敗走の騎士は、贖罪の騎士となりて
「みくちゃん、一人で出掛けるのかい?」
「はい。今日は祖母の命日なので」
色褪せた深緑色の風呂敷包みを手に、古くなった茅葺き屋根の家を出たみくは、向かいに住むおばさんに声を掛けられる。
庭を掃いているところだったのか、おばさんは竹箒を片手に近づいてきたのだった。
「一人は物騒よ。最近、鬼が出るって噂じゃない」
「鬼、ですか……」
子供の頃から面倒を見てくれた向かいのおばさんは、みくにとって家族も同然の存在だった。
特に一年前に唯一の家族だった祖母を亡くし、天涯孤独の身となってからは、尚更、家族のように大切に思っていた。
けれども、心配性なところもあって、二十歳を過ぎたみくを未だに子供扱いしており、少々辟易していた。
「お墓って、あそこの山の途中でしょう。最近、あの山に金の鬼が出たって噂になっているのよ」
「鬼って、空想上の生き物ですよね?」
「あら、遥かな昔は、この島にも住んでいたのよ。鬼を退治したって話もあるんだから……。
そうだ。頼りないかもしれないけど、隣の爺を連れて行きなさい。いま、呼んでくるから……」
「墓参りを終えたらすぐに戻って来ます。一人で大丈夫です。気をつけます」
まだまだ心配そうなおばさんに早口で捲し立てると、軽く頭を下げる。
くすんだ橙色の着物の袖を翻すと、みくは山に向かって歩き出したのだった。
(鬼なんて、いるわけないじゃない)
おばさんに言われるまでもなく、みくも子供の頃から数多くの鬼にまつわる物語を聞いて育った。
人間に悪さをする鬼を退治しに行く物語、優しい鬼と人間の交流を描いた物語、人間を守って犠牲となった鬼の物語、鬼を助けた人間の物語、と鬼に関する物語をあげていくと、枚挙にいとまがなかった。
ただ共通しているのは、いずれも教訓を伝える物語というところであり、鬼はあくまでそれを表象する存在である。
山に出る鬼など、勝手に山に入ろうとする村の子供たちを止めるための子供騙しの話だろう。
この時期は、村を治める村長の許可なしに山には入れないから。
そんな事を考えながら、山に向かう途中で出会った村人たちに会釈をして、時折、短く挨拶や世間話を交わしながら、墓に向かったのだった。
この日、みくは一年前に亡くなった祖母の命日に合わせて、村近くの山道の途中にある墓場に向かっていた。
みくが住む村は、周囲を紺碧の海に囲まれた小さな島にあった。
すぐ近くには、半年前まで戦争が起こっていたバードッグ帝国があり、帝国領の支配下に置かれた一つでありながらも、島独自の文化が栄えていた。
この島は、帝国の支配下に置かれるまで、東国からの移民を中心に構成された自治領であった。
帝国で見かけるような、ドレスやパン、煉瓦造りの家と言ったものはなく、着物と呼ばれる一枚の布を仕立てた服を着て、島で収穫した米と呼ばれる稲から採れる穀物を食べて、茅葺き屋根の家に住んでいた。
それが、九十年ほど前にバードッグ帝国の支配下に置かれてからは、少しずつ、帝国との往来が増え、帝国の文化や物資が増えるようになった。
村には帝国からの移民がやって来るようになり、また島からも帝国に移民する者が増えた。
そういった移民が帝国の物資を持ち込むようになり、僅かではあるが島に帝国の文化が栄えたのだった。
それでも、島の人たちは新しい文化を受け入れられず、また帝国側も無理強いをしてこなかったこともあって、今も帝国の文化より、島独自の文化の方が盛んなのであった。
誰もいない村の墓場の中を歩き、祖父母や両親、先祖たちが眠る墓の前まで辿り着くと、手慣れた様子で墓石を掃除した。
祖母の前には、行方知れずの父と、漁に出たまま帰ってこなかった祖父が眠り、その前には母や先祖代々が眠る墓の掃除は、子供の頃から祖母に連れられて墓参に来ていた甲斐もあって、一人でも手慣れたものだった。
