何でも欲しがる私の妹について
二つ離れた私の妹のビビアンは、何でも欲しがる。
「お姉様の青いドレス、とってもきれいだわ! きっと私の方が似合うからちょうだいよ」
「私もそんな大きな宝石が欲しいわ。この前お父様に買ってもらったのは石が小さすぎたんだもの。いいでしょう?」
「そのオルゴールとっても可愛くて素敵ね。お姉様よりも私の方が似合うからもらってあげる」
ドレスや靴に鞄に宝飾品、その他日用品に至るまで根こそぎ持っていかれたせいで、私の部屋にはほとんど何も物がない。
両親にもそのことを伝えたけど、ビビアンに異常に甘い二人は、私は姉なのだからむしろ喜んで差し出すくらいの気持ちでいなさいと叱られる羽目になった。
他にうちには兄もいるけど、やはり両親と同じくビビアンを可愛がって、私のことは全く視界に入っていないほどだった。
三人とも自分たちは平凡なのに、突然変異のように生まれた美しいビビアンを溺愛していたのだ。ちなみに私も兄も両親にそっくりだ。
そんなわけで家族の助けは望めず、そうなると、どうせほしいものがあっても全部妹に持っていかれるのだからとすぐに諦めるようになった。
そんなビビアンは、私の物は何でも欲しがるが、そのくせ私が厳しくさせられている勉強に関しては、ずるいとか、羨ましいから代わってほしいとか、そんなことは一言も言わなかった。
私は将来、我が家よりも格上の侯爵家を継ぐエイダン様という婚約者がいる身だったので、必然勉強をする時間をたくさん設けられた。
また教師が厳しいと有名な人だったためついていくのはかなり大変だったのだが、その彼女は私のこの家での立場を不憫に思ってくれたみたいで、こっそり美味しいお菓子なんかを差し入れしてくれた。
私だけにもらえるお菓子。しかも妹が突撃してそれを奪うこともない。
それに先生はたまに私を外にも連れ出してもくれた。
そこにはいつも、私の四つ上で先生の息子であるセオドア様や私と同い年の娘のエマもいて、彼らと過ごすのは家族と一緒にいるよりも楽しく、私にとってはその時だけが唯一心安らげる、幸せな時間だった。
それがあったから、私は家で不当な扱いを受けていても耐えてこられたのだと思う。
だけどビビアンと家族の、私への風当たりは年々強くなっていく。
そして彼女のことだ。
そのうち侯爵夫人という立場や、エイダン様自身も欲しがるようになるんじゃないかと、そんな予感はしていた。
きっとビビアンにとって侯爵の妻というのはとんでもなく甘美なものに見えるに違いない。
ビビアンは、高位貴族の妻になったら好きなだけ贅沢もできて、皆からはちやほやされ、毎日お茶会やパーティーを開いて遊んで暮らせると思っている節がある。そんなわけないのに。
けれどまともに勉強していないあの子は、そのことに気付かない。
両親は、すぐに嫌なことを投げ出すビビアンを怒りもせず、これだけ美しいのだから多少勉強ができなくても大丈夫、と本人に言っていた。
何も大丈夫ではないし、せめて必要最低限のマナーや教養くらいは身につけないと、うちと同じ伯爵家や、それよりも下位の貴族への嫁入りさえも怪しい。
そう進言したが、やっぱり私の言葉など全く耳を貸してもらえなかった。
そして私の婚約者様のエイダン様は、ビビアンが非常に好ましく思う顔立ちの人物だった。
輝く金色の髪と澄んだ空色の瞳をしたエイダン様は、物腰も柔らかい上に性格も穏やかそうに見え、私という婚約者がいても尚女性から熱い視線を投げかけられていた。
私とエイダン様の仲はたいして悪いわけではなかった。かといって特別いいわけでもなく、エイダン様の悪癖を知る私は、このまま彼と結婚することに不安は持っていた。
それに侯爵家に対しては不満もあった。絶対に家族の前で口にはできなかったけど。
だって私が何を言ったって、あの人たちは全て私が悪いんだと決めつけるに決まっている。そして私が我慢すればすべて丸く収まるとか言うに違いない。
憂鬱だけど、我慢するしかないんだろう。そう思っていた。
けれどある日一つの転機が訪れた。
「すまない。僕の心はビビアンにある。だから君との婚約を解消させてくれないか」
