16.ミンネ
● ◯
第五戦で仕掛ける。
中年とラハイが下りた勝負で、アリーシャは最終的にキングのワンペアだった。しかし賭けは強気に食い下がる。周囲が静かに感心した。ハッタリをかます度胸もあるのか。
レイズに次ぐレイズで、ポットを肥えるに飽かせる。
ショーダウン。
「ジャックのスリーカード」
悠々と送り出した二人の王が、ギヤースの役に傅いた。ただでさえ大きなアリーシャの瞳が、一層見開かれる。信じられないものを目の当たりにしたように、ギヤースの役を上から、左右から、食い入って見つめる。
傍から見物してもわかりやすい反応に、観客が盛り上がる。今度は博打打ちが獲った! これはわからなくなったぞ! 良いぞギヤース! 魔女はお仕置きだ!
アリーシャがオーディエンスを睨む。それこそ魔女じみた目に射抜かれた周囲に、しじまが広がった。
「当たらぬも八卦、と申します」明らかに動揺するアリーシャへ、ディーラーは慰める。「ギャンブルも同じですよ。一つの躓きで諦めないことです」
カードが返されようというとき、アリーシャはギヤースの手札を鋭く射抜く勢いで指す。
「ずるいですわ!!」テーブルに緊張が走る。「私、まだ一枚もジャックを握っておりませんのよ!!」
何だ、そりゃ。ラハイを始め全員カクンとずっこけた。ただ、先程まで鬼気迫る賭けっぷりを見せていた才女が見せる幼い一面に、微笑ましく肩の力が抜けたのでもあった。
ディーラーがなだめつつ、カードを回収しながら苦笑交じりに声をかけた。
「ジャックがお好きで?」
「この絵をご覧なさい。とってもハンサムで、頼もしくはございませんか? 私に勝利をもたらす騎士の面構えです」
「であれば皆様方、こちらの淑女に騎士の宮廷愛があらんことを、共に祈りましょう」
気安い祝福が注ぐ中、第六戦に移る。
「あ、あのね、アリーシャさん」心外と不安をないまぜに、ラハイは声を震わせる。「僕も一応、ハンサムで頼もしい内に入らないかい?」
「まあ。こんなところに五枚目が」
「中身は切り札かあ。嬉しいことさえずるねえ。カナリヤちゃん」
「ええ、道化らしく踊ってくださいまし」
踊るのは、トランプとアリーシャの占いの方だった。
「ラハイ様、エースのスリーカード、ですよね……?」
「お、おおん……」
自信も何もあったものではない。
以降、アリーシャの占いの的中率は六割に届かない程度で推移した。
占いが外れるタイミングはまちまちだ。初期手札が一枚か二枚ほど違う。交換した手札が悪い。降りていなければ勝てていた。最初に躓いたときほど取り乱すことはなかったが、ショーダウンの度にアリーシャのすまし顔がほんの少しひくついた。
的中率六割でも充分すぎるのだが、誰が褒めそやそうと耳に入らないようだった。
何よりも、ジャックがまだ来ないから。
いつしか、傲岸不遜な態度も言動も鳴りを潜め、勝負にのめりこんでいく。占いが大外れで、良いところのお嬢様が「むきゃー!」とサルっぽく叫び、頭を抱えることもあった。
「チップは? 現物のチップはございませんこと? じゃらじゃらしたい。じゃらじゃらさせて!」
見かねたディーラーが、踊り子に「特別ですよ」とチップを用意させた。受け取ったチップをアリーシャは嬉々として掌中に弄び、流れる動作でチップを積んだ。薄い円盤を立てて十字に積み、その上に更に山なりに積む早業。それをしきりにスクラップ&ビルドする。
占いとは別種の感嘆に誰もが沸いた。
ディーラー以外は。
(このアマ、思ったより底が浅い)
シャッフルしながら、ラービフは内心ほくそ笑む。
デッキの順番を空で当てて見せたのにはたじろいだ。使用しているトランプはマーキングを施していないのは勿論、ジュースカードでもない。第三者に露見するような甘っちょろいトリックなど、ラービフは使わない。
ならば、アリーシャはラービフと同類なだけである。スプレッドさえしておけば、どれだけシャッフルしようとも、デッキの順番がわかるのだ。
例えばコイントス。表でも裏でも望む面を出せれば、賭け事を有利に進められるだろう。そのコツは案外すぐに掴める。
例えばルーレット。好きなポケットに玉を落とせるなら、無敵のディーラーが誕生する。そのコツも練習を重ねれば習得できる。
例えばダイスロール。例に漏れず、思い通りの出目を出すことだって可能だ。
そうした強引故に暴かれないイカサマの最奥。君臨するはシャッフルである。
