七話
「勝手にしろ」
エリンの返答に対し同じセリフを繰り返したダニエルが立ち上がる。
見上げるエリンは身長差による威圧感を感じても、ひるんだ姿を見せないよう努め、座ったまま背筋を伸ばす。
ダニエルの目がふと和らいだ。
微かな変化を察したエリンが目を丸くする。
背を向けたダニエルは食堂を去る。
置いて行かれたエリンは、呆けた顔で、閉じられた扉を眺めた。
(最後に、あれ、笑ったのかしら)
「……」
今までにない表情に、小首を傾げたエリンは胸苦しさを覚えたものの、その感情はすぐに霧散してしまう。
「私、ここにいて、いいんだ」
居場所を得た喜びがわき上がり、エリンは手にしたフォークをぐっと握りしめた。
肩が震え、口元が弧を描いた。
「やった。ここにいていいんだ、私」
確認するように繰り返し、歓喜に満たされる。
花でも飛ばさんばかりに嬉しそうな顔で、エリンはキッシュを頬張った。
朝食を終え、食堂を片づける。調理場で後片付けて後、昼食の下準備をしたエリンは、屋敷の掃除に取り掛かる。
水回りは毎日掃除し、使っていない部屋は数日おきに掃除する。数部屋掃除しながら、移動中も廊下を掃除していった。
昼前に厨房に戻り、昼食を作り始める。
塩コショウをふっていた白身魚に小麦粉をふってフライパンで焼く。朝のポトフを温め直し、パンをスライスし籠に盛り付ける。
焼いた白身魚を皿にのせ、空いたフライパンでバターを温め、レモン果汁を足し煮詰めて白身魚にふりかけた。
魚が冷えないように蓋をしておき、先にポトフが入った鍋とパンを運んだ。
さらに食器やカトラリーを運んでセッティングしていると、ダニエルが入ってきた。
「昼食の準備はもうすぐです。どうぞ、座ってお待ちください」
黙って座るダニエルに一礼し、エリンは準備を進める。
ポトフと魚料理、パン。
滋味深い料理が並ぶ。
掃除や洗濯、屋敷の管理全般を行い、食事を用意するとなると、作れる時間と品数は限られていた。
一般家庭の料理であってもダニエルは何も言わず、すべて食べてくれる。エリンはそれだけで十分だと思っていた。
二人の生活は淡々としたものだった。
昼食を終え、しばらくすると、ダニエルは午後の鍛錬を始める。
午後の訓練は朝より長い。その時間を使って、彼の部屋を片付け、風呂の用意もする。
ダニエルが風呂につかっている間に、夕食を作る。
身体を資本とする騎士らしく好きなのは肉であり、野菜や果物などとの組み合わせを考えて調理する。
夕食を終えると、エリンは一日最後の片づけと、翌日の準備をして、就寝する。
夕食後のダニエルの様子は知らなかった。
元奴隷からの成り上がりである彼は、生活の大半を一人ででき、寝る準備まで手伝おうとするのを良しとしなかった。
おかげで夜十時にはやり遂げた満足感を得て就寝することができたエリンは、ダニエルがひっそりと一人で夜の街に時々出かけていたことを知らない。
ダニエルと暮らし三日目。
昼前に届いた郵便物をエリンは自室にいるダニエルに届ける。
廊下を歩きながら、手紙の表と裏を見ても差出人はなく、ダニエルの名前と封蝋がしてあるだけの簡素だが、手触りの良い紙の封筒だ。
(大事な手紙、よね)
郵便物や贈り物の仕分けを伯爵家で手伝った時に、特徴のない上質な手紙は大切な知らせであることが多いとエリンは教えられていた。
扉をノックするといきなりダニエルが顔を出し、エリンはびっくりしてしまう。
髭をそり、髪を整えた小奇麗な姿。
精悍な身体を薄く覆うシャツと無感情な瞳からは言い知れない色気を放つ。
いつも見ているものの、不意に目の前でとらえると、その姿に見惚れてしまった。
「どうした」
「あっ、はい! 手紙が届いています」
怪訝なダニエルに我に返ったエリンが封筒を両手で差し出す。
手紙を受け取ったダニエルはエリンの目の前で封を乱暴に破った。
主人は手紙をペーパーナイフで開くものだと思い込んでいたエリンは目を丸くする。
ダニエルは手紙を広げて、その場で読み始めた。
その流れる所作に(この人、字も読めるんだ!)とエリンはまた驚く。
