17.ジャックポット
ラハイたちが入館してから、カジノは二人を大口客としてずっとマークしていた。情報は常に共有され、持っているだけ搾り取るシナリオが裏で何パターンも用意している。最悪の事態も想定し、サクラを保険にかけたのは裏方の慧眼だ。
(俺のお守りだけすりゃ良いと侮ったな、小娘)
名目上、ギヤースにジャックポットが渡る以上、ラービフのスペシャルゲームはしばらく開店休業だろう。しかし、カジノ全体の収支には、何の痛痒も与えない。そして、テーブルには空のジャックポットが残り、アリーシャたちは恐ろしい額のチップを手放すことになる。
これにてゲーム終了。金を工面したところでゲームを再開する意義すらなければ、どうしようもないだろう。
(お前とは二度と御免だ! てめえは俺を罠にハメたつもりが、まんまとチームの罠にハマったんだよ!)
ズタボロにされたプライドを風体に表しながらも、ラービフは勝ち誇った気持ちでゲームを進行する。アリーシャは手札交換が終わってからずっと、扇子で顔を隠し、肩を震わせている。
ご愁傷様、世間知らずの知ったか女。お前は出禁だ。小せえ悪党は、もっとデカい悪党の餌だと思い知れ!
全員がコールする。中年は当然という風に。ラハイはハイカードにもかかわらず、大した肝で言ってのけた。
アリーシャのコールはギリギリ聞こえるか聞こえないかだった。無理もない。アリーシャが降りたところで、もはや遅い。所持チップが最少額の彼女は全てを奪われてしまう。
いっそ哀れだな。ラービフのコールに自然と熱がこもる。ジャックポットがテーブルに載った。最大の山場に沸くテーブルの中、一人アリーシャだけが氷の牢に隔絶されている。
「ショーダウン」愉悦の宣言だった。
「ストレートフラッシュ」そう、それがギヤースの手札、だが。「最強の完全数がハイカードだ」
ラハイの前に、文句なしの勝ち札が並ぶ。中折れ帽のつばを人差し指でクイと上げ、不敵な笑みをディーラーへ誇示する。
グルの二人が、真っ青なマヌケ面を晒す。
「――へ?」
そんな、シックスは全部中年が握って……。フラッシュバックする。アリーシャが扇子でパフォーマンスをしている間、中年とラハイは肩を寄せ合ってはいなかったか。
(こいつら――いや、この三人――!?)
扇子が甲高く閉じる。幕切れを思わせる音色の向こうで、アリーシャは皆既日食の如き瞳を滾らせて、薄く微笑んでいた。
◯ ◯
「ラクダレースの八百長を成立させるには、内通者が必要ではなくって?」
それは、カジノへ向かう車中で交わされた一幕だった。ラハイは頷く。
「レース場の職員にギャンブル中毒で、ヤバめの多重債務で臓器売買まっしぐら野郎がいてね。ほとぼりが冷めるまで逃げおおせられる上、遊んで暮らせるだけの金をチラつかせたら、喜んで協力してくれた」勿論、きっちり払ったよ。その点を特に強調して伝える。
「今もご連絡なさってらっしゃいますか?」
「やれ、ってんでしょ。ハイハイ」件の内通者に電話をかける。驚くほど早く出た。「おー、ターイウ。腎臓足りてっか?」
『ハッハ、誰かに分けてやりたいくらいさ。立つ前に話したかったんだ。これからマニラでな』
アリーシャがラハイから電話を奪い、勝手に話す。「初めまして。ラハイ様のファイナンシャルプランナーを務めるアリーシャ・サアドゥーンと申します。……ええ、お二人のご事情は勿論。いえ、これはチャンスかと考えまして。……ええ。いかがですか? もう一花咲かせる、というのは……? 例えば、カジノとか」
『カジノ? カジノね。いっぱい知ってるよ。そりゃもう、例えば……』
ターイウは、マイスィル・アル・カサルの会員だった。そこでの賭博が元で借金取りに追われる日々を過ごしていたのだが、ラハイとの出会いが転機となる。晴れて借金を清算、自由の身と相成った訳だが、散々辛酸を舐めさせられたカジノに一泡吹かせられる上、今までの負けを取り返して余りある分け前があると聞いては黙っていられなかった。
この役者を得た瞬間、アリーシャの頭は今回の演出を弾き出した。目的地に所縁のある人間を引き入れられるのは心強い。ましてや重度のギャンブル依存症となれば、たとえ借金を清算しようが禁を誓おうが、怪しまれず動かせられる。
作戦から爺やを抜き、ターイウを代入する。続々と案が湧いてくる。
