表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/21

十一話

「あの屋敷で暮らされていたんですか」


エリンは剥がれた壁紙や床、カーテンのない窓、割れた窓ガラスなど、惨憺たるかつての屋敷の様相を思い出す。


あれらは、ダニエルやその母が襲われた名残だったのかと、すとんと腹に落ちた。


「ああ。母と二人に護衛が二人。使用人もそれなりにいた。

エリンと食べるあの食堂で母と一緒に食べた。

俺が怖いと言えば、母は俺と一緒に寝てくれた。城では許されないことだった。

現実をよく理解していない俺は、バカンス気分で楽しんでいたよ。


屋敷の暮らしはのびのびして楽しいものだった。

作法もなにも言われない。

勉強時間も半分になり、護衛についてきた騎士二人に手ほどきを受けていた。


長くは続かなかったがな。


襲われた夜は今でも覚えている。


住み込みの使用人は全員殺害。


精鋭の護衛二人のうち一人が倒した相手の腕章をもぎ取り、俺を抱えて逃走。担がれた俺は泣きながら、護衛の背を叩いた。


目の前で、母が殺された。

それを見た瞬間、怖くて、悲鳴も上げることができなかった。


俺を鍛えてくれたもう一人の護衛は、俺の逃走を成功させるために残った。

こういう時はどうすると、二人は示し合わせていたんだろう」



車内で揺られているはずなのに、車輪の音がまるで夢のなかで響く架空の音のようである。


エリンの脳裏にダニエルが語る世界が映し出される。



切られる人々。

火花を散らす煌めく刃。

倒れる母。

残る護衛の大きな背中。



幼いダニエルが見てきた世界が車中の壁に映し出される錯視とともに、車内は惨劇の緊張感に包まれる。



人々の悲鳴。

逃げまどう足音。

血を流し、横たわる人。



ダニエルが経験を共有し、エリンは溶けあうように、同じ過去を体感する。


ダニエルが逃げ切り、闇夜に紛れ込み、追手を巻いたと確信した瞬間、車内は再び現実の内装へともどった。


逃亡後について、ダニエルは語り始める。


「衣類を捨て、農村地帯で盗んだ服に着替えた俺たちは北に逃れた。薄汚れた俺たちは、誰にも疑われずに奴隷として働き始める。

彼は元々強い騎士だったし、俺は彼の手ほどきを受け、強くなった。


それから何年も経過して後、弟が視察に来た。

容姿を見て、互いに驚いたのは昨日のように覚えている。

俺は彼が産まれた時を知っているからな。


そこで、王直々に騎士と俺が呼ばれた。

騎士は知らぬ存ぜぬを貫こうとしたが、そこは色々あって、王太后をはめる画策に俺たちも乗じることになったというわけだ」


(そこから王が会場で語った内容につながるのね)

エリンはそう理解した。


昔話が終わる頃、二人は屋敷に到着した。


先に降りたダニエルは振り向き、エリンに手を差し伸べる。


(ここまで来たら、もう一人でも大丈夫なのに……)


馬車に乗っている間はずっと座っていたし、行儀が悪いと分かっていても、たまらず靴を脱いでいたおかげで、足の痛みは引いていた。


「もう大丈夫です、一人で……」


そう言って、手を取らないで降りられると訴えようとした途端、足がもつれた。


脱いだ靴を足の感覚だけで履いていたので、うまく踵が収まっておらず、片足がすっぽ抜ける。


態勢を崩したエリンをダニエルが両手を伸ばし、素早く受け止めた。


再びダニエルにより抱き上げられたエリンはもう反発しなかった。

ただただ胸苦しさと、恥ずかしい気持ちにかられて、肩をすくめた。うつむいた顔は湯気立つように熱くなる。


エリンを抱き、ダニエルは歩き出す。

御者が灯りを持って足元を照らした。


屋敷の鍵を胸ポケットに入れていたダニエルが、エリンにそれを取らせ御者に渡すように指示した。エリンはダニエルの言われるままに鍵を御者に渡す。御者は渡された鍵で屋敷の扉を開ける。

入室した三人。御者はエリンに鍵を返した。

城から遣わされた御者は一礼し、帰っていった。


ダニエルは、エリンを抱いたまま、厨房近くのエリンの自室に向かう。途中、ぽつりとダニエルが言った。


「部屋も替えないといけないな」

「私はここでかまいません」


慌てたエリンは顔をあげる。

いつもなら受け入れるべきだと判断できるのに、ダニエルの提案を拒否してしまう。


ダニエルはエリンを見た。

視線が合っただけで、エリンはぎゅっと心臓が掴まれたように痛くなった。


「あそこは使用人用の私室だ。屋敷の女主人があんなところに部屋を構えていたら、これから雇い入れる使用人たちが気後れするだろう」

「……」


さらりと言い退けるダニエルの台詞にエリンは絶句する。


「俺の部屋か、差し当たって、隣あたりに部屋を用意するか」

「まっ、待ってください。私は、私は……」


(私は……、なんなの……)


言葉を続けられなくなるエリンは、使用人と名乗れなくなっていた。


アメリアと話す際に得たインスピレーションが、エリンの、自らを使用人と称する言葉を封じてしまったのだ。


使用人ならば、ダニエルの横に他の婚約者がいてもなにも不満は抱かないはずだ。

怒りに似た感情で、腸が病んだりはしない。


それぐらいエリンにも分かる。


その感情がなんなのか、分からないほど子供でもなかった。


(あれは嫉妬だ)


誰に嫉妬か。


(ダニエル様の横に他の女性が立つこと。そのすべてが、嫌だ)


