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12.カジノへ行こう

  ◯ ●


 アリーシャからイムちゃんへ、山盛りのピラウをご馳走するね。


 そのメッセージを着信したのは、型紙を布に写す練習をしている最中だった。教本の例とは似ても似つかない何十枚目かの下書きをゴミ箱に捨てたときのことだった。


 ピラウって何だよ。しばらくすると、フロントを通して、どう見ても宴席で出す量の米料理が運ばれてきた。ピラウってプロフのことかよ。いや、そこじゃなくてだな。


「何やってんだ、あいつ……」


 昼食を考える手間が省けたと考えよう。スプーン一杯にすくって、大きな一口を頬張る。昔、結婚式場から来たゴミに紛れた残飯。その、ちゃんとした味。多分こんな感じだっただろう。きっと、当時の物よりガッツリ、濃い味、旨みの爆弾なアレンジだ。


 スパイスが効いて、少しむせた。だが、後で店名を聞きたくなる程度には、好みの味だった。


  ● ◯


 ケバブの臭いがタクシー内に充満していた。


「一つよろしいでしょうか」答えを待たず、アリーシャが一つ。「出会い頭の口説き文句ですが、いきなりご自身のロマンチックな恋愛観を披露するのは、お言葉ですが、その、押しつけがましいと申しますか……お許しくださいませ。率直に申し上げて独りよがりが過ぎますわ。ご主張が過剰で、一般的なご婦人ではたじろいでしまうと思いますの。ラハイ様のご趣向は印象に残りやすいですけれど、睦まじい関係を続けるおつもりでしたら、もっと段階を刻むべきですわ。お互いの人となりを少しずつ理解して、相手が何に喜ぶのか、自分がどのように喜ぶのかを知ってもらった上で初めて、大胆なお振る舞いが許されるものではなくって?」


 へそを曲げ、むっつり口を閉ざすラハイ。何で僕は逃走車の中で、逃げた相手にガチの説教されているんだ。走行音と遠くのクラクション、アスファルトの起伏に跳ねる車体の音に、貧乏ゆすりが合わさる。


 その隣には、ジュラルミンケース。大金を挟んで向かいに、何故かアリーシャが座っていた。お行儀良くシートベルトまでかけて、おまけに膝の上にはケバブが詰まったドデカい紙のランチボックスを乗せて。


 もう何度目かわからないが、ラハイは頭を抱えた。


(ハメられた)


 タクシーを捕まえたときは幸運だと思った。車間を縫ってスイスイ進む技術は爽快で、運転手は渋滞を避ける気配りができる。多少の遠回りも最短の逃亡ルートに見えたものだ。


 それがどうして、市場をグルっと回っただけ。その上、狙いすましたように破滅の女(ファム・ファタール)まで拾いやがった。


 グルだ。こいつら。


「心中お察ししますわ。どうぞ」寛大な態度でケバブを差し出すアリーシャ。


「食えるか! それに僕ンだよ、そりゃ!」


 気難しいお年頃ですのね。と言いたげな顔で、アリーシャはチキンケバブを箱に仕舞う。


 沈黙の間、アリーシャはラハイへしきりに目を配る。


「ラハイ様」


「駄目だ」間髪入れない。


「カジノ」


「断る」


「シートベルトを」


「嫌だ」


「爺や」


「はい」


「ラハイ様の思い出に残るよう、最高のドライブをお披露目なさい」


 長い白髪眉毛の奥で爺やの瞳が光る。「腕によりをかけましょう」


 おい待て。ラハイの制止を振り切るスピンターン。対向車線へ割って然る後、一気にフルスロットルへ。クラクションが叫び、臆病な前方車両が慌てて道を譲ろうとする中、正気とは思えない隙間を全速力で縫っていく。アリーシャが楽しそうに絶叫する。ラハイとジュラルミンケースに猛烈な慣性が働く。加速にシートに押しつけられ、ハンドルに全身が揺さぶられる。天地が逆になり、元に戻る。


 身を起こして前を見ると、渋滞に突っこむ直前だった。


 自動車が壁の如く迫る――ラハイが叫ぶ。


 アブー爺やがハンドルを巧みに捌き、タクシーを片輪走行させる。姿勢を維持して渋滞をごぼう抜きにし、先頭に出たと同時に青に変わった信号を突っ切る。車の姿勢が戻り、ステアリングの限界までバウンドする。


