冬の小鳥と呼ばれた君へ 【コミカライズ】
共同企画、テーマは「冬のハッピーエンド」です。
姉のviolet「僕が見つけた君」も、どうぞよろしくお願いいたします。
「サーシス、冬の小鳥令嬢と婚約をするのだって!?」
「えっ!? あの冬の小鳥令嬢と?」
友人たちに広がる静かな波めいた笑いに、サーシスの目元がきつくなる。
公爵家の第2子であるサーシスは、友人たちの侮蔑の気配に敏感だった。
「冬の小鳥? ハルム公爵家のミルルージュ嬢のことか?」
「知らないのか? ミルルージュ嬢は背が低くて太っていて平凡な色味の茶色の髪と目だろ? だから、ふくら雀みたいだと言われていて、でも公爵家の令嬢を雀のようだとは呼べないから、皆、冬の小鳥って陰で」
「かわいそうにな、サーシス。俺たちより2歳も年上の、美女ならばともかく、パッとしない地味な容姿のミルルージュ嬢と婚約だなんて。はははっ、雀と王国一番の美少年のカップル!」
友人たちのひそめる声に含まれる嘲りにサーシスは不快感がこみ上げてきた。公爵家に生まれ傅かれて育ち、絶世の美貌故にチヤホヤされてきたサーシスは、侮られることに我慢ができない質だった。
それは、まだ見ぬ婚約者への沸き上がる怒りへと変わって、サーシスの心の底に蛇のように渦巻いた。
「ふくら雀って可愛いと思うけど」
13歳にして伯爵家の当主である銀髪の少年が、他の友人たちを窘めるように言ったが、舌打ちしたサーシスに睨み付けられる。
銀髪の少年は謝罪するように軽く首を振り、貴族らしく口元だけで笑った。そして声には出さず、可愛いのに凄く可愛いのに、と妖しくそっと目を光らせて細めた。
後日、冬薔薇の庭園にての、ハルム公爵家のひとり娘である15歳のミルルージュとセリエス公爵家の第2子である13歳のサーシスの顔合わせの場で、
「おまえのようなブサイクと婚約をしてやるのだから、俺によく尽くせ。いいか、俺に一度でも逆らえば婚約を破棄してやるからな!」
と端正な顔を歪ませ憎々し気に罵ったサーシスに、ミルルージュは長い睫毛を束の間伏せてから覚悟を決めて微笑んだ。
「はい。仰せのままに、サーシス様」
サーシスとミルルージュの婚約に破棄は許されないーー王の命令であるのだからだ。
王国では、国王派と貴族派と小数の中立派がそれぞれに対立関係にあった。
しかし戦争好きの隣国に食指を伸ばされ、国内で争っている場合ではなくなり、国王派筆頭のハルム公爵家と貴族派筆頭のセリエス公爵家との和睦の象徴とも言える婚約が、王命により結ばれることとなった。
すなわちサーシスとミルルージュの婚約である。
この婚約の重要性を理解しているミルルージュは、各派閥の貴族たちと同じく腹の奥で沸々と煮えるものがあろうがなかろうが、サーシスと仲睦まじくする必要があった。
国王派と貴族派とが手を取り合って協力関係にある、と国内外に示すために。
隣国に狙われている状態であったが、小競り合いひとつ起こっていない表面的には平和な王国だったので、公爵家の子息として純粋培養された筋金入りの世間知らずのサーシスは、危機感などまったく持っていなかった。
当然、婚約の必要性も教えられていたが、サーシスとしては公爵家と家柄は良いとしても、いずれ見目麗しい婚約者を友人たちに見せびらかして優越に浸る予定が台無しになり、不満たっぷりであった。政略的な婚姻を結ぶためにサーシスとて教育されてきたはずなのだが、サーシスはまだまだ子ども気分の少年だったのだ。
サーシスのふてぶてしい愚かな態度をセリエス公爵は強く注意したが、サーシスは聞く耳を持たずますます居丈高になり、何とか歩みよろうとするミルルージュを虐げ冷遇した。
「あのブサイク俺に一目惚れをして、献身的に尽くしてくるんだぜ」
サーシスと友人たちはミルルージュを嘲笑の的としたが、大部分の貴族はミルルージュに同情的であった。
サーシスは傲慢なほどに美しい容姿をしていた、どのような令嬢であろうと自分を一目見れば恋に落ちると驕るほどに。
ミルルージュとて可愛いらしい容姿をしていたのだが。ただ王国では、金髪碧眼の細身で背の高いスタイルの良い女性が男性から人気があったのに対し、ミルルージュは小柄でぽっちゃり気味の派手さのない茶色の髪と瞳であった。
