1話
ポタッ。ポタッ。血の滴る音が響く。
体が軽い。両腕を無くすと体はここまで軽くなるのか。
この傷ではおそらく、もう戦うことはできない。
俺は負けたのだ。その華麗な連携に。強さに。
正面に立つ4人の青少年。彼らは俺の弟子で、5勇者と呼ばれている。
一人一人が1軍団並みに強い。おそらく、この国で最上位の強さを持っているだろう。それどころか世界的に見ても、彼らと渡り合える者はごくわずかだ。
そんな彼らは俺が教えた技を俺に対して放ち。その全力で容赦のない攻撃は見事に俺を戦闘不能にした。
修行の成果が出てると言えるだろう。だが、俺の心境は別のところにあった。
なぜ裏切った?
確かに叱ったことはあった、だが良好な関係は築けていたのではないか?彼らと話す毎日に、幸せを感じていたのは俺だけなのか?
顔を下に向けうつむいていると、嘲笑混じりのケリーの声が聞こえてきた。
「人類最強の英雄と呼ばれた男。ノア・クレヴァリー。なんてあっけない。どうやらもうその強さは枯れちまったらしいな。」
「ケリー…。なぜだ?なぜ裏切った。」
「裏切った?ぎゃはははっ!そもそも仲間でもなんでもねぇよ!ただ、強くなりたいからお前の元にいただけだ!」
「…。だからそっち側に着いたのか。レグルス側に。」
「あぁ、金や地位が貰えるっていうんだからな。お前の抹殺計画に喜んで乗ったよ!
そもそもお前がくだらない正義感でレグルスに盾着いたからこんなことになってるんだぜ?」
「くだらない…?レグルスは国の乗っ取りを考えているんだぞ?あんな男が国の権力を握れば、国民がどんな目に遭うかわからないのか?」
「だからそれがくだらないってんだよ!レグルスは俺たちのような上の立場は優遇してくれる。そっちの方がいいに決まってるだろ!どう考えても特じゃねぇか!」
勇者とは思えない言動。
ケリー、その顔には醜悪な笑みが浮かんでいる。その言動が心の底から出たものだということがよくわかる。
4年過ごしてきた俺にも一切の感情がないのがわかる。まさかこんな人間だったとは…。
「わりぃなノア。俺も同意見さ。だってよ、俺たちは5勇者なんだぜ?この世で最強クラスの俺らはもっと優遇されるべきだろ?」
「ごめんね。師匠。私もやっぱりお金はほしいの。だから…許してね?」
ドーイとゲロドもまた、欲にまみれたいやらしい笑みを浮かべる。この二人もか…。
確かに彼らとは4年過ごしただけ。彼らのすべてを知っていたわけじゃないし、心の底まで語り合えるほどの仲だったかと問われれば…それも違うのかもしれない。
だが、それでも俺がここまで彼らを信頼している理由は、彼女だ。
ケリーの腕にしがみついている女。エレシア。
彼女とだけは他の5勇者と違い10年以上の付き合いがあった。ある日、俺が魔族に襲われているところを救ったんだ。その日から俺に弟子にしてくれと頼みこみ、様々なことを教える間柄となった。
心から信頼していたし、娘のように思っていた。その彼女がケリーらを紹介してきたのだ。4年前に彼女が5勇者の一人となった時、「私と同じ、5勇者の皆さんです」とな。
それなのに今、彼女はケリーらと共に俺を殺そうとしている。この状況がさっぱり理解できない。あの10年という日々はなんだったんだ…?
