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18.ディヤーブ

 ◯ ◯


 カジノの歴史的瞬間だった。難攻不落のジャックポットが割れる瞬間に立ち会った者たちが、最初に割った男へ、惜しみない拍手と歓声と称賛が注がれる。


 間近で目の当たりにしたラービフにとっては、現実離れした光景だった。風景が歪んで見える。地面が急にぬかるんだ感覚に襲われる。真っ直ぐ立っていられず、しかし決して膝から崩れはしないと、テーブルに手をついて上体を支える。


 歯噛みし、キッとギヤースに目を配る。ディーラーとプレイヤーの関係を臭わせる仕草はご法度だが、今はそれどころではない。ポーカーフェイスではなく、元から表情に出ないだけのギヤースは、軽く首を横に振った。


(やられた――!)


 イカサマの瞬間を見逃した。あの瞬間、デッキトップに釘づけにされた。目の端に、極端な姿勢で覗きこむ男二人に気を配っていられなかった。恐らくカメラにも残っていないだろう。思えば、チップタワーもギヤースの視界を遮るように建てられていた。ギヤースまで警戒されていたのだ。


 そもそも、イカサマに気づかずショーダウンした、ディーラー側の落ち度である。いや、イカサマをしているのはディーラーも同じ。ここでプレイヤーを告発すれば、デッキ順を読めるこの女に暴露されてしまう。恥の上塗りで無駄な損失を被る意味はない。


 胸中に暴れる悔恨に従うまま、顔が赤くなるまで打開策を搾り出し、全て無駄だと悟ったラービフは、膿を絞るような唸りを出した。


 そして、意を決して身を起こし――


「おめでとうございます」いっそ清々しく、惜しみない拍手に加わった。「皆様! 当館初の快挙を成し遂げたこちらの紳士へ、より盛大な拍手を!」


 いや増し弾ける拍手、そして注目を集めるラハイを隠れ蓑にして、仕事向きの笑顔を貼りつけて、ラービフはアリーシャへ手を差し伸べた。


「二度と顔を見せるな、この魔女め」


 アリーシャは軽く握り返し「金輪際会うことはないか、占って差し上げましょうか?」と、まだ遊び足りない顔をして応えた。


「完敗だよ」早々に手を引く。「そしてゲームを彩ったこの美しき占い師にも、どうか喝采を!」


 その様子を俯きながら伺っていたギヤースも、達観してフッと浅い息をついて、無音で手を打った。ラウンジの興奮が最高潮に至り、薄暗い黄金と紅の空間がにわかに光り輝くようだった。


 トンッ、とテーブルを何かが穿った。


 広げたままのジャックのフォーカード、スペードの一枚に、どこからか来た投げ矢が刺さっている。矢の刺さった場所が中心(ブル)であるかのように、異変に気づいた者から手を止め、口をつぐみ、水を打つ静寂が波及する。


 たった一人の鷹揚な拍手が残り、革靴を鳴らしてテーブルへ近づいて来る。


 仕立ての良いスーツの上からでも誇示する筋骨。眼光鋭くアリーシャを睨む瞳は敵意に満ち、しかし警戒で口を結ぶ。手にはジャックを射抜いた投げ矢――ダーツを持ち、器用に手を打っている。


「イ、イブン・ディルガーム……」


 ラービフの声に怯えが透けて聞こえた。父の名で呼ばれた男は威圧を強め、名を耳にしたラハイも顔を蒼白にする。若さに似合わず漲る威圧に誰もが怖気づき道を譲った。が、あらゆるへりくだりが当然という風に、その男は悠々と足を前に出す。


 見上げるアリーシャに巨漢の影が落ちる。


「やあ、君」


「ごきげんよう、貴方」


 その脇を過ぎ、ジャックに刺したダーツを抜いた。観衆へ振り返る。


「諸君。拍手はもう、よろしいのかな」


 オオカミが唸るような声だ。裏腹に観衆への興味を失くし、アリーシャたちへ向く。


「ディーラーがお見苦しいところを。あれでは紹介になっていない。改めて、館長を務めるディヤーブ・ファーフーリーです。素晴らしい勝負でした。当館を代表してお祝い申し上げます」


 ラクダを落としたボンボンじゃねえか! ラハイから一気に血の気が引いた。ターイウは事情が呑み込めず、右往左往している。


 決済で見た顔だ、忘れるはずがない。向こうもそれは同じだろう。見込みより早くチェックを通れたのはそのせいか。しかし、よりにもよって今一番顔を合わせたくない野郎のカジノを引いちまうなんて。


 それよりもアリーシャが奴と気安く接していることに納得がいかなかった。忙しい瞬きの度に思考がスライドのように移ろう。どういう状況だ。担がれたのか。でも勝ったのは僕らだぞ。何が起こっている。


 何であれ逃げないと。チップを諦めて? あり得ないね。


「ヒュウ、お偉いさんがわざわざ。どうもね」言い切るが早いか、身を翻しテーブル越しにラハイがラービフに詰め寄る。テーブルの端末にリストバンドを小刻みに突いて、小声で叫ぶ。「チップ寄越せ早く」


