#1
森だった。扉は潜ったら消えていた。私はしばらくぼんやりと風景を眺めていた。チチチチと鳥の鳴き声も聞こえるし、強すぎず弱すぎない風が吹いて天気は良い。どこからか水の流れる音も聞こえるので川でもあるのだろう。――あまりにもリアルだった。呆然としている場合ではないと、頭の隅ではわかっているけれど体がついていかないのだ。
「はぁぁ……」
思わずため息をつきながらしゃがみ込んでしまう。
「どう言う事…普通は街のど真ん中とかに出ないのかなぁ…」
そう言っても森に出ているのだから仕方ないのだけれど。森はあまりにも平和だ。ずっとこんな陽気ならばここに住んでも良いのではないかと思考を放棄した頭で考えてしまうくらいには。小鳥の囀り、水の流れる音。もうここから一歩たりとも動きたくないが、動かなければいけない状況なのは誰に言われずとも分かっている。
「どこか、すぐ近くに街とかあればいいんだけど。それに〝彼〟が迎えてくれるとか言われたし…」
体を動かし森の中を進んで行く。ピクニックに来ていれば最高の気分だったであろうこの森も、私からすれば普通に遭難だ。膝の辺りまで成長している草に足を持っていかれつつ、なんとか下山する。普段運動をしていなかった弊害か、すぐに息が荒くなる。少しづつ、少しづつ歩けば人が歩くための道が見えてきた。つまりそこを歩いていけば何処かしらに着くと言う事だ。
道なりに歩けば、日が傾き始めた頃には街――ではなくどちらかと言えば村、に到着した。
日本人が考える(ファンタジーモノでよく見る)海外の平和な村と言う印象だ。屋根もオレンジだったり水色だったりで可愛らしい。村の人たちもブロンドを一つ結びしているおばさんが笑顔で話し込んでる姿だとか、厳ついおじさんが豪快にお酒を飲んでいる姿だとかが村の入り口から伺える。
「そういえば、私ってお金とかもってないけど。夢だからどうにかなるのかな」
この村で宿を取るにしてもお金は必要だろうが、今の私は服を着ているだけで荷物は何一つ持っていない。そもそも着ている服も、扉を潜る前まで着ていた実家で寝るためのシャツ短パンではない。村娘さながらワンピースにエプロンを合わせている可愛らしい女の子が着たら可愛らしい服装だ。
「いや、こんなところでぐずぐずしてる場合じゃないよね。日も暮れてきたし。野宿とか絶対嫌。夢なのにお腹も空いてるし。お金を持っていないから働いて返しますとか言えば泊めてくれないかな…」
そうしている間にも月はどんどん登ってくる。村にも灯りがつき始めて、私は慌てて村に入った。まずは宿探し、そして電話で言われた〝彼〟探しだ。助けてほしいと言われたがなんのことだか今の段階ではさっぱり分からない。
村をキョロキョロしながら歩く、ほとんどが民家のようで家族の楽しそうな話し声が聞こえてくる。あとは食堂か、ここは男性の笑い声が響く。建物自体の数は少ないが、何処に宿があるのか。そもそも宿があるのか分からず私は同じところをぐるぐると歩いてしまう。
「あぁ、どうしよう。こう言う時自分がコミュ障なのを恨むよ…」
「あの、」
「食堂に入って尋ねれば一番なのはわかってるけど、入ったらお客さんの視線が全部自分に集まると思うと怖すぎる…」
「あの、すみません」
「どうしよう、本当に野宿しないと駄目かもしれない」
「あのっ‼︎」
「えっ⁉︎あっ、はい!」
私がブツブツしてる間に話しかけられていたらしい。慌てて振り返るとそこには赤い頭巾を被った、可愛らしい男の子が。
――――私はこの男の子を知っている。いや、私はこの子の生みの親のようなもの。
「(赤ずきんくんだ…‼︎)」
お婆さんからもらった赤い頭巾を常に被り、美しいブロンドにお目目はエメラルドの様にキラキラしている。眉は何処か頼りなさそうに下がって加護欲を掻き立てるし、真っ白の肌を惜しげもなく出した短パンで、この村に変質者がいれば確実に襲われて居たであろう。と心配してしまう。が、この見た目を考えたのは私なのだ。
「あ、あの。先程から何かを探すみたいに動かれていたので、どうかしたのかと…思いまして…」
そしてこのオドオドとした話し方も。
「気付かなくてごめんなさい。今日この村にきたので宿がどこにあるのか分からなくて」
「やっ、宿ですか?この村に宿は、ない、です」
「そうなんですか!?どうしよう、やっぱり野宿…」
自分の考えたキャラクターを前に冷静を装いつつ会話をして行く。確か設定では15歳だった筈だ。身長も私と同じくらいだから160センチ程だろうか。気の弱い赤ずきんと、自分の村を狼に襲われて逃げてきた主人公が恋に落ちて狼を退治する―。そんなシナリオだった筈だ。もう設定やシナリオを考えたのは随分と前の話だからか記憶は曖昧だけれど、案外と覚えているものだ。
では私が今何も持っていないのも、もしかしたら主人公ポジションに私がなっているから――?確か、シナリオでは主人公は赤ずきんの家に居候する事になる筈だ。
「あの、良ければ僕の家に泊まって下さい」
「え!?そんな、悪いです…」
「いっ、いいんです。困ってるにんげ、人を助けるのは当たり前ですから」
「でも、男の人の家に泊まるのは……」