その日はエイダン様とのお茶会の予定の日ではなかったのに、私は急に彼に呼び出されて侯爵邸に向かうと、一応は申し訳なさそうな顔をする彼にそんなことを言われた。
その隣には、優越感を滲ませた笑顔で彼にしなだれかかるビビアンの姿があった。
しかも既に二人は男女の深い仲にあるらしい。
「ごめんなさいお姉様。私の方が可愛いし美しいし、エイダン様もお姉さまのような人よりも私といる方が楽しいからって」
「そうですか。分かりました」
別に二人が引っ付いていたって何も感じない。
むしろ心の中ではあまりにも予想通りの動きをビビアンが見せたので、逆に怖いと思っているほどだ。まさか本当にエイダン様を盗ってしまうなんて。
それなら私とじゃなくて最初からビビアンがエイダン様と婚約を結んでいればよかったのに。
けどそうならなかったのは、単に私の方が彼と年が近かったからだ。
でも私は彼からの婚約解消の申し出に、不満なんて一つもなかった。むしろ彼と結婚しなくてよかったと、ほっと胸を撫で下ろしたほどだ。
彼とあの家に嫁ぐくらいなら、うんと年上の貴族の後妻の方がよっぽどいい。
そしてこれまた予想通り、妹の方が可愛い両親からは婚約者を譲りなさいと言われ、エイダン様の生家である侯爵家も、息子が手を出してしまっていたがためにどうすることもできず、それを了承し、私とエイダン様との婚約はなかったことになって、代わりにその立ち位置にビビアンがおさまった。
ビビアンは私から最も美しくて大切なものを奪えたと思っているようで、婚約してからすぐに挙げられた結婚式の時も、贅を極めたウェディングドレスに身を包んで、私でも見惚れてしまうほどの微笑みを私に見せつけてきた。
……ここで私は少しだけ違和感を覚えた。
本来のあの子であれば、もっと私に自慢するような、そして悦に浸っているような、そんな顔になっていてもおかしくないのに。
なんとなく何かが違うとその時は思ったけど、すぐに気のせいかと考え直した。
一方の私の結婚はどうなるのかというと、特に取り柄もない私に次の人なんてこないと思っていたけど、実はとある人物が私に求婚してきていて、それが私の家庭教師を務めてくれていた例の先生の息子さんのセオドア様だった。
彼とは今でもたまに、親友となったエマの家に遊びにいった時なんかに顔を合わせていた。
一体どういうつもりなんだろうと思って一度ちゃんと会って話を聞くと、一緒に会っているうちに実は私のことを好きになったけど、その時には婚約者がいたので諦めていた。
でもその相手がいなくなったから、思い切って求婚したんだと、真っ赤になった顔でそう告白してくれた。
私はセオドア様に対してそんな感情は持っていなかったので、正直に言うととても驚いたけど、同時に私自身を見てくれていたことにとても嬉しくなった。
そして、どうせ誰かと結婚するのなら、セオドア様がいいと思った。一緒に暮らしていけばきっと、彼への気持ちも育つだろうと思って。
相手が特筆すべきところのない子爵家の嫡男、ということに両親は難色を示したけど、私の相手が誰かを聞きつけたビビアンが、彼の元に私を嫁に行かせるのは大賛成だから認めてあげてと、両親を説得したことにより、彼との結婚が決まった。
勿論妹がそう言ったのは善意ではなく、セオドア様が、瞳も見えないほどに分厚い眼鏡をかけたちょっと野暮ったく思える見た目だったり、実家は特に特筆すべきことはない子爵家の長男だったり、全てにおいて彼がエイダン様に劣っている人だとビビアンが思っているからこその提案だということが、彼女の性格を知る私には分かった。
つまりは私への嫌がらせである。
だけど今回ばかりは彼女の嫌がらせが、私にとってはいい方向に転がってくれた。そういう意味では私はビビアンに感謝した。
こうして私が彼の元へ嫁ぐ日も決まり、出発の当日。
ビビアンはわざわざ見送りに来てくれた。
きっと私を嘲笑うためなんだろう。
そう思っていたのに、最後に見せた笑顔はおおよそこれまでのビビアンに似つかわしくないもので、結婚式の時に感じた違和感を再び思い出す。
「ねえ、ビビアン……」
けれど私が何か言う前に、ビビアンは私を生まれて初めてぎゅっと抱きしめると、体を離す。
そしてその笑顔のまま、
「さようなら、アリアお姉様。どうかお幸せに」
