11 タイマン模擬戦③
特殊部屋の扉が、低い音を立てて閉じた。
結界越しの衝撃音も、魔力の残響も、ここまでは届かない。
外廊下は静かで、天井の魔導灯が一定の明るさで灯っているだけだった。
マティルナが姿を現すと、壁際に寄りかかっていた二人が気づく。
「おかえりなさい、マティルナ」
先に声をかけたのはエルナだった。
胸の前で手を組み、少しだけ安堵したように微笑む。
「……無事そうですね」
「うん」
短く答え、マティルナは廊下の壁に背を預けた。
銃はまだ熱を持っていない。
二戦目が終わってから、時間はそれほど経っていなかった。
カミラは腕を組んだまま、扉を一瞥する。
「二戦目、終わったな」
「そっちも?」
「終わった」
それ以上は言わない。
だが、表情を見れば結果は察せられた。
「……二勝?」
マティルナが確認すると、カミラは頷いた。
「両方、想定内」
「さすがです……」
エルナが素直に感嘆の息を漏らす。
「私は……一勝一敗、でした」
そう言って、少し照れたように視線を逸らした。
「一戦目は、召喚した精霊との相性がよくて。
二戦目は……距離を詰められてしまいました」
マティルナは、その言葉に小さく頷く。
「詠唱中、守りきれなかった?」
「はい」
エルナははっきりと認めた。
「“守ってもらう前提”で動いていたなって、途中で気づきました。
個人戦なのに、無意識にパーティ感覚が残ってたんだと思います」
「それに気づけたなら、十分だ」
カミラが淡々と言う。
「次で変えられる」
エルナは、その一言に少しだけ背筋を伸ばした。
「はい。
三戦目は、短詠唱中心で行きます。
威力は落ちますけど……生き残らないと、何もできないので」
「正しい選択」
マティルナも同意する。
廊下の奥から、別の特殊部屋で行われている模擬戦の振動が、かすかに伝わってくる。
床を通して感じるだけの、鈍い反響。
「マティルナは?」
エルナが尋ねた。
「結果」
「二勝」
即答だった。
「一戦目は距離を取れた。
二戦目は……少し甘かったけど、立て直せた」
「近づかれたな」
カミラが指摘する。
「うん」
否定しない。
「銃剣があると、“できる”気になる。
でも、専門じゃない」
自分への戒めのような言葉だった。
「間合いを誤れば、終わる」
「でも、下がった」
カミラは評価するように言う。
「無理に詰めなかった」
「追わなかったのが、よかったです」
エルナも頷いた。
「倒せるって分かってても、一歩引く判断は難しいですから」
マティルナは銃を見下ろす。
「……撃つ距離を、守っただけ」
それが、自分の答えだった。
しばらく、三人の間に沈黙が落ちる。
特殊部屋の扉の前を、生徒や講師が行き交っていく。
「三戦目」
カミラが口を開いた。
「ここから、相手も本気になる」
「たぶん」
マティルナは息を整える。
「簡単にはいかない」
「でも」
エルナが、少しだけ笑った。
「二戦終わった今なら、分かります」
「何が?」
「自分の立ち位置です」
前に出るのか、後ろに下がるのか。
詠唱を選ぶのか、捨てるのか。
マティルナも、ゆっくり頷いた。
「……私も」
勝敗以上に、戦い方が形になってきている。
講師の声が、廊下に響く。
「次の組、準備に入れ」
マティルナは背中を壁から離し、二人を見る。
「行ってくる」
「いってらっしゃい」
エルナが小さく手を振る。
「無理はするな」
カミラは、それだけ言った。
マティルナは短く息を吸い、特殊部屋の扉へと向かった。
ーー
合図の魔石が、乾いた音を立てた。
――同時。
マティルナは、迷わず引き金を引いた。
一発目。
白い床が抉れ、魔力弾が結界に吸われて霧散する。
外れた。
照準は合っていた。
距離も、呼吸も、間違っていない。
それでも――当たらなかった。
――残り、二発。
最初から分かっていたことだ。
この火縄銃に込められる弾は、あと三発だけ。
