大震災を記憶する句集
季語を使って詠嘆はしない。
大震災を記憶する 海の句
テレビが緊迫を伝えている。大津波警報が流れ続ける。海岸線が明滅する。人はTVの前に固定される。海は岸壁を超え獲物を求め猛り狂っている。後から後から来る圧力は人工物の存在を許さない。50mはあろうかという大波が咆哮し原発に襲い掛かる。平野をぬめぬめと海が這う。広い平野が海に侵食される。一瞬海が夕焼けに輝いた。私はその時間の中に1匹の蠅のように取り込まれ動けない。大地が海に変わり続ける。海が広がる。薄い海が。夕日が薄い海を煌めかせる、一瞬の輝く海。
銀色に津波たゆたう薄い海
第一感で浮かんだ句だからとしても上句はあり得ない。考えたけど浮かばない。昇り詰め、なめつくし、万華に、夕暮色、夕日の欠片、太古浮かべ、我に返り。浮かばないから暫くはこのままにしよう。悲惨な現実があるのにこれは能天気すぎる、傍観者だと非難される。でも自然はどんなに荒々しいときでも現代は傍観者にしてくれる。代償として記憶が求められる。
ビルの谷奔流膨れ狂う海
ビルの間、道路を流れる津波、渓流の狭くなった所のように。違うのは盛り上がってくるところ。
なぜ・やはり・火龍のたうつ燃える海
津波で火災。奥尻島の津波が思い出され、やはりがれきが火を噴いた。
原発に大波砕け吠える海
原発を襲ったのは50mの大波だったよ。
岸壁超え記憶覚ます黒い海
津波が黒いというのは言い伝えらしいね。その黒い津波が岸壁を超えていた。
舌先にがれき転がすぬめる海
津波が四方八方平野を嘗め尽くす。
無線告げない結婚式襲う海
最後まで防災無線で非難を呼びかけるお嬢さんが居たね。自分が逃げればよかったのに。あなたの結婚式をその防災無線で流してあげるよ。
置き去りの沈んだ土地に浸る海
日本列島は東に引きずられて沈降したそうだね。海岸の沈んだ田に海が残った。
零下の空凍る体寒い海
体を動かし、声を出し続けても耐えられない寒さだったようだね。でも耐えた。本当に申し訳ないよ。
港の底櫛で削って流す海
港の底が見える。引き波に削られて筋が見える。
引き波が置き去りし礫の海
いっそ何もなければ潔い。残骸だけを残して海は去った。
2波3波願い葬り迫る海
沖合に白波たち告げる海
1波で十分破壊し尽したのに、沖には次の津波が、止めてくれ、願いむなしく刻々迫る津波
パイプライン待ちわびる遙か海
北海道沖に爆弾低気圧が出来るとそのうねりが遙かハワイにサーファーの待ちわびるパイプラインという波を作るそうだね。ハワイにも警報が出たそうだけど、波を待つ人は居たのかな。でも残念でした。津波到達は夜だったみたい。
慈愛の眼仏見ている神の海
津波は因果応報という人が居る。ダライラマさんはそうじゃ無いよと言ってくれたよ。
神の罰逃げ惑う先仏の海
私は神に冷たいかな。仏さんは人間だけど、神は人じゃないからね。これは個人的見解というものだ、と断っておいたほうが良さそうだね。でも結局は、
迷うでないよ胸ふところ母の海
最後の句はやはりこうなるかな
夢・愛・言葉・ぬくもり・砕く海
夢・愛・言葉・ぬくもり・抱く海
どうも海を最後に持ってくると単純描写のような気がする。きっと見向きもされない。でもひょっとして津波の実態を表していて教訓になるなんて言われないかな。でもやはり教訓俳句なんて存在しないかな。頭に持って来たらどうだろう。
礫の海ただ寒々しランドセル
ランドセルを持ってきてはいけない様な気がする。だから改稿。
礫の海礎石消え涙枯れる明日
復興を決意したと思いたいね。涙は乾いても溢れ出る。だから枯れる。
燃える街黒く凪る海鬼哭
鬼哭は高野ムツオさんから拝借。
舟の海万物浮かべ石碑まで
津波はここで止まるという石碑があるそうだね。今回はそこで止まった。でも人間ならそんな教えなくても判りそうなものだけどね。
被災ビル電線垂れるネガフィルム
骨枠だけになった被災ビル。電線が異様に垂れている。
雪霞み津波に沈む在った街
宮城の方では雪が舞っていた。街は色を失い、海と街の区別がつかない。
しおさいかおる里の海墓一基
里山に対して里の海もあると思うよ。浜があって、松があって、お墓があるそんな風景。墓石が一つ残っている。
霞む海姿見せろ甍の波
雪と津波に霞んだ街にもやがて甍の波がよみがえる。それは確かな事。
吠える海神話砕き想定外
神話って想定外の世界だったのね。じゃ今神話は想定内になったわけ? 今神話の世界に居るって事?
春の海を作らなかったのは良かったと思う。津波たゆたう、の後、春の海は作れないよ。海に拘り過ぎているね。心がないと批判されそう。
骨さがし気付けば四とせ浅き春
今もせめての形見を探している人は多いそうだね。でもなぜか春。
『薄い海』の対句がようやく出来た。
遠足の浜安らかに波を打て
読みは、私の中では、遠足の浜 安らかに 波を打て、なんだけどどうにも収まりが悪い。それで、遠足の 浜安らかに 波を打て。それとこれは命令形。波を打てとは、自分を罰しなさい、自分を鞭打てという意味。楽しいはずの浜がなぜ児童の命を奪う? お婆さん、どうしようもなかったんだ。ダメだね、どうしようもなかったなんて言わせないよ。でも頑張ったんだよ、ずいぶん時間がかかったはずだよ。でもお前は卑怯にも川から襲ってきた。御免なさい、だって後から後から来るから。お前は永遠に謝らなくちゃならないよ、波打ち際で謝り続けるんだ、終わりはないよ。そうするよ、ずっとそうするよ、それで許してくれる? 許しはしない、でもいつか微笑みがお前を見る、それでも謝り続けるんだ、パシャパシャと謝り続けるんだ、命令だよ。
さてまさに標語で締めくくろうかね。でもきっと既出だね。
てんでんこ忘れた頃に津波来る
平常に戻らないといけない。私の旅は放浪旅なんて気取ってみたけど直ぐ帰ってしまう。ちょっと自分を逃げられない処に置かないと3日で帰るのを繰り返す事になるかも知れないね。例えば房総半島とか伊豆半島の先っぽに行ってそこから歩いて帰るとか。それでも5日で済みそうだねえ。奥の細道はとても無理だね。昔の人はお伊勢参りとかとんでもない事をしている。今でも四国八十八カ所巡りをする人は多い。自分がちょっと情けないね。一人暮らしではあるけど、息子も居る、孫も居る。要するに私は安泰な訳だ。それに甘えて出かけても直ぐ帰ってきてしまう。逆じゃないかと言う人もいると思うけど、私の場合安泰だから帰ってしまうのだと思う。それと道が情けない。人が歩くところじゃない。惹きつけるものが何もない。昔こそ何もなかったとは思うけど、今は余計なものが有りすぎるんだね。昔の道が懐かしい。
赤い傘クルクル遊ぶ水溜り
雨の日、幼稚園児が赤い靴、赤い傘で水溜りを辿り辿り遊んでいる。この世にこれほど可愛いものがあるのかと思うよ。昔はよく見たけどさ。
私は今、江戸を離れ歩いている。行き交う人も少なくなった。一日の道程は決まっている、次の宿場までだ。農作業の一家は食事時のようだよ。筵を広げ団欒の時。赤ん坊が母親のお腹と背中にへばり付いている。少し大きな子は立派な働き手だ。私も食事にしよう。街道をちょっと逸れ、あぜ道の一家を見ながら、竹の子の皮のお弁当を広げる。所々に柿の木がある。まだ実は小さい。梅干し位。空は青い。日本は湿度が高いから青空は薄い。すっきりした空は秋にならないと見られない。トキの一家が田圃を突いている。幼鳥は何かに驚いて後ろに跳び退っている。ザリガニに反撃されたのだろうか。別の幼鳥がそれをからかう。僅か2・3mの飛翔を繰り返し遊んでいる。コウノトリも居る。その一家もトキと変わらない。幼鳥は遊ぶのに忙しい。何を捕って居るのだろう。小魚、ドジョウ、蛙? エサには困らないよう。人よりたらふく食べているのだろう。自分の僅かな食事をちょっと恨めしく思う。いつまでも休んではいられない。先を急ごう。今は歩くだけ。掃除も洗濯も無い。旅だからね。時々歩くのに集中している自分に気づく。木々を見て、空を見る。時間を測る。お日様が一番高くなる位置は判っている。それが12時ちょっと前になるからそこから角度を測れば日没までの時間が判る。おおよそだけどもね。先ほど宿場が見えたから、今日は無事に過ごせそう。道は人が踏んだ幅が広くなる。ぬかるんで居ない様に。
うねうねとアニメのような道のびる
妄想だから苦労がない。実際はこうは行かないね。江戸の妄想がトキと、コウノトリとぬかるみ、と云うのはちょっとおかしいね。単純な世界だよ。なんに刷り込まれたのだろう。それに引き換え、今は鬱陶しい。人工構造物だけじゃなく、人口そのもの。日本の人口動態をみると、何十年も毎年100万人増えている。太平洋戦争の時もね。
狭山市から歩く。早速お茶処と有る。でも歩き始めたばかりだから通過。国道16号。随分みすぼらしい国道だね。ちょっと歩くとまた国道16号。16号が2本? 標示を見間違えたようだね。入間川に着いた。イオンが昨日と逆に見える。風がうるさい。校庭に小学生が20人位。本当に子供は少なくなっているんだね。親たちは僅かばかりの子どもたちにどう思って居るんだろう。長老たちは若い夫婦に子供を産んでくれと頼んでいるのだろうかね。校庭と土手と川原に柵は無い。東京の高い壁で囲われた小学校とは随分違う。おおらかなのは良い事だね。霞川との合流点に着いた。霞川は多摩川の方角に向かっているからそれを辿ろう。太古の時代、川は勝手に流れを変えていて、多摩川はかって霞川だったらしい。でも本当かなと思う、余りに細い川だからね、向こうの土手まで20m位。旧荒川は満々と水を湛えているからね、それと比べると如何にも貧弱だよ。堰が沢山あるから水量は多くないけど水を溜めている。ネコが鳥を狙っている。ネコは良く鳥を狙うけど、狩りが成功したのを見たことが無い。カワウ、黒い鳥は水面すれすれを飛んでいる。サギ、黄色い20cmくらいの嘴の白鳥が居る。カモが居る。1羽かと思ったら目立たない羽色のがもう1羽いた。メスが目立たないのはオスがそうさせているのか、メスの勝手かは判らない。どうだろうね。その逆、オスが目立つのはメスがそうさせているのか、オスの勝手かは判らない。どうだろうね。桂川橋を渡る。土地の人は霞川に勝手に名前を付けているようだね。入間駅に出てしまった。距離にして3㎞くらい。この辺りの市の玄関駅は私鉄の駅なんだね、ちょっと奇妙に思う。武蔵村山市には駅さえもないしね。バスを見ると東青梅駅行きがある。430円。随分楽になるけどもったいないから歩くよ。観光案内板の表示を見ると色々あるけど、たぶん私の歩く道は霞川沿いだね。地図が無いからあちこちは歩けないよ。