「…エレシア、お前はなんだ?お前もやはり金や地位がほしいから俺を裏切ったのか?」
エレシアはその言葉に体をビクっとさせ、何も言わずケリーの腕にしがみつき続ける。その表情は、他の3人と違いどこか申し訳なさを感じる。
ケリーが庇うようにエレシアを後ろに回すと、ニヤニヤとした顔で語りだす。
「おいおい、女に当たるんじゃねぇよみっともねぇ。この光景みてわかんねーか?要はエレシアは俺の事が好きなんだよ。お前みたいな60の老いぼれより俺を選んだってコトさ。」
「…は?」
つまり…男のため?たったそれだけ?好きな男に、ノアを殺そうって言われたから、ただそれだけで裏切ったってことか?なんだそれ…。
思わず、呆れを含んだ乾いた笑いがこぼれた。
「ははっ…。」
「はははっ…。はぁ…。もういい。殺せ。聞きたいことは全て聞いた。」
「くくっ。そうしたいのは山々なんだが、実は今回のミッションはお前を殺すことじゃないんだよ。」
「…なに?」
「厳密にいうなら、殺すしかないときは殺せ、だがもし可能なら捕獲しろという指令なんだよ!」
「…。」
「まぁ、その理由もお前ならわかるよな?それは、お前の能力《天印の恩寵》だ。」
俺の能力《天印の恩寵》は『殺したら相手の魔力と能力を獲得する』というもの。この能力のおかげで人類最強となったといっても過言ではない。
「うらやましいぜ。まさに無敵の能力だ。
だが、この能力には続きがあったんだ。ずっと隠していた真の能力がな。くくっ。まぁ、エレシアにだけ話しちまったことを後悔するんだな。その能力とは『他人にも魔力と能力を分け与える』ことができるってものだ。」
「…。」
「ここまで言えばもうわかるよな?お前が持ってる力を全部よこせってことだよ!」
こいつらは、俺を殺すだけじゃ飽き足らず、全てを搾り取ろうというのか。本当に仲間とは微塵も思っていなかったんだな。
「誰が渡すか。お前らなんかに力をやれば、国は大変なことになる。」
「だろうな。だから捕獲指令が出てたんだよ!」
ケリーの拳がノアの胸に深く突き刺さる。重い衝撃とともに、視界がぐらついた。
意識が薄れていく中、耳元でケリーの声が響く。
「じゃあな、クソじじい。ぎゃはははっ!」
その下品な笑いに続いて、残りの五勇者たちも哄笑をあげる。嘲笑の渦の中で、ノアの体はずるずるとどこかへ運ばれていった。
ーー。
あの戦いから約半日が経過した。
ノアは地下室に鎖を繋がれ拘束されていた。体の傷は全て治っていた。しかし、なぜか魔力と能力は発動することができない。抜け出すことは不可能のようだ。
その時のノアは疲れきり、全てを諦めたかのような顔をしていた。
「こんにちは。英雄ノア。」
見上げると、見たことのない男が立っていた。彼は非常に冷徹な目をしていた。
「…殺せ」
「おや、ノア様。察しがいいのは助かりますが、自己紹介ぐらいさせてくださいよ。
私の名はルキ・アラクリス。レグルス側の人間で、お察しの通り能力を渡してもらいに来ました。」
「…。」
正直、すべてがどうでもいいような気分だ。俺は大切な人に裏切られた。いや、大切だと思っていたのは俺だけだったのだろう。
もう、能力を渡して楽になろうか?別にもういいんじゃないか?
…いや。たったひとつだけ。どうしても譲れない部分があった。それは、国民だ。彼らだけは守らないといけない。この男や5勇者たちに俺の能力がわたってしまったら、もう誰もこいつらを止めれなくなる。それだけは。それだけはなんとしても阻止しないと…。
「殺せ。邪悪なお前らに力を渡すわけにはいかない。」
「素晴らしい。まだ、あなたは英雄として戦うというのですね。
ノア様。正直私はあなたを心の底から尊敬しています。今あなたに起こっていることは、あまりにも残酷だ。決してこんなことがあってはいけない。」
ノアがルキの表情を確認すると、冷たくはあるものの確かに同情や憐みを感じた。
「ですが我々もなんとしてもあなたの能力を貰わないといけない。拷問してでも。