まず、どうやって舞台に出ようか? ターイウとの関係を臭わせないように、会員である彼の紹介はあえて受けない。ラハイは時の人だ。身内で固めればカジノの注意を引きかねない。
それに、悪どい手段で儲けて八百長騒動の矢面に立ちつつあるラハイとは違い、裏方であるターイウの素性が割れるには猶予がある。時の人たるラハイに陽動を務めさせている間に、遊撃手として働いてもらうには打ってつけだ。
このカジノで金をしこたまつぎこんだもう一人は、勿論彼である。ターイウにも美味そうな餌になってもらう必要があった。
この舞台の獲物は? 狙うはラービフが担うジャックポットの一点。怪しさ満点のルールだ。リターンに対してカジノの負うリスクのバランスが悪すぎる。そして、傾いた天秤の上の皿に乗るギヤースという博徒。サクラの疑いは濃厚である。この二人が使うトリック、その内容に確証を得るには現場に臨まねばならなかったが、アリーシャなら一目見れば看破できる自信がある。
獲物の弱点は? 騙しのプロは、常識人よりも悪ぶっている人間を好む。中途半端な悪党は行動パターンが素直で、手玉に取りやすい。アリーシャが派手な一芸を披露すれば、そこにつけ入る隙が生まれる。カジノはそれを軸にプランを練るだろう。
そしてこうも考える――鼻持ちならない高飛車が勝ちを確信した瞬間に合わせて、カウンターを決めようと。
だから一旦、カジノが思い描く勝ち筋通りに踊ってやろう。流れに逆らうより、乗って勢いを利用させてもらう方が楽だ。
カジノの気をアリーシャに逸らしている間で、こちらは本命のラハイが刺す。
ラハイに注意を集めつつ、アリーシャを警戒させる。両立可能な立ち回りは、ラハイの話題性を利用して、一見のカジノへ紛れこむ、勝気な悪女。
ラウンジへ入る直前、アリーシャはラハイのための犠牲にはならないと宣言した。ゲーム選びを主導し、占いと称してポーカーの結果を見通し、些細な不正には気づかない振りをした。監視される前提で勝ちにこだわる女を演じ、先入観を植えつけ、ラハイから気を逸らすために。ほとんど験担ぎじみた保険だが、やるなら徹底的に演じてやろう。
勝負の準備はこんなところだ。では、クライマックスはどうなるか想定しよう。
まず、ホールデムではなくドローポーカーでゲームを進めるよう誘導する。
「いやあ、そんな要求通るものかなあ?」と、ラハイ。
「ホールデムはルールの完成されていますから、妥協で採用なさったのでしょう」
「妥協も何も、それがスタンダードルールだってば」
「ディーラーの目的はあくまで客のチップです。テキサスホールデムはプレイヤーの思惑が錯綜しすぎます。ベットの予測が立ちにくいゲームなど、本心では避けたいのです」
「どうせならドローポーカーで楽をしたいと」
「しかし、一定のゲーム性がございませんことには……」
「客が白けそうだねえ」
ご明察ですわ。パチパチとアリーシャは拍手する。
テキサスホールデムは豊かな戦略性のため人気は高いが、ベットにまで戦略が乗るのでプレイヤーの心理が読みにくい。対してドローポーカーは底が浅いおかげで不人気ながら、勝負を判断する材料が手札のみであるため、ベットを読みやすい。そもそも客を席に着かせなければ話にならないため、テキサスホールデムを採用せざるを得ないのだ。
「ですので、私たちがドローポーカーを要求する分には何の問題もございません。むしろ、ディーラーにとっては慮外のボーナスゲームです」
「……まあそうかも」
「ご納得いただけませんか?」
「いや。で、そっからどうするのさ?」
少なくとも、何らかの手を使って、全プレイヤーがフルハウス……いや、絶対にオールインで勝てる自信を煽るならフォーカード以上が望ましい。ジャックポットを太らせるのがラービフの仕事であれば、勝負の潮目を逃さない内に一網打尽にするに違いない。そこにカードの動きを読める占い師という存在を泳がせれば、決戦の動きをある程度牽制できる。
となれば、本命のラハイには、ストレートフラッシュを持たせる。
そのため、クライマックスまでの繋ぎでは、堅実に攻めるフリをさせた。奇抜な手で勝敗を占うアリーシャの影に隠れ、彼女の意見には頭の上がらない、勝負っ気が強めで、実直な博徒を演じてもらうために。
そして、アリーシャたちに験担ぎの癖があるように装おう。特定のカードにあやかるプレイヤーが手放しで賭ける手札はフォーカード……アリーシャのような例外を除き、初手に揃わなければ、オールインに応じるはずもない役だ。
