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6.アリーシャ

 ベッドルームから物音がして目を覚ますと、ソファでそのまま横になっていた。まどろみのない義務的な目覚めに身を起こす。


 窓から日の出が差している。陽光は一条の光芒となり、ローテーブルの食い散らかしようをあげつらった。アメニティと空の食器類が地層を成している。


 寝落ちしちまった。


 昨晩の映画は昔の名作らしかったが、やはり耳に入る言葉が違うと途端に眠くなる。つけっ放しのテレビは今、ひょうきんなミュージカルを流していた。


 長~いあくびが耳に入る。映画役者のものではない。小さな男の子が戦闘機のおもちゃに熱中している時に上げるはしゃぎ声のようだった。あくびの途中で「おはよ(ぽぱほ)ー」を挟んだせいで余計に滑稽だ。


 声の主がベッドルームからずる……ずる……と、絨毯に室内履きの轍をつけながら現れる。アリーシャだ。目を擦り、夢の国から迷い出たといった風体だった。


 髪は強風に煽られた一瞬を固めたような寝癖、肩紐の外れたワンピース、しおしお顔で、今にも国に強制送還されそうだ。多分、海路で。舟を漕ぐって言うし。いや、洟提灯が膨らんできた。気球で空路か。


「良く眠れたみてーだな」つっけんどんにイムティヤーズが言う。


「はぇ」アリーシャが夢の向こうで目を瞬かせる。洟提灯が弾けた。「わぁ~……」パタパタと室内履きを鳴らして、イムティヤーズの方へ、あんよが上手。「イムちゃんだぁ~。何でぇ~」


 何でじゃねえよ。昨日あんだけ暴れといて覚えてねえのかよ。


 イムティヤーズの気も知らず、両腕を広げたゆるふわハグ魔が来る。身構えた。汗まみれで起き抜けの女なんかごめんだ。


 これ以上近寄ったら足蹴にするぞと決めのだが、境界線の手前でアリーシャはとぼ……とぼと勢いを失くし、怪訝そうに眉を寄せた。イムティヤーズも不審がっていると、二、三回ほど鼻をかぎ、これ見よがしに自分の鼻を摘まみ、「(あん)(くちゃ)~い」とぶー垂れる。


 ギクッとしたが、イムティヤーズは努めて冷静を装った。


「てめえがだよ。鏡見ろ」


「この映画、安っぽ~い」


 マイペースにアリーシャはリモコンを操って、アニマルチャンネルに合わせる。ペット特集らしい。「わぁ~、ネコちゃ~ん」とご満悦だ。


 リモコンを奪ってニュースチャンネルに変えた。


「か・が・み・を・み・ろ」化粧台をリモコンで操作できれば良いのに。


 寝ぼけたままらしいアリーシャは、イムティヤーズの言う通りに、化粧台にちょこんと座った。鏡像と本物でハードコアパンクヘアが二倍茂る。さすがののんびり屋も今日の寝癖には息を呑み――


「……とっても、とぉーっても、可愛い人がいる~」


 自己肯定感アリマクリーシャめ。


「可哀そうの間違いだろ……とっとと風呂入ってシャンとして来い」


「イムちゃん洗って~」


「ガキかよ! 一人でできるだろ!」


「イムちゃんも一緒にお風呂入ろうよ~。気持ち良いよ~」


 てめえなんぞにつけられた引っ掻き傷を見せるだなんて死んでも嫌だ。


「昨日帰って入ったから良い」


「え~?」再び鼻を摘まむ。「ちゃんと洗わなきゃ意味ないよ~」


「てめえの汗と垢と目ヤニと鼻水とよだれ跡と抜け毛とフケと臭いが移るのが嫌だっつってんだよ」


「そんなに汚くないもん!」


「黙れ。口臭がキツい。歯ぁ磨け」


「むぅ~!」威嚇するフグの真似から、滑らかに床に転がって駄々をこねる。「や~だやぁ~だぁ~! イムちゃんと一緒じゃなきゃ入んない~!」


 絨毯の毛、埃、その他ゴミ、汚れ。いよいよアリーシャが()嬢様に。


「ハッ、埃まみれになったてめえなんか猶更願い下げだね。故郷とダブるわ」


 ガバッと起きたフグが、顔を真っ赤にしてはち切れんばかりに睨んでくる。面白(おもしれ)ぇ、ガン飛ばしゃ何か変わんのか? お? イムティヤーズが内心蔑んでいるのを察知して、とうとうアリーシャはぷいとそっぽを向く。ダン! ダン! と立つ際にわざとらしく足を鳴らそうとするが、ふかふかの絨毯が音を殺す。悔しそうにその場で足踏みぽふんぽふん。くるんと背を向け、出口へと行く。