誰にではない。ダニエルの隣に自分以外の誰がいても嫌なのだ。


(ダニエル様の傍にいるのは私……)


エリンはダニエルの胸元に手を伸ばした。


抱き着きたくなる衝動を抑え、少し手を下げ、彼の胸元を握りしめた。


ダニエルは、変わらず前を向いている。


エリンの部屋の前まで来た。

ダニエルが扉をあける。

狭い室内にあるベッドにダニエルはエリンを降ろした。


ベッドの脇に座りなおしたエリンの目の前で、ダニエルが膝をつく。

慌てたエリンがやっと悲鳴のような声をあげた。


「ダニエル様、おやめください。私は一人でも大丈夫です。もうお部屋にお戻りください。お風呂につかってからお休みになりたいなら、準備いたしますが、いかがしますか」


使用人としての意識がしみついているエリン。

あくまでも使用人としての立場を守ろうとするかのように言い切った。


そんな彼女を、床に膝をつけたダニエルが静かに見上げた。


「いつまでも、婚約者にそんなことをさせていられないよな。近いうちに使用人を雇う。エリンはその使用人を仕切って切り盛りしていればいい」


エリンの脳裏に、ダニエルが発した、女主人、という単語がありありと浮かぶ。


「私は、私は、そんな立場に立てるような者ではないんですよ。奴隷上がりですし、本当に、付け焼刃で……」


ダニエルがエリンの震える手を取った。

静かに見つめてくるダニエルに、エリンは言い訳を並べる言葉を切らざるを得なかった。

詰まる喉を必死に開き、エリンは呼吸を数回繰り返す。


再び柔らかくなった喉を静かに震わせ、ダニエルに問う。


「王様が命じたからといって、無理に結婚などしなくてもいいのですよ」


ダニエルは、エリンのスカートに手を入れた。

片足は馬車のなかでぬげており、残った靴を脱がせてくれた。


「俺が弟に言われたから、エリンを妻にすると思うのか。あれだけ、最初に追い出そうとしていた俺がだぞ」

「……」


確かに、王に命じられたからというなら、最初にエリンを拒否する必要はないだろう。


「でも、こればかりは、そう思われても仕方ないか。俺もちゃんと言っていないからな」


脱がせた靴を横に置いたダニエルは、もう片方の足に触れる。

素足の踵に触れながら、跪いたままエリンを見つめる。


真剣な面持ちに、鼓動が跳ね上がるエリンが胸元で両手を寄せた。


「この屋敷から過去の記憶を拭ってくれてありがとう。

俺一人では、ここまで直そうという踏ん切りがつかなかった」

「それは私がなにも知らなかったから……」

「あの食堂で、再び食べることになるとは思ってもいなかった。内装は変わっても、誰かと一緒に食べる食事は、俺の幸せを感じた記憶と繋がって、美味しい料理とともに、あの惨劇からどれだけ時が流れたかを実感させてくれた。

もう幸せになりなさいと、母に諫められているかのようなメッセージさえ感じたよ。

弟にはしてやられたが、それでよかった。よかったんだ。

こういう風に、騙されるのも悪くない」


ダニエルがエリンの踵に指先を這わせ、持ち上げる。スカートから足先が顔を出した。


「愛している。

王の命なんて関係ない。

この屋敷を奇麗にして、俺の過去をもう過去にしていいと拭い去ってくれたのは、エリン、君自身だ。

だから、どうか。どうかこれからも、俺と一緒にいてほしい」


口元が震え、エリンは重ねた両手を口元に寄せた。

返事をしたくても、声が出ない。

声が出なくても応えたい衝動にかられる。


溢れんばかりの気持ちを込めて、大きく頷くエリン。



「ありがとう」


心底嬉しそうにほほ笑んだダニエルは、エリンの踵をもたげ上げ、その足先へとキスを落した。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

これにて、5月下旬から毎週木曜投稿の短編はおしまい。

現在連載中の中編が終わり次第。


7月24日から

『公爵令嬢に婚約破棄を言い渡す王太子の非常識をぶった切った男爵令嬢の顛末(長編版)』https://ncode.syosetu.com/n4901ib/

を、始めます。



【酒場での会話や書けなかった内容。作者用メモ】


酒場にて、王とダニエル

何だあの女はと問い詰める。

そこで隠匿する娘を出してくる家から嫁がせたこと。

エリンの背景。

などを王から直接聞いて、ダニエルはエリンのことを拒否できなくなる。


王妃たちもろとも王も粛清対象であった。

反王妃派より先にダニエルを見つけて、協力者としたことで、反王妃派を引き入れ、王は皇太后を陥れ、自身が生き残る道を残す。

実際に、ダニエルは王になる意思はない。

これから始まる周辺諸国間で適時開かれる競技会で、闘技者となって生きる道に進む。

王が皇太后を陥れた背景には、前王が王に残した直接の教えがあった。


考えたけど、まったく入れる余地はなかった。

長くなるから、捨てる。

(実際に書くと変わる可能性もあり)


助けた騎士さんは、ダニエルの部下として現場で指揮をとっている。


屋敷周辺が人気がなくなっているのは、惨劇があった周辺から人々が逃げたため。近年は、覚えている人も少ない。


他のところに残しておくと、絶対に分からなくなるので、ここにアイディアメモ。

メモ多すぎて、短編のメモなんてどこかに残していたら、絶対迷子になるんですよ~。





ブクマやポイントで応援いただけましたら、次作の励みになります。

★で読んだと教えてもらえたらとても嬉しいです。


では、また~。

そのうち、長編が詰まったら短編書くと思いま~す。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