本心で言います。私はそんなことはしたくない。」
「…。」
「もういいではありませんか。あなたは英雄として十分戦いました。なんなら能力を全て我らにくれたら、制限はありますが普通の生活をさせてあげることもできます。ね?渡してください。ノア様。」
「俺の結論は変わらない。拷問でもなんでもしろ…。」
「…。そうですか。気は進みませんが仕方ない。拷問係を呼んできます。どうか早めの判断を。」
そういってルキは去っていく。ノアは顔を伏せ、今まで出会った国民の顔を思い浮かべる。彼らのために、俺は負けられない。負けられないんだ…。
そして約1時間後。軽い足音がこちらに近づいてくる。紫色のローブを着た女の足音だった。その後ろからふわふわと浮いた大きめのカバンがついてきている。
「こんにちは、ノア様!私、拷問係のカシム・ベンシュと言います!」
カシムのその声色は、まるで今からおもちゃで遊ぶ子供のような、わくわくしているものだった。
「あ!おほん!失礼。少し落ち着きますね。今回、ルキ様に言われ、あなたを拷問します。が、最初にルキ様からの伝言があります!実は私には能力がありまして。その能力が『精神が私より弱った状態の人を自由に操る』というものなんです。つまりあなたを操って能力を渡してもらうわけです。ただルキ様は、この能力のせいで逆に大変だっておっしゃったんですよね。
だってあなたは、正義感で拷問に耐えるんですよね。でも延々と繰り返される拷問の中で、精神が弱ることすら許されない。一瞬もです。なのでおそらく、これまでの拷問の中で最も過酷だと思われます。まさに地獄でしょう。本当に最後に聞きます。我々に力を渡す気はありませんか?」
…。もう決まっている。これが俺の英雄としての最後の戦いだ。
「あぁ、渡す気はない。」
すると少し緊張していた様子のカシムは、いっきに顔色を変えとても喜んだ。
「あぁ!よかったです!あはは!安心!本当は私拷問が大好きで、今回の拷問は絶対やりたかったんですよ!はぁ~よかった。ありがとうございますね!ノア様!」
「…。」
「では、さっそく始めましょうか!なるべく耐えてくださいね!ノア様。」
そう言い終わると同時にカシムのカバンのジッパーがひとりでに開き、中から様々な道具が出てくる。出てきた道具はそのまま空中に留まった。ふわふわと。
そしてカシムが鼻歌を歌いながら道具を選ぶ。カシムは浮いたハンマーと釘を手に取ると、ノアに近づいた。
そして、とても楽しそうにノアの腹に釘を刺し込みハンマーで打ち付け始めた。打つたびに腹に刺さっていく釘の感触をしっかり感じる。
「がっ…かはっ…!」
「あははは!さすがノア様のお腹、何回も打たないとしっかり刺さりませんね!!」
頬を染め、非常に楽しそうにカシムが言う。そして数十分後、約20本の釘が腹に打ち終わる。
すると今度はカシムはろうそくを持ってきて、腹に刺さっている釘を温め始めた。
釘が次第に熱くなり、内臓が焼かれるような激痛を味わう。そのノアの苦しそうな仕草はカシムの気持ちを高ぶらせた。
拷問は続く。皮を剥がれたり、関節をねじ切られたりなど。やがて全身が血まみれの肉塊と化し、痛みという感覚すら薄れていく。しかし、カシムの能力が発動するまで終わらない。
ノアの体を回復させて、また別の方法で拷問していった。また肉塊となるまで。
そんな拷問が延々と繰り返される中、ノアはただ耐えていた。カシムの能力に支配されぬよう必死に。しかし、この戦いに勝つには彼に勇気が足りない。彼を支える仲間が足りない。徐々に、しかし確実に、ノアの精神は弱っていく…。
ーー。
拷問が開始して1025日後。おそらく3000回は肉塊になったであろうころ、ついにカシムの能力
《呪誓の囁き》が発動した。
「あ!あ!や、やっと能力が発動した!
ふぅ~、時間かかりすぎ~。流石の私も途中で飽きて他の人に変わって貰ってたりしたんだから!