「ひぇっ……⁉︎あ、あの、お母さんも居ますので……‼︎」
「えぇと、では、お母様の許可が下りれば」
「はいっ‼︎あの、多分許してくれると思うので、つ、ついて来て下さい」
「はい」
完全にシナリオ通り進んでる。やはり私は主人公ポジションなのか…?前を歩く赤ずきんの後ろ姿をぼぉと見つめながら考える。赤ずきんの母親はあっさり泊まるのを許してくれるし、なんなら嫁に来いとまで言われる。
「あ、あの。そういえば自己紹介してませんでしたね」
赤ずきんがいつも通りオドオドしながら話しかけてくる。前を歩いていたけれど、いつの間にか隣に来ていた。
「そうでしたね、私の名前は遘句?闌芽脂螂で……え?」
今、私の名前のところだけ歪んだ気がした。わかりやすくいえば文字化けしている文字を読んだみたいな、ホラーゲームとかでよく見るなんて言ってるかわからない不安になるやつだ。
「遘句?闌芽脂螂さん、ですか?」
「え、あ…はい」
合っているのか分からないけれど。赤ずきんの声も私の名前の所だけキーンと不快な音が鳴る。
「遘句?闌芽脂螂さん、よろしくお願いします…!あの、僕はインゲルベアト・ホリーです。お母さんや村の人たちからはこの頭巾を被ってるので赤ずきん、と呼ばれています…‼︎よろしければ遘句?闌芽脂螂さんも僕の事は赤ずきんと呼んで下さい…」
話していて恥ずかしくなって来たのか尻窄みになる。顔も赤いし、本当に可愛らしい。私の名前が文字化けしていなければ。
「はい!赤ずきん…くん。よろしくお願いしますね」
「あっ、はぃ…」
そう言って赤ずきんはまた私から数歩先を歩く。2分も歩かないうちに赤ずきんはある建物を指差した。赤い屋根の他の家に比べると小ぢんまりしたお家だ。
「あれが、僕の家です。お母さんは夕飯の支度をしてると思うのですぐ確認してきますね…!」
「はい、お願いします」
「本当に、すぐ戻ってきますので。待っていてください」
「は、はい。お願いします」
赤ずきんは駆け足で家に入っていく。中からは「お母さんっ!」と赤ずきんにしては大きな声も聞こえてくる。1人の時間が帰ってきた事で私はまたあれこれと考えてしまう。何故自分の名前が文字化け音声になってしまうのか、多分私の本名を言ってしまったから?確か主人公にはデフォルトで名前を付けていた筈だ。そう、確かテレルちゃん。テレル・レナートだ。そっちを言えば文字化け音声にならずに済んだのか。はたまた変わらずあの不快な音になったのか。名乗ってしまった今では確認できないが、今後もあの名前で呼ばれるのは少し苦痛だ。
「遘句?闌芽脂螂さん!どうぞ中に入ってください…!」
「あぁ、ありがとうごさいます。許可して頂けたんですね!」
「はい!後できちんと案内しますけど、客間を自由に使ってください」
よほど嬉しいのか滅多に浮かべない笑顔まで浮かべた赤ずきんは、こっちですと私をどんどん家の中に引き入れる。外装も可愛らしかったが内装も可愛らしい家だ。多分お母さんの趣味なのだろう、案内されたリビングにはレースのカーテンや、お花も飾ってある。赤ずきんの小さい頃の写真や家族の写真なんかもたくさん飾ってあって、家族中は良好な様だ。
「お、お母さん、この人が遘句?闌芽脂螂さんだよ」
キッチンに赤ずきんが呼びかけると綺麗な女の人がこちらにやってくる。
「遘句?闌芽脂螂と言います…。急にごめんなさい、一晩お世話になります」
「あらぁ、良いのよ。森には狼が出ると聞くし、女の子を1人で野宿なんてさせられないわ。えぇと、お名前を聞く限りこの村の子じゃないわよね?どうしてここまで1人でやってきたの?」
「え、っと…実は私が住んでいた村が狼に襲われまして……必死で逃げてきて気付いたらこの村の近くにいたんです」
主人公ポジションが私ならばこの村が襲われた話は事実なのだから語っても大丈夫だろう。お母さんは驚いた顔をして、そしてすぐ同情的な顔をする。
「それは大変だったわね…。ここの近くの村と言えば縺ゅd縺ュ村かしら?そういえばこの前村人がいなくなっていると商人の人が話していたわ」
突然の異音に耳が痛くなる。村の名前も文字化け音声になっている。私の辛そうな顔を村を襲われたから悲しんでいると判断したのか、お母さんと赤ずきんは私の両脇に立って慰めてくれる。お母さんなんかは背中と頭を撫でている。
「ごめんなさいね、辛い話だったわね。あなたが嫌じゃなければ、ずっとここにいて良いのよ」
「そ、そうです」
「そうだわ、今日は特別に食後のデザートもつけましょう‼︎あなたプリンは好き?」
「は、はい」
「じゃあ決まりね。よし、赤ずきん、夕飯は出来ているからご飯をよそうのを手伝ってくれる?」
「う、ん!遘句?闌芽脂螂さんはそこに座ってて」
紳士的に椅子をひいてくれた赤ずきんにお礼を言いつつ座る。あったかい家族だ。一先ずはこの家に滞在することができる様になったのは安心だけれど、あの電話で言われた助けてくれとは一体なんなのか。本当にこれは夢なのか。あまりにも考えることが多すぎるからか、運動したつかれからか、私は夕食を食べることなく座ったまま寝てしまったのだった。