パーフェクトシャッフルのような数学的なシャッフルの他、フォールスシャッフルなど、デッキの順番を操作する手口は多岐に渡る。だが、ラービフの技術はその遥か上であった。気の遠くなる鍛錬を積んだマジシャンと同じく、シャッフルしている間はトランプの順番を自由自在に扱えるのである。
スプレッドしたカードの瞬間記憶。これは最低限、初回だけやっておけば充分だ。あとは指が覚えた紙の厚さ、目まぐるしく入れ替わる計五十二枚の追跡と制御。それらをあらゆるシャッフル法でこなせるようにする。
馬鹿の一つ覚え。しかし、理屈を超えた配置の妙は、もはやイカサマでは語れない技である。
ラービフはそれで、裏カジノの頂点に上り詰めたのだ。
そして、馬鹿でも努力を惜しまなければこれらの技術は習得できる。努力が物を言う分野は、それだけ門戸が広い。
例えばコイントスの、表でも裏でも自由に出せる力加減。例えばルーレットの、好きなポケットに玉を落とす技術。例えばダイスロールの、思い通りの出目を導くテクニック。
これらを見破る観察眼も、それらの技術習得以上の心血を注がなければならないが、理屈の上では養えるだろう。まさか、そんな割に合わない一発芸を覚える馬鹿が実在するとは。
アリーシャは、ラービフのシャッフルについて来れている。実際に目の当たりにしたラービフをして真っ先に他のイカサマを勘繰ったが、何度も試して確信を得た。目の良さでカードを追っているとしか考えられない。
ただ、所詮はそれだけだ。
何が占い師なものか。馬鹿みたいな必勝法に本気になって、本当に身に着けた。得意になっただけの小娘ではないか。ただ、あらゆるシャッフルにも対応できる優れた目を持っているだけの。
普通なら脅威だ。涙ぐましくもある。だが、未熟が背伸びをしているだけ。勝負師になりきれず、小手先の必勝法に頼り過ぎている。
現に、ラービフの返す刃には太刀打ちできていない。
セカンドディール、サードディール、ボトムディールに関しては、本職のマジシャンを相手にしたって騙しおおせる自信がラービフにはあった。
これまでの勝負でも、何回かアリーシャを揺さぶっている。結果はどうだ。シャッフルを疑うどころか、いざ本番で隠し芸を披露するも失敗に慌てふためくだけ。ディールの不正に気づく素振りも見せない。
中途半端に技をかじった青二才は、軒並みカモだ。
そして、ゲームを拮抗させる内に、こいつらの癖は把握し終えた。
中年は自認した通り、セブンに、それ以上にシックスにこだわっている。エイトを全て捨ててからというもの、親子ほど年の離れた娘の助言を引きずって、役が悪くともシックスは必ず手元に置いている。
ラハイは比較的マシ程度。セオリーを押さえてはいるが、やや強い役を引くのに躍起になる傾向あり。特により強いスートを握ったときの動きが顕著だ。多少心許なくとも周りの挑発的なベットに乗りがち。
そして、アリーシャはとにかく伊達男にご執心。
全員にオールインを吐かせる条件は整った。
ラストゲームだ。
シャッフルを終えた瞬間、アリーシャから闘志が漂った。吸入器を取り出し、薬を噴霧する。ピッチングの一枚目、ラービフは中年へ差し出すカードをスピンさせ、以後は淡々とカードを配る。
チャンスを偽り、獲物を罠に誘うには最高の手札を与えた。
中年にはシックスのフォーカード。ラハイにはスペードのツーからファイブまで完成したストレートフラッシュの素。アリーシャにはスペードを除くジャックのスリーカードをくれてやる。
そして、アリーシャだけがわかったつもりになっている、今回のデッキ順。
プレイヤーが順当に手札を交換すれば、アリーシャはスペードのジャックに当たる。他のプレイヤーが握っているストレートフラッシュ以上の役は完成しない。この勝負、全プレイヤー中最強の役を握っているのは自分自身だ、と。
ギヤースへクラブのツーからファイブ、ストレートフラッシュの素。
そして、ラービフ自身へ、スペードのテンからエースよりジャックを抜いた、ロイヤルストレートフラッシュの素。ラハイは運を掴んだつもりに違いないが、完全無欠の勝利の鍵はラービフのものだ。
(早速、脱落者一名)
興奮でフライング気味のアリーシャを皮切りに「オールイン」の嵐が吹き荒れた。賭博の魔力に魅入られた瞳が、ラービフの前に雁首揃えている。