もう、いい加減にしてよね。この馬鹿!」
そう言いながら、カシムが一人のガリガリに痩せた老人を蹴とばす。しかし老人はなんの反応も示さない。それは、かつてノアだったなにかだ。
「ふぅ~つっかれた~!や~っと終われるー!さて、ルキ様よんでこよー!」
そう言うとカシムは拷問器具が入ったカバンと共に去っていった。それから2日後、ルキがやってきた。
「お久しぶりです。ノア様。では、さっさと済ませましょうか。英雄ノアよ。私を含め、これからやってくる10人に均等に能力と魔力を渡しなさい。」
するとノアの表情は微動だにしなかったが、右腕が突然動いた。そしてルキに触れ、能力と魔力がルキの体に注がれた。
ルキはその初めての感覚に少し驚き呆けていたが、気を取り戻した。
「…ふぅ。これはすごい。ありがとうございます。本当は、私が全ての能力を頂きたいのですが、5勇者との契約があるので仕方ありませんね。では、次の者を呼んできます。全員が済みましたらまた来ます。」
そういうとルキは去っていった。それから見たこともない者が数人やってきた。おそらくルキの仲間だろう。同様に能力を継承すると、次に5勇者の番がやってきた。初めに来たのはケリーだった。
「ぎゃははは!おいおい!この枯れ葉みてぇなジジイがノアなのか!?ざまぁねぇな最強さんよぉ!」
ケリーはバカ笑いしながらノアの顔を蹴る。彼はかなり成長しており、一回り大きくなっていた。他人を見下す性格も同様に。
しかし、そんな彼を見てもノアはなんの反応も見せずただ能力を渡しただけだった。
「あー?なんだ壊れちまってるじゃねぇか。つまんね。じゃあな、ありがとうよ人類最強!」
虫でも見るかのような目でノアを見た後ケリーは去っていった。
約一時間後、エレシアがやってきた。すっかり成長し美しい女性へと変わっていた。しかしノアをみるなり、あの頃のように泣き出す。そして彼女はずっと謝罪を繰り返す。何度も。
その表情はまるで、本当はしたくなかったけど仕方なくやってしまった、という感じだった。そして涙が枯れたころに、ノアに命令し能力を受け取った。
「どうか…お許しください。ノア様。」
そして最後にドーイとゲロド。嘲笑を浮かべながら、能力を受け取る。これで最初にルキが言った10人、すべての者に能力がわたった。するとルキと兵士二人がノアのもとにやってくる。
「お疲れ様でした。あなたの戦いはようやく終わりです。ノア様。おい、連れていけ。」
そういうと兵士二人がノアを担ぎ上げる。
そのまま外へ運び出し、馬車へと乗せ、かつて人類最強が守っていた、ガバゼラウ国の都市レストリアへと向かった。
馬車が走っている間、ノアと一緒に乗ったルキが語りだした。
「…ノア様。実はあなたが地下に幽閉されたあの日、世間では英雄の失踪事件として大騒ぎになったんです。魔王を討ち取った、人類最強の英雄は人気でした。
これに困ったレグルスはあなたに冤罪をかけ、犯罪者とすることにしました。具体的には、異種族絡みの事件をでっち上げ、原因はあなたにあると報道したりね。
ですので今からあなたは、罪人として処刑されます。
唯一の救いはあなたがすでに抜け殻で、何も気づかずに死ねることでしょう。」
ルキはまた少しの同情と憐みの表情を見せると、ちょうどレストリアに着いた。ルキはそこで馬車を降りる。馬車にはノアと兵士だけが残り、引き続き、都市の中でもひときわ騒がしい方角へと進んでいく。
そして馬車が停止すると、兵士がノアを外へ降ろした。
その瞬間——群衆の憎しみが、怒号となってノアに浴びせられる。ルキの言っていた捏造は成功したようだ。
そのまま、ノアが処刑台に上がると、民衆から凄まじい怒号が飛び交う。自力で立つことすらできない老人に、石や汚物が投げられる。
捏造によって民衆が騙されてしまうのは、ある意味仕方のないことだった。
だが、それにしても、最後まで国民のために戦った英雄に対して、あまりの仕打ちだった。
やがて、役人が手を挙げ民衆を制し、静けさを取り戻したのを見計らって、口を開く。
「この者、ノアは、かつては民を助け、義を重んじる者であった。
されどその光はいつしか闇に呑まれた。王国法に照らし、その悪行もはや見逃すこと叶わず。ここに、ノアに対し、死刑をもって裁きを下す。」
人々からは歓喜の声があがる。
「最後にノア、何か言うことはあるか。なければ刑を執行する。」
しかし、ノアは何の反応も示さず、おそらく言葉を発することもできないだろう。
それを確認した役人は、処刑の号令を下そうとする。
その瞬間、おかしなことがおこった。
騒がしかった民衆が静まり返り、場は不気味な静寂に包まれたのだ。
それは全ての者がノアの顔をみたからだ。
その顔に、表情に、誰も口を開くことができなかった。
そして本当にかすかな声でノアはつぶやいた。
「次があれば、俺も好きにやってみよう。お前らのように。」
次の瞬間ノアは絶命した。その場にいた誰ひとりとして、動くことができなかった。
つい先ほどまで、ただ正義の執行を喜んでいただけだったのに。
もしや、とてつもない過ちを犯してしまったのではないか。という感覚に襲われていた。