近くに咲いていたシロツメクサやタンポポを摘んできて飾ると、風呂敷包みから拳大くらいの饅頭を取り出して、墓前に差し出す。
苔むした石畳に膝をつくと、墓の前で両手を合わせたのだった。
(おばあちゃん、おじいちゃん、お母さん、お父さん……)
母はみくが子供の頃に流行病で他界し、漁師だった祖父は海に出たまま帰って来なかった。
祖母は一年前に病気で亡くなり、父は祖母が亡くなる少し前に、隣国との戦争の最中であった帝国に徴兵されてから、未だに帰って来ていなかった。
おそらく、戦場に連れて行かれて、そこで戦死したのだろう。
父だけではない。半年前に終戦しても、この島から徴兵された若い男たちは、未だに誰も帰って来なかった。
帝国が敗戦したという報が届いたばかりの頃は、島の港に帝国からの船が着くたびに、夫の、息子の、恋人の、家族の帰りを待つ人たちが詰めかけていた。
島の男たちが乗っていないとわかると、日を追うごとに船を待つ人は減っていき、今ではほとんど待つ人はいなかった。
みくは墓参りを済ませると、後片付けをして墓前を去ろうとした時だった。
墓から山へ向かう道の途中に、ふらふらと歩く鎧姿の男を見た気がしたのだった。
「誰だろう……? この時期に山に向かうなんて」
初春とはいえ、山にはまだ溶け残った雪が残っており、時折、雪崩が発生したという報がみくの住む村にも届く。雪崩に巻き込まれて亡くなった者の話も。
それもあって、村の長が許可するまで、村人たちの山への出入りは禁止されていた。
子供たちだけではなく、大人たちも山への登山や山菜取りは禁止されていたのだった。
今年はまだ登山の許可は下りていなかったはずだ。許可が出ているのは、せいぜいこの墓場まで。
それを知らないということは、村の人間ではないのだろうか。
村の人間なら、誰もが知っているだろうから。
(まさか……。鬼?)
鬼なんているわけがないと思っていた。けれども、実際におばさんが話していた金の鬼らしき背を見かけた。
鎧姿の鬼なんて、昔話や物語でも聞いたことはないが……。
(気になる……。行ってみようかな)
少しだけ、様子がおかしかったら、すぐに引き返すと決めて、みくは鎧姿の男の背を追いかけたのだった。
ざくざくと草履で山道を踏みしめながら、山へと続く道を歩いていくと、みくたち近隣の村人たちもよく知る洞窟が見えてきた。
登山が許可されている時期なら、登山する村人たちの憩いの場となる小さな洞窟の前で大きな銀色の何かが光った気がした。
みくは足早に向かったのだった。
「誰かいますか……?」
そうっと声を掛けながら近づいていったみくだったが、洞窟近くの大きな木からぶらさがっていた縄に気が付くと、目を見開く。
その縄の先には、一人分の頭が入るくらいの輪が出来ており、それを今にも首にかけようとしていた鎧姿の男の背中があったのだった。
「何をやっているんですか!? やめてください!」
風呂敷包みを放り投げて、みくは鎧姿の男の背にしがみつく。
汗と血が混ざった不快な臭いをした大柄の男は、振り返ると目を瞬いたのだった。
「君は……」
「何があったのかは知りませんが、早まらないでください! 死んだって何も意味がありません!」
帝国軍の紋章が刻まれた傷だけのシルバーグレイの鎧に、短い金の髪、無精ひげの生えた顔には、みくと同じ濡羽色の両目があった。
この男がおばさんが話していた金の鬼の正体で間違いないだろう。
生気のない目を向けてきた鎧姿の男を、みくはじっと見つめ返したのだった。
「帝国の騎士ですよね。何があったかは知りませんが、死ぬなんてあまりです……」
「君には関係ないだろう。放っておいてくれ」
「放っておけません! 生きていれば良いことがあります。それを無駄にするなんて許せません!」
「うるさい! 邪魔をするな!」
乱暴に突き飛ばされて、みくは地面に身体をぶつける。