「かわいいかわいい私たちの娘」
父母から愛情を込めた言葉を受けても、
「ブサイク!」
とサーシスからの容赦のない言葉にミルルージュの胸は抉られた。まるで百の剣で切られたように。
「ブサイク!」
とサーシスはミルルージュの名前を一度も呼ぶことはなかった。まるで千の槍で貫かれたように、ミルルージュのやわらかい心の部分は血を流した。
それでもミルルージュは婚約者として懸命に努めた。
夜会でエスコートもされず壁の花となっても。
招待されたお茶会で放置されても。
指定された待ち合わせ場所ではすっぽかされ、ずっと立って待つミルルージュの姿に、事情を知っている貴族たちは同情の念を禁じ得なかった。あまりに憐れな姿だった為か、見知らぬ誰かからショールを差し出されたこともあった。
そして、それは水面下でセリエス公爵家の求心力へ、じわりじわりと深刻な影響を与えていくことになった。
セリエス公爵は、すでに長男が結婚しているので、不出来な次男サーシスにかわって貴族派の優秀な侯爵家子息へ婚約の変更を願いでたが、国王は、派閥の長同士の結び付き故に価値がある、と許可をしなかった。
仕方なくセリエス公爵はサーシスを矯正しようとしたが、今までぬるま湯の贅沢三昧な生活だったサーシスは叱られることさえ初めてだった。しかし父公爵には反抗できず、その怒気を無力なミルルージュにぶつけ、二人の関係は悪化の一途をたどっていった。
「すまない、ミルルージュ」
頭を下げる父公爵にミルルージュは首を振り、やさしく父の手を取った。
「大丈夫です、お父様。私のすべきことはサーシス様に誠実に尽くすこと。公爵家の娘として、なすべきことを私は承知しております」
ミルルージュが誠実であればあるだけ、サーシスの横暴が目立つ。尽くせば尽くすだけ、サーシスは自覚をしていないが追い詰められていくのだ。
それは王命を蔑ろにする態度と貴族の目には映り、国難を考えない浅慮として、砂山を少しずつ崩すように貴族派の形骸化につながっていく。
「それより隣国の様子はいかがですか?」
「まだ他国と戦争中だから我が国まで手を広げていないが、時間の問題だ。何しろ隣国は大国だからな。秘密裏に周辺国同士で同盟を進めている。王太子と同盟国の姫との婚姻が秒読みだ。これが成立すればミルルージュの苦労も終わらせることができる。あと少し、すまない、ミルルージュ」
父と娘の二人っきりの執務室で、声を潜めて大きな体を丸めて謝る父公爵にミルルージュはクスリと笑った。
「今度は王宮門での待ち合わせの約束を、サーシス様に踏みにじっていただきますわ。最近サーシス様は美しい男爵令嬢に夢中で、彼女の前で私を嘲笑うことに快感を覚えているようですから」
きっと私を悪し様に罵るサーシス様を、多くの貴族や騎士や使用人たちが見てくれますでしょう、とミルルージュは大きな瞳に笑いを刻んで父公爵を見つめて言った。
「ミルルージュ」
執務室から退出すると母が扉の前で待っていた。社交界にも出られないほど病弱な母は、父公爵から溺愛されて大事に大事に囲われていた。
「ミルルージュ、貴女が心配なの」
強がっていてもミルルージュが傷付いていることは、母にはお見通しのようだ。
ミルルージュにとって、父に心から愛されている母は憧れの人でもあった。
すでにサーシスとミルルージュが婚約して3年。
3年間に、ずるずる地滑りするように国内も国外も情勢が音もなく流動していた。
王太子と同盟国の姫との婚約が発表され、第一王女と第二王女がそれぞれ別の同盟国へと婚姻政策のために嫁いでいった。隣国は大国だが、周辺国すべてと戦争をできるほどの国力はない。一方で王国内では、隣国に色目を使い通じた貴族たちが炙り出され、売国奴として処分されて王の権威はより高まった。
けれどもサーシスだけは変わらなかった。愚かなままだった。
王家はセリエス公爵の足を引っ張らせるために、サーシスの友人を用意し周囲を整えミルルージュと婚約させた。サーシスは愚かだからこそ価値があった。全ては貴族派の失墜と王権の強化のために。
隣国の存在は脅威であったが、王家はそれを見事にチャンスとしたのだ。
