四話
ダニエルを見送ってから敷地内をさらに探索したエリンは、ポンプ式の井戸を見つけ、本格的な掃除を始めた。
掃除をしながら、屋内の壊れ具合を確かめていく。
階段の手すりがこわれ、床板がめくれているだけではなかった。
壁紙もあちらこちらで剥がれており、床板もボロボロ。窓ガラスが割れているところも見られた。雨漏りのシミも天井にある。カーテンだってない。
隙間から雨風が入り込んでくる屋敷では安心して暮らせるスペースは限られていた。
(こんな状況なら厨房の周辺で暮らすしかないわね)
英雄と呼ばれる聖騎士ダニエルならもっと立派な屋敷に住んでいそうなはずなのに、なんでこんな壊れかけの家なのかとエリンは不思議に思う。
考え事をしながら掃除をしている途中で、ベルが鳴った。
まさかダニエルがもどってきたのだろうかとエリンは急いで玄関へ行き、扉を開く。
ダニエルはおらず、そこには帽子を取った白髪交じりの中年の男性が立っていた。彼はエリンの顔を見るなり、笑顔になり、ついでほっと胸をなでおろした。
「良かった。やっと人が出てきた」
意味の分からない一言に疑問を感じながらも、エリンは「どちら様ですか」と問う。
「俺は街の大工です。このお屋敷をなおすように依頼を受けていたんですが、何度訪ねても誰もいなくて困っていたんです。タイミングが悪かっただけかもしれないですがね」
「屋敷をなおす!」
その一言にエリンは仰天する。ダニエルはそんなことを一言も言っていなかった。
「国から聖騎士様のお屋敷をなおすように言われていて、料金も半分支払われているというのに、一向に仕事ができずに困っていたんですよ」
「料金が支払われている?」
「ああ、国からね。聖騎士様がこの屋敷を望み、でも壊れているからなおすようにと……」
「それはそれは……。でも、丁度良かったです。このままでは住めないぐらい壊れているところが多くて困っていたんです」
これぞ天の助けと、エリンはタイミングよく現れた大工に嬉しくなる。
「俺もやっと人と会えてほっとしたよ。ここから見るだけでも、なおすところがたくさんありそうだ。あなたはこの家のメイドだろう。聖騎士の主人に取り合ってもらって、工事の日取りを決めてもらえないだろうか」
「それなら、問題ございません。この家のことはダニエル様より自由にしていいと申し付かっております」
そう、ダニエルはエリンに『勝手にしろ』と言っていた。ということは、拡大解釈すれば、家をなおすことも勝手にしていいはずだ。
エリンは、ダニエルがいないことを良いことに、都合よく彼の言葉を解釈する。どうせ、このままでは住めないし、売るにしたって、なおしておいた方が高く売れる。
エリンは、迷わず大工を招き入れた。
その場で、工事の最短日を確認すると、大工は話が早いと喜んだ。
ついでに、室内の様子を確認するため、二人は屋敷の隅々まで歩きまわる。
エリンが気づかないような窓ガラスの小さなひび割れや窓枠の破損を見つける大工に、窓ガラスも枠ごと取り換えましょうと提案を受け、了承した。
壁紙の希望、床板の張替えなども打ち合わせた。
打ち合わせの合間に、食材を購入する店は近くにないかとエリンは大工に相談し、商店街の場所を知ることもできた。
翌日から、大工が弟子たちを引き連れ工事を開始した。
エリンは、長らく伯爵家で暮らしていたため、執事やメイドたちの仕事ぶりもよく見ていた。
エリンのような下働きではなく、彼らは伯爵や夫人、アメリアに直接仕える。常に良い服を着て、動きも貴族のように洗練されていた。
下働きのエリンたちに指示を出すのも、もっぱら彼らだ。
(使用人が一人もいない状況だもの。結婚とか婚約とか望まれないなら、私が使用人になれば丁度いいわね。そしたら、私も出て行かなくていいし、ダニエル様に仕えることもできるわ)
幼少期から見てきた執事を真似て動き出したエリンは、都合よく考え、屋敷を取り仕切る楽しみを感じ始めることができた。
エリンがうまく切り盛りしたことで、屋敷は見違えるように奇麗になった。
屋根や壁は新たに塗装され、ベランダや階段の手すりもなおされた。剥がれた壁紙は真新しい白い壁紙に張り替えられた。割れた窓ガラスは取り替えられ、床板も敷き直された。
最終日、大工はエリンに礼を言った。
「ありがとう、エリンさん。これで残金を受け取れる。金をもらうだけで、仕事をしないわけにはいけない案件だったので、とても助かったよ」
「聖騎士様と会えませんと断れなかったんですか」