海の句を沢山作ったけど、連想で空の句を作ってみようかな。
海の句を作って放置して良しとは出来ないから、連想で空の句を作ってみよう。大震災を海にだけ結び付けて良しとは出来ない。
津波去り希望消え入る薄い空
春の青空は湿度のせいか、どこか白っぽくて「薄い」。その何となく儚げな空に人々は呆然として未来が描けない。
千年工事コンベアに雪の空
陸前高田で千年工事ともいえるかさ上げが始まっている。長大なベルトコンベアが空を引き裂いている。それは素晴らしいけどどこか過去をかき消して寂しさを感じる。
松枯れて海透け見える風の空
海を隠していた防風林はなく、隙間から海が見える。風が強い。
屋根叩く聞き慣れぬ音雨の空
仮説の屋根は古い家と違い安普請。雨音が違う。空なんか全然要らないのに、空にこだわる理由が私にも判らないよ。
知らぬ土地放り込まれて沈む空
選択の余地なく意図せぬ旅。気付けば見知らぬ土地にわが身ひとつ。
線路切れ望み消え入る塞ぐ空
途切れた線路は孤立を強制し、望みはその中に消えてしまう。
空仰ぎ落ちる視線にカツいれる
空を掃く筋雲優し秋広い落ちる
みんな推敲前のように感じる。『空』の下5のせいだ。どうやら海とか空に拘って作るのは宜しくないようだね。
避難ビル驚怒墳念誰ぞ知るや
陸前高田は本当に悲劇だ。続々集まる避難場所、そこに津波。市内の避難場所、生き残ったのは一カ所だけだなんて、こんな残念無念な事ってあるのかね。
多摩川を下るか玉川上水を辿るか迷っていたけど、羽村の堰まで来ると心配することもなかった。迷わず玉川上水を歩こう。東京水百景だって。羽村、福生、牛浜、拝島辺りまでは多摩川とそんなに離れない。拝島で多摩川に乗り換えよう。三鷹まで行くと太宰治さんに合っちゃうからね。その後神田川に乗り換えれば家に帰れる。私は全体を把握したからやや安心。
鎌倉街道を通って、馬の水飲み場を過ぎて、多摩川に到着。広い多摩川のわき腹辺りに羽村取水堰はあるんだね。勢いよく玉川上水に流れ込んでいる。ずいぶんたくさん取水するんだ。多摩川と玉川上水で半分半分くらい。夏の渇水期とか冬は多摩川はちょろちょろ流れる位になってしまうかもしれないね。まあ、それは知らないけど。歩くとすぐに多摩川とお別れ。水は豊か。船で荷物を運びたくなるのも判るね。と思って居たら、この辺りの上水用に水を取られ大分少なくなった。取水堰で慌てふためいた流れが落ち着きを取り戻したみたい。桜のトンネルを歩く。桜の季節は大変な事になりそうだね。雪洞もあるからさぞ美しいだろうよ。道と木々を川が優しいからのろのろ歩き。モミの大木があった。大木の幹って結構醜いんだね。桜でもそうだけど、モミは凄いね。まるで婆様の皮の様な肌みたい。肌と言えないようなね。余り婆様を苛めるは止めよう。あれは薬とか食事のせいだからね。医者が悪い。歩くにつれて源流のみずみずしさは徐々に失われる。川も一緒なんだ。
先ほどから少しおかしい。西へ向かっている。東へ歩いているはずなのに。玉川上水と奥多摩街道が別れる辺りから間違ったらしい。福生駅を過ぎて牛浜駅に近づいたはずなのに、なんと福生駅に戻ってしまった。東へ歩いていて、北に向きを変え、西に向かったらしい。ぐるっと1周だね。道を信用してはならない。もう一度あるくのは忌々しいから福生から牛浜までJRに乗った。140円。牛浜と拝島の中間あたりで玉川上水と逢えるはず。玉川上水掘削工事跡と表示がある。興味は無かったけど僅か10m位だから見に行ったけど驚いたね。工事の過酷さが思い知らされる。巨木があったろうし、その根を取り除くのは想像を絶するよ。私なんか10㎝の木の根も取り除けない。土質はみずくらうど、と言って保水しないらしい。水喰らう土、かな。
この青梅線というのは太古の時代に何か物語があるのかもね。中神、昭島、拝島、牛浜、福生。駅の名前だけれど、神話の物語でもありそうな名前だね。それにこの辺りは海から遠く離れているのに、島とか浜とか。一帯を海と考え、そこに島とか浜を配置したのだろうかな。近くに国分寺がある。命名は国分寺が出来た後だろうか。それともその前からあった? これだけ統制の取れた地名がその前から有ったとはちょっと考えられないね。国分寺に赴任した人が命名したのかも知れない。だとしたらその人はこの地に何を作ろうとしたのかな。その時代この辺りは武蔵野の森ではなく、遠くまで見渡せる武蔵野の平原だったに違いないね。海を想い、島を作り、浜を作り、牛を配置し、神を祀った。随分想像力のある人だ。ちょっと敵わないね。作るだけじゃない、色々な催しごとも考えたに違いない。大抵は都の模倣に過ぎないとは思うけど、一人で文化を作ったのかな。
ゆらゆらと神話たなびく青梅線
青梅の駅長に持って行って飾ってもらおうかな。私は権威と無関係の人だから、駅長室じゃなく、通路で結構だけどもね。俳号を考えないと。色紙には俳号が要る。色紙は買えるけど俳号は買えないからね。どうしよう。昔の人の俳号はどうなって居るのかなあ。赤い字で書いてあるのかな。金子みすずさんのはどうなって居るのかな。赤い字で、みすず、と書いてあるのかな。キャ、胸キュンだね。赤い字のみすず、ちょっと小さい字でね。それだけで宇宙を構成してしまうね。でもみすずさんの生涯は不幸で短い。最後を思うと激情家だったのかとおもう。作家には激情が必用なのかな。色紙を書いたかは判らない。まあ私が俳号を持つのはだいぶ先になりそう。
海、空の次は風。但し風評の風。
風評黄色い花粉に化身する
原発事故の後東京に雨が降った。そこかしこの水溜りは乾き黄色になった。東京中が恐怖に震えたね。スギ花粉だとテレビが教えてくれた。
風評九州韓国世界旅
どうやら韓国は日本以上の風評大国らしいね。
風評脳を奴隷に花咲舞う
風評って不思議と脳がピクッとするらしい。そして思考停止。
風評撤去撤去と気前よし
いったい誰が損を被ったんだろう。撤去撤去の人なの? そんな事有るはずない。くたばれコンビニ。昔ながらの商店だったら、親父さんが一生懸命説明しただろう、これは大丈夫だってね。
風評オレオレ詐欺より簡単に
これはわりと気に入ったもの。面白いじゃないか。川柳だね。でも風評を上5に持ってきて句が出来るか、極めて不安。
風評につぶれ水暗く魚苔る
風評被害、暗き水底、魚は生きていけない。体は白い苔に覆われている。
風評の綿毛軽やか西紀行
さいきこう。綿毛があなたの想いを乗せて飛ぶ。西風に逆らい西へ西へ。
風評に流れるのみや会津の湯
浜通りと会津では、伊豆と浜名湖以上に離れている。地図を調べて欲しいね。や、を初めて使ったかな。
風評に網スイスイ回遊魚
戻りカツオ、秋さんまが食べられないなんて、トロカツオというほど美味しいのに。
風評に茶柱立たずすげの傘
これは反省。菅の傘なんてね、女衆に申し訳ない。
風評に茶柱立たず落ちた肩
本当に不幸に、ごく一部のお茶に放射能が出た。お茶は乾燥させるからね、それが原因らしい。でもたてたお茶では問題なかったらしい。私はお茶も飲んだし、お米も食べた。婆さんだからね。力が抜け肩を落とす茶農家の御爺さんが見える。あなたは見えたかい?
風評にカワサギ凍り浮上せず
カワサギ釣りも禁止。釣っても食べちゃいけない。小学生じゃあるまいし、そこまでお上が口出すんじゃない。ブラックバスだったら良いけど。
風評神奈川10ベクレルで大騒ぎ
神奈川は風評に怯え大変だったそうだね。でもその神奈川で冷凍ミカンに10ベクレルが計測された。10ベクレルなんて都庁の壁にもたれるより少ない。たぶんだけどね。たぶんで十分。それを証明する必要はないよ。
風評に丹波のうさぎ囃し舞う
鳥獣戯画のうさぎのようにうさぎが囃したてる。
風評にやなぎ飛びつく井のかわず
井戸の中の蛙さへ風評に柳に飛びついている。
風評に怯えた心今もある
正直に言うと風評に怯えた心は今も私の中にある。私はそれと闘っている。
風評似非科学のみが拠り所
風評を流す人こそ、科学的にならなくちゃならない、とどこかで読んだ。でも似非科学を探し出す事に熱心になる。
風評五山送り火京炎上
京都の歴史に残る汚点だったようだね。その心無い仕打ちを今も恥じているらしい。でもこの騒動の後、がれき受入れの自治体が急減したらしい。罪は大きい。
風評が姿を見せた取水制限
東京の上水道用の池が取水制限。コンビニで水を奪い合って悲しい。
風評産地見て買う中国産
あの頃は中国産の方が価値が高かった。今も忘れないでね。
風評ポイントカード出し測ってよ
ポイントカード命ってみたいな人が多い。その人たちはきっと言うだろうね。
風評に無実のサンマ濁った眼
風評にサンマ臣下げ殿食せず
目黒のさんまのごろ合わせ。
風評に沖縄逃げて逆ギレる
沖縄まで非難した人が居たそうだね。危機に即しては感受性が大事。正しい人は常に少数。激情はやはり必要なのかな。
風評に会議は踊るよ魚市場
こっそり紛れ込ませたよ。
風評に締め付けられた財布ひも
風評にかこつけて子供を叱る母親、見えるようで微笑ましいね。
風評にブランドバッグサケの皮
自分でも論拠がわからない句。牛革は放射能があるからダメと言いたいらしい。逆なのかもしれない。
風評に笑顔並ぶ午前一〇時
大丈夫ですよと店員は迎える。差別差別を笑顔に隠す。
風評結局何を守ったの??
