15.占い師のギャンブル
「すっ、すすっす……すげええ~!」
オーディエンスの称賛に遅れて、ラハイは度肝を抜かれた。何だ今の!? どうやったの!? まさかドッキリ!? ディーラーと僕を担ごうって魂胆じゃあないよねえ!? チップがアリーシャに降り注ぐ中、質問攻めが止まない。
無理もないとは全員思っていた。プレイヤーに懇願してまでベットを吊り上げるのは無茶苦茶で、役の揃え方も捨て鉢だ。イカサマしている素振りもない。仮にイカサマがあったとして、その正体までは誰も思いつかなかった。超自然的な占いの結果、それでこの女は勝ってのけたようにしか見えなかった。
ガン詰めされても、アリーシャは「これが占い。神の導きですわ」と至って涼しい。過程はともかく、鮮やかな勝利をもたらした手札は彼女の手を離れた途端に紙切れに戻り、ディーラーの守るデッキへ還る。
「良いじゃあないの、お姉さん。気に入った!」中年がラハイを押し退けて身を乗り出す。「とんでもない運を持ってんだな! おじさんも是非ともあやかりたいもんだよ!」
「お生憎ですが」不意にアリーシャはラハイの首に腕を絡ませ、いじらしくしな垂れた。「私と彼にしか使いません♪」
野次がラハイに集まる。「憎いねえ、憎いよ!」言いようの割に中年は満足しているようで、くつくつ笑いながら席に戻った。
「勝負はまだこれからだ」
老獪然とギヤースが言う。次だ、ラービフ。永遠の好敵手へ働きかける。相槌を打って、ディーラーはショーカードに入る。流れるようなスプレッド。過不足ないデッキを公開し、シャッフルする。ウォッシュ、リフル二回、ストリッピング、リフル、デッキカット。
「鮮やかですわ。額縁に入れて飾りたいくらい」
テーブルに肩肘をついて色目を遣うアリーシャの世辞にも「恐縮です。が、当館あってこその私ですので」となびかなかった。
「そう。素晴らしい額縁を見つけられましたわね」
軽い会釈が返り、第二回の準備が整う。しかし、アリーシャはまた「フォールド」と順番を破って宣言した。
対してラハイの手札はあと一枚でストレートだ。これはつまり……「おお僕の可愛いアリーシャや。今度は僕に勝てと……」
「ラハイ様も降りてください」
ええ? 手札と美女の相貌の間を、優男の視線が行き来する。「でも……」ディーラーが咳払いで干渉をたしなめる。「これはお褒めくださったお礼ですけれど」間髪入れずにアリーシャは口を開いた。
「クラブのエイト、シックス。ダイヤのセブン、エイト。スペードのエイト」中年が落雷を聞いたようにすくんで、慌てて手札を伏せた上から覆い被さった。背後の外野に睨みを利かせる。誰もが首を横に振る。「このゲームの運はおじ様に向いております。エイトを全て手放してご覧あそばせ」
中年は目を白黒させた。今、アリーシャの言ったカードは、確かに自分の手札である。手札を全て捨ててフラッシュを成した離れ業といい、底知れなさは一発で思い知ったのだ。従えば面白いことになる。あの一回の勝負で、身に染みているはずだ。
しかし、既に成立しているスリーカードを手放すのか。あわよくばフルハウス、ないしフォーカードを見越すべき局面であることは、アリーシャも理解しているはずだ。ましてやあえてストレートを狙うような手でもなく、その場合でもエイトは一枚残すべきである。そもそもアリーシャのフォールドがまだ有効ではないのは懸念すべきであろう。捨てたのを見届けた上で意見を翻す、と疑うべきだ。しかし――
「お熱い視線ですこと。照れてしまいますわ。ですが、これっきりでしてよ」
ディーラーが看過しかねる素振りを見せる。それを中年は制止した。
「一回乗った戯れだろうに、二回も三回も変わらんよ。それにな、完全数か幸運かを握る方が好みでね。不吉なんざ捨てるに限る」
ミステリアスな笑みが咲いた。「貴方に完璧な幸運がありますように」
「ベット」見たい――知れない底の、底に至るまでの景色の全てを。妖しい魅惑に誘われて、枯れた心に芽ぐんだ好奇が、今になって盛りを仄めかすのだ。
「えー……っとお」中年、手札、乙女の間をラハイの視線が反復横飛びする。名残惜しくもあったが、「……フォールドで」で諸々に降参する。