転んだ時に擦れた頬と肘が痛く、衝撃で簪が飛んでいき、まとめていた黒髪が胸元に落ちてきた。
それでも、彼を止めなければと、みくは立ち上がると、縄を持つ男の手を掴んだのだった。
「何をする!? 離せ! 離すんだ!」
「離しません。離したら貴方は首を吊って死ぬんでしょう!? 何度突き飛ばされてもそんなことはさせません!」
「離せ! 死なせてくれ! 帝国随一の騎士と言われたおれでも、仲間を……誰も救えなかった……。部下も死なせ、徴兵されてきた兵たちも犬死にさせてしまった……。もう生きている意味なんてないんだ……」
「生きている意味ならあります! だから、死なないでください! やめてください……!」
涙が溢れてきて、視界が歪んだ。
それでも男はみくを突き飛ばすと、縄を首にかけた。
地面から足がわずかに浮いて、枝がしなって音を立てた時だった。
バキッという音が聞こえてきたかと思うと、男と一緒に縄をかけていた枝が地面に落ちてきたのだった。
「あ……」
「くっ……」
あんぐりと口を開けたみくの目の前に枝葉をまき散らしながら、男は尻もちをついた。
そうして、「クソッ!」と叫ぶと同時に、地面を殴ったのだった。
「まただ、また死に損なった! どうして死ねないんだ! 今回こそは死ねると思ったのに……」
地面に八つ当たりする男があまりに滑稽で、とうとうみくは噴き出してしまったのだった。
「ふ、ふふふふふふ……」
「わ、笑うな! これは見世物じゃないぞ!」
「だって、死に損なって、地面に八つ当たりしている姿がおかしくて……。かっこいい騎士さんが台無しです」
「おれはかっこよくないし、騎士でもない。……ただの敗走者だ」
きまりが悪い顔をした騎士は近づいてくると、地面に膝をついていたみくを助け起こしてくれる。
みくより少し年上だろうか。無精ひげが生え、小麦色の金の髪は汚れて乱れてはいるが、よく見ると年若く、面長の整った顔立ちをしていた。
「ありがとうございます。でも、死ぬなんてもったいないことをしないでください。生きていればいいことがあります」
「良いことか……帝国が敗戦した以上、良いことがあるとは思えないが」
「広く見ればそうかもしれません。でも、この島で細々と暮らす限りはあるかもしれませんよ」
「そうか……?」
「ええ。きっとそうです!」
みくは男に背を向けて、落ちていた簪を袖で拭くと、髪を一つにまとめた。
放り投げたままだった風呂敷包みを拾い上げていると、男に声を掛けられたのだった。
「君は、この島の娘か?」
「そうです。生まれも育ちも、この島です」
「その割には、帝国の血が混ざっているな。黒髪に紫色の瞳なんて、この島の出身には、そうそういないはずだ」
「そうですね……。亡くなった祖母が帝国からやってきた移民だったんです。わたしの目はその遺伝だと聞いています」
みくは菫の様な紫色の瞳を男に向けて、笑みを浮かべた。
すると、男は「おれとは逆だな」と、小さく呟いたのだった。
「おれの母は、この島から連れてこられたんだ。この島を訪れた騎士だったおれの父に、帝国に無理矢理連れて行かれて……おれを産んだ」
「お母様はいまも帝国に?」
「いや。ずっと前に死んだ。優しい母には帝国の空気が合わなかったんだ。おれは騎士だった父の跡を継いで騎士になった。帝国随一の騎士・カイトスに」
「カイトス様……って、聞いたことがあります。帝国の船に漁の邪魔をされていたこの島の船を救ったと」
「あれは救ったなんてものじゃない。帝国に交渉しただけだ。それにおれはもう騎士じゃない。ただの死に損ないだ」
「わたしの祖父は漁師だったんです。もう死にましたが……。私だけじゃありません。この島の多くの漁師が貴方のおかげで、漁が出来るようになりました。全て貴方のおかげです。貴方は島が誇る自慢の騎士です」
