10 タイマン模擬戦②
結界が閉じる音は、静かだった。
それでも、その瞬間に空気が切り替わるのがわかる。
白い円形の特殊部屋。
天井も床も均一で、遮蔽物はない。逃げ場も、隠れる場所もない。
正面に立つ女子生徒は、マティルナより少し背が高く、姿勢が良い。制服の上からでも、魔力の流れがはっきりと感じ取れる。
両手に浮かぶ魔法陣。
右手に赤。
左手に翠。
火と、風。
二属性を同時に扱う召喚刻印。
――厄介だ。
マティルナは銃を構えながら、相手の足運びを観察する。
重心が高い。
だが、不安定ではない。
距離を取る前提の立ち方。
接近戦は想定していない。
つまり――
「最初から、撃たせる気はない」
そう判断した瞬間だった。
女子生徒が、一歩も動かずに魔力を解放する。
風が、渦を巻いた。
床を這うように広がる圧縮された風の流れ。視界が歪み、空気が震える。
「……!」
マティルナは即座に後退する。
直後、風に煽られた火が、一直線に走った。
炎弾。
だが、速度が異常に速い。
風で加速されている。
――来た。
マティルナは横へ跳ぶ。
炎が、さっきまで立っていた床を焼いた。結界が反応し、魔力を吸収して熱を散らす。
だが、足は止めない。
止まれば、次が来る。
風。
火。
どちらも、足を止めた相手を叩くための魔法だ。
女子生徒は追ってこない。
その場から動かず、距離を保ったまま、次の詠唱へ移っている。
――面制圧。
カミラの言葉が、頭をよぎる。
『魔法相手は、距離だけじゃ足りない。撃つ“間”を作れ』
マティルナは、銃口を相手に向けたまま、あえて引き金に指をかけない。
弾は、まだ四発。
ここで撃っても、当たらない。
女子生徒の視線が、銃に一瞬向いた。
警戒している。
だが、止めない。
次の魔法が放たれる。
今度は、風。
圧縮された空気の塊が、横方向から襲いかかる。
マティルナは前へ踏み込んだ。
後退ではなく、前進。
風の流れを横切る形で突っ込む。
制服の裾が大きくはためき、身体が持っていかれそうになるが、耐える。
――この距離なら。
女子生徒の目が、わずかに見開かれた。
想定より、早い。
距離が、縮んだ。
だが、その瞬間を狙っていたかのように、火が散る。
散弾のような小さな炎が、扇状に広がる。
「……っ」
マティルナは、銃剣を構え、炎を払うように振るう。
刃に魔力が伝わり、炎が散る。
完全には防げない。
だが、致命にはならない。
結界が、淡く光った。
――まだ、甘い。
距離は、八歩。
銃の有効距離。
だが、相手は動かない。
その場で、風を溜めている。
大きい。
次は、広範囲。
マティルナは、銃口を上げた。
女子生徒の視線が、再び銃に向く。
――撃つと思わせる。
だが、撃たない。
マティルナは、わざと半歩遅れて踏み込んだ。
その一瞬の遅れに、女子生徒が反応する。
風が放たれた。
床全体を削るような衝撃波。
マティルナは、横へ跳び、転がる。
視界が揺れる。
制服が汚れる。
だが、距離は――
六歩。
女子生徒が、詠唱を切り替えようとする。
火。
近距離用。
――今じゃない。
マティルナは、まだ引き金を引かない。
代わりに、銃剣を構え直す。
近づく意思を、見せる。
女子生徒は一瞬、迷った。
撃つか。
離すか。
その迷いが、生まれた。
マティルナは、心の中で静かに数える。
一。
二。
三。
風と火の魔力が、わずかに乱れる。
――次で、勝負が動く。
そう確信しながら、マティルナは銃を構え続けた。
まだ、撃たない。
二戦目は、ここからだった。
空気が、重くなった。
女子生徒の周囲に、二つの魔力が同時に集まっていく。
赤と翠。
火と風。
別々だった魔法陣が、ゆっくりと重なり合う。
――合成。
マティルナは、無意識に奥歯を噛みしめた。
二属性同時運用。
それ自体は珍しくない。
だが――これは、明らかに“慣れている”。
風が、場を支配する。
火が、その中で形を変える。
炎が、線になる。
刃のように、薄く、鋭く。
女子生徒は一歩も動かない。
動く必要がない。
空間そのものを、武器にしている。
「……来る」
マティルナがそう思った瞬間、空気が弾けた。
風に乗った火が、複数の軌道で同時に襲いかかる。
正面、斜め、低空。
逃げ場を潰す構成。
――うまい。
マティルナは後退する。
一歩。
二歩。
だが、完全には下がれない。
風が、背中を押し戻す。
足元が、揺らぐ。
炎が、掠める。
結界が、淡く光った。
熱と衝撃だけが、身体に伝わる。
「……っ」
銃剣を振るい、炎を弾く。
だが、数が多い。
刃が追いつかない。
――このままじゃ、削られる。
女子生徒の表情は、冷静だった。
焦りはない。
追い詰める感覚を、理解している目だ。
マティルナは、あえて前へ出た。
距離を詰める。
だが、それを待っていたかのように、風が強まる。
圧力。
押し返される。
近づけない。
――ダメだ。
このままでは、魔法の土俵から降りられない。
マティルナは、瞬時に判断を切り替えた。
銃口を下げる。
撃つ構えを、解く。
女子生徒の眉が、わずかに動いた。
撃たない?