そう、誰もが勝負に出てもおかしくない手札だ。既にフォーカードが完成した中年。スペードのエースかシックス、チャンスが多いように見えて、ないものねだりのラハイ。フォーカードが完成すると知っているアリーシャ。クラブでラハイと同じ待ちの構えのギヤース。
スペードのジャック、狙うまでもなく引き寄せるラービフが勝つ。
四つのオールイン宣言が嵐を起こす。その嵐を凌駕する、ラービフの「オールイン」が迎え撃つ。オーディエンスから万感を込めた喝采が、カジノ中に響き渡った。
「スートの強弱、入れてみるもんだな。全く最高だよ、アリーシャ」思わずといった風体でラハイが呟き、慌てて口を塞ぐ。
「まだわかりませんよ」ラービフは笑いを噛み殺すのに苦労した。「まだ私はフォールドを残していますから」
手札交換。中年はパス。これで良い。ラハイは必ず一枚交換する。アリーシャは二枚交換すれば、クイーンのフォーカードが完成だ。仮に中年が気紛れに一枚交換したとしても、アリーシャは一枚でも二枚でも交換すればジャックに届く。
そして全て筋書き通り進み、アリーシャが二枚交換する。
一枚目がピッチングで手元に滑りこむ。二枚目――セカンドディール。
(カマホモ騎士様は、俺にゾッコンだとよ)
処刑宣告。騎士が斬首の剣を上段に構える――ラービフが勝ち誇った瞬間、デッキが、急に重くなった。
ピッチングが止まる。カードの束に雷が落ちたような衝撃と、痺れが腕に伝わる。致命的な電流は神経を伝い、心臓に短絡し、停止しかねない衝撃だった。
アリーシャが扇子を畳んで、デッキトップを押さえていた。
「今更ですけれども……」急速にラービフが血の気を失う中、冷笑染みた品の良い声が反響する。「配るカードは一番上から順、ですわよね?」
しん、と会場が凪いだ。徐々に困惑が伝播する。
「何だ何だ?」ラハイと中年が身を乗り出して、押し合いながらアリーシャの扇子を覗きこんだ。「おい、何の真似だい、お転婆さん?」
「席でじっとしてろボケどもォ! さっきまでできてただろうが、この痴呆の耄碌どもがあ!」
獣の慟哭がカジノを威嚇する。紳士的な振る舞いは見る影もなく、自分で唱えたエンターテイメントを壊す怒声を荒げた自覚もなく、鬼の形相でラービフは扇子を睨んでいる。この、トランプ五十二枚にも劣る、吹けば飛ぶ羽毛にも等しいカスが、このテーブルの王たるラービフの全てを掌握している――。
あってはならない。こんなことが、あってたまるものか。肩で息をするラービフは、悪鬼のようであった。
(こいつ――知ってて……悠々泳いでやがった――!?)
いつからアリーシャがディールの不正に気づいていないと思わされていた? シャッフル順を見抜いて浮かれただけの女だと、なぜ見くびった? さっきまでメルヘンかぶれだった雰囲気は消え失せ、氷の女王――いや、氷河期の太陽を瞳に宿した魔女となっている。
アリーシャはジャックを射止めた扇子を、更に強く圧した。お行儀の良さを上辺に貼って、あどけなく小首を傾げている。これだ。これに欺かれた。本性を隠して……いや、一端を垣間見せるに止めていやがった!
見物中のカジノ客が戸惑っている。まずい、これ以上ゲームを止めてはいられない。
宮廷愛――騎士は貴い淑女を崇拝し、清純な愛を差し出さねばならない!
今やラービフは、真の女王に傅く道化でしかなかった。自ら騎士を演じざるを得ない、小賢しいだけの六枚目。二枚目を摘まんでいた指は離れ、扇子の圧力に任せるように、デッキトップがはらりとテーブルへ滑り落ちる。
「あら、これ、私のカードですわよね? 頂戴してもよろしくて?」
テーブルに手をついて、ラービフはこの一瞬で全速力で走ったかのように息が上がっていた。声も絶え絶えに認め、残るギヤースと自身の手札交換を消化する。
もう、これまでだ。
だが俺はオールインからは降りない。
この一枚を、永遠のライバルに捧ぐ。
ギヤースへ、ボトムディール。クラブのエースを差し出す。
刹那、アリーシャから気品が消えて、顔面が蒼白に転じた。予告状めいてピッチングされる配札を、走馬燈を眺めるように目で追う。
(確かに、騙し合いでは負けた。それは認めるぜ、お嬢さん)
しかし、勝負はこのカジノの勝ちだ。
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オラに元気を分けてくれ!