ミルルージュは、全部をのみ込んだ上でサーシスと婚約した。
だから、どれほどサーシスから傷つけられても健気でいじらしい婚約者の姿を崩さなかった。
そして今夜。周辺国との同盟成立を祝う夜会で。
「ミルルージュ・ハルム。おまえのようなみすぼらしい女との婚約を破棄する」
と、セリエス公爵家に王命に叛くという致命傷を与えるような宣言を、サーシスはミルルージュに向かって高らかに叫んだ。片手はお気に入りの男爵令嬢の腰にまわされている。色に溺れ立場を忘れ、サーシスは自分自身で身の破滅を呼んだのだ。
サーシスは、不穏な空気のざわめきに気付きもしない。
厳かに手を広げサーシスは胸を張った。
「美しい俺に雀のようなおまえは相応しくない」
その場にいた、サーシスの父であるセリエス公爵の顔からさぁと血の気がひく。
ミルルージュの父ハルム公爵は、満足げな笑みを薄い唇に浮かべた。
壇上の王太子は若いだけに我慢がならず、ふふ、と肩を揺らし、国王は冷ややかに目を細めた。
「はい、サーシス様」
婚約時の約束通り、最後までミルルージュは従順に従う。後は父や王家が、王命に逆らったとしてセリエス公爵家を骨までしゃぶるだろう。
警備についていた騎士たちは、国王が片手を振ると素早く蒼白なセリエス公爵を拘束する。怒鳴り声を上げようとしたサーシスには猿轡を噛まし、男爵令嬢とともに乱暴な手つきで連行し、あっという間に人々の視界から消え去った。
サーシスはいわば海面の上の氷山、目に見える部分だった。水面下ではどろどろの覇権争いが、ずっと繰り広げられていた。
闇夜の底で蠢くような権力闘争に、川の水面を流れる花びらのように翻弄されたが、それも今日で終わりだ。サーシスは権力のために利用されたが、ミルルージュとて利用される駒のひとつだった。
運良く勝者の側にいるだけ。
ミルルージュはほっと息をはいた。覚悟の上とはいえ、サーシスに虐げられる婚約はとても辛かったのだ。
一人娘ゆえに政略結婚は必要だが、次の婚約までに少しばかり自由時間をもらえるだろうか、と内心期待をしていたミルルージュのもとに、サーシスの友人という名の取り巻きから一人離れ、銀髪の少年が近付いてきた。
ちらり、と視線を流し楽しげな国王の表情を見たミルルージュは、銀髪の少年が王家の命令をうけたサーシスの誘導係であり、ご褒美がハルム公爵家だと瞬時に理解した。
ほんのちょっとだけ、ささやかな夢を思い描いていたミルルージュの瞳に、獲物を前にご満悦の肉食獣みたいな、けれども舌なめずりしていても極上に美しい少年が映る。少年の美しさは、自分の美貌を自慢してミルルージュを罵倒し続けたサーシスを連想させ、再び容姿を貶されるのかも、とミルルージュの気持ちを暗くさせた。
花の盛りを過ぎた向日葵のように思わず落胆に首を垂れそうになったミルルージュに、
「かっわいぃぃぃ!」
と少年がぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう抱きついてきた。
ひっと硬直したミルルージュの首筋に形よい鼻を埋め、すりりと鼻先を擦り付けながらうっとり目を細め、深呼吸をする少年。
「これっ、キリアン!」
いさめる国王の声に、ハッ!とキリアン少年がミルルージュを離す。
「すみません、無意識に触れてしまいました。ずっとずっとずっと好きだったのです。貴女がかわいくてかわいくてかわいくてかわいくてかわいくてかわいくてかわいくて」
「キリアンっ!!」
「すみません、無意識に本音が……」
無意識って怖いですね、と言いながらキリアンは一瞬もミルルージュから餓えた獣のように目を離さない。
周囲は固唾を飲んで事態の成り行きを見守っている。隅の方で「こっわ……」という声が小さく響く。
「好きです。叔父の国王陛下から結婚の許可をいただいているので、結婚式は明日にでも」
「キリアンっっ!!!」
国王の声音は落雷のようであったが、キリアンは子猫のように怯えるミルルージュに微塵の我慢も自制もせずジリジリ迫る。
ふっと息を呑んでミルルージュが、
「私が好き? 公爵家が目的ではないのですか?」