「おれは……」
「良ければ、村に来てください。きっと、村のみんなも……いいえ、島中がカイトス様を歓迎してくれます」
「おれは行けない。この洞窟の側に最後の部下だった者が眠っているんだ。彼を一人にしておけない」
「部下だった……?」
「死んだんだ。この島に来てすぐに。いまはそこで眠っている」
カイトスが指さした方を見ると、洞窟の側にはこんもりと盛り上がった土の山があった。
その上には、シロツメクサやタンポポ、どこかの木から折ってきたと思しき白梅、まだ咲ききっていない桜が供えられていたのだった。
みくはその山の前に膝をつくと、両手を合わせて、目を閉じた。
しばらくして顔を上げると、「これは……」と、腕をつかまれたのだった。
「血が出ている。服にも血が滲んで……」
言われるまで気づかなかったが、くすんだ橙色の袖には、薄っすら血が滲んでいた。
袖の上から腕に軽く触れると、肘にピリッと軽い痛みが走ったのだった。
「ああ。さっき、地面にぶつかった時に擦ったんですね。でも、大丈夫です。家に帰って消毒すれば……」
そう言いかけている間に、カイトスはみくの細腕を持ち上げると顔を近づけた。
そうして、肘に出来た傷口に舌を這わせたのだった。
「カ、カイトス様……。何を!? 」
「傷を消毒しているんだ。おそらく、おれが突き飛ばした時に出来た傷だからな」
「そこまでしなくても大丈夫です! 家に帰って止血すればいいだけですから!」
舐められる度に傷口が染みて、肘に痛みが走る。
けれども、痛みと同じくらい、みくの心臓は激しく音を立てたのだった。
腕を振り払うと、赤面した顔を見られたくなくて地面に目を向ける。
そのまま下山しようとカイトスに背を向けて歩き出したところで、足に違和感を覚えたのだった。
「あれ……」
「どうした?」
「なんだか、左足に違和感を感じて……」
カイトスは近づいてくると、「見せてみろ」とみくの身体を持ち上げて、近くの岩の上に座らせてくれる。
その前に膝をついたカイトスがみくの左足に触れると、鈍い痛みが走ったのだった。
「どうだ。痛むか?」
「少し、痛いです……」
「ぶつけた拍子に足を捻ったのかもしれん。村まで歩けるか?」
その言葉に、みくは閃いた。
わざと痛がる振りをすると、「ちょっと、無理みたいです……」とカイトスに訴えたのだった。
「一人で下山できそうにないです」
「それなら、誰か呼んでくる。少し待っていて欲しい……」
「そこまでしなくても、カイトス様がおぶって連れて行ってください」
「おれが? だが……」
「ここにはまた戻ってくればいいだけです。だから、お願いです。村まで連れて行ってください」
両手を合わせて執拗にねだると、カイトスも諦めたのか、大きくため息をついたのだった。
「わかった。だが、君を村まで送ったら、ここに戻ってくる」
「ありがとうございます。では、お願いします」
鎧を纏った大柄な背にしがみつくと、カイトスは立ち上がってゆっくり歩き出す。
村までの下り道を歩きながら、「言い忘れていたが」とカイトスは口を開く。
「おれはもう騎士でもなんでもない。ただの敗走者だ。だから、様付けはやめてくれ」
「じゃあ、なんて呼べば……」
「カイトスでいい。敬う必要もない」
「わかりました。カイトスと呼びますね。わたしのことはみくと呼んでください」
「だから、敬う必要はないと……まったく……」
そんなことを話していると、やがて墓場を抜けて、村へと戻ってきたのだった。
「あれ。みくちゃん……と、その騎士は誰だい?」
萱葺き屋根の家まで戻ってくると、ようやく掃除が終わったのか、竹箒を片付けたおばさんが声を掛けてきたのだった。
「ちょっと、転んで足を挫いてしまって……。そうしたら、そこで知り合った騎士のカイトスが助けてくれたんです」
「騎士のカイトス様って、あの島の英雄の!?