「わかった!!」堪らずラハイは音を上げた。「わかったから!! 普通に!! 運転!!」


「爺や」


 主人の一声で、タクシーは名残惜しそうに、しかしジェントルに減速していく。


「それで、何をおわかりになったのでしょう?」


「シートベルトを着けた」有言実行である。偉いだろ、僕。という顔。


「爺や」


「運転手君、カジノへ」指を弾き、白い歯をきらめかす。スマートな指示が、精一杯の強がりだった。


「まあ!」両手を合わせてアリーシャが喜色ばむ。「奇遇ですわね!」


「本当に」どの口が。


「僭越ですが、ご一緒いただいてもよろしくて? これでも、良いカジノなら存じ上げておりますのよ」


「ああ、そんな気はしていたよ」


「まあ、人を見る目をお持ちなのですね」


「君ほどじゃない」


 心からそう言ったことを自覚し、ラハイは悟った。負けたよ。ケバブをまた勧められたが、カースタントでひっくり返った胃が拒んだ。


 繁華街に向かうにつれて、交通する車種は品の良い物が増えていく。もし、ラクダを落札した奴に鉢合わせでもしたら。右を向いても左を向いても絢爛なのに、怪しい雲行きがそう装ってラハイの油断を誘うように見えた。


  ◯ ◯


 誘いに乗った手前、理由も隙も抜きに引き下がる気にはなれない。だから、ラハイには舌を回す準備になるような話題が必要だった。


一文無し(オケラ)になる予感がするよ」


「まさか」車窓を望むラハイに、アリーシャはきっぱり言う。「私たちはクファールで一番稼ぐことになりますわ」


「占えば良いんだもんな」


 言われてみればそんな話をしたとばかりに苦笑し、アリーシャは相槌を打つ。


「よし、おふざけはここまでね。はい。真面目に聞いておくれ、悪い子ちゃん。率直に言うのも何だけれども、僕ぁ君をまだ美人局だと疑ってやまない訳でね」


「では、こちらも率直に申し上げますわ」


 たっぷり間を置くのに釣られて、ラハイが振り向いた。


「私たちでカジノを一軒、傾けてしまいましょう」


 絶句するラハイに「きっと得も言われぬ甘美でございましょう」と、アリーシャはこともなげにうそぶく。あまりに平然と言ってのける彼女に、ラハイは胃もたれも忘れて噴飯し、何とか「マジかよ」と含み笑いでガタガタになりながらも声にした。


「マジですわ。大マジです。私、ギャンブルって大嫌いですの。ちょっと触るとイムちゃんに怒られるんですもの。なので、目に入る限りお掃除しますのよ」


「ンな馬鹿げた話に僕が乗るって?」


「あら、金満家を嘲笑うのがお好きなものとばかり」


「大した女だよ君ぁ……アッハッハ! ……あー、笑った笑った。いや、馬鹿にしてるんじゃなく、君の言う通り。ああ、そりゃ甘美だ。お甘美ですとも。大好物だ。特に昨日のラクダは最高だった」


「貴方ならそうおっしゃると知っておりました」


「占いにそう出たんだな」


「良く当たると評判ですのよ」


 ラハイはまた腹を抱える羽目に遭った。


 やがてカジノが見えてくる。一目でわかる豪華な外観――白亜の宮殿が如き威容と、道路を挟んで向かい側にある湖と見紛う天突く噴水。運命の女神とその使者たちの像が見下ろすエントランス。それを守る双子の獅子の大理石彫刻。クファールでも有数のランドカジノである。


 ラハイの腕が鳴る。


 その全てを、タクシーはスルーした。


 車窓越しに呆然と目で追っていたラハイが、振り向きざまに後方を指す。ここから先にランドカジノはないはずだ。


「あの、通り過ぎたんですけど」


 クスッと、しかし心底楽しそうにアリーシャは口を隠す。


「期待以上の役者ですわね」


「何の話?」


「いえ、いえ、そうですわね。……羽振りの良いカジノは趣味じゃございませんの。羽振りの良いなりの裏がありそうじゃなくって?」


「裏、も何も……むしろ儲ける仕組みに信用があるから」


 それに、と遮るアリーシャ。「シューターから配られるカードは、味気がなくてつまらないですもの」


「いやそれは……待て、お前、まさか」


「着きましたわ」


 タクシーが停車する。爺やはアリーシャの手を取って降車を助け、慌ててラハイがそれに続く。高いバードギールが四つ建つ、日干しレンガとモルタルの邸宅だった。歓楽街の喧噪から一本外れただけの街角ながら、別の街区かと錯覚するほど広々とした区画で、静かにたたずんでいる。


