1.エレメンタリー・オメガ
ロゼッタの初配信イベントから一ヵ月後のこと。
その一ヵ月の間にビルの施工が予定通り完了し、彼女の会社は一中小企業として活動が始められた。
しかし、会社経営は管理態勢とチーム力が求められるため、いくらロゼッタであろうとも一筋縄ではいかない。
やはり最初は想定外の躓きが起きてしまうもので、様々な面でシステム改善に尽力しなければならないことばかりだ。
特に苦心すべき点は、ロゼッタのように初めから意欲力が高い精鋭スタッフと、自身のモチベーション重視で業務を進めるだけのスタッフとでは気持ちの摩擦があるということ。
これは目に見えない問題であり、繊細な問題ほどロゼッタにとっては解決し難いものだ。
それでも彼女自身の手腕と教育により、仕事自体は滞りなく進められていた。
何より社員共に大きな問題は発生せずとも、常に社内の不満を解消できるよう明瞭とした見直しを図っている。
そしてロゼッタの活動については、あの大規模イベントから週に二回のみ配信する方針を取っており、社内に設けた配信スペースを活用していた。
また、前までロゼッタは売り込みや宣伝活動等で忙しかったせいで動画投稿頻度を落としていたものの、社員のおかげで最初期の投稿ペースへ戻している。
更に、地上波のテレビ番組では準レギュラーとして出演するのみならず、某プロデューサーからの依頼で週一ラジオ番組が組まれるほど。
それから新たな作業場が整った事でロゼッタの活動を追えるアプリ製作、自社グッズを買えるウェプページの設営。
プロを雇った漫画作成と作曲、ショートアニメ作成にミニイベントの企画。
他にも多種多様なコンテンツを提供できるよう模索と実行を繰り返す日々となっていて、おそらく大企業と呼ばれるだけの社員数となる日は近いだろう。
しかし現状、まだ一つの企画に必要とされる人員は不足気味であって、展開予定のコンテンツ内容が洗練されているとは言い難い状態だ。
まだまだ詰め所が甘い上に実現できない企画も多いが、いずれ順調な展開を見せていくのは間違いないと誰しもが思っている。
特にロゼッタが自分から積極的に学んでいく姿勢は相変わらずであり、今は他企業と関わろうとすることで新たな客層を取り入れようとしていた。
「この企画は見直さないと途中で頓挫するわね。そもそも客観的に見たとき、満足感が今一つ物足りない。コンセプトは分かりやすくて素晴らしいし、余計な捻りを排除しているからチーム作業に適しているわ。……だけれども、やりたい事ばかりに目を向け過ぎて、ちょっと自己満に寄っているわね」
ロゼッタは百台を超えるパソコンを遠隔操作によって使用し、作業と連絡を同時に進めていた。
おかげでヒーロー活動していた時より、業務を手早く片付けられるようになっている。
今も撮影ロケへ向かう僅かな合間に、まったく別種の仕事をいくつも進めているほどだ。
だから、あとに重要なのは社内の連携と情報伝達くらいだ。
「心惹かれる良いデザインね。それじゃあ私が広告用に編集するから、それで貴女にとって満足する出来栄えだったら社員全員に見て貰いましょう。それから支援者様達に先行公開して、貴女の名が高く売れるよう私の方でも尽くすわ」
いつロゼッタ社長に連絡を取っても迅速な返事があるのは、社員からすれば助かる話だ。
なるべく自分のペースで仕事を進められるのはモチベーション維持に繋がりやすく、時間浪費による精神的な負担も軽く済む。
そしてロゼッタ本人は社長として、また第一線の現場で働く者として次々と相談に応えつつ判断を下していく。
「応募コンテスト?参加型企画として欠かせない案ね。でも、子ども部門と大人部門の二つに分けるのはどうかしら。それなら年齢詐称の対策が必要?では、ジャンル毎に部門分けしましょう。それで応募しやすいように基準は緩くして……」
当然、活動の幅を広げれば広げるほど、また数を増やせば増やすほど彼女は多忙となる。
それにロゼッタは娯楽に対する見聞を深めるための勉強が必要不可欠であり、撮影とは別に名所やイベントを巡って調査しなければならなかった。
自らを売り込むための商談も欠かせないし、これからの運営を見据えて人材確保のスカウトもする。
それのみならず交友関係を築くための交流活動、そして知人からの仕事紹介という機会も逃さないよう努めなければならない。
これらのことで必然的に発生してしまう問題はいくつかあるが、どれもロゼッタからすれば些細なことだ。
突発的な問題が起きても容易に処理できるし、常に万全な状態で平行作業ができるから相応の結果を出せている。