かろうじて名前を書けて、簡単な文章と数字が読める程度のエリンが、今、そこそこ読めるようになったのは、アメリアの教育のたまものであった。奴隷出の平民は文字を覚える機会は少ないものだ。
(ダニエル様も、平民になってから学んだのかしら)
黙読するダニエルが顔をあげる。
ばっちり目が合い、エリンの方がどきりとした。
「祝賀会の知らせだ」
「祝賀会……、あっ」
被服や宝飾品を扱う商家の主の顔が脳裏をよぎったエリンは青ざめる。
彼は、『聖騎士様が戻られた際に城で開かれる祝賀会の衣装をお持ちしました』と言っていたのに、すっかり忘れ、ダニエルに伝えていなかった。
エリンは体をおりまげ、頭を下げた。
「申し訳ございません、ダニエル様。ご不在の折、商家の主がお見えになり、お衣装を届けておりました」
「報告を忘れたと……」
「申し訳ございません」
俯ていたエリンには見えなかったものの、ダニエルは首に手を置き、斜め上を見上げると、「そういうことではないんだがな」と口内で呟いた。
聞こえないエリンはうつむいたまま。
視線をエリンの頭部に落としたダニエルは、軽くため息をつき、真顔に戻った。
「それは知っている。クローゼット内で見た。顔をあげろ」
エリンが恐る恐る顔をあげる。
なにか失敗をしでかした際は心から謝罪し、申し訳なさを顔に出すような癖があった。
「違う」
ダニエルは苛立たし気に呟く。
怒られたと勘違いしたエリンが軽く怯える。
「そうじゃない。その商家の者は言わなかったか?伝言でもなかったのか」
エリンは喉を詰まらせる。
名刺を渡され、連絡がほしいと言われていた。
『婚約者様のお衣装も準備するように言われています』
商家の主伝からは婚約者が屋敷に来たら『どうかご一報ください』という伝言を頼まれていた。
記憶の底に沈めていたエリンは生唾を飲み込む。
そのまま伝えるのはためらわれた。
婚約者として表向きここにきたとはいえ、初っ端から歓迎されていなかった。やっと使用人としては居場所を得られたというのに、ここで衣装のことを持ち出せば、自ら婚約者であり、衣装を作ってほしいと頼むようではないか。そう口にした途端、やっと得た居場所を失うとエリンは怖くなる。
しかし、主人に問われ、嘘をつくような度胸もないエリンは、おずおずと、エプロンのポケットにしまっていた名刺をだした。
エリンがダニエルに対し正直になれる、ギリギリの選択だった。
「……商家の方が、ご一報くださいとのことでした」
エリンを見つめるダニエルは静かに命じた。
「その商家を呼べ」
「はい。ご用件は」
「祝賀会の参加用の衣装が必要だ」
「それはクローゼットに……」
「違う。あれは俺のだ。必要なのは女物。意味は分かるな、エリン」
「……」
「俺は一人では来るなとくぎを刺されている。婚約者同席を命じられている。エリンの衣装が至急必要だ」
両目を見開くエリンを、ダニエルは静かに見つめる。
「急ぎ、手配しろ。俺の婚約者は、エリン、お前だろう」
※
夜に屋敷を抜け出したダニエルは繁華街にいた。
そこにある、平民が利用する酒場のなかで、小奇麗で味の良い店が待ち合わせ場所だった。
店の扉をあける。
いつも通りの賑わいのなかに、浮かび上がって見える人物が数人。
数人の手練れがカウンターに一人、あとは数人で一席を囲んでいた。人数は五人。
彼らがいることは承知済みのダニエルは、最奥のテーブル席に目をやる。
待ち合わせの男はすでに二人掛けの席にいた。
いつも通り近づき、黙って向かいに座る。寄ってきた店員にグラスを頼む。
テーブルにはすでに男が注文したワイン一瓶とつまみがあった。
グラスに視線を落としていた目の前の男が、眼球だけ動かし、ダニエルを見る。彼はおもむろにいった。
「祝賀会は予定通りだ。婚約者殿は、必ず、連れてくるように」
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来週の木曜日に残りの4話投稿します。
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