風評の守ったものって何だろう。全く判らない。
風評三日目の朝ミルクなし
ソ連の黒鉛原子炉の爆発では、汚染されたミルクを飲んだ為、甲状腺がんになった人が多くいたそうだ。だからこれは正しい処置。でも北海道のミルクまで自粛はやりすぎだよ。
風評花火中止夜空に☢咲く
☢マークは皆さんご存知の放射能マーク。愛知県日進市は福島産の花火は打ち上げません。
風評カイワレ食べたのいつの事
カイワレ食べて点数あげた政治家が居たね。
風評鼻血出た世論カイワレる
子供に4カ月の間に鼻血が10回以上出た、30分近くも止まらず、シーツが真っ赤になった、と町田市の有馬理恵さんが心配している(実名なんだねこの人)。子供にバランスの良い食事をさせているか、不安を煽っていないか、考えるべきなのに、放射能の1例報告に使いたいらしい。カイワレる、は私の造語。
蝶に奇形沖縄からひらひらと
福島の蝶に奇形が見られたと、わざわざ沖縄の学者が報告した。でも裏付けの論文は無い。みんなに叩かれ退散したみたい。オレもオレも学者が溢れたね。
耳ついてうなされ起きる風の音
風の音にさえ起こされる。
沢山作ったけど残りそうな句は無いようだね。いやいや、正直に申し上げますと、句、と言えるものはありませんね。なんだろうね、このしつこさは。でも爆弾はまだ炸裂していない。
私の放浪旅が庭園と川だけというのはちょっと情けないと思うけど、お金持ちじゃないから、交通機関をふんだんに使って、という訳にはいかない。それはそれで良いけど、死ぬまでに見ておきたい世界の絶景ってなんだろうね。誰も見られない。テレビはからかっているの。視聴者の皆さんには無理だよって。それなら良いよ。私にだって出来ることはある。木の節の穴だって世界に同じものは無い。確かに山奥には信じられないものもあるだろうさ。でも道端の木にだって信じられないものがある。私はそれを結構面白いと思う。昔は田圃の水の中に不思議な穴が一杯開いていた。何が出て来るかなと随分長い時間見ていたこともある。私は海の人じゃないから良く判らないけど、海岸の岩にも変な穴が一杯ある。ほんの狭い空間だけど、それが世界だと教えてくれる。住んでいる虫たちにはね。ほんと狭い世界だねえ、呆れるけど笑えない。それが世界さ。私だってどれほど移動したことやら。それは月のクレータの一つの中の世界で、ほかのクレータは知らない、そんなものだとは思うけど、それが人生ならしょうがない。井の中の蛙、クレータの中の私。そうだね、クレータは周りを囲まれている。今歩いている道が隣のクレータへの道かは知らない。それは知る由もないけど、心の問題と捉えるべきだろうかな。私の歩いている道は隣のクレータへの道だとね。まあ、若い人ならそうでも良いけど私にはどうでも良いね。私はきっとクレータの中をクルクル回っている。隣のクレータから見える地球も、私が見ている地球もそんなに変わりはしないさ。激動の昭和を生き抜いて来たのに、隣のクレータを知らないなんて、いと可笑し。いやいやそうじゃ無いね。少なくとも一つは移っている。終戦後、私は違うクレータにポンと放り込まれた。だから二つ知っているわけだね。戦後生まれの人は一つしかし知らない。自慢にはならないけど、二つのクレータの事を言っておく必要ってあるのだろうかね。
ずっと書くべきか考えて居ることがある。書くべくじゃないと何かが諭す。諭すが相応しい。きっと道徳的な問題と認識しているせいだろうね。でも道徳より大きなものもあるかも知れない。お釈迦様に教えて欲しいとは思うけど死んじゃっているから叶わない。
海ゆかば玉砕伝えるラジオ波
昭和12年11月22日に国民歌謡で初放送
大日本帝国時代、第2国歌、準国歌ともてはやされた曲があったそうだね。軍歌『海行かば』だ。海ゆかば 水漬く屍 山行かば 草生す屍。今大震災を思う時とても口ずさめない歌詞だね。大本営はこの歌を玉砕を放送するとき使っていたそうだよ。それを聞いていた国民は、どれほどわかっていたのだろうかね。
バカ! 玉砕するな、戦え!
と叫んでいたのだろうかね。
不戦の誓いを立て日本を引っ張ってきた人たちはもう少なくなってきた。生きている爺様たちはみんなあきらめ顔。それで良いんだろうかね。もうここ何代かの総理大臣は戦後生まれだし、大正生まれの総理大臣は、村山さん、宮澤さん、竹下さん、中曽根さんまで遡るんだね。今本当に韓国・中国との関係がおかしい。尖閣、竹島、従軍慰安婦と色々あるけど、靖国問題もある。そもそも韓国・中国が靖国を言ってくるのがおかしい、国家として国の殉教者に哀悼の念を表すのは当然だとね。国内問題に口を出すのは内政干渉だってね。それに国内問題としては、靖国神社問題は決着しているってね。でも本当にそうなの。その前に日本とヒトラーの関係を教えて欲しいよ。ドイツは先進国で、日本の御手本だった。ヒトラーはドイツで圧倒的に人気があったけど、大日本帝国もヒトラーを信奉していたのかってね。ヒトラーが自殺した時、日本は、靖国神社はなにかしたのだろうか。ヒトラーの死と日本の降伏には3か月ある。同盟国の総統の死。日本は総統の死にどう対応したのだろう。弔電でも打ったのかしらね。靖国は丁重にお祈りしたのかしらね。
さて、そもそも靖国に祀られるとはどういう事だろう。兵士・2等兵たちは死ねば、それは靖国に行くと同じ事と考えていたのかな。今は判らない。多くの人がそう思い戦死したと今は言う。嫌だという人も少なからず居たと考えるのが自然だね。特高が怖いから、家族に迷惑がかかるから否応もなく戦地に行く。案の定、戦死だ。早く故郷に帰りたい、そう思う人も少なからず居たと思う。それはきっと、故郷のお墓だろうね。日本のお墓は美しい。春には桜が咲く。土地土地の花が、木がある。お墓からは生まれ育った家が見える。そこに帰りたいと思って死んでいった人たちは少なくないよ、きっと。私が母なら帰っておいでと言う。それは父も兄弟姉妹も同じだよ。本当に靖国で会おうと言って死んでいったのだろうか、2等兵がね。戦争川柳で、産めよ増やせよ弾除けに勲章やろうと揶揄され、それは無いだろうと、或は自虐的にそうかもな、なんて戦場で話している姿が浮かぶ人たちだよ。
靖国神社は待ち合わせの場所だそうだね。戦争に駆り出されたのは地方の農家の次男坊三男坊…だ。靖国が待ち合わせ場所だと言われたって、どこに在るか知っているはずもない。だから随分、無茶な指示だよ。故郷なら一瞬で帰れる、間違いなくね。いや、ちゃんとお迎えが来る、だからその心配は要らない。そうならお迎えの人の心情も考えるべきだね。
女性国会議員が靖国を詣でる。バカじゃないかね。女性ならふる里で待つべきだ。家で待つべきだ。桜の土手で待つべきだ。要するに貴女の中の思い出の地で待つべきだ。その場所が靖国だったら、こんな情けない話は無いね。それが無いから靖国に行く、そうだね、もう多くの人にそんな場所は無い。
さてヒトラーの事だけど、日本はヒトラーの死にどう対応したのだろう。靖国はお祈りをしたのだろうか。何にもしなかったとも考えられるね。それどころじゃないものね。でも同盟国だ。何かした方が自然だね。そうか。判ったよ。日本は何もしなかった。だってドイツの国が、政府が無いんだからね。ようやくほっと出来た。しようにも出来なかっただろうから。
遺族の方々はどう思って居るのだろう。あなたの息子さん、2等兵として送り出した息子さんが息を止めた時、その心は何処に有ったかと。靖国に行っているなあ、と思ったようだね。でも一刻も早く帰っておいでと言うのも親、妻の気持ちだと思う。本当の気持ちはどうだったかの疑問を持って欲しい。息を引き取る間際のあなたの息子、夫の気持ちを。直ぐ、直ぐ帰るよというその心を。なぜ靖国が介在する。
長男・次男を戦争で失って、戦後生まれの三男に“国”の字を付ける。二人は国のために戦い死んだ、そう思わなければ辛い。だから敢えて三男に“国”の字を冠する。二人と一体なんだとして命名する。そう思う気持ちは良く判るけど、お二人が靖国で平安に眠っていると思うなら、果たして三男に国の字を冠するだろうか、とも思う。戦後日本はコロッと変わっちゃった。でも引きずって居た人たちも多くいたのも当然の事。国に対して、靖国に対して拘りがあるから命名したと思う。国よ、靖国よ、忘れるなとね、それなら良く判る。
国が責任をもって慰霊を祀る。尊崇の気持ちを表す。それは当然で、日本人として永遠に続けて行かなければならない。でも天皇陛下は靖国に詣でないよ。昭和天皇陛下にバカ松平と言われたその人が独断で戦犯を合祀してしまった。昭和天皇も今上天皇も、次の天皇も、永久に靖国を詣でないよ。あなたの息子さん或は夫は東条元帥の前で直立不動で立っているのかね。そんなの我慢できないね。今、経済が発展し、平和だから、その礎になって無駄死にでは無かった。今それを誇らしく思う、それは尊いし、私も忘れない。でもそれは結果論だ。原爆の開発が遅れていたら、日本はアメリカとソ連に侵攻され、国家は2分されていたに違いない。大東亜戦争は国を滅亡寸前まで貶めた。従って靖国ではない。靖国とは国を安らかにおさめる事。だから靖国ではない。石橋湛山さんが昭和21年に言っていた言葉だよ。結果論で今があるだけで、日本は滅んでいた可能性の方が高かった。その戦争責任を、今を論拠に水に流す事は出来ない。それは絶対にできないよ。合祀は有り得ないんだ。遺族の方の意見が最も尊重されてしかるべきだ。だから私は遺族の方に言っている。天皇のお考えより、靖国神社の態度の方が正しいのかい。靖国神社はいち宗教法人だから、国も手を出せない。今は一介の宗教法人に過ぎない。それを日本人として権威を付けるものにするのは天皇陛下のお詣でじゃないか。天皇陛下が詣でてくれて、靖国は日本の心になる。でもたった一人の宮司の独断でその道は閉ざされている。遺族会はそれで良いんだろうか。中国と韓国が歴史問題で日本に色々注文を付けて来る。妥協する事は無い。それはちょっと勘違いだと思うよ。中国と韓国は『今』を闘っているんだ。経済戦争とか覇権とか。『今』の戦争だよ。韓国は日本を抜けそうで抜けないいらだち。中国は日本を仮想敵国にして人民をなだめる。歴史問題は丁度都合がよい。ただ日本を叩きたいだけ。両国が歴史問題を利用しているのは明らかなのに、追い上げられて焦っている日本は、火に油を注いで対抗している。美化問題だね。日本人は歴史を美化したことってあるのかい? 信長の比叡山焼き討ち、恐ろしい事だ。秀吉の朝鮮出兵、馬鹿な事をした。どれか美化したのかい? 満州事変から終戦まで、この15年戦争を日本人は美化したいらしいね。アメリカが無理難題を吹っ掛けたからだ、とね。日本は正当に対抗したまでだとね。でも昭和初期までは欧米と仲良くして日本は随分平和だったらしい。今の世とまでは行かなかったと思うけどね。でも利権に狂った。先陣争いに恐れ戦いた。支那事変から日本は恐ろしい国になった。それは未開の日本だよ。その当時の日本人が今と同じように物事を考えたと思うかい? 未開の日本人の起こしたことは、今も謝らなくちゃならない。昭和10年代の日本人が、今より優れた感覚を持っていたと思うかい? それは未開の衝動で行動していたとしか考えられない。今、私たちは歴史の中に居る。だとしたら、ちゃんと考え行動する。それが大事だ。それが今は、昭和10年代に行動した人は今の人より優れていた、とでも言いたそうだね。幕末の偉人みたいにね。ところで昭和10年代に、幕末の偉人並みの人って誰? そんな人が居たら日本を分断された亡国の国寸前までに導くはずがない。美化すべき人は誰なのかぜひ教えて欲しいね。明治の偉人と同列の人をね。江戸無血開城を決断した人をね、教えて欲しいよ。明治天皇がしたように、ハルノートを受け入れて大人しくしていれば、米ソは必ず開戦した。第一世界大戦の時のように漁夫の利を得る事も出来たはずだよ。大東亜共栄圏が完成していたかもしれない。ゾッとするけどね。そんな世界を読める偉人は居なかった。歴史だから居た方が良かったか、居ない方が良かったかは、言えないけどね。何が言いたいかと言うと、15年戦争の間、靖国のその言葉の意味に相応しい偉人は現れなかった。さて、また書いてはいけない考えが浮かぶ。婆さんの妄言だと許してくれるかねえ。
今が平和なのは、原爆でとどめを刺されたからだ。今の平和を作ったのは原爆で亡くなられた方々だ。言ってみればそれまでの兵隊さんたちの死は犬死だった。国家の殉教者は原爆の犠牲者だ。靖国のその言葉に相応しいのは原爆の犠牲になられた方々だ。それまでの兵隊さんの死は原爆投下への導きだ。これは極論だよ。こんな事を書くのは、なぜ犬死させた人の責任を追及しない、それが知りたいからさ。責任を追及して初めて、靖国で靖き心を得る。責任を負うべき人もその犠牲者も一緒に祀る、その道理がどうしても判らない、受け入れられない。日本はその区別はしてきたはずだよ。区別して祀って来た。首塚とかね。
前に特攻少女の例を書いたけど、少女はたぶん16か17だね。その少女を戦車の前に立たせた責任は誰がとるのかい。憲兵めかい? 憲兵隊長かい? 組織が判らないからその上が誰か判らない。でも軍部に行くのは確実だよ。大佐かい? 将軍かい? 大臣かい? 内閣総理大臣かい? 天皇かい? そこまで行ったら国体を護持できない。じゃ天皇の前が国体を護持するために責任を取るんだね。それは内閣総理大臣かい、陸軍大臣かい。二人とも自害した。一人は失敗したけどね。でも死んでしまったらどうして天皇を守れる? 生きて虜囚の辱めを受けず、自分の都合だけで自害したのかい? 国を守る任務はどうなったんだい? 虜囚の辱めを天皇に押し付けたのかい? ヒトラーと同じ判断をしたのかい? 自害して最も大切な役割から逃げた。これは裏切った事と同じじゃないのかい? 裏切り者は合祀しないはずだよね。
「お婆さん、誰も責任を取る必要はないんだよ」
なぜ?
