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五話

「いったいぜんたいこれはどういうことなんだ」


浴槽につかったダニエルは、適度な湯温に疲れが吸い取られて行く感覚を味わいながら、忌々し気に独り言ちる。

湯けむりが漂い、霧がかったように浴場内は白んでいる。


(あの伯爵家からやってきた娘は何だ! 一体何なんだ!!)


水面を拳で叩くと、飛沫が散って、頬を濡らした。


貴族の娘なら、とっとと消えていなくなるとダニエルは思っていた。

初日はプライドでここで暮らすと言っても、数日もすれば不便で薄汚い屋敷で暮らしていけるわけがないと踏んでいた。

実家に帰れない場合は、金を持って逃げればいいと、金貨は手切れ金のつもりでほうり投げていたのだ。


(しかし、なんだ。これは。いつの間にか、家はなおされているだと。しかも、夕食を用意し、風呂の準備も整っていると……)


湯に半分顔をつけ、ぶくぶくと口から泡を吹くダニエル。


(おかしいだろ。なんで、伯爵家の令嬢がそんなことができる。伯爵家の使用人が出入りしていたのか? そんな話は聞いていないぞ。国が屋敷のために業者を手配したことは聞いていたから、間違いはないが、婚約者をよこすことになった伯爵家から使用人が後から派遣されるなんて話は一切なかった)


ぶるぶると顔を振って、ぶはっと湯からダニエルは顔を出した。


(エリンと言ったあの娘が業者を指示し、料理も掃除もぜんぶこなしていたのか?貴族の令嬢が、そんなことできるのか。できるはずないだろう。蝶よ花よと育てられた、水仕事一つしたことない貴族令嬢に、そんなことが!)


湯船の縁を背もたれにして身体を伸ばす。天井を見上げ独り言ちる。


「あの娘は刺客なのか」


疑念が湧く。


(俺を国にとどめるために、伯爵家は()()()と結託していたということか?まさか、そんなことがあるか。ありえない。それなりに事情があって、娘をさし出すと了承する家を選んでいるとはいえ、俺の出自は奴隷だぞ。プライド高い貴族のご令嬢が好んで来るわけがない!)


「……」


(あの娘は、何者だ!)


考えても答えは出ない。

ダニエルはエリンについて、伯爵家から来たという以外、何も知らないのだから。


ざばっと風呂からあがると、軽装に着替え、苛立たし気に食堂へ向かう。

近づくごとに、肉が焼ける良い匂いが漂ってきた。


口元に拳を寄せる。

お腹がぐううっと鳴った。


「ちくしょう。あの女、料理までできるのか」


引き返すことはせず、匂いに誘われ、ダニエルはそのまま食堂へむかった。






その頃、エリンは楽しく肉を焼いていた。


(ダニエル様に食べてもらえる。美味しいと言ってもらえたら嬉しいな)


スープも火からおろし、保温のために布をかけ、食堂に移動済みだ。

果物や野菜を盛りつけた皿も運んである。

テーブルのセッティングもすでに済み、肉を焼いて運ぶだけ。


エリンは変わらず、ダニエルを尊敬していた。


(ダニエル様に粗相がないようにしないと、戻られたばかりでお疲れなんだから、しっかり食べて休んでもらわないとね)


彼を迎える際、飄々淡々とした真面目腐った態度になってしまったのも、緊張の裏返しだった。


土埃まみれの旅姿で、無精ひげもそのままに現れたダニエル。

その姿から、彼が間違いなく英雄であると打ち震えていたぐらいだった。

エリンの微細な心のゆれは表情や態度に出ず、緊張して強張った声音ぐらいしか反映されていないものの、ダニエルの傍に仕えられると思うと、内心はとてつもなく嬉しかったし、誇らしくもあった。


北でも、東でも国を守る働きをして、その功績をもってエリンたち奴隷を平民の身分に押し上げるきっかけを作った人物。

回り巡ってエリンが伯爵家を出るきっかけを与えてくれたダニエル。


そんな人の傍にいられるだけで、働けるだけでエリンには十分すぎた。


(婚約者として受け入れてもらうなんておこがましいぐらいだもの。このまま使用人として働かせてもらえたら十分よ)