戦場から遁走して、今は行方不明って聞いていたけど、まさか、この島に来ていたなんて……!みんなに言わなきゃ!」
「いえ、奥方。おれはもう騎士じゃなくて、ただの敗走者で……」
けれども、カイトスが言いかけた頃には、既におばさんは「騎士のカイトス様が来てるってよ〜!」と言いながら、村の中心部に向かって走って行ったのだった。
呆気にとられたカイトスに、みくは「あはははは……」と乾いた笑いをするしかなかった。
「すみません。おばさんは決して悪い人ではないんですが、ちょっと人の話を聞かないところがありまして……」
「そ、そうか……」
そうして家の中に入ると、三和土に降ろしてもらったのだった。
「ありがとうございます」
「それじゃあ、おれはこれで……」
「待って下さい!」
カイトスの籠手を掴むと、濡羽色の瞳と目が合った。
「せめて、送っていただいたお礼をさせて下さい。お茶くらい淹れるので……」
「そもそも君が怪我をしたのはおれの責任だから、礼は不要だ。
それに、あまり長居するわけにも……」
「わたし、この家に一人で住んでいるんです。怪我をしているからか、いつもより不安で……。カイトスが側についていただけるなら、平気な気がするんです」
「この家に女性が一人で……」
「一年前に祖母が亡くなってから、ずっと一人なんです……だから、カイトスが一緒にいてくれると心強いです。ね?」
「そこまで言うなら……」
三和土に慣れていないのか、靴を脱ぐのに時間を掛けつつも、カイトスは土間に上がったのだった。
「長居するつもりはなかったんだがな……」
夜半、みくが縁側にから夜空を見上げていると、ようやく村の老爺たちから解放された
紺色の着流し姿のカイトスが頭を掻きながらやって来たのだった。
「でも、楽しそうでした。このまま、ずっと村に住んじゃえばいいのに……」
囲炉裏を囲んだ土間には、おばさんの話を聞いて駆けつけてきた村の長や、酒が回った老爺たちが、宴会の後片付けもそのままに、各々がイビキを掻いて雑魚寝をしていた。
さすがに女性や子供は連れて帰ったが、それでも老爺たちで土間は足の踏み場もなく、溢れ返っていた。
居場所がなくなり、みくは縁側に逃げてきたが、宴会から解放されたカイトスも同じ理由なのだろう。
やれやれと、カイトスは肩を竦めると、みくの隣に座ったのだった。
「そんなわけにはいかない。おれだけ幸せになったら、死んでいった部下や仲間に申し訳ないだろう」
あの後、土間でお茶を飲んでいると、おばさんの話を聞いた村人たちが押し寄せて、誰もが島の英雄であるカイトスを温かく出迎え、噂になっていた山に出る鬼は、カイトスのことだったのかと一安心したのだった。
その後、女たちが食材を、男たちが酒を持ち寄って、そのままみくの家と家の庭は宴会会場となったのだった。
村の女たちが夕飯の支度をしている間に、男たちの勧めで、カイトスは風呂に入って、身体を流した。髪も洗い、髭を剃った。
着流しはみくの家にあった父が着ていた紺色の着流しに着替えてもらい、下着は近所に住む老爺が持ってきた新しいものを着てもらった。
カイトスの着付けは老爺たちに任せ、みくも怪我した肘を手当てして、薄桃色の着物に着替えたのだった。
隣に座って肩を落としたカイトスをよく観察する。
山で会った時も思ったが、改めて身綺麗になったカイトスを見ると、月明かりを体現したかの様に美しい顔立ちをしていた。
帝国人の父親と島の母親の間に産まれたからだろうか。
両者の血が混ざった白皙の顔をしていたのだった。
「山で縊死しようとしたのも、死んでいったという部下や仲間のためですか……?」
「そうだ。騎士でありながら、何も守れなかった。帝国は負け、敗走の最中に、一人、また一人と脱落していった。
ようやく船を見つけて帝国を脱出して、母親の生まれ故郷というこの島に辿り着いたはいいが、最後の部下は虫の息だった。
人目を避けて、あの洞窟に隠れて看病したものの……一昨日、息を引き取った」
「そうでしたか……」
「最後の部下はおれの腹心だった。そいつに言われたんだ。『貴方だけでも生きて欲しい』と……」