と言うとキリアンはきょとんと首を傾げる。さらさらと流れる、月を紡いで糸にしたような銀色の髪が美しい。
「僕は伯爵の地位にありますし、ハルム公爵に貧乏人には娘をやらん! と言われて、この3年間お金を稼ぎまくって、今は王家よりも金持ちですけど?」
「本当に私が?」
「大好きです! 好きで好きでどうにかなりそうです。3年間もバカのコントロールをして、ずっと貴女に会うことを我慢していたのです。貴女の可愛い茶色の瞳も綺麗な茶色の髪も、ふっくらとしたふくら雀みたいなぽっちゃりしたところも、頭の天辺から足のつま先まで全部かわいくて大好きですっ!!」
どうか貴女のキリアンと呼んで下さい、と告白の勢いでミルルージュの赤ちゃんのようなぷくぷくのまるぽっちゃりの手を取り、さわさわなでなでと撫でまわす。凄い美形なのに、すぅはぁすぅはぁと鼻息が荒い。ミルルージュの匂いを吸い込んでいるのだ。
3年間サーシスから貶されていたミルルージュにとって、全開の誉め言葉は心臓に直撃した。
それに賢いミルルージュは、この手のタイプは逃げれば犬のようにどこまでも追いかけてくるが、受け入れれば、どこまでも愛してくれることを知っていた。
同類のキリアンに眉をしかめている、外面だけは完璧なドS腹黒ヤンデレの3拍子の父ハルム公爵がそうだからだ。
サーシスの時は、尽くす覚悟を決めた。
キリアンには、愛される覚悟をミルルージュは決めた。大丈夫。ミルルージュは重い愛にも潰れない自信があった。母という立派な見本があるからだ。
本当は、貴族の娘としては贅沢な願いだが、自分を愛してくれる相手と結婚したかった。
そして、夫となる人を愛して幸せになりたい、とミルルージュは思っていた。
そうして、凍てつく冬を越えて、冬の小鳥は幸せを掴んだのだったーー重くて深くて粘っこい愛ではあったが。
(ちょこっと)
その手紙は重要書類の一番底にあった。
相続関係の書類には、遺産は全てミルルージュに。
そしてーー
『この手紙を読んでいるということは、僕はもう死んでいるんだね?
可愛い僕の冬の小鳥、可愛い可愛い茶色のふくら雀、僕のミルルージュ。
穏やかで慎み深くて優しい君の側は、ものすごく心地好くて。僕は世界で一番幸福な人間だった。狂おしいほど可愛いミルルージュと結婚できるなんて。
あのサーシスと婚約中、何度サーシスをぶち殺したくなったことか!
だがサーシスは愚かだからこそ価値があったーー僕は毎晩悔しくて泣いていたんだよ。
君の茶色の瞳も髪も美しいのに!
君の小さな体は可愛いのに!
君のぽっちゃりなお肉は柔らかくて最高なのに!
君の
「わあぁぁぁああっ!!」
来客で席を外していたキリアンは戻ってくるなり、ミルルージュの手から手紙を奪いとった。
「ごめんなさい、私宛だったから読んでもいいのか、と」
「こっちこそ、ごめん! 乱暴に手紙を奪って。でも書きかけなんだ」
「え? 十枚くらいあるけど……」
「たった十枚くらいでは僕の気持ちをあらわせないよ! 千枚は必要だ!」
両手を握りしめ力説する婚約者は彫像のように美しいが、千枚の遺書もしくはラブレターを読むことになるのはミルルージュである。
今日は結婚式の打ち合わせのためにキリアンの屋敷を訪問していたミルルージュであったが。夫婦になるのだから権利関係も目を通して、と言われていたのだが。
重要書類の横には、漆塗りや螺鈿細工など優美な装飾を施された文箱が山のように積まれていた。
「ミルルージュへのラブレターはこっちだよ」
当然キリアンが指さしたのは、その山。
後日、大河小説より長いラブレターの返事は、短いものだったがキリアンを大いに喜ばせた。
『大好きなキリアンへ
次から手紙ではなく言葉で愛している、と言って?
冷たい紙より愛しい貴方の口から聞ける方が百倍嬉しいもの。
貴方のミルルージュより』
「ミルルージュ、手紙には愛する人、愛しい貴方、大好きなキリアンなどの言葉を必ず入れなさい。貴方のミルルージュも忘れてはいけませんよ」
「はい、お母様」
このミルルージュのうそっこ病弱お母様は、みそっかすティティリーゼの星屑拾いのティティリーゼです。
読んでいただき、ありがとうございました。