「少女は自分で志願したんだよ。だから誰も責任を取る必要はないんだ」
日本人の心がこれほど地に堕ちるとは、神武天皇も聖徳太子も悲嘆のあまり死んでしまうさ。
日本の歴史に正義とか誠実とかはあるのだろうかな。歴史に、正義とか誠実とか道徳なぞあるはずがない、そうかも知れないね。宇垣纏中将という特攻の権化みたいな人が勲一等旭日大綬章を授与されている。ドイツで日本で無差別焼夷弾殺人を繰り返したルメイさんと同じだ。勲一等旭日大綬章を上げるのならグルーさんの方が相応しい。勲章を上げた理由は自衛隊の創設に貢献したかららしい。キーワードは軍隊に有るようだね。貢献した人には上げる、負のイメージを消すために上げる、この2点らしい。昭和20年代は旧軍人勢力がその遺族のご婦人方を含め優勢だったようだね。宇垣纏中将はご立派に靖国に合祀されたよ。この人の句に、田も畑も此の秋来るか梅雨つづき(1945年昭和20年6月23日)というのがある。あんたが特攻に送った若者には誰にも秋は訪れなかったよ。玉音放送で、「若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム」の言葉にあんたは犬のようにピクンと反応したはずだよ。ここで思考停止に陥ったのかい。その後の御言葉を聞きのがしたのかい。そんなはずはない。万事承知の上で、17名の若者を引き連れて、8月15日特攻に出撃した。ご家庭ではセパードのエリーを飼っていたそうだね。上流のご婦人が思い浮かばれる。ご婦人も自決を考えたに違いない。実行したかは知らないけどね。帝国軍人の妻ならそうしただろうと思うだけ。でも夫の仕事を知らなかったかも知れない。家でエリーを可愛がって居ただけかも知れない。なぜ宇垣纏中将は玉音放送の後特攻に出撃したのだろう。玉音放送を無かったものにしようとしたのかしらね。出撃すれば後に続くものが必ず出る。あちこちで軍の反乱が起きる。終戦は訪れない。一億道連れだとさ。なぜそう考えるかと言うと、編隊を準備させたこと、特攻させた若者の後を追うなら単機で良いはずだよ。特攻で死ぬ方が自決より怖くなかったかもね。二人乗りの戦闘機に3人目として乗り込むだけで良い。後はパイロットが運んでくれるよ。そうでないとしても、『宇垣は特攻に出てけりを着けた、俺も』と言う人が現れるのは当然考えられるね。それも一人二人じゃない、17人が証明している。自重すべきは明らかだよ。同調者が出なかったことは、軍に感謝しなくちゃね。歴史にはプライドというのはありそうだね。そうそう、武士の妻は居たかという事だけど、杉山元帥はピストルの使い方を知らなかったそうだけどピストル自殺した。夫人は短刀一突きで自決した。見事だと人を凍らせた。東条元帥は自殺に22口径のピストルを使い果たせなかった。22口径の拳銃は威力が小さい。ちゃんと狙いを定めないと死なない。心臓は人が思って居るより下に、内側にあるんだね。まあ、だから失敗したんだと思うよ。死に際しても最善・確実な方法、政策と言い換えようか、を知らなかった。米軍兵は本当か知らないけど22口径に失笑したそうだね。国定謙男海軍少佐は拳銃で妻子の命を断ち、自殺した。妻喜代子三十一歳、長男隆雄二歳、長女緋桜子五歳。親泊朝省陸軍大佐は妻、子二人とともに拳銃自殺。大西海軍中将の辞世の句は、『すがすがし戦のあとの月清し』だそうだね。俳句死ね、と言いたくなるよ。
月清し死肉腐らずみみず色
兵隊さんは大勢埋められると土の浄化能力が追い付かずいつまでも土に帰らないそうだね。蒼い月が死体を照らしている。政治家や将軍は青年将校をひどく恐れていた節があるね。殺されちゃうからね。15年戦争の間、少なからず道を決めたのは青年将校じゃないかと思う。戦後歴代の総理大臣で青年将校を連想する筆頭は中曽根康弘さんだね。若い時はまさにそうだったし。今は憂国の御爺様だね。一方阿部総理は現役のバリバリの青年将校じゃ無いかと思う。中国を巧みに利用して日本を作り変えようとしている。イスラエルの地でイスラムを挑発したりして、大変な戦略家かも知れない。一方、自衛隊を『わが軍』と言ったりして、大丈夫かなこの人と思う。菅官房長官はしれっと自衛隊は軍隊だという。見事な連携だけど官房長官には“人間”は住んで居ないんだね。
軍部は考えたよ。17才は労働力だ。女子挺身隊の貴重な労働力だ。特攻にはもっと若いものを使え。かくして、10才12才の少女が特攻に駆り出されたよ。(阿南陸軍大臣、宇垣纏中将連記)
過去を反省しないことは、不戦の誓いと相反する。アメリカに対抗して極東軍事裁判を否定するのは結構。今度の日米首脳会談で議題にしてください。賛成するよ。国民統制、洗脳洗脳の暗い時代。国家を滅亡寸前まで追い詰めた罪はどんなことがあっても消えない。なぜ勲章? 取り消せないのかねえ。17才の若者を特攻に使う、時代だからと言って許せない。今の時代だからこそ糾弾する、それが時代の役目さ。
公平の為に少し書き足そうかね。合祀は政府のあちこちに潜り込んだ旧帝国軍人が決めた事で、総代会で決まっていた事だってね。第16国会で決まっていた事だってね。宮司には選択肢は無かったってね。でもそれをあなたは利用したに過ぎない、そうご自身が言っている。死んだ後も天皇陛下の非難を浴びるのは覚悟の上だったみたいだしね。それに良い時代だったという人もいるらしいね。朝鮮・中国の上に立ち一等国民だと自惚れて、娘が身売りされようが、姥捨て山が賑わおうが知らなければ知らないだけだしね。
原爆が落とされなくても、ポツダム宣言受諾は案外早かったと思うよ。昭和20年の内には終戦を迎えていたと思う。でもその世界は描けない。北海道はソ連の手に落ちていたかも。原爆はソ連の進撃も止めた。ポツダム宣言受諾・ヤルタ密約だけではソ連の進撃を止められない。日本を舞台に米ソ戦が繰り広げられたかもしれない。第2幕なんてものではないよ。世界終末戦争みたいなものが日本を舞台に繰り広げられたかも知れない。日本という国は確実に存在しない。それどころかどれほどの日本人が生き残られるかもわからない。
やはり、今の日本を靖き国にしたのは原爆で犠牲になられた方々だ。その方々の犠牲があったからこそ、靖国神社が存続できている。皮肉な話だね。
今度靖国神社に言ってみようかね。でもきっと、ここは戦争博物館かと思うだろうね。戦闘機とか大砲とかが飾ってあるのだもの。慰霊の場ではない様だね。御霊の神々、あなた方に懐かしいものをご用意しました。
御霊大砲飾られ霊安らかに
大砲が横に有ったらおちおち眠れないだろう、宮司の馬鹿。少しは死んだ者の身になれ
御霊佩刀直立で遺族待つ
もう軍服は脱がせてくれ。いつまでも軍服を着せておくのは国を恨んでいるからか、靖国の命令か。
靖国それはもう立派な戦争神社
神社は静謐であるべきと思うけど、戦車・大砲を展示する理由が判らない。やはり、大日本帝国軍人の軍人による軍人の為の神社なんだね。靖国神社は、一般人は関係無いんだよ。東京大空襲で10万人が死んだ? それとこれとは別だよ。日本全国で、空襲で何十万人も死んだ? だから靖国神社とは関係ないんだよ。今も居るのかね、靖国で会おう、を合言葉の自衛隊員って。
ルメイさんは、自分は戦争犯罪者だって十分自覚していたそうだね。処刑を覚悟していたって。そうならなぜ勲章を受け取った。アメリカにもこんな人が居るんだね。鉄面皮と言おうか。月清し、と通ずるところがあるように思う。要するに職業軍人だって事。職業軍人の活躍の場は永遠に無くならない。自民党はアメリカ共和党と組んで中国共産党を潰そうと算段しているんじゃないだろうね。日本の未来が怖い。
さて、果たして明治の偉人は本当に偉かったのかというのもあるんではないかね。戦後の日本の教科書では資源が無いから加工貿易立国になったとあるね。みんな習ったと思うけど、明治時代に加工貿易立国と考えた人が居るんだろうかね。傾斜生産方式とかで重工業は随分発展したようだし、19世紀中に世界一の造船大国とかね。漁業資源も豊富だから缶詰生産世界一とか。ロシアから蟹・鮭を輸入するのも良いね。当時は日本領だったのかな。鮭の放流は行われていたのかな。電球とかラジオも出来たと思うよ。女工は優秀だったんだよ。兵器でなく民生品に力を入れていたら、日本のマッチはつかない、やすかろう・悪かろう、だなんて言われなくて済んだかもしれない。絹だって乗り越えられたに違いないね。ことほどさようにね、歴史は難しいね。
時々ふっと思う事があるよ。着実に歳を取っているとね。確実とはちょっと違うよ。物忘れとか目とか耳とか、足のすねの皮膚が薄くなっているとか、私が歳をとったなと感じるのはそんな所。一方、確実にとは後戻り出来ない事。着実にとは健康寿命を歩いているという事。
