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24.信じられるか爺さん

 汚い虹がかかるのを遠目に、ラハイが降り立つ。掴んだ襟首すら汚らわしく、イムティヤーズはコートの裾で拭いて、催促の指遣いを見せた。ラハイは肩をすくめ、懐からキャッシュカードを根こそぎ抜く。


 イムティヤーズがコートから手榴弾を出し、口でピンを抜く。


「身ぐるみ置きます!」ラハイの声が裏返る。


 手榴弾は明後日の方向に弧を描いた。投げた方向から荒々しい運転の気配が近づいて来る。ドリフトし急停止する車体はハンドル側を前にして、乱暴に開け放たれたドアから運転手が降りた。


「もう逃がさ」その足元に手榴弾が着地した瞬間、炸裂した。断末魔は闇夜に還ることもなく、爆発音の八つ裂きとなる。しれっとバハドゥルが速足で逃げた。


「あの野郎、どっかで……」


 ラハイのドン引きした目が、イムティヤーズと爆心地を往復する。


「ンだよ。派手にドンパチやってるトコにサイレンも鳴らさねえで来る車なんて、碌なもんじゃねえだろ」


「聞こえたのかい。来るのが」


「アリーシャならもっと早え」


 黒煙の立ちこめる先で、イムティヤーズの目の端に、鈍い光が映った。運転手を失った車の窓が割れる。カードを差し出すラハイの手首を掴み、強引に抱き寄せ、倒れる勢いを乗せて路面を蹴り、跳ぶ。散らばるカード、二人のいた空間に、自動小銃の連射が襲う。カード一枚に風穴を空け、射線が二人を追う。肺を突かれたような苦悶。二人が隠れた金属製のダストステーションに穴が開く。そこは丁度、ターイウが吐いた場所だった。


「驚いたよ、ご婦人」射撃手の声が路地に通る。「どうしてここにいるのかね」


 自動小銃を構えたディルガームが、悠々と歩み寄って来る。


 そうだった。イムティヤーズの既視感の正体は、ディルガームの護衛だ。


 イムティヤーズは腰のポシェットに触れる。肩に激痛が走る。腕が上がらない。肘も思うように曲がらない。肩甲骨に異物感がある。骨折、いや、弾丸が肩関節に噛んだか。


 反対の腕は生きている。吸入器を出し、薬を吸った。饐えた臭いが入ってきてウンザリする。銃に持ち替える。利き手でないだけで、重厚さが別物だった。


「君は一体何者だ」


「ウーバーイーツの嘱託」喘ぐように応える。軽口に余裕がない。


 じゃあ、余裕のない奴が弾けばどうだ。物陰からイムティヤーズが撃つ。銃弾はディルガームを大きく外れ、車体に当たり、車窓へ乱入する。ディルガームが撃ち返す寸前、イムティヤーズは忌々しく身を隠した。


「冗談が下手だな。不意打ちも。そこな不可触民(パーリヤ)とどういう関係だ」


 ラハイの目に、コートの背に開いた銃痕が飛びこむ。血が滾々と湧いている。「防弾」ラハイが息を呑むのを聞き、イムティヤーズは小声で伝えた。だから何だ。防げていないし、防げたところで背中はヤバい。現に衝撃が洒落になっていない。ラハイを抱いたせいで弾の威力を逃がし損ねてしまった。


「恋人にでも見えるか、ええ? 出歯亀」息を整えながらスマホを出した。


 銃弾が炸裂する。ラハイとターイウが抱き合って小さくなった。「威嚇にビビんな」イムティヤーズはイラつきつつもスマホ操作を止めない。


「言葉に気をつけろ。死にたかないだろ。何故儂の息子を殺した連中と一緒にいる?」


「あん!? いや違――!」


 威嚇射撃が遮る。威嚇が霞む怒声が、周囲の大気を圧する。


()あっとれい! 始祖も経典も持たん異教徒のシャバ僧めが!」


 額に青筋を浮かべ、ディルガームは唾を飛ばす。正気を保てないのを自覚してか、鼻から火を噴かん形相で荒ぶる息を抑えようとしていた。息子の死を聞き、組織が下賤なゴロツキに食い荒らされる音を聞き、腹の底でどろどろと衝動が渦巻いている。