カイトスは眉を潜めてしかめっ面になる。
膝の上で両手を強く握りしめたのだった。
「部下を埋葬して、一人になると急に虚しくなった。おれだけ生きてて何になるんだと……。それで近くの民家から縄を拝借して首を吊ろうとしたが、近くに人がいて一人になれなければ、ちょうどいい場所が見つからなくてな。
仕方なく洞窟前で吊ろうとしたら、今度は君に邪魔をされた」
非難するように、濡羽色の目で鋭く睨みつけてくるカイトスに、みくは首を振る。
土間で眠る老爺たちのいびきにかき消されないように、みくはお腹に力を入れて話し出す。
「それは違います。死ねないのは、死んでいったカイトスの部下や仲間たちが、見えない力で邪魔をしているからだと思います」
「部下たちが?」
「死んでいった人たちの中には、貴方を想いながら死んだ人もいたはずです。一昨日亡くなったという腹心の部下さんの様に……。
彼らの分まで生きるのが、これからのカイトスの役目だと思っています」
しばし思案したのか、カイトスは「そうだろうか」と悩むように口を開く。
「彼らへの償いとして、おれはおれの命を捧げようとした。
けれども、おれが生きていることが彼らに対する償いになるのなら、おれは生きなければならない」
「そうしてください。この島は貴方を歓迎します。悪いようにはしません」
「騎士じゃなくなっても?」
「はい。お気づきかもしれませんが、この島にはわたしのような女か、幼い子供たち、それとお年寄りしかいません。
男たちは帝国に徴兵されて、戦争に行って……誰も帰って来ませんでした。わたしの父も……」
「そうだったのか……」
「それもあって、今この島は男手が不足しているんです。
カイトスのような若い男性は大歓迎です。もちろん、わたしも」
カイトスに向かって笑みを浮かべると、濡羽色の目がそっと細められた。
「みく、と言ったな。おれを歓迎しているなら、おれを受け入れてくれるか?」
「受け入れる……ですか?」
「これからは、死んでいった部下や仲間たちへの贖罪のために生きていく。そんな生き方をするおれを受け入れてくれないか。一人の咎人として、一人の男として」
「それは良いですが……」
そうして気づくと、みくはカイトスの腕の中にいた。
どうすればいいかわからず、カイトスに抱き竦められていると、やがて頭上から涙交じりの嗚咽が聞こえてきたのだった。
(ずっと、我慢していたんだ……。部下や仲間に先立たれて、一人残されて……)
そう考えたら、どこか遠い存在だったカイトスが、急に身近な存在に思えてくる。
騎士であり、島の英雄と呼ばれていても、実際はみくたちと何も変わらない人間なんだと。
その背を撫でながら、「大丈夫。貴方を受け入れるから」とみくは何度も繰り返したのだった。
やがて、嗚咽が収まってくると、顔に息がかかる距離まで、顔を近づけてきたカイトスが濡羽色の両目を細めて囁いてきたのだった。
「深いところまで慰めてくれないか?」
「深いところ?」
「もっと奥深くまで慰めてくれ。君の慈愛で」
そうして、カイトスはみくの桜唇に口づけると、貪るように舌を絡めてくる。
息苦しくなると、一度口を離して、また絡め合う。
「罪深きおれには、こんなことをやる資格はないとわかっている。けれども、今はどうして君に慰めてもらいたいんだ。君の甘い優しさに、この身を委ねたくなる」
「委ねてください……わたしを貴方が生きる理由にしてください。貴方が生きてくれるなら、わたしもこの身を委ねます」
荒い息を繰り返して、再び、舌を絡め合うと、頭の中が蕩けてしまうような、これまで感じたことのない感覚に襲われる。
簪を外されて、黒髪がパサリと胸元に落ちてくる。
帯に手を掛けてきたカイトスに、みくは身体をーー全てを捧げたのだった。
やがて、朝日が昇る頃には、島の娘と敗走の騎士は奥深くまで繋がった。
縁側から布団を敷いた和室に場所を移した二人が何をやっていたのか。
それを知っているのは、熱を帯びた互いの身体と、乱れて脱ぎ散らかされた着物だけであろう。
この日から、敗走の騎士は、贖罪の騎士へと変わり、新たな人生が始まったのだった。