9 タイマン模擬戦
その日の講義は、いつもより短かった。
黒板に書かれた内容を一通り説明し終えた講師が、少し間を置いてから教室全体を見渡す。その視線に、ざわめきが自然と静まっていった。
「――本日午後から、模擬戦を行う」
その一言で、空気が変わる。
模擬ダンジョン演習の次は何が来るのか。生徒たちは薄々察していた。だが、実際に告げられると、やはり緊張が走る。
「形式は一対一」
教室のあちこちで、息を呑む音がした。
「使用するのは、学校指定の特殊部屋だ。致命傷を防ぐ結界と、過剰な魔力を強制的に減衰させる機構を備えている。――死ぬことはない」
その説明に、安堵と不安が同時に広がる。
死なない。
だが、痛みも、恐怖も、敗北も――消えるわけではない。
「各自、三戦行う。勝利数に応じて評価を与える」
黒板に、簡潔な基準が書かれる。
三勝:優良
二勝:良
一勝以下:可
「なお、今回の模擬戦はランク昇格には直結しない。あくまで実戦適性の確認だ」
その言葉に、マティルナはわずかに肩の力を抜いた。
――評価はつく。でも、ランクは変わらない。
それは、安心でもあり、どこか物足りなくもある。けれど今の自分にとっては、ちょうどいい距離感だった。
講師は続ける。
「以前、“内容を一部変更する”と伝えたが……その一つが、これだ」
一対一。
集団戦では見えない部分。判断、距離感、集中力。すべてが、個人に問われる。
マティルナは、無意識のうちに自分の手を見下ろした。
銃を握る手。
そして、銃口の下に固定された刃――カミラから渡された銃剣。
弾数制限がある以上、すべてを撃ち抜くわけにはいかない。近づかれた時の選択肢があるというだけで、気持ちはずいぶん違った。
「対戦相手は、こちらで指定する。実力差、召喚内容を考慮した組み合わせだ」
公平、という言葉は使われなかった。
その代わりに、“考慮”という曖昧な表現が選ばれている。
マティルナは、静かに息を整える。
――来る。
視線や噂ではない。
正面から、自分の力を測られる場面が。
特殊部屋へ向かう廊下は、いつもより長く感じられた。厚い扉の向こうには、白を基調とした円形の空間が広がっている。床も壁も、傷ひとつない。
ここで、三戦。
勝っても、負けても。
マティルナは、銃を構え直し、心の中で小さく言った。
――いつも通りでいい。
撃つときは撃つ。
近ければ、斬る。
評価のためではない。
証明のためでもない。
ただ、自分のやり方で戦うだけだ。
そして、最初の対戦相手の名が呼ばれた。
槍を召喚する、近接戦を得意とする男子生徒。
マティルナは、一歩、円形の闘技場へ踏み出した。
合図と同時に、男子生徒は動いた。
迷いのない踏み込み。
槍を低く構え、一直線に距離を詰めてくる。
――速い。
マティルナは後退しながら銃口を向ける。
引き金に指はかかっている。
五発。
この模擬戦で許されている弾数。
撃てる。
撃てば、止まる。
それでも、撃たない。
槍は、距離を支配する武器だ。
中途半端な一発は、踏み込みを止めるどころか、相手の覚悟を固める。
槍先が伸びる。
直線的な突きではない。
間合いを測るための、浅い一撃。
マティルナは半身になり、銃剣で受け流す。
刃が槍の柄を弾き、金属音が乾いて響いた。
――近い。
だが、致命的ではない。
男子生徒は、攻め急がない。
一歩踏み、半歩下がり、槍の間合いを保つ。
突き。
薙ぎ。
角度を変えた牽制。
すべてが、「撃たせるため」の動きだった。
マティルナは、撃たされない。
後退しすぎれば追い詰められる。
踏み込めば、槍の餌食になる。
その境界を、静かに歩く。
銃剣で柄を弾き、銃身で押し返す。
完全に止めない。
相手に「まだいける」と思わせる。
男子生徒の視線が、銃口に吸い寄せられる。
――撃つか?