 衝動の遠心力に振り回されるのを堪えるかのような足取りで、ディルガームはダストステーションに近づく。荒い息遣いに、イムティヤーズが初めて親近感を抱いた。


「儂は、クファールを、知識の発信地にしようと、心血を注いできた。何故だと思う」歩みに合わせて、ディルガームが訥々と語る。「栄華も、荒廃も、復興も! 全て西側の都合でしかなかったからだ! 植民地化! 戦争! 人道主義! いずれも外からもたらされた概念だ! 発端から決着に至るまではおろか、かけられた情け一つまで何一つとして我らが望んだ結果ではない! 列強の顔色を窺わねばならん立場はもう御免だ! 儂らの土地だ! 儂らの意思だ! 意地を通すには対等にならねばならん!」


「ご大層なガリ勉で」


「冷笑か。楽しかろう。好きなだけ嗤え。人を騙し、殺めるしか能のない貴様らに、儂の覚悟はわからん。目的に適うなら、過程にそぐわずとも、あらゆる手段を厭わなんだ。儂自身の主義、信条に反していようと、それがいかに唾棄すべき行いであろうともだ。だと言うのに……」


 不甲斐ない。ディルガームの銃は、三人を見下ろした。


「未だ貴様らの目は啓かれておらん」


 イムティヤーズは神妙に見据えた。隣で肩を揺らしてくるラハイを気にかけず、グロッキーのターイウは端から意識の外、というか即刻ゲロと一緒に消えて欲しかった。


 オムツ穿いても思想を垂れ流す耄碌爺よかマシか。


「信じられるか爺さん」イムティヤーズは下から見下した。「紙でできてる金があるんだぞ」


「……なに?」


「いや、今はもっとすげえ。電気でできた金だってある。金を使えば色々できるんだ。できれば身なりは整ってた方が良い。余所行きの格好ってやつな。それからよ、食い物と飲み物には洒落た名前がついてる。何言ってっかわかんねー映画も面白い。何か洗うと気分が良い。コーディネートは奥が深い。ただな、人形が作れるってのは少しフカし過ぎだ」


 全て、名前をくれた少女が、根気強く教えてくれた。私の家族になるんだから、これくらいのことは覚えなさいよね。上から目線で何様だと常々思っていたが、不思議と殺す気は起きず、結局今日まで隣にいる。


「ふざけているのか?」


「大真面目だよ。俺は今の話を聞いて、感謝が溢れて止まらねえんだ」


「命乞いのつもりか。今更媚びへつらっても遅い」


「あんたが勉強勉強口酸っぱく世の中に言い含めてくれたおかげで俺は今言ったモン全部知ることができたって言ってんだよ徹頭徹尾真心だろうが」


 ディルガームの銃弾が壁を穿つ。


「どこまで儂を愚弄すれば気が済む! そんなこと、誰だって知っている! 儂が駆けずり回らずともな!」


「字、読めねえんだよ、俺」


 ディルガームがイムティヤーズを見る目が変わる。含む意味が余りに重かった。それは縮図であった。その一言は彼が嘆く荒廃の時代の光景であり、啓きたかった無明であり、しかし時代に愛されず、代わりに踏みにじられた赤子のように咽び泣く信念であった。


 イムティヤーズの姿が一瞬、痩せ衰えたストリートチルドレンと重なった。


「でも、便利なんだぜ。スマホが代わりに読んでくれるし、声を文字にもしてくれる。それに、何となくでも使えるし」ブラインドで操作していた画面を、きつくタップした。


 排気音がディルガームに肉薄した。


 ディルガームを、全速力のバイクが轢き逃げる。セミオートで走るイムティヤーズの愛機は、流線型のボディで老人を撥ね上げた。回転し落下する身体を残した風で受け止め、義理を果たしたとばかりに地面へ叩きつける。


