カレンダーサレンダースプレンダー
「新しいカレンダーを買いに行こう。そうしよう」
俺は年の瀬のショッピングモールに一人で出かけた。
大掃除をするとか、友人と忘年会をするとか、里帰りをするとか、いろいろやることはあるのかもしれない。いや、ない。アパートには物がない。流行のミニマリストではなく、単に貧乏でモノがないから、特別な掃除など必要ない。酒を飲まないので、忘年会に誘われない。そもそもそんな友人はいない。故郷にはもう3年以上帰っていない。特に帰ってこいという連絡も無い。
いろいろやるべきことを思い浮かべては、『ぜひとも越えるべき年末のハードル』が特にないことに気がつき、逆に寂しくなってきた。何だかアパートにいると泣きそうになるので、賑やかなところへやって来たのだ。
ショッピングモールに来てみたものの俺はすでに疲れ始めている。人ごみが苦手なくせに、人恋しいとはどういうことなのか。俺はどこで何をしたらよいのか。意味も無く腹が立ってきたので、やや早足で、しかもブンブン腕を振って歩く。誰に対して挑戦しているのかも不明だ。虚しくて自分がかわいそうだ。
モールの片隅に小さなコーナーがある。「2023カレンダー発売中」とある。大きな文房具屋のカレンダーコーナーで捜そうと思っていたが、気が変わった。できるだけ変なカレンダーを買おう。普通じゃないやつを買うんだ。俺は普通じゃないからな。何だそれ。
「ヒヒヒ、いらっしゃい」
小さな店の奥に座る店主を見て俺は腰を抜かした。
そこには死んだ祖母が座っていたからだ。
「ば、ばあちゃん。迷ったか。じょ、成仏してくれ」
店主が苦笑いする。
「フヒヒヒ、すまん、すまん。驚かしたの。店主の顔は客がもう一度会いたいと願っていて、でも二度と会えないという、そういう人の顔になるんじゃ」
俺はまだ言葉が出ない。腰は抜けたままだ。思わず振り返って、出入り口を見たが何と塞がっている。
「お前、ビックリしたままだな。落ち着け」
俺はかろうじて声を出す。
「で、では貴方は私の祖母ではないのですか」
「だから、言っとろうが。お前が会いたい人間の顔になっとるんじゃ」
「祖母は5年前に亡くなりました」
「だーかーらっ!話が進まんのう。会いたいけど会えないそういう感情の人物じゃい。わかったか!」
店主が机をバン!と乱暴に叩いた。俺はビクリとして慌てて謝る。
「す、すいません。ただいくら会いたいと言っても、死んだ人が出てきたら、だいたいの人間はこんな反応だと思いますですのです」
「フン。でっ!お前はカレンダーを買いに来たんじゃないのか」
すでに俺は激しく後悔している。普通の書店で購入すれば良かった。俺は普通の人間なのだから、普通のカレンダーでいいのだ。
「きょ、今日のところは、失礼してまた出直します。出口はどこでしょう」
店主がハアとため息をついて、思いがけず俺を優しい目で見た。
「まあ、そう言うな。お前用のカレンダーもちゃんと用意してあるから、見るだけでも見ていけ」
「私用のカレンダー…ですか」
「そうじゃ。お前専用じゃ」
店主が魚屋の横で魚を狙っている猫のように舌なめずりをせんばかりに俺を見つめる。俺の頭の中には早くこの場から逃れろという危険信号と、何だその俺専用のカレンダーってという好奇心のシグナルが両方出ている。いやいやいや、この物語の進行は絶対に何か悪いことが起こる流れだ。早く逃げろ。
「あの、あの、ででで出口を…」
「お前の名は」
「へっ」
店主はこの問答を打ち切って、カレンダーのセールスに入ってしまったようだ。俺の鼓動が早まる。
「わ、私の名前ですか。そのあの」
フフン、と店主が鼻で笑い、俺の胸を拳で軽く叩いた。
「ヒイッ」
「フン。相変わらず小心者よのお。ツトム」
俺の名前が自動的に判明してしまっている。ばあちゃんの顔をした店主でなく、店主の顔がばあちゃんだ。あきらめて俺は店主の向かいの丸椅子に腰をおろす。
「山口ツトムです。私専用のカレンダーというのを見せてください」
「腹をくくったか、ツトム。よかろう、しばし待て」
ばあちゃんは店のさらに奥に入り、ゴソゴソと音を立てる。しばらくして声がした。
「ツトム、お前の苦手は何じゃ」
いきなりの質問にまたビクリとしながら、俺は答える。
「ゴキブリ…でしょうか。いや、最近はそうでもないか。納豆…も食べるようになったな。ううん」
店の奥からヒヒヒと揶揄する声が聞こえる。
「知っとるぞ。お前の苦手は人間じゃ。人間そのものが怖いのじゃ」
「いや、そんなことは…」
返事をしてから俺は考える。確かにそうかもしれない。最近の俺は必要以上の人との触れ合いを避けている。新しい人間関係を築くことなど、もっともしんどいことだと考えている。その通りかも。
「そうかもしれません」
「ほれ、これがお前の2023カレンダー絶賛発売中じゃ」
丸められたカレンダーに紙が巻いてあり、そこには『対人恐怖症のツトム2023カレンダー」と書いてある。現実のこととは思えない。
「見てもいいのですか」
「もちろんじゃ。見るがいい」
俺が巻き紙からカレンダーを引き抜き、そっと伸ばす。表紙は何と俺の顔のアップだ。
「私…ですね」
「お前じゃ、ツトム」
「気持ちが悪いです」
「お前の顔が気持ち悪いのではないぞ。お前の表情が気持ち悪いんじゃ」
俺はこんな状況でも少しだけムッとして、店主だか祖母だかを睨んだ。店主はそれを無視する。