歳の取り方には色々あるね。もう歳だ、もう歳だよ、とか。ちょっと意表を突かれたな。違う例えを想像したかな。私の言う歳の取り方は、歳をとったな、と思うその感じ方。もう歳だもの。もう歳さ。もう歳よね。あきらめとか言い訳みたいだね。それが積み重なると、歳だ、歳か、断定調か慨嘆調になるね。
もう歳よ白菊沁みる縁の庭
私にも確実に歳をとったな、と思う時が必ず訪れる。その時何を考えようかな。戦争で亡くなられた方々を偲ぶのも良いかも知れない。でもそれは私の心を随分萎ませるだろうねえ。暗~い気持ちにさせるだろうね。私一人の心ではとても受け止められない。無限の大きさを感じるに違いないね。縁の庭で縁側の庭を表せるのだろうかな。もう不断に見慣れて、あったのね、と思い出されるようなそんな一角。
ワインの後の御茶って凄く美味しいね。御茶農家の達人に煎れて貰わなくても、匹敵以上の旨みを感じる。ぜひやってみて欲しいね。ワインはお茶の食前酒だよ。こんな事を書くとワインのソムリエが、お婆さん美味いワインを飲んでいないからだよ。どうせファミレスでしょ。まあ、それはその通りだけど、逆に、ソムリエもやって見なさいよ、と言いたいね。ハッとする美味しさだよ。これはきっとタンニンとかカテキンが関係するんだと思うよ。新発見さ。後は科学者が証明すればいい。面白いね、こんな事で科学者に命令できるなんて。だって産まれてこの方、科学者にやって見なさいよ、なんて考えたこともないからね。でも科学者って面白い人たちだよ。婆さんの話でも、本当かなあ、なんて考え、きっとどこかの酒場で試しているよ。そう思うと益々楽しくなる。でも私も知っているよ。科学は再現が大事だ。小保方さんは失敗したけどね。だから、私がどこの安いファミレスでなんのワインを飲んだかって事になるけど、それは店の名誉のために言えない。だからそういう事がどこにでもある不変の事だって、祈るほどでもないけど祈るだけだよ。でものん兵衛は言う。きっと言うね。それは、飲んだ後のラーメンだってね。飲んだ後のラーメンは美味しいらしい。それと一緒だよってね。随分ワインを飲んだんだろ、ってね。実はその通りなんだけどもね、それは人に言えない。楽しく飲んだし、一人で飲んだし、誰にも迷惑は掛けていない。のん兵衛とは違うよ。でも寂しいんじゃなく楽しいからウエイトレスさんにあれこれ話しかけたのはちょっとまずかったなとは思うけど、お婆さんだからね、色々付き合ってくれたさ。バーカウンタだったら横に座ったさ。それは意味がないから、2・3分の会話の継ぎ接ぎだったけどもね。それでね打ち明けようと思ったけどもね、歩いて旅をしているって。それは我慢に我慢を重ねて思いとどまったよ。ひょっとして大騒ぎになるかも知れないからね。警察沙汰って意味じゃ無くね。ウエイトレスさんてきっと夢見る少女だよね、まあ、歳は言わないとして、だからきっと違う世界に憧れている。私はヒロインさ。それでどうでした? 楽しかったですか? 面白い事有りました? 質問の嵐になるね。若い娘、私よりはね、達を相手にあれこれ話す事は面白い、だって前に並んで、犬のように忠実におねだりすんだから。楽しくないはずがない。ワインのピッチは否がおうにも上がろうってものさ。私は楽しくなって、ニコニコしてウエイトレスさんを見たら、変な顔をされた。さて帰ろうかね。宿は決まっている。夕食は要らないって初めて言ったからさ。
海、空、風と続いたから次は土。原子力を土と考えるには異論があると思うけど、取りあえず受け入れて欲しい。それで原発事故の句。
放射能雲に乗って山野見上げる
放射能雲(放射性プルーム)と云うのがあるそうだね。放射能のガスや水蒸気や塵を含んでいるそうだね。読みは放射能で切って、雲に、に続く。山がそれを見上げている。でもこの話はもう終わった事、今はそんな雲は無いから、雲は綺麗。
スピーディー蚊帳の中風見鶏
スピーディーの活用は第一に考えたはずだけどね、放射能の拡散、どんなバカな原発関係者でも考えるよ。爆発したんだよ、第一に知らせるべきじゃないか。放出量がわからないから単なる風見鶏だった。
スピーディーケーブル足りず未完成
スピーディーってケーブルが足りず未完成のまま放って置かれていたらしいね。どっちみち全電源喪失だから、大勢に関係なかった、という言い分らしい。
半減期3・6・90とひ孫まで
放射性セシウムの半減期は30年だそうだね。30,60,90,120,150、180年で1/2、1/4、1/8、1/16、1/32、1/64になるね。300年で1/1024、その頃になれば森で遊べるかな。でもここからは一気に減るよ。400年で1万分の1、500年で10万分の1。ひ孫じゃ足りないね。
ホットスポットかーごめかごめとおせんぼ
ホットスポットうしろの正面だーれだ
少なくとも身の周りのホットスポットは把握されているそうだから子供には注意で済みそう。多くの人のお蔭だよ。政府が飛行機で調べたって判るものじゃない。今ホットスポットの記事が見られないのはもう無いと思っていいのかね。少なくとも身の回りには。
一号機蓋開き日浴びる闇喜色
一号機のカバーが取り外されたね。空撮が一枚目の覆いを取り外すのを見せてくれたよ。
車戻りきらめく原発の夏
これも空撮からの印象。車が多い。光が輝いている。元に戻ったのかな。事故前は6500人、今は3000人が働いているそうだね。これは別情報だけど、賠償業務の為、有明のとあるビルでは、1000人からの人が爺様、婆様を含め働いていたそうだね。東電には人材派遣会社が群がって、中抜きに勤しんでいるよ。
新春お年玉価格東電よ
これはとある人材派遣会社の勧誘メール。経験不問、pcスキル不要。東電に群がる様子が良く判るね。とにかく人を集め、送り込め。ある婆様が自慢げに見せてくれた。でも新春お年玉価格って、あまりに不謹慎だよね。そう思ったから婆様に消さないよう頼んでおいたよ。
テラに慣れ静かなる日本の不思議
テラは巨大な単位だ。一、十、百、千、万、億、兆そしてようやく京。未曽有の数字だ。77テラベクレル。7.7京。どこの国の人でも卒倒しただろうね。でもなんか静かな日本人。いくら自然災害に慣れているとはいえ、もう天晴というしかないよ。
ステージ7で人死なぬ摩訶不思議
あれだけの大事故で人が死ななかったのはなぜだろう。その場に居た人たちはみんな死を覚悟したはずなのに。
森林燃え放射能雲輝く
森林火災が起きると放射能が空に放たれ放射能雲が出来るそうだね。今度こそスピーディーに頑張ってもらわなくちゃね。でもスピーディーは森林火災を想定しているのかな。また想定外かもね。
吉田所長ヒーローも殉死無念
吉田所長はなぜヒーローなんだろう。津波対策に反対した人だよね。ソ連黒鉛原子炉で殉職した消防隊員とは違う。この人を擁護する事は、事故を自然災害と認識する事に繋がるんじゃないかね。菅総理と対比したいようだね。私の悪い癖は判官贔屓だ。菅総理の肩を持つわけじゃないけど、事故を人災と認識していたのはこの人だけだったかもしれない、東電のせいだとね。一方東電は自然災害だと思って居る。
3号機なすすべなく鳳仙花ポン
事故調査報告書を読んだけど(所々だよ)、東電本社は窒素を入れろ。吉田所長はそんな事できるか。別働隊があと50人も居れば爆発は防げたんじゃない。なんにもやっていないんだね。でもヘリコプタで水を撒くくらいだから、鉄球でちょっと穴をあける位出来たと思うけど2日間無駄にしている。鉄球はあんまりだから、自衛隊の一番ちっちゃな銃でも穴が開いたんじゃないかねえ。テレビは穴を開けろって叫んでいたよ。
温度計監視ポスト見ざる言わざる
原発がボンボン爆発した3月12日と3月14日、放射能が漏れたのはその日だと思っていたけど、実際はその後の15日から20日に全体の75%が漏れたそうだね。監視ポストは一体何をしていたんだろう。温度計は空回り。それにしてもなぜこんなことが4年近く経って報道されるんだろう。
風吹き凪て万華鏡の海あり
事故の張本人の海は風向きで大半の放射能を吸収した。凪た海は万華鏡のように光を散乱している。
タンク立ち並び沖に船駆ける
東電の肩を持つわけでは無いけど、次々解決していかないといけないのに、増えるばかりのタンク。あれは相当危険らしいよ。だったら減らさないと。そんな事知~らない。
タンク漏水ミミズ泳ぐ赤い水
汚染水をいくら貯め込んで知らぬ顔の日本人。タンクから水が漏れたとTVが映す。赤茶けた汚い水。鉄さびだろうからミミズが泳いでいても不思議はないね。
保安院溶融糊塗の日本風
保安院の審議官が溶融を認めたら大慌てで更迭。その後は上司が出て来て溶融じゃないペレットの被覆材が溶けたと言い逃れ。言い逃れする必要があったのだろうかね。最初の人も後の人もTVで見ていたけど、なんか不自然、疑念が湧いたよ、婆さんでも。自己保身と同時に日本人特有の恥の文化が有ったかも知れない。保安院ってまだあるのかな?