記憶している限り初めて私自身の名前を呼んでそう言うと、くるりと背中を向け、一度も振り向くこともなく立ち去ってしまう。
その後姿を、私はただ呆然と見送ることしかできなかった。
その後セオドア様と結婚した私は、色々と予想外のことに巻き込まれつつも、思っていたように彼のことを好きになり、生涯幸せな人生を歩むことになった。
それでもふっと、あの日のビビアンのことを思い出すことがある。
あの子とは、今は住む国も違うため会うことはないけれど、もしかしたらビビアンはこの結末を知っていたんじゃないかと。
今の私はそんな気がしてならなかった。
●●●●
「やっばい、これあたし、詰んでない!?」
あたしは鏡の前に映る自分を見て、現実を目の前に絶望の声を上げた。
ある日、前世の記憶とやらが蘇った。
そしてここがとある乙女向け小説の世界で、あたしのポジションは、ヒロインの妹という立ち位置だということも分かった。
で、何が詰んでるかというと。
そもそもこの物語のストーリーを説明するとだ。
欲しいものはなんでも妹に奪われるうえに家族からも可愛がられていない可哀そうなとある伯爵家の令嬢のアリアが、妹のビビアンに婚約者のエイダンを寝取られ、婚約解消となった。
が、実は彼女のことがずっと好きだった子爵家の嫡男君であるセオドアに、別れたなら自分と婚約してほしいと言われ、その申し出を受けたアリアは結婚。
けれど実はセオドアは、遠く離れたとある王家の血を引く人物で──彼の母親でアリアの教師役を務めてる人が、実は駆け落ち同然でこの国にやってきた王妹だった──そっちの国の王位継承権を持つ男子が病気やらなんやらでみんないなくなってしまったため、急遽彼に白羽の矢が立ち、後にその国でセオドアは国王に、彼と結婚したアリアは王妃になって、二人は忙しくも幸せに暮らしました、というものだった。
しかもその彼、ぱっと見野暮ったいけど、眼鏡を取って身なりを整えたらものすごいイケメンという、よくあるお約束展開だった。
一方の妹のビビアンはというと、顔もよくて優しい、しかも家柄もいいエイダンを寝取って結婚したものの、その男は可愛い子を見かけたらすぐに手を出す最低野郎だった。
結婚前はまだ純粋に遊ぶだけにとどめていたエイダンだったけど、結婚してからはそれはもうただれまくっていた。
そして次々と使用人や下位貴族の令嬢に手を出して妊娠させては、愛人として離れに囲い込む始末で。
彼の両親もまたクソで、嫁いできたビビアンを、それはもうネチネチといびり倒す。悪口を言われるだけでなく、実際に手だって出されていた。
まあ、ビビアンも侯爵家の女主人になるには勉強不足ってのもあって、彼女自身も悪いんだけど、それにしたって、特に義理母は彼女に対して超絶手厳しく、嫌がらせもたくさんされた。
結果ビビアンは病んでしまい、ストレスからか、若くしてこの世から去ってしまった。
ちなみにアリアは、元婚約者がすぐに他の子にちょっかいをかけることや、義両親のあたりが強いことは知っている……っていうか目の当たりにしていたので、正直結婚したくないと思っていた。
だから妹が寝取ったのは、結果的には彼女にとってはラッキーだった。
そして────あたしがその、寝取った挙句義両親にいびり倒されさっさと死んでしまう、件のその妹ビビアンなのである。
んで詰んでいるっていうのは、そのことを思い出した現時点で、既にその男を寝取ったあとであり、なんなら明日が奴との結婚式である。
……せめて思い出したのがもっと前だったら何かしら対処もあっただろうけど、今思い出したってどうしようもなくない?
あたしはこの小説がすごく好きだったから、ヒロインであたしの姉であるアリアがこんな屑男とクソ侯爵家に嫁ぐことにならずにすんでよかったって思ってる。
将来的に彼女は王妃になるわけだけど、アリアは昔からすごく努力してたし、勉強熱心だし、小説通りだと他国に行っても向こうの人たちにアリアはすぐに受け入れられる。
あと何かあっても、アリア大好き人間で中身もちゃんとしてるセオドアが必ず彼女を助けてくれる。
だからアリアのことは全然心配していない。
問題はあたしだ。
このまま行くと、あたしは死ぬ。
いやいや冗談じゃないって!