「もう良い! 爺やと一緒に入る!」


「そいつぁ良いや。爺やも喜ぶぜ」


 アリーシャが耳を疑って、ぐ、と止まった。


 直前までのぶりっ子めいた声音が、寒気を覚える本気トーンに下がる。「何で止めてくれないの……?」良い気味だ。イムティヤーズは思わずにやけた。


「ガキの頃に身体洗った経験の一つや二つ、あんだろ、どうせ。童心に帰って一緒に入ってやれって。我が儘を叶えてもらってるお礼にゃ、丁度良い孝行だぜ」


 アリーシャのしかめっ面に胡乱な気配が滲んで、胡乱のピークに達した瞬間に溜め息とともに肩を落とす。スタスタとバスルームへの道すがらおもむろにワンピースを脱ぎ、イムティヤーズの方に思い切り投げつけた。


 難なくキャッチしたものの、汗で汚いわ、丸めてもいないのに重いわで結構な衝撃だった。慣性で振り切った汗の雫が顔面を叩く。視界一面が脱ぎたてワンピースで、ほんの少し意表を突かれている内に、アリーシャは振りかざしたルームサービス表の角を、イムティヤーズの頭に叩きつけた。


 頭を抱える。声にならない悶絶。「てめっ――!」何しやがる、が引っこんだ。「へぶっ」じっとり汗の染みた布その二が、顔面にパシーンと叩きつけられる。冷たい。


「洗っといて。替えも用意して」


 答えは聞いていないとばかりに、アリーシャはバスルームに姿を消す。


 かと思えば顔だけ出して「意地悪!!」と言い捨てて隠れ、しばらくするとシャワーの湯が床と壁を叩き始めた。


 命の恩人にやる仕打ちか、これが。やるせなさと馬鹿らしさの余韻から覚めたイムティヤーズは、顔に貼りつく布を慎重に剥いだ。まあ、可愛らしいレースのおパンツだこと。お床にぶっ叩きつけあそばせ。


 ベッドルームに戻りつつ、洗濯物を掻き集める。いの一番に自ら叩きつけたパンツを拾うくらいなら、普通に持っておけば良かった。洗濯だって全部爺や任せだってのに、今更じゃねえか。その最中にさり気なく自分の体臭もチェックしてみたが、やはりギリギリ僅差でアリーシャの方が臭う。と思う。脳内審判三人中二人もそう言っている。うーん、判定勝ち。


「うわわわ、うひゃ~! イ、イムちゃ~ん! イ~ム~ちゃ~ん!」


 バスルームからおどけた悲鳴が反響する。やれやれと特大の溜め息をついて、お呼びとあらばと馳せ参じる。


「今度は何だ――」サロンを挟んで向かいの扉を開けると、そこは泡の壁だった。全身が白く呑まれた。ソファの手前で泡雪崩が止まった。


 足の着かない水中に飛びこんだときのようにあっぷあっぷしながら、イムティヤーズは「ンだよこれぇ!?」と叫んだ。バスタブがあったあたりから泡が噴火している。


「アリーシャ! 何がどうなってんだ!?」


 噴火した泡の一塊が蛇行して、イムティヤーズの方へ流れて来る。胸あたりにゴンと硬いのがぶつかり、腹あたりにも泡にしては固い……一般的には柔らかい部類の感触が当たる。


 たっぷりの泡を掻き分けると、そこはアリーシャだった。


「ゔああ、イムちゃ~ん」


 涙に目元を赤らめて鼻声で泣きわめくアリーシャは、泡のせいで室外のフラワーアレンジメントにそっくりだ。バブルバスの分量がわからずこうなったとか、怖かったのがどうとか、必死の弁明も半分しか耳に入らず、イムティヤーズは指を差して笑ってやった。


「やっぱり一緒に入ってぇ~!」


 一音一音濁音がかった懇願に、呆れて「てンめえ、ガキ未満がよぉ!」と凄むが、どうしてもおかしくて引きつってしまう。


 結局、お互いに泡まみれになって今更入浴を拒む理由もなく、イムティヤーズは困った女とご一緒してやった。どうせ後で入るつもりではあったのだし、もう意地を通すには馬鹿馬鹿しすぎた。何より放っておくとこの女、次に何をしでかすか。


 そういう訳なので、アリーシャの背中を流すのは親愛からではなく、バブルバスの二の舞を避けるためにしてやるのだ。ついでにバスタオルで髪もまとめてやった。


「イムちゃんにもやったげる」


「いらねえよ。髪の長さ見てみろ」


 子どもみたいに駄々をこねだす前に、アリーシャを湯船に浸からせる。だが、イムティヤーズも一緒が良いと結局駄々をこねたので、渋々二人で入った。


 一面が泡だらけのバスルームは、壁がどこまで続いているか判然としない。アヒルのおもちゃをどこに置いても沈まないくらい、泡のキメが細かい。気持ち分だけ広がった開放感と、全身をふんわり包む温かな泡の抱擁感。仕事終わりのシャワーが霞む。思わず満悦が吐息に出る。