 少なくとも、一見してカジノには見えなかった。


「なあ、本当にここで合ってんのか?」


 ええ、とアリーシャは頷く。


「ラハイ様は王者のように自信を持って振舞ってくださいまし。手始めに」アリーシャが脇腹を肘で小突いた。「こういう場所ですと、殿方のリードが恋しくなりますの」


 今更甘えられても頑として動かない心を押して、不承不承にラハイは腕を貸し、アリーシャは無邪気そうに両腕で絡みついた。


 長い庇の下、ぶすっとした紳士と幼げな淑女がレッドカーペットを踏むと、獅子の双子像の代わりに、屈強な男女ペアのガードマンが二人に応じた。


「失礼。会員証のご提示を」


(いきなりかよ)今時、リゾートカジノでも一見様が入れるんだぞ。会員証を求めるとしても、その更に奥に設けたVIPルームからだろう。それに、施設の素性をおくびにも出さない頑なな態度は、リゾート地には似合わない。


 ラハイは確信した。ここ、違法カジノじゃないの。大嫌い、ってそういうこと?


 だが、ラハイは期待をこめてアリーシャに目を配った。このご婦人たってのご希望なのだから、もちろん入る手筈は整えているに違いない。


 きょとんとラハイを見つめ返すアリーシャ。


(誘うならリサーチしとけよぉ!)


 ガードマンの強面に怪訝な色が浮かび、しかもラハイに向いている。確かに今の二人は女連れの男然として、男連れの女には見えない。ガードマンの見る目がなくてどうするってんだ、クソ。どう思おうが矛先は全てラハイに向く。叫びたい一心を何とかなだめて、言われた通りにラハイは演じる。


 時間稼ぎに、やれやれ、と肩をすくめ、失笑し、項垂れながら首を横に振る。アリーシャも何となくアドリブでクスクスと笑った。


 大袈裟な身振りを交えて、不出来な生徒に教えを施すような態度で、ラハイは挑んだ。


「君、そして君。そう、君たち。ニュースに目を通す習慣をつけたまえよ」中折れ帽を胸に当てる。「僕ぁ、インドから来たラクダの王様だぜ? ラハイ・ムヒー=ウッディーン・ムハンマド・アウラングゼーブだ」


 握手を求めるラハイを目の当たりにして、ガードマン二人が目配せし合う。二人とも首を傾げ、手の代わりにからかうような笑顔を向けた。


「それはそれは、とんだご無礼を。しかし、ラクダ王ラハイ何某陛下ともあろう御方へこのようなことを申し上げねばならないのは慚愧の念に堪えないことではございますが、当館では王冠や錫杖や血統よりも上に会員証を掲げております。恐れ入りますが、会員様からご紹介いただきませんと、ご入館いただけません」


 ああ、そういう建前はうんざりだ。の意見を態度で表すように、ラハイはぐるんと首を仰け反らせ、大げさな溜め息をつく。身振りは次第に大仰になっていく。


「ああ、すまない。挑発とかじゃないんだ。君たちが仕事を全うする分には良いんだけどもね。僕らも何もルールを破ってまで遊びたい訳じゃない、王様だぜ? その辺の節度は帝王学の初歩で習っているさ。……ただ、僕らを逃して、君たちのボスはどう思うかな? 逃した魚の何とやら、って言うだろう? 僕ぁね、マニュアルに従っただけで何の罪もない君たちが、ボスにしこたま叱られる目に遭って欲しくない訳よ。想像するだに忍びないんだよね」


 ふと、後から来た客が「おい」とだけ発して。ピラと会員証を見せていた。ガードマンはラハイたちを強めに押し退けて、来客のボディ・チェックを済ませ、慇懃にその会員を通す。ラハイたちの前を通りすぎる際、その会員は一瞥をくれて、ふんと鼻を鳴らして去って行く。ラハイは軽く会釈し、気まずく見送った。開いたドアの隙間は薄暗く、会員の足元を照らす間接照明が垣間見えた。