せっかく授かった命を、まだ若い内から散らすことになるのは耐えられない。
ならどうするか。……いや、マジでどうしよう。
悩んでいる間にいつの間にか夜が明け、結婚式当日になってしまった。
ビビアンはせっかく元がいいのに、寝不足と色んな意味の疲労度がマックスのせいで、今日の顔のコンディションは最悪だ。
それでも美のスペシャリストたちによりなんとか綺麗な花嫁に仕立て上げられ、エイダンの前に連れられたあたしは、彼の顔を見て心臓が止まるかと思った。
小説では挿絵ですら出てこなかったエイダン。
だけど実物はちょっとやそっとのレベルではないほどの超絶イケメンだった。
あの小説のヒーロー役のセオドアのメガネなし&本気出して綺麗に着飾ったバージョンは、ちょっといかつい系のイケメンだったけど、こっちのエイダンは、まさにキラキラ王子様系の、笑顔がとっても眩しい美青年だったのだ。
そして何を隠そう、あたしはイケメン好きである。
前世でも、性格は難アリだったけど顔が好きすぎて、この顔が一生隣にあるならどんな苦難にも耐えられると思った相手と結婚したほどだ。
そして彼と結婚したあとは、性格の方もなんとか矯正して直させた。
で、エイダンの顔はあたしの好みどストライクであり、前世での旦那様にちょっと似ていた。
これ逃したら多分二度とこんな顔面の人に会えないだろうなというくらいには、顔がいい。
……本当は、面倒な義実家なんて捨ててしまって、家から飛び出して平民として自由に生きようとかと思っていたんだけど、エイダンの顔を見て考えが変わった。
この顔とずっとに一緒にいるって、うん、悪くない。
それに、女性に弱すぎるからすぐにふらふらと色香に負けてしまう人だけど、基本的にはエイダンは性格は優しいし、家を継ぐだけあってその能力は高いし頭もいい。
しかもお金にはまったく困らない侯爵家。
私は全然勉強してこなかったわけだし苦労はするかもだけど、こちとら見た目年齢通りの中身じゃない。前世の記憶持ちで、処世術は既に身に着けている。
本気出せばなんとかなるだろう。
なら、なにもこの家を飛び出して平民になって暮らさなくてもよくない?
それにあたしは嫁姑バトルには慣れている。
陰湿な嫌がらせ? ネチネチ嫌味のオンパレード? 前世でもクソババアには散々やられたわ!
今回もそれと似たような状況になるってだけだ。
そのくらいは耐える……どころか返り討ちにしてみせる。
そのために必要なのは、あたしと両親との板挟みになるエイダンの懐柔である。
義両親とのバトルでは、旦那様がどれだけ自分の味方になってくれるかが重要なポイントになってくる。彼には百パーセントこちらの味方になっててもらわないと。
あとはエイダンの子種撒き散らし問題かぁ。
正直そうホイホイ子供作られたら困る。跡取り問題とかその他諸々と面倒だから。そのへんもきちんと教育しなおさないとだめだな。
ということであたしは、次期侯爵夫人として生きていくことを決めた。
エイダンを矯正して義両親さえ抑え込めれば、小説でもビビアンは男の子を産んだらしいし、あたしの将来も安泰だ。
「ビビアン? どうしたの、体調でも悪い?」
さっきから何も言わず考え込んでいた私に、エイダンが心配そうに眉根を寄せてこちらに顔を近付けてくる。
そんな顔も麗しくて最高だと思いながら、あたしは何でもないと笑ってみせた。
「ビビアン、結婚おめでとう」
その後アリアが私にお祝いの言葉を言いにやってきた。
アリアはビビアンに比べて容姿が普通だって話だったけど、あたしから言わせればそんなことはない。
ビビアンの見た目が超絶美少女なのは認めるけど、アリアはビビアンよりもっと大人っぽくて、凛としてしてきれいだ。
性格だって優しいし、こんなアリアを可愛がらなかった家族に腹が立つ。
まあ、その原因はこれまでのあたしであり、そんな自分自身にもその怒りは向く。
だけど少なくともこれから先、アリアが不幸になることはない。
大丈夫、代わりにあたしがエイダンも侯爵家も全部引き受けるから。
だからアリアは何も心配することはないからね。
「ありがとうお姉様」
そんなことを思いながら、あたしはアリアに言葉を返した。
それからしばらくして、アリアにはやっぱりあのセオドアから婚約したいという話がきた。
あたしは原作通り、いそいそと実家に向かう。
そうそう、嫁ぎ先である侯爵家では早速バトルがはじまっていて、義母には、
「あなはた私の許可がなければ外出禁止と言っているでしょう!」
ってキーキー怒鳴ってたけど、
「母には僕から言っておくから。ビビアンは気にせず行ってきていいよ」