そんな完全無欠な彼女だが、唯一気掛かりな心配事があった。
それは煌太への奉仕だ。
「これから私が直接出向けば、例の芸術家に取材することができそうね。手土産は何が良いかしら……。ふぅ……、今日も家に帰れないわね。最早いつものことで、仮に帰った所で気を遣わせてしまうだけよね………」
一通りの撮影を終えた頃、ロゼッタは一人悲しげに呟いた。
心身ともに疲れは一切無い。
むしろ活力に満ち溢れているくらいだ。
ただマスターである煌太のこと、それと愛犬ポリスのことが心配だ。
ちょっとでも何らかの負担を強いてしまっていると思うと、無性に心苦しい。
今は、あの優羽が煌太と半同棲してくれている。
だけど彼女は学業で忙しい身。
ブルプラは相変わらず家事は苦手なままであるし、そもそも週四で会社に出勤してくれている。
そして月音はロボット研究会の支部で寝泊まりしていて、会社の仕事と研究の両方をこなしている。
そうとなれば、他に煌太のことを気にかけてくれる人物はいない。
もちろん、彼自身にも生活能力はあるから一から十まで世話する必要なんて無いのかもしれないが、やはり気になって仕方ないものだ。
なにせロゼッタが忙殺されるほど、少し前までの生活を全て捨てたと同然なのだから。
「何にしても、護衛の使命を長期間放棄しているのは頂けないわよね。いっそ、刺客を送って来る組織を潰す……とまでは行かなくとも、煌太様を標的から外せれば心配事が一つ減るのだけれど。それは都合が良すぎるかしら」
これから更に仕事量が増えることを想定したら、伐根的な問題を排除することに越したことは無い。
そう考えながらロゼッタは街中を歩いていた。
そんなとき、道すがらに通りかかった人物から呼びかけられる。
「初めまして、ロゼッタ」
不意のことだった。
あまりにも唐突な挨拶であって、普通の人なら通り過ぎてしまいそうなタイミングだ。
それに相手は声をかけてくる直前まで、こちらを意識した気配を僅かほども出していなかった。
だからこそ強烈な違和感を覚えて、ロゼッタは身構えるように足を止める。
見れば相手の背丈はロゼッタより少し高く、簡単に言えば大人の雰囲気が前面に出ている美人だった。
長い赤髪で、キリッとした黄金の眼。
そして瞳には十字のマークが見受けられて、服装は先進的なバトルドレスだった。
その外見、無機質な気配、一糸乱れない姿勢。
あらゆる面で隙が皆無であり、すぐにロゼッタは相手が戦闘型アンドロイドだと理解した。
「こうして私に挨拶するアンドロイドが居るなんて驚きね。あのブルプラちゃんですら、初めて会った時はこんな対応はしなかった。……それで貴女は何者なのかしら。それとも、どこから送られて来たのか、そう質問した方が答えやすい?」
相手の思考パターンを探るため、あえてロゼッタは人間と会話するような質問を試みた。
すると予想通りではあるものの、相手は脈絡が無いチグハグな返答をしてくる。
「2100年製造。殲滅兵器3rdシリーズ、戦闘アンドロイドVer2.3。ロゼッタ・ディオデシリオン」
「私のことね。初対面の人、それも出会い頭に説明されるとは思っていなかったわ。それよりも私は、まず貴女の素性を訊いたつもりだったのだけれども。返答拒否かしら?」
「……あたしは、対アンドロイド兵器。そしてロゼッタを処分する使命を受け、この場で接触を図った」
発言の真偽はともかく、相手は目的を教えてくれた。
ロゼッタを狙ってきたという話自体は兵器らしい目的であり、敵対関係だと分かりやすいものだ。
しかし意図が読みきれない。
処分するという割にはわざわざ話しかけて来る意味は無く、不意打ちですら無い。
そして対アンドロイドなのに戦略性が薄く見えるから、ロゼッタからすればツッコミ所が多かった。
「私を処分する使命ね。回収の間違いじゃないのかしら」
「ロゼッタが製造された時代より十年先。つまり2110年にあたしは造られた。そして未来と過去に影響を及ぼすロゼッタを始末しなければならないと、世界政府は決定を下したのさ」
「あら、私一人のために時代を越えるなんて大層な話ね。ロマンチックですらあるわ。それに時空間を移動するための設備を用意するのだって、そう簡単じゃないはずよ」
意外にもロゼッタは落ち着いていて、あっさりとした態度で応える。
本当に言葉通りなら相手も未来のアンドロイド。
それも更に先の未来というのは、予想外の事態だ。
ただロゼッタ自身が未来から来ている以上、他にアンドロイドが送られても不思議では無い。
しかし、ロゼッタは未来の情勢を知っているからこそ矛盾点に気づけて、すぐさま指摘した。
