?」
「それとも、依頼?」
その問いに、マティルナは少し考えたあと、答える。
「……どっちも」
三人が、少し驚いたようにこちらを見る。
「演習は続けたい。でも、実戦も経験したい」
銃剣を握る手に、もう迷いはなかった。
「一対一じゃない戦いで、どう動くか……ちゃんと確かめたい」
カミラが、静かに頷く。
「いい判断だ」
リヒトも、短く同意する。
「段階を踏もう」
エルナは、少し不安そうにしながらも、最後には笑った。
「……じゃあ、みんなで一緒だね」
その言葉に、マティルナは胸の奥が温かくなるのを感じた。
一人ではない。
守られているだけでもない。
支え合いながら、少しずつ前へ進む。
それが、この班の形なのだと――
今は、はっきり分かる。
演習室を出る頃には、日が傾き始めていた。
マティルナは、夕暮れの光の中で、ふと思う。
銃だけでは足りない。
刃だけでも足りない。
だからこそ、仲間がいる。
それが分かった今日の練習は、
きっと、次の一歩につながる。
――悪くない。
そう思いながら、マティルナは皆と並んで歩き出した。