アリーシャも予告通り。ギヤース、ラービフ、がコール。中年が助言に従い、三枚を交換。それぞれ手札を整え、賭けが成立する――ショーダウン。
「フ、フルハウス……」
中年の手札は、シックスが三枚、セブンが二枚。ピッチングの順番を加味すると、シックスとセブンを捨てていれば、元の手札に戻ってエイトのスリーカード止まりだった。ギヤースがナインのスリーカード……役は同じでも負けていたかもしれない。
幸運が、うら若き娘の姿を取って、微笑んでいた。
揺るぎない結果が、場の疑念を凌駕する。ギャンブルとは別次元の興奮が最高潮に達し、惜しみない歓声が降り注ぐ。
「素晴らしい。お二人に拍手を」ディーラーが囃し立てる。「しかし、前にも申し上げました通り、プレイへの過度な干渉は看過できません。もし次もなさるようでしたら……」
「ケチ臭いことを言うなラービフ!」野次が飛ぶ。「そうよ! 私はもっと占い師流のギャンブルが見たいもの!」「それとも怖気づいたか、ディーラー!」
ラウンジに荒れの気が湧いてゆく。次第に意気が強まる野次。収拾がつかなくなる直前に、ディーラーは手を二回叩く。
「結構! 皆々様、ご安心を! 私が仕切るテーブルは、真剣勝負と同時にエンターテイメントがなければなりません! ならば、占いの導きとギャンブラーの勘、どちらに神が微笑むか、白黒決めようではありませんか!」
野次が歓喜に裏返る。ディーラーは更に二回手を叩く。「アシスタンツ! パーテーションを!」プレイヤーとオーディエンスを隔てる間仕切りを、踊り子たちが運んで来る。
「大変恐れ入りますが、お客様方におかれましては、お下がりになってご観戦のほどよろしくお願いします。パーテーションを越えないこと。両手はパーテーションより高く上げないこと。ラウンド開始時点での立ち位置から終了時まで動かないこと。ショーダウンまでお静かになさること。以上をお約束ください」
それは暗にカジノ側がイカサマを警戒していることを、そしてカジノ側が二回戦中にイカサマがあったとしても看破できなかったことを、つまり不問とすることを示していた。ラハイの胸が高鳴る。勝負はともかく、もっと大きな流れはアリーシャに向いているではないか。
こうして再開された第三戦、第四戦は、全てアリーシャの占い通りに運び、アリーシャのチップは強豪に並び、遂には追い抜いたのだった。
◯ ●
人形の衣装作りは、思わぬ壁に当たっていた。床にあぐらをかき、背中を丸め、息を止めているのにも無自覚で、イムティヤーズは小さなそれと格闘していた。震える指に挟んだそれが、一キロメートル先の的をスコープで覗いたときよりも遠く感じる。
まさに、針の穴に糸を通す繊細さ。というか、そのもの。
糸の端が通った――かと思いきや、くだらないほど小さなほつれが縁に引っ掛かり、糸はくるんと機嫌を損ねてそっぽを向いてしまう。繰り返すことウン十回。白目を赤く血走らせ、ほぼ生理的に鼻から一気に息を吸う。
「であーッ!!」
ガバッと身を起こして、脊髄反射の怒りを手に掲げ、針と糸ごと床に叩きつける。無理な呼吸と絶叫が祟ったか、腕を下げると同時に肩で咳をこぼす。
息を整える……思うようにいかない。咳が一生続きそうに重い。床に倒れる。首を絞めるように手を回し、加減して喉が通るように足掻く。肺の空気が切れて、身体が腹の中から出すものがないか探っているようだ。借金取りばりにしつこい咳だ。
「げほっ! か――ほっ、ぐ……! かハ……!」
感受できない何かを出した感覚と共に、辛くも息が通る。か細く、頼りない、クモの糸の呼吸を手繰り寄せ、この一瞬でかいた汗に突き手を滑らせながら、何とか姿勢を持ち直す。
発作の感覚が短くなってきている。
今日のところは針仕事は止めだ。空気清浄機をリモコンでフル回転させ、再び胡坐をかき、極力肺回りに負担のかからない姿勢を意識し、穏やかで長い呼吸を繰り返す。
ここからは、雇い主が帰るまでの時間稼ぎだ。
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オラに元気を分けてくれ!