「でも、その頃にはアンドロイド製造は世界的に固く禁止されているわ。少なくとも私が製造される七十年前に定められ、厳しく守られてきた。私の製造も重罪だったことは認知している。それなのに、どこぞの政府は貴女の製造を許したの?ずいぶんと都合が良い話ね」
「時空間を万全に越えられる素材は、ブラック・ディオデシリオンのみ。だからロゼッタを始末するには、既に確立されているアンドロイド製造が欠かせなかった。それでも極秘作戦扱いとなっていたのは事実」
「その気になれば製造するなんて、案外柔軟な決定事項だったわけね。それにしても、その素材名を知っている辺り、本当に私と同じように未来から来たということ。素直に驚きだわ」
こうしてロゼッタは話している間に、安全な逃走経路を算出していた。
今は街中であるのみならず、未来の戦闘アンドロイド同士の戦闘となれば島が一つ吹き飛ぶレベルだ。
だから被害を出さないことを最優先に警戒しなければならなかった。
ただ相手はロゼッタの考えを見抜いており、見透かした発言をしてきた。
「安心して。あたしも未来から送られた存在で、目的は歴史を乱すロゼッタの排除。だから、あたし自身も歴史に影響を与えないよう、つまり目撃されないよう立ち回らなければならない。そう判断している」
「少しは融通が利くみたいね。どうせなら貴女の判断で私を見逃して欲しいわ」
「それは無理な相談。このまま見逃すなんて、世界政府の決定から背いているのと同じ。許されることじゃあない」
「残念。ところで任務を終えたら、その後はどうするつもりなのかしら?私と同じく未来から来た以上、もう貴女は戻れないわよ。当たり前だけれど、この時代に時空間を移動する技術や設備は無いもの」
「だから何?あたしは戦闘アンドロイド。娯楽目的で無ければ、防衛目的でも無い。言わば、ただの特攻隊員……!殲滅兵器4thシリーズ、Ver1.6。対ロゼッタのアンドロイド、エレメンタリー・オメガ!これよりロゼッタ破壊の任務を実行する!」
赤髪の戦闘アンドロイドことオメガは名乗り切った直後、武器を手に取って振り抜く。
それは漆黒の刃を持つ長刀であり、ロゼッタ撃破を目的に造られた最強の装備だ。
しかも、これまで基礎スペックで敵を圧倒してきたロゼッタですらオメガの初動に追いつけず、防御が全く間に合わなかった。
「くっ……!?」
ロゼッタが呻くより早く、敵の刃が深々と胸元を貫いていた。
同時にオメガは刺したまま跳躍することで、彼女と共に長距離を一瞬で移動する。
二人が移動した先は日本から遥かに大きく離れた、小さな無人島。
野鳥くらしか生息していない寂しい場所であり、後にあるのは放置された実験器具くらいだ。
そこへ激しく着地したとき、何とかロゼッタは相手を蹴り飛ばしていた。
先程まで刃が貫通していた彼女の胸元からは、黒い液体が緩やかに垂れ流れている。
製造されてから初めての損傷だ。
「この凄まじい出力、私を撃退することを想定しているだけあるわ………。たった一度の跳躍で、どれくらい移動する気よ。それに私のボディ耐久は強固で、例え核ミサイルが直撃しても無傷なのに凄いわ」
そう言いながらロゼッタは体勢を立て直しつつ、傷元に手を当てる。
いくらアンドロイドとは言え、相手との戦力差を考えたら早くも致命傷を負ったに等しい。
そんな彼女の姿を眺めながら、オメガは長刀を構え直す。
「この新兵器はブラック・ディオデシリオンで開発されたもの。よって圧倒的な破壊力と鋭利性を実現していて、地球を自由に等分することも可能」
「そんな危険物を気軽に振り回さないで欲しいわ。もし手元が狂ったとき、うっかりで済まされないわよ。というより、その開発を許す政府も頭がおかしいわね」
「ふっ、これが危険物?中々ユニークな冗談。あんたに搭載されている機能も大概なはず」
「……それもそうね。私の機能も同じくらい脅威だわ。そして、私より未来のアンドロイドなら機能を制限する義務は発生しない。全機能制限を解除させて貰うわよ」
「どうぞご勝手に。あたしは対ロゼッタ兵器。だから、どの機能も対策済みで通用しない。そして欠点も熟知している」
「欠点?そんなものは無いわ。そういう仕様なだけよ」
ロゼッタは口元を薄く緩めながら技術者ジョークを飛ばしつつ、戦闘態勢に入る。
この強襲は自分の行動が招いたもので、自分の自由意思を優先したツケだとして対処しなければならない。
そして無事に火の粉を払った後は、久々に煌太から頭を撫でて貰いたいものだとロゼッタは思っていた。
こんな最悪で不測の事態に見舞われているというのに、とても落ち着いて妙な気分だった。