制御室死んだ原始の光なく
中央制御室は闇に包まれ、全ての人が覚悟した。ろうそくを準備しておくべきだったようだね。原子と原始のごろ合わせ。
テレビ安心流し買い物に汗
実際には大変な事が起きていたのに、テレビが安心だというから私は買い物に一生懸命だったよ。
海囲うスカート裾の頼りなさ
たぶん港にブイが浮かべられカーテンで遮蔽していると思う。でも若い子のスカートより危ういね。港湾への流出は年間2兆ベクレルだって。兆じゃ驚かなくなったね、京じゃないとね。港湾の底が一般廃棄物で処理できる7000ベクレルまで下がるのは何年くらいかね。1000年くらいかな。
腐れ滅びろ!外地人闇に堕す
外国に居た人たちは、恥ずかしさに居た堪れなかったみたいだね。痛切な罵倒を浴びせる。それは日本を誇りに思って居た裏返し。私も大丈夫かな、と思う反面外国に対し恥ずかしいと思って居た。
ウラン託す夢の懸け橋パネル
太陽光パネルも良いけど、今は金融商品らしいね。ハゲタカファンドの世界だよ。目の色変えて兎に角申請だけしておけ、という世界らしいよ。
非難指示県が先の徒労の花
非難指示は国より県が先だったようだね。僅か20分。2km以内。何の意味もないけど、県は自慢だと思うよ。
原子炉 熱くたぎりて 死 射 放 線
関西大震災で代表的な句がありますね。真似したわけじゃないけど、きっと意識にあったんだと思う。
浅き春亡国流民原発忌
これを代表にするなら、ポンと提示するだけで良いのかなと思うけど、ちょっと補足。浅き春は、あだ花や、あだなりや、等も考えたよ。原発はあだ花だった、原発はあだになった、という訳だけど、『や』が宜しくないと思えた。春壊し、とか春塞ぎも考えたけど、今一で却下。体言止め作家の私としては、春浅きじゃなく浅き春なんだよね。次に原発忌だけど、まだ忌じゃないという人が居ると思う。現在進行形だから当然の指摘だけど、終息までは何十年もかかるし、終息しても何十基もの原発が稼働していると思う。だから申し訳ないけど、早々と使わせてもらいました。そして実は、無責任だけど、流民は適切かなと思う。三宅島の噴火の時は、島民は4年半流民になった。それとはちょっと違うように思う。そして棄民も居るんじゃないかと思うようになった事。通り一つはさんで、補償が何百倍も違う。数十万円に対して、数千万、時に億を超えるそうだね。通り一つだから放射能の影響は全く同じ。放物線の様な曲線にすればいいのに、通り一つでプッツン。この人たちは棄民と言えるんじゃないかい? それで、ちょっと抗議の意味を含めてもう一首。
浅き春亡国棄民原発忌
立川から出発。今日は調布辺りまで歩けるかな。なんか自宅の方角だから、安心なんだか、未練なんだか判らないけどね。昨夜見て興味を引いた物に乗って見よう。道路の上を走って居る多摩モノレール。少し空に憧れたのかな。たぶん10m位の高さだろうけどね。それで立川南駅から乗って多摩川近くの駅まで下界を監察しようとしたら、僅か1分で着いてしまった。一駅だけど1分ってあんまりじゃないかねえ、100円だけど。気分を変えてともかく多摩川の土手まで歩こうとしたら、春の小川が造ってある。春の小川だからハヤもいる。降りて行って案内を読むと1.4㎞しかなく多摩川とつかず離れずのようだから、暫くたのしませてもらう事にした。本当に小さな川なのに大きな鯉が窮屈そうに背びれを出して泳いでいる。句を詠めという感じて水上にテラスが造ってある。水上四阿というそうだね。歩いていくとカメラ爺様が居た、6人も。野鳥撮影は随分メジャーな趣味らしいね。そのうち小川とはぐれてしまった。史跡の表示がある。貝殻坂。ハマグリの化石が大量に見つかったらしい。この辺りは昔、人のいない古の頃は海だったようだね。前に青梅線の海の地名を不思議に思ったけど、匂いを感じたのかな。小川はやや大きくなって現れた。桜の木にサルノコシカケが付いている。漢方薬の原料で採ってしまう人は居ない様だね。野球場とサッカー場をまっすぐ横切って多摩川に出た。土手はサイクリングロードになっていて、何十キロも続いていると、教えてくれた。道の真ん中に道路標示があるから、読もうと寄って行ったら、後ろから大きな声でファーと叫ばれた。驚いて振り返ると自転車がジャーとすり抜けて行った。歩行者と自転車の衝突事故が多いらしい。私はルールを知らない様だね。気を付けよう。なにせ競技用の自転車だと思うけど恐ろしく早いからね。中には年配のライダーもいる。さすがにスピードは出ていないから、顔が判別できる。得意そうだけど私は歩いているんだよ。歩くんだよ、ずっと先までね。これからは霞んだ橋を目指して、その橋が後ろに霞むと次の橋が現れる、その繰り返し。でも多摩川には橋が多いから、心が萎える前に橋が現れてくれる。ゆ、の看板が見える。スーパー銭湯かな、ちょっと惹かれたけど通過。多摩川左岸、海から38㎞の標示。川は下流に向かって左岸、右岸を決めるのかな。羽村取水堰から17.5㎞。全然歩いていないね。お昼はお蕎麦セットを食べたけど、これでもかっていうくらいコシがあったから、良く噛んで食べた。975キロカロリ、婆様にはちょっと多いかな。でも随分歩くんだからちょうど良いかも知れない。コーヒーもつくメニューを頼めばよかったかな、あまり長居は出来ない。それで歩く。随分歩いてベンチが有った。どうして川には椅子が無いんだろうね。私が特殊なのかな、それとも草に座れば良い? そうもいかないんだよね。それに座っている人も余り見かけないしね。周りは運動に勤しんでいる人達ばかりだから、婆さんがポツネンとするのは具合が悪い。多摩川親水公園というのがある。企業のサラリーマンがデザインしたのに違いない。自治体は、おっ、良いんじゃない、と受け入れた。本当にそのさまが見えるよ。本当に情けない代物。夕焼けの方向に雲が見える。きれいな夕焼けを見ようかな。でも地平線の辺りの雲は厚い。綺麗な夕焼けは見られないという事だよ。覚えていて損は無いよ。でもそう思って、それを待つのはちょっと時間が掛かるね。要するに暇な爺様以外には無用な知識だね。
調布が近いようだね、戦闘機が飛んでいる。随分小さいんだね。でもうるさい。たまの客はオーと思うかもしれない。私はたまの客だけど、うるさい。トンビも飛んでいる。たぶんトンビだと思うけど、やはり鳥は美しい、優雅だね。宮崎駿さんはアニメに沢山の飛行機を登場させているけど、一番美しいとご自身が思って居るのはどれだろう。やはり逆ガル翼の9式単座戦闘機かな。それは余りに懐古だね。歳の檻に捕まってしまったのだろうかな。大江健三郎さんは良い御爺ちゃんだし、誰も逃れられないのかな。旅の空でクタッと死ぬのが良いのかな。3月分の迷惑料を懐に入れてね。でもこれからが正念場だ。宿を探さなくてはならない。さすがに多摩川に宿は無いからね。調布市街まではやはり4㎞くらい歩くことになると思う。それは本当に辛い。
海、空、風、土と作って来た。最後は生・命にしようかな。多くの動物が巻き添えで死んだ。巻き添えは適切な言葉だろうか。故意に死を運命付けられた。「未必の故意」まで譲歩できるだろうかね。でもそれは同じ結果をもたらす、全然違いは無いよ。巻き添えではないだろうね。死を選択され打ち捨てられた。怒りに句の作法など何処かへ行ってしまう。悠長な推敲より、一瞬さ。ようやく判ったさ。私のは俳句でも川柳でもなく、ただの言葉だってね。
避難しろ慌てふためき首環の死
首輪を外すか、ちょっと迷ったんだよ。外さない方が良いと思ったんだけど、どうやら間違ったみたいだね、ごめんね。
故郷に打ち捨てられて首輪待つ
助けに帰ろうと思ったんだよ。でもダメだって。辻々にパトカーが居て監視がすごかったんだよ。だから安らかにって祈るほか無かったんだよ。許してね。
傷口に塩を塗るようだけど、これは今後同じことが起きないように、その戒めさ。戒めはきつい方が利き目があると思うからさ。でもペットを助ける為に自宅に戻り津波に巻き込まれた人もいるだろうね。きっと居る何人も。知らない魂に合掌。
救いの手ボランティアだけ少ない手
救いの手は僅なボランティアの人達だけ。国は処分にやって来る。
犬ネコ助ける人にパトカーの眼
犬猫救助隊の人達にパトカーの目が光る。なんか国家権力だね。きっと無人の家に立ち入らないか監視しているんだね。確かに犬猫を助けるためなら、この人たちは何でもしそうだからね。でも私は知っている。この人たちは常日頃細心の注意を払っているよ。
水が来た水が来たでも次はいつ
僕には判らないんだよ、いつになったら水がもらえるか。ずっと待っていた。今日は何日? それで次はいつ来てくれる?
柵の中もう僕だけ最後の声
牛舎の中、多くの柵に囲われ飼われている。一頭、一頭と斃れ、静かになった。僕の声が最後さ。静寂になるよ、お騒がせしてスミマセン。
ゴロンとなる牛の死はゴロンだよ
柵の中でみんなゴロンと横になっている。御免なさい、なぜか僕たちは死ぬときゴロンとなっちゃうんだよ。でも引きずり易いだろ。
牛豚よ無駄ではないよ補償金
お前たちが産まれたのは死ぬためだ。でも補償金が入るから祠は建てるよ。靖国みたいだけどな、赦せ。
三宅島異端の爺さん一人
三宅島の全島避難の時絶対に拒否した人が居たよね。急に思い出した。あの人を日本中が非難した。今原発犠牲の動物を思う時、唯一正しかったのは非難の的のその人だったと。自分の命と引き換えでも、エサは、水は、必要だ、それが無ければ生きてい行けない。それはお前たちの命は俺と同じだから。
イノシシ増え田荒れ怒る日本人
イノシシが増えて田畑を我が物顔で走り回っているそうだね。それが随分忌々しいようだね、もう全部の日本人が。人が住めないのなら自然に返しなさいよ。
肉牛の野生になりて銃見る目
肉牛が野生に戻ってしまうなんて思いもしなかった。でも逃げ出した、又は、放たれた肉牛は野性味一杯。捕まえてみなよ、といった目で人を見る。良かったねと褒めてあげたいけど、銃の的。
牛舎で餓死した牛・豚は数知れない。牛舎からは苦しそうな鳴き声が止む事は無い、絶命まで。
http://animalfriendship.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-bd7e.html
この人は大人だね。血を吐くような想いがあるのに、事実を知らせることに抑えている。何といっても現場を見てきた、要するに一生の記憶に刻まれた。
逃げた牛は人恋しげに寄って来るそうだね。牛もゴロンとなっているものばかりではない、いろんな姿勢で死んでいる。それはその時の限界の姿勢なんだろうと思うよ。