外した瞬間、その事実が一気に重くなる。
正面のリヒト・アルヴァインは、剣を構えたまま動きを止めていた。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、彼の視線が銃口に向けられる。
呆気に取られたのではない。
“確認”だ。
――照準通りに飛ばない。
その結論に至ったのか、次の瞬間にはもう踏み込んでいた。
速い。
無理な加速ではない。
距離を潰すために最適化された一歩。
マティルナは後退しながら、二発目の装填に入る。
火縄を落とし、弾を送り込む。
できる。
撃てる。
だが――剣先が、銃口の延長線上をなぞった。
斬るつもりのない一閃。
銃身に触れ、ほんのわずかに軌道をずらす。
撃てない。
マティルナは歯を食いしばり、さらに下がる。
だが、下がった分だけ、リヒトは詰めてくる。
常に、真正面に立たない。
射線の“外側”。
銃という武器が、一番嫌う位置取り。
二発目の装填は、終わっている。
引き金に指をかければ、撃てる。
それでも、撃たない。
撃てば、当たるかもしれない。
だが、外せば――残りは一発。
その一発を、こんな距離で賭けるわけにはいかなかった。
リヒトは、その逡巡を見逃さない。
さらに一歩。
剣圏。
銃剣を前に出す。
近接を拒むための刃。
だが、返ってきた衝撃は、軽かった。
力で押さえ込まれない。
絡め取られ、受け流され、そのまま距離を詰められる。
剣が、喉元に迫る。
結界が、淡く光った。
警告。
マティルナは体を捻り、半歩だけ距離を作る。
それでも、状況は変わらない。
――主導権は、完全に相手。
撃てない。
撃たせてもらえない。
残っている弾は、二発。
だが、使える場面は――見えなかった。
リヒトの表情は、相変わらず落ち着いている。
焦りもない。
勝ち急ぐ様子もない。
ただ、理解している。
この銃は「当て続ける」武器ではない。
だからこそ、近づく。
だからこそ、圧をかけ続ける。
マティルナは、防ぐしかなかった。
剣を受け、下がり、角度を変え、また防ぐ。
剣技では、明らかに上。
踏み込み。
間合い。
攻防の切り替え。
すべてが、完成されている。
――強い。
だが。
マティルナは、ふと気づいた。
この人は、“安定している戦い”しかしていない。
だからこそ――その安定を、崩す余地がある。
距離は、ほぼ零。
互いの呼吸が、重なる。
残っているのは――二発。
だが、本当に意味を持つのは、一発だけだ。
マティルナは、銃口をわずかに持ち上げた。
狙わない。
照準を合わせない。
ただ、この距離で。
距離は、ほとんど残っていなかった。
剣の間合い。
銃としては、最悪の位置。
マティルナの視界いっぱいに、淡い金の髪が映る。
呼吸が、近い。
次の一歩で、終わる。
――その瞬間。
マティルナは、銃口を上げた。
狙いは、ない。
照準も、ない。
ただ、顔のすぐ横。
引き金を引いた。
――轟音。
至近距離で炸裂した魔力が、空間を叩く。
弾は、当たらない。
だが、音と衝撃、白い煙が一気に広がり、視界を塗り潰した。
結界が反応し、衝撃を散らす。
床が震え、空気が歪む。
リヒトは、即座に判断した。
――防御。
聖属性の魔力が、剣を起点に展開される。
薄く、だが確実な障壁。
正しい選択だった。
あの距離で、何かが来るなら、防ぐしかない。
だが。
マティルナは、そこに留まらない。
煙の中で、手が動く。
三発目。
最後の弾を、装填する。
火縄が落ちる音は、ほとんど聞こえない。
それでも、指先は確かに感触を捉えていた。
撃つ。
防壁の向こう。
そこに“人”がいることだけを、信じて。
引き金を引いた。
――乾いた衝撃。
魔力弾が、防壁に触れた瞬間、空気が悲鳴を上げた。
聖障壁が、耐える。
一瞬。
だが、その“安定”が仇になった。
防御は、想定された攻撃に対して最適化されている。