「こんな風にな」


 のっそり立ち上がったイムティヤーズは、利き手の逆に拳銃を握り、のたうつディルガームの四肢を撃ち抜いた。流れ弾に見せかけて、車中に伏兵が残っていないことは確認済みだ。


()り、利き手ならできるだけ痛くないトコ撃ってやれたのによお」


 銃声、絶叫、苦悶が、人知れず路地に響く中、近くを過ぎて行く車の群は空港で待ち伏せていたアル=バウワーブ一家の物だった。ゴロツキの襲撃を受けて立ち往生している仲間の元へ駆けつける彼らは、脇目も振らずに急いで車を走らせていた。


 ディルガームの嗚咽とも嘆きともつかない苦悶を無視して、イムティヤーズは懐をまさぐる。とっくに息絶えた護衛の分も。


「おい」イムティヤーズがラハイに懐の中身を投げた。お手玉ながらに取ったそれは、電子キーだった。「車を見てくれ」


「僕があ?」


「怪我してんの」広がった血の染みをこれ見よがしにする。「送ってくんねえ?」


 お互いに見つめる瞳は真っ直ぐだが、逡巡を帯びていた。


 アリーシャはラハイと分け前について相談するつもりでいる。カードを人質に着いて来させる気でいたが、肩の怪我はバイクの運転に影響が出るだろう。自動車が目の前にあるのは僥倖だったが、やはりこの肩では運転をしながら非常時に対応できない。帰る足を人に、それも一度アリーシャを出し抜いた野郎に預けて良いものか。


 イムティヤーズはあの人殺しの仲間で、むしろ殺しは彼女の本分だろう。ラハイとは相容れない存在だ。ラハイは地面に散乱するカードを掻き集め、抜けた腰に一発気合を入れて立ち上がった。


「人殺しとはつるまない主義でね」


 すれ違いざまに、ラハイは突き返す。キャッシュカードを。


「かと言って、恩知らずでもない」


 ターイウ、バハドゥルのエスコートを頼み、ラハイは車を調べに向かう。げっそりしたターイウが、風任せの歩調でラクダを追う。


 イムティヤーズは這いつくばって死を目前にした老人を踏みにじり「ビデオ通話、アリーシャへ」とスマホのアシスタント機能に要求した。数コール後、画面から離れてソファに座るアリーシャが映った。


『お疲れ様~、イムちゃ』アリーシャの表情が固まった。『肩、誰がやったの』


 相変わらずの勘で。「どうでも良い。ディルガームに話があんだろ」


『へえ、ディルガームがやったんだ~。殺して良いよ。そんなの、もう』


「心と会話すんな。俺の仕事を台無しにすんなら承知しねえぞ」


『そうだね。ありがとう。イムちゃん、私の代わりに冷静でいてくれるとこが好き』


 歯が浮く予感がしたので、イムティヤーズは画面をディルガームの前に移した。


『最後まで聞いて~!』


「俺の雇い主だ。失礼のねえようにな」


 一瞬だけむくれっ面が流出したものの、アリーシャは悶える老人に淑女の外面で語りかけた。


『御機嫌よう、ディルガーム。あら、顔色が優れませんわね。父親のお立場がございませんわ。ご子息は去勢されても最期までご壮健でしたわよ』


 二本足の人に見立てた手と、銃に見立てた手が並ぶ。二本足のつけ根を狙う銃が「バーン♪」と放たれ、チープなアニメのように人はビクビク痙攣した。


 隈を濃くした目に怒りが灯り、ディルガームは自身の血の上でもがいた。イムティヤーズがその腕を組み伏せ、膝で押えつける。後頭部に銃口を――ディヤーブの遺品である弾一発のリボルバーを押し当てる。


『お疲れですか? でしたら、手短に申し上げましょう。私、おじいちゃんっ子ですから。

 アリーシャ・アル=バンダークと申します』

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オラに元気を分けてくれ!

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