「大丈夫かい?」よろめいたアリーシャを気遣う振りをする。「こら、君たち。今のは良くない。良くないなあ。僕だけならちょっとくらいぞんざいにされたって構わないさ。僕が君らの立場になったってそうするからね。だけどね、彼女は別だ。嫁入り前の娘はもっと丁重にしなよ。後が怖いからさ」


「……王様、あんた、いい加減に」


 声にドスを利かせ始めたときだった。一歩前に出ようとしていたガードマンが、まるでドア枠に頭をぶつけたように不意に身を引いた。耳のインカムに指を当て「はい。……ええ、はい。ですが……。はい。しかし、会員様方に面目が……はい」と声を潜めた。


 ガードマンが一つ咳を払い、しゃんとしてラハイに向き直る。


「当館のオーナーが格別の配慮がありました。ようこそラハイ様。お連れ様もご一緒にどうぞ。まずは身体検査を」


 性に合わせた人員で、簡単に持ち物を確かめる。


「結構です。マイスィル・アル・カサルで夢のようなひとときをお過ごしください」


 旅行者向けに単語ごとに丁寧に区切った言葉遣いとは裏腹に釈然としない様子で、ガードマンはクラブの扉を開く。


「あの」おずおずと、片手を挙げてアリーシャが割り入る。「手前の運転手も連れてよろしくて? 年長者を独りだけ外に置いては、私は薄情者になってしまいます」よよよ、と泣き真似。


「ほら、どうなんだい? ボスに聞いてみたまえ」


 インカムで手短なやり取りの後、承諾を得る。「アリーシャ様、感謝の至りにございます。お心遣いが老骨に染み渡りますぞ」とアブー爺やは涙腺を緩め、主従は無邪気にきゃっきゃと盛り上がった。


「いやはや、話のわかるボスに恵まれて、君らは幸せ者だ」悠々とガードマンの前を「どーも、あどーもね」と過ぎるラハイたちであった。


 二人は睦み合う真似をして、マイスィルへ踏みこむ。その後ろにアブー爺やを連れて。途中、ラハイは大袈裟な身振りをする中で見つけた監視カメラに向かって愛想を振り撒いた。その向こうで客を品定めする、耳聡く、目聡いオーナーへ。


 事実、オーナーはモニタに映るおふざけを認めて、水タバコ(シーシャ)をたっぷり呑んでいた。マイクスタンドに煙をまぶし、ガードマンのインカムと繋ぐボタンから指を離す。


 カジノの全てを見通す目を、壁一面に寄せ集めたようなモニタを眺めるその男は、片手間にダーツを投げていた。ダーツボードは中央(ブル)からトリプルリングまでが剥落するまで使いこまれている。ペン立てから新しいダーツを取り、手元でスピンさせていると、スマホがバイブする。


 電話の呼び出しだ。通話ボタンをスライドさせる。


『行き先がわかりません。消えました』開口一番、電話の主は消沈を露わに結論した。


「それが報告か? 金、それに借り……警察(マッポ)に防犯カメラ洗わせんのもタダじゃねンだぞ」


『証言に合うバイクとライダーは確かに映っていました。ですが、ゴミ山方面に向かってからは、まるで煙にでもなったように忽然と消えてしまったとしか……』


「だったらゴミ山を当たれ!」


『正気ですか!? カメラだってあの辺は無いんです! 不可触領域(アンタッチャブル)だってご存じでしょ!』


「俺たちが捕まえんだよ! 何としてでも、どこよりも先にな!」


 一方的に通話を切る。幽霊を見たような声で言い訳を聞かされた情けなさと苛立ちが手の平に残っている。このままスマホに当たっても構わなかったが、男はもう片手のダーツの方に憤懣を託し、投げた。


 男の一投はダブルリングに刺さったダーツを蹴落として、落ちたダーツと同じ場所に刺さる。その神業を、手慰みとばかりに片手間に繰り返していた。


 床には大量のダーツと、ボードの亡骸が散らばっていた。

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オラに元気を分けてくれ!

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