ってな感じで今のところはエイダンがしっかりと抑え込んでくれているから問題ない。
そんなこんなで帰ってきた実家だけど、両親は机に置かれた釣書を見て、アリアの相手をどうするか、まさに悩んでいる最中だった。
そして父が渋い顔をして見ているのは、セオドアの釣書だ。
「うーむ、しかし相手が子爵家だからなぁ」
「ねえあなた。でしたらこちらの方なんていかが?」
母がそんな父に勧めたのは、実はもう一人アリア宛にきていた釣書だ。
それを見て父は満足そうに頷いた。
「よし、いいかもしれんな、後妻にはなるが悪くない」
いや何言ってんのこの人たち。
ちらっと確認した釣書の名前はあたしでも聞き覚えのある人だった。
が、いくら相手がそれなりに力のある侯爵家当主だとしても、その人アリアよりも二十も年上だけど。顔も年齢にしてはそれなりに若く見えた気がするけど、まだうら若き乙女であるアリアを後妻にさせるなんて許せん。
あとそいつ、裏ではモラハラ気質があるって有名だから。
だからあたしは予定通り、アリアの相手はセオドアがいいって強く勧めといた。
そうしたらあたしの言うことは何でも聞く二人はあっさりその提案をのみ、無事にアリアはセオドアと結婚することが決まった。
さて、アリアがセオドアの元へ旅立つ日がきた。
アリアには半年ほどこの国で過ごしたあと、すぐさまセオドアと一緒に遠いあの国へ旅立つ未来がやってくる。
もう会うことはないだろう。だから最後にあたしはアリアに会いたくて、原作にはなかったけどアリアの元へ足が向いていた。
「ビビアン!?」
家族の誰一人見送りにこないなかあたしが現れ、予想外だったようにアリアは声をあげるけど、その後すぐに合点がいったような表情になる。
多分あれだろうな。
家柄最高なイケメンを寝取って幸せを見せびらかしたいあたしが、それよりもはるかに劣る子爵家に嫁ぐ姉を嘲笑いにきた、とでも思っていそうだ。
実際前世を思いだす前のビビアンならそうだったろう。
本当は、アリアにこれまでのことを謝るつもりだった。
けれど今更謝罪されたところであたしが過去にやったことはなかったことにはならないし、アリアにしてみれば何を今更って感じだろう。
謝るという行為によって、あたしの罪悪感が少しだけ軽くなるだけだ。
だから、言わなかった。
代わりにあたしはアリアを思いっきり抱きしめると、
「さようなら、アリアお姉様。どうかお幸せに」
この家ではあたしが生まれてから、記憶している限りあたし含めて誰一人呼ばなかった姉の名前。
そんなアリアの名前をあたしは呼んで、心の底から言葉通り幸せになって欲しいという気持ちを込めてそう言うと、笑顔のままアリアの元を去った。
で、半年後。
予定通りアリアは爆裂イケメンと化したセオドアと共に他国へと渡ってしまい、残ったあたしはというと、それなりに順調な暮らしを送っている。
今のところエイダンはあたしの言うことをよく聞いてくれるし、義両親の盾役をしっかりと果たしている。
さすがにビビアンはお馬鹿すぎたので、子供時代にしておかないといけなかった勉強やマナーの特訓を必死になって欲しい今やっていて、それなりに様にはなってきた。
大丈夫、この調子でいけばあたしの未来もきっと明るい。
それから更に時が過ぎ、あたしは小説のビビアンの亡くなった年齢をとっくに過ぎても、まだ生きていた。
現在のあたしは侯爵夫人だ。
夫のエイダンは原作と違ってふらふら他の子に浮気することなく、あたしにぞっこんである。調教……矯正した甲斐があった。
元侯爵夫婦である義両親は健在だけど、エイダンがさっさと侯爵領の端っこにある別邸へ、私のために早々に追い出してくれた。
さすがに三人目の子供を妊娠したあたしを、二人が階段から突き落とそうとする場面を目撃しちゃあね。エイダンがこっちの味方になっててくれてて本当によかった。
息子は可愛いし、その下の二人の娘は天使だし、あたしも定期的に刺繍教室なんてのを開いたりしていて、貴族の中ではそこそこに評判の良い侯爵夫人として名を馳せている。
「ただいまビビアン。調子はどうだい?」
仕事を終えて帰ってきたエイダンが、ソファに座って子供用のスタイを縫っていたあたしのところに真っ先にやって来ると、頬に一つ口づけを落とす。
「ふふっ、おかげさまで、あたしもこの子も元気よ」
そう答えたら、エイダンはよかった、と相変わらず美しい顔面に最高級の微笑みを浮かべて隣に座ると、愛おしげに四人目のいるあたしのおなかを撫でる。
そんなエイダンを見つめつつ、なんだかんだあったけど、こっちの世界でも幸せだなと思いながら、あたしはエイダンに手を伸ばすと、彼にぎゅっと抱きついたのだった。