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三話

エリンはあてがわれた部屋を見回し、軽く掃除をした。

隅はほこりまみれでも、ベッド周りはましになる。

寝床さえ確保できれば、ひとまずよしと両手を叩く。


(あとは、明日掃除すれば良し)


日が暮れかけた夕刻。夕食の準備を行うには時間も遅い。

とはいえ、この屋敷には使用人がいないという。


(ダニエル様はどうされているのでしょう。食事とか、洗濯とか、あれこれ)


気がかりになり、部屋を出た。元来た廊下を引き返し、厨房に入る。


調理台に椅子を寄せて、酒を呷っているダニエルがいた。

日持ちする干した魚や肉をつまみに酒を飲んでいる。


(乾物は腹に溜まるけど、バランスは悪そう……)


まじまじと見ているとエリンに気づいたダニエルに睨まれた。


「なんだ」

「いえ。お食事とか、どうされているのかと思って。ここには使用人がいないと言いますし……」

「腹が減っているなら、勝手にくえ」


顎をしゃくった先には、棚があり、パンが入った籠と、缶詰があった。あと、卵。新鮮な野菜や肉といった調理できそうな材料はない。

エリンは調理台に近づきながら問うた。


「食事はご自身で作られているのですか」

「ああ、どうせ長居はしないし、食べるなら外に行く。俺は明日の昼前にはここを出る。後は好きにしてろ。もちろん、ここを出てもいい」

「分かりました。しかし、もし、私がここで暮らすことを選んだ場合、食事など生活全般はどうしたらいいでしょう。食材を買いに行くにしても……」


困りごとを呟くエリンの前に、カチャンと硬貨入りの小袋が投げられた。


「買え。あとは勝手にしろ」

「勝手にしてもいいのですか」

「かまわない」

「自由に使っても?」

「一人ですめるならな」


ダニエルはエリンを貴族のご令嬢としか思ってないらしい。あざけるような顔でエリンを見下す。(どこまでもつかな)と内心揶揄し、試しているかのようでもある。


(なにかあったのかしら)


自問の答えはすぐに浮かぶ。


―― 貴族が嫌い。


端的にそう思った。


エリンも貴族は好かない。いない子のように扱っていたエリンを、都合よく利用できるとなれば利用する伯爵。

血のつながった情の欠片もないアメリアからは、出来なければ罵倒され、ふくらはぎを鞭打たれた。最低限のことを教えるにしても、癇癪もちで、怒りっぽい。料理人だってあんなに怒ったりしないと何度も思った。


なにより、母が病気になってもそ知らぬ顔。

考えようによっては、まるで父が母を見殺しにしたかのようではないか。


どんなに血が繋がっていても、貴族は貴族であり、奴隷の子は奴隷の子なのだ。伯爵を父とみることも、アメリアを姉妹とみることもできなかった。


(冷たい伯爵邸に比べたら、壊れているとはいえ、良い家だわ)


厨房を見回したエリンは、調理台に投げ出された小袋を拾う。


「俺は一月は戻らない。暮らせるというなら、その金で暮らしてろ」


酒を呷りながら、吐き捨てるダニエルを横目に、小袋を開いたエリンは両目を見開く。


(なに、この金額)


入っていたのは金貨五枚。


平民や奴隷の暮らしで、金貨はお目にかかることはない。銀貨だって滅多に使わない。それこそ、家を買う、結婚式を挙げるといった、人生の一大イベント時に見かけるぐらいである。日常は銅貨と決まっている。