「ねえ、イムちゃん」胸に預けた頭を仰け反らせ、アリーシャがイムティヤーズと目を合わせる。「初仕事はどうだった? 聞かせて欲しいな」


「ああ」業務報告「成果はアル=バウワーブの連中十人。首突っこんできた氏族っぽい連中たくさん」


「生き残りは」


 笑ってしまう質問だ。「アル=バウワーブの十人は全員始末した。あと氏族連中が何人か」


「わぁ、中々良い感じ~」ぱたぱた鳴る拍手を、アリーシャはふと止める。「次からは標的の中から一匹残そうね」


 微かに不機嫌を臭わせるアリーシャ。不意とはいえ、非力な女に殺し屋がプレッシャーを覚える。


「何で」


「だって、宣戦布告だよ? 夢に出ちゃうくらい怖く怖~く演出しないと。それに、氏族の紐帯があったところで所詮は部外者でしょ? 当事者じゃないと伝わらないこと、一杯あると思うんだ~。イムちゃんの影に怯えてもらうには、特徴を覚えて帰ってもらわないと~」


 えげつねえな、こいつ。「となると……俺のだけで良いのか?」


 アリーシャは小首を傾げた。


「どうせなら、俺とてめえの影に怯えてもらうのはどうだっつってんの」


「……素敵」うっとりと言いながら「でも、今は駄目。私、すぐに死んじゃいそう」


「そうか?」殺しても死なないタマだろ。


「挑発はほどほどにしないとね~。でも、アイデアは好き。覚えておくね」


 それから、寄り道について、そしてアリーシャの錯乱について。「ま、つまり、俺が余計な真似をしたから、てめえは余計に苦しむ羽目になったっつーこった」


「ふーん、そっか~」


 もぞ、とアリーシャは微かに逡巡するように身をよじる。風呂の湯面へ俯き、一瞬だけ黙っていたかと思うと、ちゃぷんと湯が波打って、クス、クスクス、と波紋が幾重にも重なるように、愛嬌たっぷりに笑った。


「嗚呼、貴方をおいて他になき神よ」声音から陶酔を隠しきれていない。「またも我らは試練を一つ越え、病魔めはこの命一つ狩れずじまい。どのような困難であろうとも、やはり我らの歩むべき運命の前には些細なことなのですね……」


 歌を口ずさむような口調が、次第に喜色を帯びていく。


 イムティヤーズからアリーシャの表情は窺い知れない。だが、どのような目をしているかは見えなくても知っていた。黒真珠の瞳は闇を一層増し、しかし輝きは失わず、直視した者の目を焼きかねない――皆既日食の瞳とは、初めてその目を見た後に知識を得てから、そう呼んでいる。


「礼を申しますわ、イムティヤーズ」アリーシャは人が変わったような言葉を遣った。「貴女のおっしゃる気紛れこそ、紛れもなく神の啓示です」


「ンなもん俺に降りるか。よりにもよって」


「では、死の瀬戸際にあってなお、私がこうして生き長らえているのはどうしてかしら?」


「薬が」間に合っただけだろ。と言おうとしても、「そう、神はこうおっしゃっているに違いありません」と尋ねたつもりすらなく継ぐアリーシャ。


「復讐するは汝にあり。運命が、神が、星の巡りが、私の背を押してくださるのなら、私たちを阻むものなどあり得ません」


 胸の中でクツクツと笑う娘を見下ろして、イムティヤーズは沈思する。ああ、殻に籠ってんな。自身のほの暗い箇所に触れると、アリーシャはこういう発作を起こす。


 こうなると「……そうだな。そうだ」と、心にもない同調を示すくらいしか、イムティヤーズにはできなかった。「そうだからさ」おざなりにあしらってやれば、今日こそはいつもの抜けた調子に戻る気がして。


 後は、頭を撫でてやることくらい。胸から少し離れたつむじが、タオルに隠れただけで馬鹿に遠く感じる。触れるか触れまいか逡巡し、やっと触れる手前。


「怪我させてごめんね、イムちゃん」


 水滴が湯面を叩く。イムティヤーズは伸ばした手を引き、バスタブに背をどっかりと預けた。


「いつ気づいた」


「一緒に泡まみれになったとき、染みたでしょ」


 確かに染みた。だが、バレるようなサインを出したつもりはない。


 皆既日食の瞳……ただの天体現象を凶兆だ、神意だと騒ぎ立てる、人の愚かを遥か高みから暴く瞳。


「……隠し事は無駄でもよぉ、こっちの気遣いまで無駄にするこたぁねえだろ」


 アリーシャは振り返らない。俯いたまま、首を横に振る。


「これからも危ない目に一杯遭わせるのに、怪我して来るかもしれないのに、私が傷つけちゃった。ごめんね」


 彼女の中の堰が切れたのか「ごめんね」で溢れていく。助けてくれたお礼が遅くなって、ごめんね。なのに、我が儘言ってごめんね。宿泊費もうなくてごめんね。パンツ投げてごぷぇ。


「おい」麗しい両頬を平たく潰してやった。「流されねえからな? 宿代が何だって?」


 両手に挟まれてぺたんこなアリーシャがもぞもぞ声を転がした。発音を直すと「ぼ、暴力反対。サアドゥーン家緊急家族会議開催を打診する」

パソコンからご覧いただくことが多いようなので、もう少し公開時間を遅らせようか悩んでます。

実際どうでしょう? その方が良いですか?


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オラに元気を分けてくれ!

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