 巌のような拳が二人の間に叩きつけられた。肝が縮む。


「もうお帰りですか。運が向いているというのに勿体ない。どうです? もう一勝負。VIPルームにご招待しますよ」


「い、いやあ、ほら、彼女、門限がね?」ほう、の一言が恐ろしい。「一廉の紳士たる者、女性を一人で帰らせるのは……ねえ?」なるほど、の相槌に背筋が凍える。「でしょ。親御さんに誠実なトコ見せなきゃだもんで……」


「心配はご無用」ずい、と息がかかる距離にディヤーブが寄る。「ラクダをご用意しましょう。お客様は運が良い。昨日、賞を獲ったのを落札しましてね」


「へ、へえ。ああ、でも、一目でも拝みたかったけど……」


「その心配にも及びません。きっと、()()()ご存じの一頭です」


「ラハイ、もう放っとけ!」ターイウがラハイの肩を揺らして言い聞かせるが、ラハイは彫像のように固まっている。「ああ、もう、世話になった! 達者でな!」


「……四名様がVIPルームに入られる! お連れしろ!」


 呼び声に応じて、人混みから警備員が馳せた。逃げるターイウの首根が掴まれる。


 いよいよ逃走すべきだが、捨てるには巨額なチップが惜しい。カジノ挑戦者が逡巡する内に機を逸し、客一名につき一人が付き添い、問答無用で連行される――はずが、アリーシャの拘束はディヤーブのエスコートも同然で、ギヤースに至っては諦めをにじませて追従するのみであった。


「おいラハイ、畜生、話が違うぞ!」ターイウが背後の仲間に訴えるが、傍からも目を閉じたくなる一発を警備員が食らわせる。


「ラービフ。お前も来い」


 一瞥もくれないディヤーブの背中に、ラービフの失意が描かれているようだった。ラービフは呆然とその背中を追う。


 バーに寄ったついでに、アリーシャは爺やに「人数分のお茶を」とだけ告げた。


 館長に呼ばれた全員はまるで処刑台に登るように、VIPルームの扉へ消えて行った。


 二重扉の向こうは、ラウンジに輪をかけて豪奢な空間だった。優れた遮音性が肌で実感できる。限られた賓客のみに許された、プライベートが保証された社交場。が、今日この時に招かれた面々は、余裕の有無にかかわらず、誰も室内の装飾を気にかけてはいられなかった。


 ラービフが意を決したように、下げた拳を握り、顔を上げる。


「畏れながら館長」心から恐れているのがわかる声だった。「彼らを当館のディーラーに雇われてはいかがでしょうか」


 振り返るディヤーブの顔に「余計なお世話だ」と書いていた。構わずラービフは進言する。


「確かに彼らは不正を働きましたが、それは私とギヤースも同じです。()()()にお連れするのは、ゲスト様方の心証を悪くします。したがって機密が漏えいするリスクがありますし、あのようなやり方では会員様方にあらぬご不安を招きかねません。当館初のジャックポットですよ。ジャックポットは飾りじゃない、ちゃんと割れると示すのです。当館の気前の良さを喧伝するチャンスではありませんか。このところ入りの悪かった挑戦者の射幸心を煽る、絶好の機会だと思いませんか。それに彼女」ディヤーブの隣のアリーシャを示す。「私の手口を全て理解し、どころか逆手に取りました。稀に見る胆力です。彼女の活躍も含め、本日のゲームの話題性は高く、いっそのこと我々の側に引き入れるのが、当館の成長を見越せば妥当な選択かと愚考します……」


 距離を詰めるディヤーブは、憮然とした表情をピクリとも変えない。間近で見上げると、ラービフはとてつもない威圧感に見舞われた。冷や汗が止まらない。このVIPルーム、空調が効きすぎていやしないか。


「貴様の仕事は何だ、ラービフ」


「ゲ、ゲームで会員様方を魅了し、身軽になってお帰りいただくことです」


「そうつまり、当館の発展とも言える」


 おもむろにディヤーブが膝を曲げ、ラービフの目の高さに合わせる。緊張で震える両手の拳を、更に大きな手で包み、胸の前に上げさせた。


「素晴らしい。忠言してくれる部下を持つ俺は幸せ者だ」


 心から称え、両手で握手をし、ラービフがほっとする。と同時に左腕の上腕を極められ、その肘をディヤーブは巌のような膝でへし折った。


 ラービフの腕が逆に曲がる。思わず目を背けたくなる悲鳴を上げ、床に崩れる。血相を変えたギヤースが即座に介抱する。


「職責に反した野郎の利く口か! 良いか貴様ら!」ディヤーブが前に向き直る。「これから何をするのか、これから貴様らがどうなるのか、決めるのはこの俺だ! もし今後、余計な口を挟むなら、こうじゃ済まねえからな! ……いつまでメソメソしてやがる! 利き腕を避けてやったんだ! 礼の一つも言えねえのか!」


 泣き止まないラービフの代わりに、ギヤースが恭しく礼を述べることで、この一件はひとまず水に流されたようだった。


 部屋の奥、壁にかけた絨毯をめくると、場にそぐわず簡素な鉄のドアが現れた。ディヤーブが胸ポケットのカードキーを把手脇の端末にかざすと、ピピッと認証を示す電子音と共にロックが外れ、薄暗い空間が口を開けた。

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オラに元気を分けてくれ!

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