現状に満足していた。


料理に掃除、かゆいところに手が届く奉仕をもって、この屋敷で働き続ける許可を得たい。エリンはそれだけを願っていた。


焼けた肉を温めておいた皿にもりつける。お盆にのせ、蓋をして、食堂へと向かった。





エリンが食堂に入るとダニエルがすでに椅子にふんぞり返って座っていた。


「お待たせしました、ダニエル様」


エリンの声掛けに、ダニエルはじろりと睨みをきかせる。

気にせず、エリンは肉をのせた料理をダニエルの前に置いた。横から蓋を取り、一歩下がる。


良く焼けた肉が現れダニエルは生唾を飲み込んだ。


他に、温野菜の盛り合わせに、多種類の果物が盛り付けられたガラスボウル。平皿に切り分けられたパンがすでに用意されていた。


鍋を包んでいた布をとりはらい、エリンはスープカップにポタージュを注ぐ。

そのカップを、ダニエルの前に置く。


料理内容を簡単に説明する間、ダニエルはじっと料理を見つめていた。

説明を終えて、「どうぞお召し上がりください」としめたものの、ダニエルは一向に食べ始めようとしない。


(食べるタイミングを逸したのかしら)


「ダニエル様、なにか他にご希望がございますか」


気を遣い、エリンが声をかける。

すると、弾かれたように背もたれからダニエルが体を離した。

勢いそのままに振り向く。


思いもよらない動きに目を見張ったエリンの腕をダニエルが捕まえる。

腕を引き、手首を掴まれたエリンは、とっさのことに、前のめりになり、小さな悲鳴をあげた。


そんなエリンの声を気にもせず、反り返したエリンの手を、ダニエルは凝視する。

凝視するなり、瞠目した。


「……、なんだ、これは」

「だっ、ダニエル様?」


震える声を発したダニエルが眼球をエリンにむける。

仰天したエリンが腕を引こうとするが、強い力で掴まれ、びくともしない。


「なんだ、これは」


同じセリフを繰り返すダニエルにエリンは怪訝な表情を向けざるをえない。


「ダニエル様、これは、とは、なんでしょうか」

「手だ」

「手?」

「この手、この硬い手。これは貴族令嬢の手ではない」


びくんとエリンが反応する。

長らく働いてきたエリンの手は、あかぎれのあとや重い荷物を持つことでできたたこなど、きれいなものではなかった。


アメリアからも、社交場に出る時には必ず手袋をつけるようにと注意されるほどに硬くなっていた。


「お前、伯爵家の令嬢ではないな」


看破されたエリンは動揺し眼球を泳がせる。


(どうしよう。正直に話す?それとも、しらばっくれる?)


判断に迷うエリンをダニエルは覗き込む。


「これは働く者の手だ。お前はいったい何者だ」


否定できないエリンが沈黙すると、食堂がしんと静まり返る。


(やっぱり、ここまで準備したのはやりすぎだった。正直に話して、使用人として雇ってもらえないか、頭下げた方がいい?それとも、伯爵家の正当な令嬢じゃないと分かって怒られる?)


ダニエルが薄笑いを浮かべ、喉を鳴らす。暗い笑い声が沈黙を破った。


「そうか、分かったぞ。奴隷出身の俺に娘を嫁に出すのが惜しくなったんだろう。それで別の人間をよこした。貴族じゃない俺は作法もなにもろくにしらないからな。普通の屋敷であれば、付け焼刃でも見抜かれないとでも考えたか」

「ちっ、違います」

「違う?こんな仕事をしている手をした女が、貴族の娘なわけないだろう。お前に俺を騙そうという意図がなく、伯爵に騙されたり、脅されたりして来たのなら逃がしてやるぞ」


当たらずとも遠からずだが、エリンは嫌々来たわけではない。その点だけは、誤解してほしくなかった。


「ちっ、違います。私は私の意思でここに来ました。そして、まちがいなく伯爵の娘です」


エリンが話し出した途端、無表情になったダニエルがエリンを見つめる。その瞳には、エリンの姿がはっきりと映っていた。

震える声でエリンは言った。


「英雄となり、奴隷を平民に押し上げるきっかけを作ったダニエル様を心から尊敬しております。私は、ただ、それだけでございます」




読んでいただきありがとうございます。

本日は3話予約投稿しています。



慌てて追記


また三話分明日の投稿になっていて、慌てて予約投稿しなおしました。

どうやら、木曜更新なの、間違って、金曜更新で準備してたんですよ。

残二話は14時と16時に予約投稿しました。

やらかしてしまった!

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