「ああ。これは国からの依頼だ。聖騎士様がいないという言い訳をしても、国の役人たちはけっして許してくれない。あまりに仕事をさせてもらえないでいたら、首が飛ぶんじゃないかとひやひやしていたんだ」
「まあ……」
エリンは、驚くとともに納得する。
国はそれなりの屋敷を与えようとしているのに、ダニエルが拒んでいたのだろう。
大工が去って数日後、今度は建具や家具を扱う商家がやってきた。
彼らによって家具が整えられる。ダニエルの寝室とくつろぐための居室、談話室、食堂は、伯爵家で見てきた以上の意匠を凝らした家具が設置された。
続いて、被服や宝飾品を扱う商家がやってきた。商家の主はエリンに言った。
「日常着や訪問着の他、近々聖騎士様が戻られた際に城で開かれる祝賀会の衣装をお持ちしました」
たくさんの衣装をダニエルの部屋に運び入れる。
エリンは、商家から来た人々に指示を出し、クローゼットにしまっていく。
作業を終えたところで、商家の主がエリンに問うた。
「祝賀会の際には、ダニエル様の婚約発表も行う予定ということで、婚約者様のお衣装も準備するように言われています。婚約者様はいずこにいらっしゃるのでしょうか」
エリンは答えに窮する。
婚約者はエリンだが、自ら名乗り出ることははばかられた。
どこまでもエリンは使用人としてしか立場を自認しておらず、婚約者と自分をとらえるのは、どこか居心地悪い。ダニエルも歓迎していない以上、おいそれと名乗り出る気にはなれなかった。
「婚約者様は……」
かと言って、ここにはいないと嘘もつけない。答えを選びきれないエリンの困り顔を商家の主は勘違いした。
「わかっております。つい先日までこの屋敷は人が住める様相ではなかったと伺っております。
しかし、これだけ建物の手直しをされれば、もうすぐこちらにお見えになるはず。こちらに移り住まわれたら、どうかご一報ください」
「わかりました」
商家の主の提案をほっとして受け止めたエリンは、名刺を受け取り、彼を見送った。
居心地がよくなった屋敷をエリンは毎日掃除をして、ダニエルの帰りを待った。
婚約者という自覚がないエリンは、最初に与えてもらった従業員用の狭い一室を自室として、快適に暮らし続けた。
旅立って一月後、ダニエルが帰ってきた。
「なんだこれは!」
ダニエルの第一声もエリンは飄々と受け止める。
大工や商家たちと対等に打ち合わせ、彼らをもてなしてきたエリンには、どこか屋敷を取り仕切る執事としての風格が漂い始めていた。
「ダニエル様、お帰りなさいませ」
エリンの動じない挨拶に、ダニエルは渋い顔をする。
「なんだこれは、どういうことだ」
「業者の方がいらしたので、なおしてもらいました」
「そんなこと、許可した覚えはないぞ」
「しかし、ダニエル様は、私に勝手にしろとおっしゃいました。言いつけに反した行為を行ったつもりはございません」
むむむと、ダニエルの唇がいびつに絞められ、眉間に皺を寄せ、嫌そうな顔にかわる。
エリンは露ほども気にせず、ダニエルに問う。
執事として、戻ってきた主人をもてなすのは当然だと思って……。
「では、ダニエル様。お戻りになられて、まず食事になさいますか、それとも、先にお風呂になさいますか」
飄々としたエリンの問いを受け、今にも叫びそうな顔色に変わったダニエルは、口をパクパク魚のように動かす。
湯や料理の用意が本当にできているのか疑っていると勘違いしたエリンが真面目に補足する。
「風呂場もなおし、湯の用意も簡単に出来るように改装されておりますので、お湯が沸いていないなどのご心配には及びません」
「そっ、そんな心配をしているわけじゃない」
「では、料理もほぼできております。スープは適度に煮詰めており、肉を焼けばよいように下処理を済ましておりますので、夕食もすぐに準備できます」
「いや、そう言う意味でも……」
「では、肉の焼き加減になにかご希望でもございますか」
がくりとダニエルは肩を落とす。
「ふっ、風呂で……」
力なく呟くダニエルに、「では、新しくなった浴場へと案内いたします」とエリンは淡々と受け答え、案内するために歩き始めた。
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全11話。
次回は来週木曜日(3話)予約投稿済みです。
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