ペットロス症候群という言葉があるね。そんなものとバカにする人も多いけど立派な病気だと思うよ。鬱になり、脳が委縮し、痴呆になってしまうかもしれない。かくいう私は経験者だ。それもかなり酷かった。只々喪失感。いない、常に、もういないと思う。その感情は不思議な事に腹に来るんだね。下腹辺りが妙に不安を訴える。何をしていても何分かおきに思い出す、そのたびに下腹が寂しさを訴える。そのたびにもう会えないと思う。空を見ても思うんだからね。それを拒む理由は無いから、また名前を呼んだりする。なんで居ないの? もう居ないんだね。でもそこに居るじゃないか。私はそこに姿を描き出す。そうすればそこに何時もの様に居る。話し掛けると胸の毛を舐めて知らんぷり。ネコ砂を部屋に見つけても全部は取らない。少しは放って置く。掃除は通り一遍になった。買い物に行く道すがら思い出し、玄関を開ける時思い出す。もう居ないんだね。食事の時横を見ても居ない。ネコテーブルもネコ茶碗も片づけてしまったけど、見ればそこにいつもの様に私を見ている。箸を差しだす。箸は噛まないのがルールだよ。その箸は片方が2㎜ほど短い。ガリッと噛まれた箸だ。でももう噛まれる事は無い。そもそも箸は何も掴んでいない。その箸を寂しく口に咥える。そんな事が長く続き、私も無くなってしまえば良いんだ、と思う。何にもなく空を見ていると、不思議な事が私に起こった。下腹辺りの寂しさが上に上がって来て、胸が切ない。これは一体なんだろう? 胸キュン? そう恋をしてしまった。居ないネコに恋をしてしまった。空高く、また眼前に浮かんでいる、そのネコに恋をしてしまった。あんたの糞が落ちていないか心配する必要はなくなったよ。恋は夢、希望だから私は元気になった。最初は変に思ったよ。余りに可笑しい。野良猫に目がいくようになった。恋はうつろうかな。庭にエサを置いたらすぐに集まって来る。名前を付けようとは思わないけど、仲良くしてねと頼んでいた。私じゃなく亡くなったネコとね。ペットロスで苦しんでいる人達に提案があるよ。居なくなったペットに恋しなさい。叶わぬ恋だけどね、そう思うのもまた一興だよ。
避難計画次は僕も入れてよね
阪神大震災、東北大震災。何度も前例があるじゃないか。今度は僕たちの事も考えてね。出来なかったら飼うんじゃないよ。
水サイロ原発稼動条件さ
非常用電源、フィルター設置が原発再稼動の条件みたいだね。僕たちにもフィルター付きの牛舎に水とサイロも用意してね。大規模牧場だったら出来るかな。でも首輪を繋いだままにする人もいる、それは勘弁してほしいよ。しょうがなかった? それは理解するよ、人間には本当に阿呆な人が多いって知っているから。だけど人よりペットが大事っていう人もいるね、バカにされているけどね。でもお蔭で助けられた。
動物の事なんかどうでも良いのかもね。放射能関連死は随分な数に上るそうだ。何千人とか。でもそれは自己責任が負える人の話。次元が違うよ。
避難バスで死す盥の渦にされ
非難の時連絡の不手際とかでたらい回しにされ、避難先にたどり着けず亡くなった人が大勢いたそうだね。バスの中から何を見たかは知らない。でも、運命と思ってくれないかな。あなたの死はあなたの死。それは受け入れていたはず。他人に利用されたくは無いだろうと思うよ、ましてや子供にはね。
持ち崩し地獄いざなう補償金
さてタブーに挑戦しようかね。補償金で身を持ち崩した人がどれほど居るのだろう。居ないかも知れない。よく何億円とか言う補償金を耳にする。その場合は後遺障害があって一生の補償だから、それは当然で、それでも大変だろうなと思う。でも僅かな補償金で身を持ち崩してしまう人が居るのも事実だ。むしろそういった人たちの方が多いかも知れない。だからこれは罪作りだね。
仮設より病院より家で死にたい
病院で死ぬのは多くの人が望まないそうだね。でも家族には不可能なことも事実。旅に死す、仮設に死す。確かに故郷の床で死なせてあげたい。家族にできることはせめて実家の方向の空が見える病室に変えることくらい。
恋しくて仮設窓から仰ぐ空
ふる里が恋しくて方角に向かい空を見る。それは隣の仮設の上の僅かばかりの空かも知れない。それでもそれは幸せな事なんだよ。涙が出れば出るほど幸せな事なんだよ。実家で漫然として死を迎えるより。それは死を形としてとらえるか、自分のものとしてとらえるかという事だと思うけどね。自分がどこで死ぬか、どんな風に死ぬか、それは誰でも一度は考えたことがあると思うよ。厚い布団で家族に看取られるのを最高と思う人も居るかも知れない。どうせ死ぬんだ、死に様なんかどうでも良い、という人も居るかも知れない。自分の死を他人のせいにしたら、千年の恨みが残るだろうね。それは決して幸せな事ではないね。人の運命は絶対に判らない。
私の言葉は随分冷たい。それは地球に君臨する人間に言っている言葉だからさ。
綺麗だね、食物連鎖ピラミッド (読点入り)
悲しいニュースが飛び込んできた。京都で野良猫のエサやり禁止条例が可決されたそうだね。京都は特異だ。どこの自治体でも地域猫と言って野良の一生は保証する。増えないように対策してね。京都はエサやり禁止条例だ。お上の命令だ。それは諫早湾の世紀のギロチンみたいだね。野良猫は生きていけないよ。餓死しろという事だよね。そりゃ逞しいネコは生き残るかも知れない。でも甘えん坊のネコはどうだろうね。10匹に9匹は死んでしまうのだろうか。京都は神社仏閣の街だけど徳のある坊様は居ないって事だね。京都って色々やらかしてくれるんだね。五山送り火もあったし。京都人は京都だけで住んでいれば良いようだね。誰も行かなければ良い。それが理想らしい節もあるしね。おぶどないどす?
京都式ギロチンのら猫エサ禁
調布から最後の日程になる。神田川を歩くから、たぶん途中で電車に乗るだろうと思うよ。吉祥寺まで行って、神田川に乗り換えれば今度こそ家への旅路になる。23区を横切るから、途中で電車に飛び乗ってしまうかもしれない。そうなればそこで旅は終わり。振り返ると隅田川、荒川、入間川、霞川、玉川上水、根川、多摩川、神田川の旅という事になるね。神田川の源流から歩くとすると吉祥寺に出ないといけない。そこまでどうして行こうかな。今日明日に家に帰るとすると歩くのはちょっと無理だね。井の頭線に乗ろう。あまり高くないからね。駅に着いた。吉祥寺恩賜公園は? 人についていくとちょっと不安だったけれども直ぐに着いた。いきなり公園の説明板があるから、ふむふむとよく読んだ。かいぼりと言うんだ、新聞で読んだ池の水を掻きだして綺麗にするのは。夥しい数の自転車が出てきたというのは書いてないね。玉川上水が流れている。三鷹の森ジブリ美術館がある。やはりボケっとした爺様は居るね。でも圧倒的に若い人が多い。若いんだね吉祥寺は。御茶ノ水、という家康公がお茶をたてるのに使った湧水がある。まあまあ綺麗だけど今は井戸水だそうだね。それより家康公がこんなところまで来ていたのが驚きだよ。江戸に移った頃はまだまだ元気だったんだね。有料施設がある。65歳以上シニア200円。年齢の身分証明を持っていないから諦めた。どこか可笑しいかな。コブシの大木をヘーと見ながら小一時間ほどして神田川の始まりに出会った。1mほどの堰が二つあってそこが源流。山奥でポタポタ落ちる湧水から始まるのとはちがうね。はっきり言ってどぶ川。枯れ葉が堆積して居て水中を泳ぐ水草も無い。魚一匹いない。でもまあ少し歩くと綺麗になった。この辺から水を戻してやれば良いのに。川の中でも、壁でもパイプで運べるよ。半分取って戻す。少し下流で半分取って戻す。源流の水量は2倍になるね。ねえ数学少年教えてね。また少し歩くと鉄柵に囲まれた都市河川になった。今までは橋が目印だったけど、これからは井の頭線の駅が目印になりそうだね。みなもとから2㎞、神田川まで22㎞。川沿いの道は柵で塞がれていて、ぐるっと大回り、で行き止まり。戻る。生産緑地地区って邪魔。サッカー場が2つくらい作れそうな運動場の横を歩く。もう一つある。さらになんともう一つあるんだねこれが。最初の二つは無人。企業の運動場のようだね。企業の運動場ってよく見るけど、いつも人が居ない。日本の無駄遺産だね。小学生はコンクリートの校庭で遊んでいるのに、芝生が青い。こんな無駄をするならバスを仕立てて児童を運びなさい。中に幼稚園を作りなさい。児童は随分元気になるよ。とにかくただっ広いんだからね。否応にも健康になるさ。お昼は松屋のカレー、330円。85才くらいの婆様が居た。丼に大きなお椀にサラダの皿。壁のメニューを見たらお椀とお皿で330円。差はメインの丼という事になるね。文豪が絶対に書かない文章だね。2m以上ありそうなコイがいる。あまりに大きいから中国の巨大魚かと思ったけど緋鯉もいた。物凄く沢山卵を産みそうだよ。神田川はコイで溢れてしまうね。でも小さい魚は居ない。コイも高齢化社会かな。さかな君の黄色い声が聞こえて来るよ。
ドスンドスン80㎏のダイエット
これは何文字だろうね。神田川にはベンチが多い。休んでいるとジョギングの靴が走りすぎる。神田川沿いの道は随分ゆるいね。下の土がやわらか過ぎるんじゃ無いかと心配になるよ。それで人が走るだけでも随分響くんだね。でもねえ、女の人でも50㎏ある。ひっくるめれば人間で犬の体重とは違う。女の人が華奢に走っても人間だね。蟻には違いが判らない。女の人が上品に走っても蜘蛛の巣は簡単に取り払われる。何が言いたいかと言うと、女は男のせいにする。でも地球の生物にとってはちっとも変わりはない、と思うね。先ほどからわき腹が痛い。肋骨の疲労骨折? と不安になった。でも気分は悪くはならない。骨折なら気分が悪くなるはずだけど疲労骨折ならそうはならないのかな。暫くして押してみようと思いついたね。押しても骨自体は痛くないから、やや安心したけど厄介には変わりはない。このまま家に帰ろうかな。でも夕方家に帰るのは気が進まない。爺様が待っているなら直ぐ帰るけど、無人の家に暗くなってから帰りたくない。ちょっと冒険してファミレルで一夜を過ごそうかなと考えたけど、わき腹の問題があるから安い宿を探そう。そして朝一番で帰ろう。でも都会の真ん中だ、安い宿なんて有るかな。ビジネスホテル5000円まで覚悟しよう。無理だね。朝早く宿を出た。川を歩いて来たスピードと違う。みなさんわき目も振らず急いでいる。現実に戻ってきたかな。でも電車は異次元だね。
家に着いた。思いっきり雨戸を開けた。最も閉めて出たのは一部だけどね。ネズミの糞がある。ウワッ。うちにもネズミが居たんだ。居ないわけがないよね、亀の家だもの。でも1か月も開けたら酷いことになるね。泥棒のこん畜生は入って居ない、良かった♡。
家に帰って、月日はどんどん過ぎていく。初めての放浪旅で自信は出来たけど、直ぐ次をとは中々ならない。時間が無駄に過ぎていく。浪費していると感じる。どうしたもんだろうね。でも次への気持ちも今わき腹辺りにある。徐々に胸の中心に移って来て締め付ければ、矢も楯もならず出かけるだろうね。今はそれを待っている。
拘りから自由になるべきだね。随分な足枷だよ。
つち音も老いの身打たず薄き春
復興のつち音も老いた身にはどこか他人事。復興しても行く処は無い
子らの汽車その地に住まい落涙す
集団就職で送り出した子等の、その地に今住んでいる。子等はもっと劣悪で貧乏だったに違いない。その思いに涙が止まらない。
仮の宿過ぎた日示すカビの地図
2年が4年になり、湿気と雨漏りがカビの地図を育てた。
ふる里は遠ざかりぬ仮設の四阿
仮説は小さく単なる四角形。
ふる里は帰郷に変わる蒼き月
ふる里は単に帰郷するものに変わる。再び住む事は無い。月は厳しく蒼い。
陰を乗せトラック走る赤い道
復興は巨大な力で進む。トラックの荷台に思い出の影が浮かびあがる。
寂しさ吸って輝くひとみひとつ
寂しさ吸って輝くひとみ、は久保田早紀さんから。私は、ひとつ、を付け加えただけ。
すべてが懐かしきこの時あなたは
すべてが懐かしきこの時、は森田童子さんから。私は。あなたは、を付け加えただけ。
夢覚めてうつつ無き世に流転する
夢から覚めても現実はまた夢のよう、ただめぐり彷徨う。
隙を突きフラッシュバック箸止まる
なんの脈絡もなく突然よみがえる。
銀鱗跳ねて試験管廃棄物
ピチピチと勢いのよい銀色。放射能検査され、検出せず、の後、廃棄物。これ一首で風評の全部に勝っている気がする。奥が深いね。