「さあ、めくってみるがいい。一月じゃ」
一枚めくると普通のカレンダーと同じく『一月』の文字があり、日付が入っている。違うのは上半分の写真がまたしても俺であることだ。
「私です。こたつでテレビを見ています」
「フン、つまらんのう」
「いつこんな写真が撮られたのですか。これは盗撮ではないのですか」
店主は俺をジロリと睨み、また胸を拳骨で軽く叩いた。思い出した。これは祖母が俺を説教したり、諭したりする時の癖だ。
「盗撮ではない。これはお前の来年一月の姿じゃ。まったくつまらん生活じゃな」
「確かに大概アパートでこんな感じですが…二月は」
めくると…ほぼ同じだった。こたつでマンガ雑誌をめくっている。
「うう、三月は…あ、また同じだ」
こたつでカップラーメンの出来上がりを待つ俺。さらにカレンダーをめくる。
「四月…また」
さすがに祖母が呆れて、俺の顔を見た。
「ツトム、お前もう少し何とかせんかい。それとコタツは、しまいなされや」
「僕は毎年、ゴールデンウィークの時片付けるんです」
次の五月、さすがにコタツは無かったが、俺はころがってテレビを見ている。
「ツトム、ホントにやることないんじゃなあ」
「大学行ったり、バイトしたりしてるはずです。ここだけ切り取られても」
俺は抗議したが、六月も七月も似たようなものだった。違うのは服装が薄着になったことと、部屋に扇風機が登場したことくらいだ。
「来年もこんなもんなんだなあ。ハア、八月…と」
俺は飛び上がった。アパートに女性がいる。俺の横で笑顔を見せているのは、学食でバイトしてるフーちゃん、山田蕗さんと名札に書いてあり勝手にフーちゃんと心で呼ぶ多分20代前半俺の好みどストライク丸顔優しい笑顔ぽっちゃり声かけられない俺のヘタレぶり…そのヒトだ。
「何で、僕のアパートにフーちゃんが」
祖母が俺を横目で見ながら、ニヤリとする。
「ツトムの好みはこういう娘かね。あんたが勇気を出して声をかけなきゃ、こうはならないだろうね」
「ま、まさか。僕にそんなことができるかな。ばあちゃん」
「できるさ。ツトムはできる。儂の孫じゃ」
九月、十月、十一月それぞれカレンダーには俺とフーちゃんがいるが、どれも少しずつ感じが違う。
九月はフーちゃんが泣き顔だ。
十月は二人が無言で俯いている。
十一月はフーちゃんが怒って俺に茶碗を投げつけている。俺は鼻血を出している。
「ばあちゃん、大変だ。俺はたぶんフーちゃんを怒らせたり、心配させたり、傷つけたりしている」
「そのようだね。それがどうかしたか、ツトム」
「こんな僕がフーちゃんに声を掛けてもいいのかな」
「ふん」
祖母は答えてくれなかった。
「最後じゃな」
俺が十一月をめくると、最後の1枚、十二月のカレンダーが現れる。俺はポカンと口を開けて、その写真を見つめた。どうなっているのか。俺は口と鼻の穴の間に二つ折りにした割り箸を挟み、手ぬぐいをほおっかむりしてザルを手にしている。ポーズは中腰で珍妙な腰つき…つまりあの安来節、ドジョウすくいをやっているのだ。近くに爆笑しているフーちゃんと…それに誰かは知らないが男が一人、土下座をしている。
「ばあちゃん、なんだこれ。僕はドジョウすくいを踊って、誰かが懸命に謝っている。彼女は爆笑している…これはどういう意味なんだろう」
祖母はフウと息を吐いてから優しく俺を見つめる。
「儂はこのカレンダーをツトムに見せることはできるが、写真の意味はわからないんじゃよ」
「でも、これでは心配で」
祖母がまた僕の胸を拳骨で優しく、愛情をこめてつついた。
「ツトム、お前はこれが不足か?来年の末、お前は健康じゃ。見ればわかる。一人っきりでも無いぞ。そしてお前が愛する人は笑っておる。お前は何が不足じゃ」
俺は黙り込んだ。そうだ。確かにそうだ。俺がフーちゃんに交際を申し込むことがどんなストーリーを生み出すのか、それはわからない。誰かと一緒にいるということは傷つけたり傷つけられたり、心配かけたりかけられたり、困ったり困らされたり、ということなんだろう。それを恐れる必要はないのかもしれない。最後に笑い合えれば、それで。
祖母がカレンダーを閉じて、表紙に戻す。すると先ほどと同様に俺の顔のアップだ。だが、何だ。最初の印象のような気持ち悪さがないぞ。何故だ。
「それはお前が笑顔だからじゃ」
目の前の祖母の声が少し遠くから聞こえたような気がした。
「ばあちゃん、俺そろそろ行くよ。あんまりやること無いけど…」
「…どうかされましたか?」
いつのまにか、俺は大型書店のカレンダーコーナーに立っていた。手にしていたのは俺の故郷の風景が映った来年のカレンダーだ。軽い目眩が残る他に変わったことはない。
「いえ、大丈夫です。すみません。ちょっと目眩がして」
店員に笑顔で謝り、俺は手にしたカレンダーをレジに持っていく。
まず実家に電話して、無事だって言おう。それからもう少しだけ不要品をまとめて捨てにいこう。ええと、それから半年前にケンカして会っていないアイツにメールしてみよう。…それから久しぶりに何か自炊でもしてみるか。
えっと、それから、それから、そうだな、思いついたけど…ううう、ドキドキするぜ。何がって?…それは言いたくない。
一年の締めらしい話を書いてみようと心に決め、本日何とかまとめ終えました。もう少しコクのある話になるかと思ったんですが。