まずターイウがシックスを押さえておく。フォーカードが初手で完成してしまえば、他プレイヤーが揃えられる最高の役はハイカードがファイブのストレートフラッシュ、または必ずテンかジャックを含むストレートフラッシュとなる。雑談に活かせそうなジャックなら、アリーシャとしても誘いやすい。
考えられる限り、勝負が過熱する配札は――ターイウにシックスのフォーカード、ラハイにシックスまたはジャックの欠いたストレートフラッシュの素、アリーシャにジャックのフォーカード予定、ギヤースにファイブがハイカードのストレートフラッシュの素、アリーシャを出し抜きたいラービフはジャック抜きのロイヤルストレートフラッシュ。
「私にセカンドディールか何かが来るでしょうから、そこで押さえれば私がトップになり、ディーラーの勝ち目は潰えます」
「異能力ギャンブルかよ……」車に酔ったようにラハイが唸る。「突拍子もなさすぎて色々言いたいところだけれど、そしたらディーラーはサクラを勝たせるんじゃない?」
「ここでラハイ様に持たせたストレートフラッシュの素が活きます」
ターイウにあるだけ持たせたシックス、そしてアリーシャのジャックを、堅実に攻めるラハイの手札と交換させる。狙い目は、アリーシャがデッキトップのジャックを押さえたタイミング。全員の視線が自然とデッキトップに注ぐ中、三人で身を寄せ合い、乗り出した身の下で、堂々と手札を交換する。
「待て、待て待て、待ってくれ。このプランには欠陥がある」
あら、何かしら? アリーシャはきょとんとした。「お生憎ですが、いくら怖気づいたからといって、手札交換は外せませんことよ」
「イカサマくらいきっちりやってやるよ失敬な。僕が言いたいのは、エースからフォーを掴まされた場合、このプランは破綻するってことだ」
「それはありません」そんなことかと、アリーシャはけらけら笑った。「申し上げましたわよね。ディーラーはきっと最高のチャンスを演出なさいます。ファイブをたった一枚を待つ手札より、エースかシックスどちらか一枚を待つ手札を配るに決まっていますわ」
「理屈はわかるけど……」それから、とラハイがつけ加えた。「僕がジャック待ちのときも隙があるよね」
「あら、どんな?」
「アリーシャが交換で引くジャックが、僕の待っているスートだった場合だよ。さすがにデッキトップを僕の手札と交換はできない」
「その場合は普通に私が勝ちますわ。ディーラーは私を勝負に乗せるため、通常の交換ではギヤースが勝てないデッキ順に操作します。もう一度、優しく頭を撫でて差し上げればイチコロです。そもそも、サクラを勝たせることは、イカサマを見破る私の目に挑戦することを意味します。その挑戦に躊躇すれば必然、私たちの勝ち。挑む度胸があれば、相応の手段でお応えするまでです」
「荒唐無稽すぎて呑みこめない……」
「私にとって、人の意図が介在するギャンブルは運否天賦の余興ではございません。歴としたビジネスですわ」
「すげー自信。頼りになるぅ」ラハイが皮肉っぽい。
あとは渡すべきカードを伝える手段があれば、アリーシャが気を引いている内にさっさと、堂々と交換してやれば良い。
そのためのスート優劣ルール――「スートの強弱、入れてみるもんだな。全く最高だよ、アリーシャ」
そのためのジェスチャー――思わずといった風体でラハイが呟き、慌てて口を塞ぐ。――顔を隠す。つまり、絵札は要らない。
こうして、ターイウからスペードのシックスを調達する符丁は整った。
「ラハイ様、今お話した内容、全部聞いたこともないように振る舞えますか?」
「何のために?」
「そういうのがお好きかと」
「あのねえ……」肩をすくませ、首を横に振り、アリーシャに顔を寄せる。「好き」
「いつか刺されますわよ」
「で、最後に確認だけど。ディーラーの手口を最初から知ってなきゃ、こう都合よく計画を立てられないと思うんだけど、そこんとこどうなの?」
「何をおっしゃっていますの。他の可能性も詰めますわよ」
「マジかよ……」
ラハイはぐったりシートに沈んだ。この直後、タクシー内でこれまでの作戦会議がなかったかのような演技を始めたものだったので、アリーシャはチームに期待を寄せたのだった。
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オラに元気を分けてくれ!