襟すぼみ枯草揺れる風の道
な~んにも無くなり、風だけが吹き抜ける。寂しく、冷たい風。
『風たちぬ』を見た。テレビがやってくれたからね。最初の印象は、これ静止画アニメ? だったけど、アニメは静止画だよね、だからこの印象は随分可笑しい。次はゼロ戦が出て来ない、だね。堀越二郎さんでゼロ戦が出て来ないなんて、何とかの入っていないコーヒーだよ。堀越さんは戦後YS11の開発にも参加しているんだね。YS11はなんかずんぐりしていて余り美しい機体とは言えない、もちろん個人的感想だけどね。だけど三菱のMRJは綺麗だね。堀越さんはこちらの機体設計に参加したかっただろう、と何となく思ったよ、同じ三菱だしね。宮崎駿さんはどうだろう。HondaJetの方に惹かれるのかな。小型機だしね。映画に出て来る飛行機が随分マイナーだと飛行機オタクたちに、さすが宮崎駿さんだと思われているらしいね。細かなところは知識が無いと殆ど判らないらしいね。判る人には判るらしくて、それで悦に入る人も多いらしいね。色々エクスキューズが入っているらしいけど、1度2度見ただけでは判らないらしいね。らしいの5連発だ。でもこんな調子で書くととんでもない枚数になりそうだから止めるけど、映画の最初に堀越二郎さんと堀辰夫さんに献辞がある。お二人はどんな人なんだろう? 堀越二郎さんは1903年生まれ、堀辰雄さんは1904年生まれ、そして宮﨑駿さんは1941年生まれ。40才近く歳が違う、それに堀越さんが一番年上なんだね。映画は堀越さんの少年時代から逆ガル翼の9式単座戦闘機が空を飛ぶまで。堀辰夫さんは、題名が小説「風たちぬ」からとられていて、ヒロインの名前は小説『菜穂子』からとられている。そして映画の菜穂子さんは、堀辰夫さんの奥さんの矢野綾子さんで、小説「風たちぬ」のモデル節子さんだ。堀辰夫さん自身も結核で48歳で亡くなっている。『風たちぬ』は堀辰夫さんの言葉だ。映画では堀越二郎さんに送りたいようだけど、でもどこをどう突いても堀越二郎さんと『風たちぬ』は結びつかない。堀越二郎さんの経歴からは「風たちぬ いざ生きめやむ」が何も感じられない。堀越二郎さんは見合い結婚をして6人の子供をもうけ、全て大学に進学させた。立派なお父さんだ。風たちぬの夫(堀辰夫さん)は妻節子さん(映画では菜穂子さん)を献身的に看病している。仕事をなげうってサナトリウムで一緒に過ごしている。妻節子さんは婚約1年ちょっとで亡くなっている。堀越二郎像と堀辰夫像は交叉しない。映画で印象的な紙飛行機は9式単座戦闘機として空を飛ぶ。映画の感想に随分懐古趣味だね、と思ったのも事実だよ。最後の映画になぜ懐古趣味を持ってきたのだろう。皇紀93年がいやに絡むんだね。綾子さんは昭和10年12月6日に亡くなる。堀辰夫さんはこの日については書かない。映画の菜穂子さんは9式単座戦闘機と引き替えのように亡くなる。菜穂子さんの死はやはり描写されない。ついでに書けば、回天の元になった93式酸素魚雷はその名の通り93年だね。93式防災気球というのもある。私もこんな大人しい文章を書くんだね。もう本当に止めようかね。もっと大事なものがある。最初の方に『風たちぬ』を見る前に書いたものは訂正すべきだろうかな。少し違ったところは有るけど私は訂正しない、そのままだね。
風のつく言葉、風薫る、風光る、風誘う、風そよぐ、風騒ぐ、風の盆。『風たちぬ』から私がどうしても連想してしまうのは、風たちぬ嵐の予感生きめやむ、だね。
今私の心に風が吹いている。戦争は、東北大震災で死んだ動物達より数層倍、計り知れないほど悲惨な死を強いた。私はその強いた者を追及している。世界のあちこちでつぶやかれている言葉がある。17文字の言葉だ。それは俳句でも川柳でもない。
一つの都市が丸ごと消えてしまった。
繰り返される。
二つの都市が丸ごと消えてしまった。
これは文だから句点があるよ。これは一体どういう事だろうね。日本人で責任を取るべき人が居るのだろうか? 単に日本人は被害者なんだろうか? 日本人は8月15日、尊崇の念を表す、御霊を祈る、その前にやるべきことがある。8月15日1億2千万の日本人が全員やるべきことがある。それは、
申し訳ありませんでした。
と謝ることだね。日本人全員が申し訳ありませんでしたと謝らなければならない。戦地で、玉砕の地で、想像を絶する死に方をされた人たちに、最初に謝る。これには異論はあるだろうかね。さてそうした場合、東条英機に対して、申し訳ありませんでした、と頭を下げることが出来るかどうかという事になるね。玉音放送の後17名の若者を従え特攻に飛び立った宇垣纏中将に対して申し訳ありませんでした、と頭を下げることが出来るか、という事になるね。命があったじゃないか。靖国神社に参拝する国会議員の娘たちを私の前に引きずってきなさい。ビンタを喰らわしてやるよ、往復ビンタだよ。5回くらいやらないとこの娘たちの性根は治らないだろうね。今、シビリアンコントロールが覆られそうになっているそうだね。自衛隊が迅速に行動するには、背広組が邪魔なんだそうだね。死をもってしても阻止しなさい。阿部総理の積極的平和外交が判らないね。この言葉が一国の理念として歴史に登場したことは有るのかね。積極的に提案する? 積極的に苦言する? 積極的に包囲する? 積極的平和外交は責任を取ると同義だね。その為の法整備を急いでいる。今世界第3位の経済大国だね。今後人口減少で4位、5位、6位と下がっていくそうだね。荷物を背負い込むのではなく、肩の荷を下ろして欲しいね。中国がそうはさせてくれない? 中国だとか北朝鮮とかは言って欲しくないね。
戦場? どこなのそれ 支那だよ
国家としての戦争・侵略を敗戦国に全て押し付けるのは間違いだ。そうかも知れないね。日本が負けた後、インドネシアにオランダがどれどれまた植民地にしてやろうと、のこのこやって来てスカルノに返り討ちに有ったという事もあるね。敗残兵が協力したとも聞くよ。日本が手を付けた東南アジアの国々は今お金持ちになったか、猛烈に発展しつつある。一方イギリスが植民地にしたインド、アメリカが占領したフィリピンは相変わらず貧乏に見える。白人優位を打ち砕いた功績はあるとね。欧米から植民地を解放したとね。白状すると、極東の島国の日本人を誇らしく思うよ。これは正直な気持ちだから右翼の皆さん襲わないでね。それに私が書いて来たものに左翼思想は無いと思うよ。
ただ、日本の心を書いているんだ。戦場の地がどこだったかも、戦場の地にしたのも忘れるほど日本人は地に堕ちたのかい。
世界を見て欲しくない。中国を日本が引き受けるなんて不可能だよ、でも先頭を走ろうとしている。ただ地球をみて欲しいね。大気汚染、海洋資源の保護、そういうのをやって欲しいね。土地を奪うのは止めなさい。日本には素晴らしい企業が一杯ある。その人たちが頑張ってくれるから、こんな事が言えるんだけど、要するに地球を大事にするって事だね。日本の心の基本をそれにすれば良いという事、だと思うよ。
書き綴って来て、間違いをテレビが教えてくれた。震災後、懸命に生きてきた人たちの心が壊れている。心の澱に閉じ込めたはずの記憶が知らず知らず心を侵していた。背けていた映像が襲っている。私が、銀色に津波たゆたう薄い海、と感じたそのテレビで確かに言っていた。小学校が見えますと。同じか判らないけど、その小学校は1階がやられ2階3階に多くの人が避難していた。そしてその前を、人を乗せた車が流される、仰向けに浮かんだ人が流される。あの人たちとは違う。自分は幸運だった、弱音は吐けない、そう想い頑張って来た人たちに、過去が襲っている。克服したはずの体験がずしんと響いている。生き延びた自分は亡くなった人たちの為にも頑張らなければいけない、そう頑張って来た、その気力は一旦失われれば、再び取り戻すには何層倍の努力が居る。何年も頑張って来た、克服している、でも過去は共に歩んでいた。再び向き合う事を強いられている。心は捕らわれていた。私の能天気な句は一体なんだろうね。
風立つ 雲湧く 光降り 命ある
風なんか忘れよう。風なんかに何が判るんだい。ペットロスを恋に転嫁して克服した私の経験は役に立つだろうかね。精神的なリハビリでは、過去と向き合うとかが大事だそうだね。つらい過去と向き合うのは酷だけど、恋なら何度向き合っても良いと思うし。愛とまで言われるとちょっと困るけど、恋くらいなら良いかな。でも悲惨な経験を恋に転嫁なんて果たして出来るものかね。自然には負けちゃうのが一番だとしても、それは傍観者の話だしね。恋してる、恋してる、恋してる。何度呟いても浮かばないね。小学生の時の母に恋をする、中学生の時の母に恋をする、高校生の時の母に恋をする。「おかあさん、そっちの生活はどう?」「まあまあだね」「まあまあってお花畑じゃないの、幸福なんでしょ」「まあ、平安で幸せって言うのもね。それより私に恋するってどういう事?」「笑顔に恋しているだけだよ」「笑顔見せた事有ったっけ」「あるよ、一杯。親は気が付かないんだよ」「そうかねえ。それより御免ね。私は間違ったよ」「何が」「津波てんでんこ。これは掟だよ。それなのに、あんたを道ずれにしようとした」「謝るのは私だよ。怖かったんだよ」「白鳳でも無理だからねえ。今冷静に考えているよ。てんでんこの掟を破ろうとした、私がいけなかったんだよ」「てんでんこなんて出来るわけないじゃない」「これは先人の掟だからねえ、守らなくちゃならないよ」「それ慰めてくれているの」「まあそうだけど、あんたが子供に教えなくちゃならない事だね、私の代わりにね」「分かったよ」「でもあんたも哀れだね。50回忌をするなんて」「どういうこと」「50回忌はあんまり無いんだよ。親を早く亡くしたって事だからね」「それまで生きているかなあ」「大丈夫だよ。見守ってあげるよ」
こおりみず きえてしまうよ ねがいごと
くちていく ときのながれに うかぶほね
つぶやきに ほのおほそって さむいよう
うそついて くらすこころに きりさき魔
しっている あかるくくらい えぐるひと
ねむりつく うなされおきる めがくらい
さまよう手 つぶやくこころ もうむりよ
はるうらら さくらのときの おもいでは
ねむるとき おいちゃだめよ てをむねに
わらうくせ まだおなじだよ わすれたの
あんたはね わたしのじまん いきなさい
そろそろよ おもいだすのは やめなさい
あおむけで ぐっすりねむる あんただよ
おたがいよ ありがとうは おたがいさま
お母さんは死んじゃったからのほほんとして居られるんだよ。そうだね、その通りだね。全然分かってくれない。あんたは妙に一生懸命になることがあったからね、そんなだとプッツンしちゃうよ。
大震災に対しては、もっとほかの言葉が必要かもしれない。それは17文字も要らないと思う。もっと短い言葉だね。覚えているよ、忘れないよ、じゃなくて。
生きていく
命だからただそれだけだと思うけど、ふたたび久保田早紀さんの歌から。ただ伸びやかに生きて死んで悔いない命が欲しい、だね。
もう終わっても良いんだけど、次はどうしようか迷っているよ。伊豆を歩こうかと思うけど、あそこの道は車用に整備されちゃって歩くにはきっと不向きだと思う。今、婆様に山歩きが流行っているそうだね。トレッキングと言うそうだね。そんな道が少しずつでもあれば行っても良いと思う。細かく日程を組む気はないから大まかに把握できれば出かけられる。体は大丈夫かって? ふふ。
もうちょっと命ある足が話すよ