その迷いが、槍の動きを一瞬だけ鈍らせた。
マティルナは、それを見逃さない。
だが、まだ撃たない。
五発あるからこそ、撃たない選択ができる。
この距離で撃てば、当たる。
けれど、それは「勝ち」ではあっても、「終わり」ではない。
欲しいのは、
踏み込み切った瞬間。
退路を失った一瞬。
男子生徒は、距離を詰め直す。
槍が、今までより深く構えられた。
――来る。
この一撃で決めるつもりだ。
マティルナは、銃をわずかに下げ、銃剣を前に出した。
撃つのは、まだ先。
けれど――
撃つ場所は、もう決まっていた。
結界が、淡く光った。
致命の一歩手前。
警告だ。
――甘い。
そう、自分に言い聞かせる。
銃剣があることで、近接を「できる」と思ってしまった。
だが、それはあくまで補助だ。
槍使いは、近距離でも強い。
間合いを誤れば、主導権は一瞬で奪われる。
マティルナは、反射的に銃身で槍を押し上げ、そのまま後ろへ跳んだ。
距離が、開く。
五歩ほど。
近すぎず、遠すぎない。
――中距離。
槍が最も扱いにくく、同時に銃が生きる距離。
男子生徒も、それを理解していたのだろう。
踏み込もうとして、わずかに躊躇した。
その迷いを、マティルナは見逃さない。
銃口を向ける。
だが、引き金は引かない。
五発ある。
撃てる。
それでも、撃たない。
ここで撃てば、当たる。
だがそれは、「止める」だけだ。
欲しいのは、
勝負を終わらせる一瞬。
男子生徒は、決断した。
槍を構え直し、一気に踏み込む。
中距離を捨て、近接に持ち込む覚悟。
――来る。
マティルナは、銃剣をわずかに下げた。
相手の視線が、刃に引き寄せられる。
その瞬間。
踏み込みの軸足が、わずかに浮いた。
そこを――撃つ。
一発。
乾いた音とともに、魔力弾が放たれる。
狙いは、脚。
結界が発動し、衝撃だけが伝わる。
男子生徒の身体が大きく揺れ、踏み込みが崩れた。
槍が、床を叩く。
マティルナは、追撃しない。
銃口を下ろす。
残り四発は、使われることなく残った。
勝負は、すでに終わっていた。
結界の光が、ゆっくりと消えた。
張り詰めていた空気がほどけ、静寂の中に講師の声が響く。
「勝者、マティルナ・ロウェル」
小さな、しかし確かなざわめきが起こった。
派手な攻防はない。
激しい魔力の応酬もない。
だが、無駄のない一戦だった。
槍使いの男子生徒は、床に転がった槍を拾い上げると、悔しさを滲ませながらも姿勢を正し、マティルナに一礼した。
「……強いな」
その言葉に、マティルナはわずかに首を振る。
「……距離を、間違えなかっただけ」
それ以上は、言わなかった。
称賛も、言い訳も、ここには必要ない。
マティルナは、手元の銃に視線を落とす。
装填数は、まだ残っている。
引き金を引いたのは、一度だけ。
銃剣の刃にも、目立った傷はない。
――近づかれれば、凌ぐ。
――決めるのは、撃てる距離。
それが、自分の戦い方だ。
槍使いとの一戦で、それがはっきりと形になった。
講師が、事務的に告げる。
「次の対戦に備えろ」
模擬戦は、まだ終わらない。
あと二戦。
マティルナは小さく息を吸い、静かに吐いた。
緊張はある。
だが、不安はない。
――悪くない。
初戦としては、十分だった。
特殊部屋の外、待機スペースは思ったよりも静かだった。
結界の内側とは違い、ここには張り詰めた空気がない。生徒たちはそれぞれの順番を待ち、壁際に寄りかかったり、装備を確認したりしている。
マティルナが控えの位置へ戻ると、すぐに二つの視線を感じた。
「マティルナ」
先に声をかけてきたのはカミラだった。腕を組み、いつものように落ち着いた表情でこちらを見る。
「……おかえり。無事そうね」
「うん。問題なかった」
短く答えると、カミラは小さく頷いた。
「見てた。距離の取り方、悪くなかった」
評価は簡潔だったが、その声音には余計な棘がない。
「銃剣、ちゃんと“保険”として使ってた。踏み込みすぎなかったのもいい」
「……ありがとう」
それだけ返すと、カミラはふっと口元を緩めた。
「最初から弾を無駄にしなかったのは正解。槍相手に付き合う必要はない」
そこへ、少し遅れてエルナが近づいてくる。
「マティルナさん……すごかったです」
声は小さいが、目は少しだけ興奮している。
「えっと……怖くなかったですか?」
「……怖かったよ」
正直に答えると、エルナは一瞬驚いたように目を瞬かせた。
「でも、動きは決めてたから」
「……それが、すごいです」
エルナはそう言って、胸の前で手を組む。
「私だったら、槍が近づいてきた時点で……頭が真っ白になりそうで……」
「最初は、誰でもそう」
カミラが間に入る。
「だから“距離”を覚える。近づかれたらどうするか、離れたらどうするか。それを体に入れるだけ」
マティルナは二人の言葉を聞きながら、静かに銃を下ろした。
さっきまで握っていた引き金の感触が、まだ指に残っている。
「……弾、使いすぎなくてよかった」
ぽつりと零すと、エルナがほっとしたように笑った。
「はい。音も、少なかったですし」
「目立たないのは、武器」
カミラはそう言ってから、ふとマティルナの背後――特殊部屋の入口の方へ視線を向けた。
「次、呼ばれるわね」
マティルナも、そちらを見る。
次の対戦者が、準備エリアへ案内されていた。
女子生徒。
両手に浮かぶのは、淡く揺らぐ二つの魔力。
赤と、翠。
「……火と、風」
エルナが小さく呟く。
「攻撃魔法、二属性ですね……」
「面で来るタイプ」
カミラが即座に言った。
「牽制、制圧、押し込み。動きを止めに来る」
マティルナは、自然と姿勢を正す。
槍とは違う。
距離を取るだけでは、終わらない相手。
「……どうする?」
カミラが、あえて問いかける。
マティルナは一瞬考え、それから静かに答えた。
「……撃つ距離は、変えない」
「いい」
即答だった。
「魔法相手でも、それは同じ。変えるのは、撃つ“タイミング”だけ」
エルナが不安そうにマティルナを見る。
「……大丈夫、ですか?」
マティルナは、ほんの少しだけ笑った。
「大丈夫。さっきより、落ち着いてる」
それは本当だった。
一戦終えたことで、頭の中が静かになっている。
評価も、周囲の視線も、今は遠い。
あるのは、次の相手と、自分の距離だけ。
「次の対戦者、準備!」
講師の声が響く。
マティルナは銃を構え直し、二人に一度だけ目を向けた。
「……行ってくる」
「行ってらっしゃい」
「無理するなよ」
二人の声を背に、マティルナは再び、白い円形の空間へと歩き出した。
次は、魔法。
違う戦い方が、試される。
――でも。
やることは、同じだ。
距離を測り、隙を待つ。
それだけ。
結界の内側で、二戦目が始まろうとしていた。