照準を合わせた一撃。
正確な弾道。
それを前提に、張られた壁。
だが、これは違う。
照準は、ない。
当たるかどうかも、分からない。
“外れる前提”の弾。
歪んだ弾道が、防壁の端をかすめる。
そこから、崩れた。
ひび。
次の瞬間、音を立てて砕け散る。
結界が、全面的に介入した。
衝撃を肩代わりするため、床と壁に走る光の文様が、一斉に割れる。
まるで、ガラス細工が砕けたかのように。
粉々に、散った。
視界が晴れる。
リヒトは、片膝をついていた。
剣は手放していない。
だが、それ以上動けないことを、本人が一番理解していた。
勝敗は、決していた。
砕け散った結界の残光が、ゆっくりと消えていく。
沈黙。
次の瞬間、教師たちの声が重なった。
「結界の再展開を急げ」
「負傷者確認――いや、問題なし」
「次の試合は待機」
白い床に走ったひびは、修復魔法によって淡く埋められていく。
粉々になったはずの空間が、何事もなかったかのように元へ戻っていく様子は、どこか現実感がなかった。
その中央で、マティルナとリヒトは向かい合っていた。
リヒトは、ゆっくりと立ち上がる。
乱れた呼吸を整え、剣を納める仕草には、一切の乱れがない。
そして――一礼した。
「……見事だった」
声は静かで、感情の起伏もない。
だが、その言葉に偽りはなかった。
「ありがとう」
マティルナも、短く頭を下げる。
勝った、という実感はある。
だが、誇る気持ちは不思議と湧いてこなかった。
近接では、完全に押されていた。
判断も、動きも、剣の完成度も、相手の方が上だった。
それでも――戦いは、終わった。
「次も、同じ戦い方をするか?」
唐突に、リヒトが問いかける。
挑発ではない。
分析でもない。
ただ、純粋な疑問。
マティルナは少し考えてから、首を傾げた。
「……たぶん」
状況が同じなら。
相手が同じなら。
「弾があるなら、撃つし。近ければ……耐える」
「そうか」
それだけ言って、リヒトは頷いた。
それ以上、何も言わない。
勝敗を蒸し返すことも、理由を求めることもなかった。
二人は同時に踵を返し、特殊部屋を出る。
外には、見慣れた顔が待っていた。
「おかえり」
カミラが腕を組んだまま、軽く手を振る。
「……どうだった?」
エルナが、少し心配そうに覗き込んでくる。
「……いつも通り」
マティルナは、そう答えた。
少し疲れたけれど。
弾は、もうないけれど。
「派手だったわね」
カミラが、肩をすくめる。
「結界、割れるとは思わなかった」
「……私も」
エルナが苦笑する。
三人で話しているところに、足音が近づいた。
振り返ると、リヒトがそこにいた。
視線は、真っ直ぐにマティルナへ向けられている。
「一つ、話がある」
空気が、わずかに変わる。
「次の演習。――俺を、君の班に入れてほしい」
一瞬、言葉が途切れた。
「基本は四人一組だろう。俺は、自分で選ばなかった。その結果、空いている」
事実を述べるような口調。
「だが、今日で決めた」
視線が、逸れない。
「銃を、近くで見たい」
それだけだった。
名門の貴族。
今学年の剣聖。
その肩書きとは裏腹に、そこにあるのは、純粋な興味だった。
マティルナは、少しだけ戸惑ってから、エルナとカミラを見る。
エルナは驚きながらも、困ったように笑い。
カミラは、即座に頷いた。
「いいんじゃない?」
あっさりと。
「前、足りなかったし」
マティルナは、リヒトを見た。
「……撃つ時、近いけど」
「構わない」
「……弾、外れることもある」
「承知している」
その返答に、マティルナは小さく息を吐いた。
「……じゃあ」
短く、頷く。
それで、決まりだった。
剣と、銃と。
安定と、不安定。
形の違うものが、同じ班に並ぶ。
マティルナは、胸の奥で小さく思う。
――また、少しだけ。
自分の世界が、広がった気がした。