弾切れ?
その疑念が、ほんの一瞬、集中を削ぐ。
マティルナは、その瞬間に後ろへ跳んだ。
大きく。
思い切り。
風の圧力圏から、強引に抜ける。
床を転がり、距離を稼ぐ。
制服が擦れ、息が荒くなる。
だが――距離は、戻った。
十歩。
銃の間合い。
女子生徒はすぐに追撃に移ろうとする。
だが、今度は詠唱が必要だ。
火と風を同時に制御するには、一拍の溜めがいる。
――そこ。
マティルナは、銃を構え直した。
引き金に、指をかける。
まだ、撃たない。
女子生徒の視線が、銃に釘付けになる。
警戒。
牽制。
集中の分散。
魔法陣の回転が、わずかに乱れた。
マティルナは、心の中で静かに数える。
一。
二。
風が、完全には整わない。
火が、形を失いかける。
――足りない。
三。
その瞬間、女子生徒が判断する。
中断。
距離を取るため、一歩下がろうとした。
マティルナは、そこで初めて、引き金を引いた。
まだ、当てない。
床を撃つ。
魔力弾が弾け、衝撃が走る。
女子生徒の動きが、一瞬止まる。
反射的な防御。
その隙。
距離は、九歩。
マティルナは、静かに息を整えた。
――ここからだ。
魔法の流れは、読めた。
あとは、撃つ“間”を作るだけ。
二戦目は、明確に傾き始めていた。
風が、乱れた。
完全に制御された流れではない。
避けるための風でも、押し返すための風でもない。
――迷い。
女子生徒は、自分でも気づかないうちに一歩下がっていた。
距離を取るための後退。
だが、それは同時に、詠唱を続けるための“足を止める”動きでもあった。
マティルナは、その一歩を見逃さなかった。
銃口を下げたまま、前へ出る。
一歩。
二歩。
女子生徒の目が、わずかに見開かれる。
「……近い」
声に出た、その瞬間が遅かった。
風が、即応できない。
火は、距離が近すぎて展開できない。
魔法は、準備がいる。
そして今、準備は――間に合わない。
マティルナは、銃剣を逆手に持ち替えた。
振りかぶらない。
大きくも動かない。
ただ、踏み込む。
刃が、女子生徒の魔法陣を断ち切るように振るわれた。
結界が、強く光る。
衝撃だけが、相手の身体を打つ。
「っ……!」
女子生徒がよろめく。
マティルナは、追撃しない。
一歩引き、刃を構えたまま止まる。
それで、十分だった。
魔法陣は消え、風も火も霧散する。
結界が、静かに収束していく。
数秒の沈黙。
そして、講師の声が落ちた。
「――勝者、マティルナ・ロウェル」
女子生徒は、深く息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。
「……近づかれるとは、思わなかった」
悔しさよりも、驚きが勝った声だった。
「魔法、強かった」
マティルナはそう答え、軽く頭を下げる。
「でも……近かったから」
それ以上は言わなかった。
言う必要がない。
距離を支配できた。
それだけだ。
銃を見下ろす。
弾は、一発も減っていない。
――撃たなくても、勝てた。
それが、二戦目の答えだった。
マティルナは、静かに闘技場の中央を後にする。
残るは、最後の一戦。
剣聖と呼ばれる、あの生徒。
息を整えながら、心の中でつぶやく。
――次は、簡単にはいかない。
それでも。
ここまで来た。
三戦目を前に、マティルナの足取りは、確かだった。