エリンはしげしげとダニエルを見た。


「なんだ」

「いえ、ありがとうございます。これで、暮らさせてもらいます」


小袋を抱き、エリンが頭を下げると、ダニエルはふいと横を向く。これ以上は話すつもりもないのか、手酌で酒を飲み始めた。


話しかけるなと言わんばかりの雰囲気に変わったと察したエリンは、缶詰とパンを取り出し、勝手に食べた。

勝手にしろというのだから、勝手にさせてもらう。


節操なしに見られるかもしれないが、所詮エリンは元奴隷あがりの平民、張りぼてのまがいもの令嬢だ、はばかることはなにもない。


食べ終え、挨拶し、部屋に戻った。

寝間着に着替え、ベッドに入る。

明日の昼前には出かけるという、朝ご飯と見送りぐらいした方がいいかなと考えているうちに寝てしまった。


翌朝。


朝もやがかかる白んだ窓から入る微かな光が瞼にさし、エリンは目覚めた。

動きやすい服装に着替えて、髪を結わえる。

部屋を出て廊下を歩いていると、窓の向こうに影が揺れた。


足を止め、窓を覗く。


朝もやのなかに人影が動く。

それは前後左右に同じ動きを繰り返し続ける。


(ダニエル様だ。こんなに朝早くから動いているの?)


長い剣を規則的に動かし鍛錬するダニエルの洗練された動きにエリンは魅せられる。


しっかりとついた鋼のような筋肉は無駄がない。

獰猛でありながら、見惚れる程美しい獣を見るようであった。


朝もやの中でダニエルが散らす汗だけが星のようにきらめいて見えた。


(あれだけ動いていたら、きっとお腹がすくわよね)


はっと気づいたエリンは急いで厨房へと向かう。


火をおこし、材料を並べる。

少ないなかで何を作るかと考え、卵を割り、缶詰のコンビーフを混ぜて、オムレツを作った。


鍛錬を終えたダニエルがやってきた。水場で頭から水を被り、体を拭いてきたのか、上半身裸で髪からはポタポタと水滴が滴っている。

顔はどこか怒っていた。


「なにをしている」

「勝手にしていいと言われたので、朝食を作っています」

「はっ!」

「もうできます。コンビーフのオムレツ、あたたかいうちに食べてほしいので座ってください」

「俺は昼飯は外で食うぞ」

「これは朝食です」


エリンが卵を返すと、黄色い半円ができた。

フライパンをひっくり返し、皿に盛り付け、切り分けたパンを添えてダニエルの前に出した。

渋い顔をしていたダニエルだが、料理がのった平皿を一瞥し、席に着く。


「これを食べたら、俺は支度をして出かける」

「はい」


返事をしながら、自分の分をエリンも用意し、ダニエルの前に座ると、食べ始めた。


口に合わないと言いたいかのように、ダニエルは眉間に皺を寄せて、食べている。

エリンも黙って食べた。

二人は終始無言であった。


食べ終えると、何も言わず、ダニエルは厨房から出て行く。

うまいとも、まずいとも、何も言わない。


残された皿はまっさらになっている。


(まずくはなかったってことよね)


ほっとするエリンは、機嫌よく自分の分を食べ終えた。


長年、奴隷として生きてきたエリンは結婚するとはどういうことかよく分からなかった。

貴族の娘なら、こんな結婚生活はない!と悲鳴をあげそうな環境でも、使用人として雇われている、と、思えば、なんの問題もない。


料理を作って、掃除をして、洗濯をしているとなれば、令嬢に見えるように施された教育がなんだったのかと拍子抜けしてしまうが、元に戻るようで楽でもある。


元々、尊敬する人に仕えるつもりで来たので、気構えとしては使用人に近かったエリンは、自由にしていいというダニエルの言葉を好意的に受け止めることにした。


後片付けを終えたエリンは、屋敷内を探索する。

どれぐらい片づけ、家をなおさないといけないのか確かめるために。


伯爵家にはお抱えの庭師が簡単な大工仕事もでき、屋敷周りの柵などをなおしているが、ここには誰もいない。


(ベランダの柵とか、階段とか、もらった金貨でなおせるものかしら)


そんな風に考えていた時だ。


玄関先に旅支度をして、出て行こうとするダニエルと出くわした。

エリンの姿を見るなり、嫌な顔をする。


夫であると実感のわかないエリンは、ダニエルの反応を気にしない。

ただ、屋敷の主人を見送るために近づき、頭を垂れた。


「いってらっしゃいませ」


顔をあげると、奇妙なものを見るダニエルの視線とかちあい、エリンは小首を傾げた。その仕草がまた気に入らなかったのか、舌打ちしたダニエルが扉に手をかけ、歩き出す。


「行ってくる」


呟きは、エリンの耳には届かなかった。


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