35.『ロゼプラ』初配信イベント(1)
ロゼッタが帰国して二週間後のこと。
それはイベント当日であり、ついに『ロゼプラ』チャンネルの初配信が始められる特別な日だった。
これは各方面からの協力と助力により、実現される大規模な配信イベント。
特に野外ステージを設営するに当たって、現地の役所とテレビ局の協力を得られたのは大きかった。
また各スポンサーの提供のおかげで屋台の出店が成されており、より豪華な催しとなっている。
しかも晴れやかな天気にまで恵まれた今、動員数が想定を大幅に超えるのは明らかだった。
「どう見ても、販売したチケット数より五倍以上の観客が押し寄せているわ。それに、まだ開催して無いのに熱気も凄まじいわね。これがイベント特有の雰囲気というものなのかしら」
そう呟くのはロゼッタで、彼女は会場全体を眺めるためにステージの高所へ座っていた。
普通の人間なら風に煽られた途端、下へ落下してしまいそうな場所だ。
しかし、アンドロイドである彼女からしたら人目が付かない安全地帯。
そんな普段と大差ない振る舞いをする彼女だったが、今日は珍しく髪型を整えており、今はカジュアルなお団子ヘアーだ。
まだ服装はラフなままではあるものの、きっと今日のイベントでは華やかな衣装を披露する事だろう。
「さてと、ほんの少しだけ見回ろうかしら。まだ時間がある内に視察しておきたいわ。やっぱり統計データのみならず、現場のリサーチも大事よね」
それからロゼッタは思いつきで会場内へ降り立ち、観客の待機所を適当に散策しようとする。
とは言え、どこも人混みで溢れ返ってしまっているせいで移動が困難な状態だ。
ある程度は人が集まり過ぎても問題ないよう備えていたつもりだったが、それでも想定を遥かに上回る人数が集まっていることに少なからず驚いた。
「スタッフが余裕を持てるようチケット販売は四千人分にまで留めたはずなのに、このままだと動員数が五万人を超えてしまいそうね。………正直、早くも感慨深い気持ちでいっぱいだわ」
統計データで人数を観測する事と、こうして大勢が集まる様子を目の当たりするのでは、やはり感じられる印象が大きく異なる。
全員がイベント目的に来てくれた人達であることを思えば、今まで以上の手応えが感じられた。
まして特別ゲストを招いているわけでも無いため、よく遠路はるばる来てくれたものだと感謝の気持ちしかない。
そして同時に、全員の期待に応えなければいけない重圧がある。
ただ今更、本番の重圧に気後れするような彼女では無い。
むしろ観客と同様に期待感を高めているくらいであり、この日を迎える前々から楽しみしか覚えてないほどだ。
今日は間違い無く大成功へ繋がる。
そんな確信を胸に抱き、ロゼッタは会場内を歩き進もうとした。
すると数歩も歩かない内に、早速イベントに来てくれたお客達に声を掛けられるのだった。
「あれ…?えぇっ!?もしかしてロゼッタさんじゃないですか!?ご本人ですよね!?どうして!なんでここに!?ヤバ!近い!きゃあああぁぁぁあ!」
最初に声をかけてきたのは若い女性だったが、まるで連鎖反応を起こしたかのように至る所から歓声が湧き始める。
ロゼッタ自身はサプライズやファンサービスのつもりでは無かったのだが、相手からすれば関係無い話だ。
ひたすらに距離を詰められ、かなり興奮気味に押しかけてくる。
それでもロゼッタは心優しい姿勢を崩さず、親しい友人と接するような態度で応えるのだった。
「こんにちは、是非とも今日は楽しんでちょうだい。……それにしても、ずいぶんと大げさな反応ね。私は世界的なアイドルで無ければ、大物芸能人でも無いわよ?」
「でも、今日は世界各国でテレビ中継されるんですよね!?つまり日本どころか世界の主役でしょ!あぁ……!とりあえず握手とかサインとか!あと、他にも言いたい事が沢山あって!とにかく応援してます!好きです!なんなら私と結婚して下さい!」
「ふふっ、ありがとう。そんなに私のことを想ってくれているなんて光栄だわ」
相手はパニック状態に陥りながらも、懸命に言葉を伝えようと必死になっていた。
ただ、それは周りの人達も同じ想いであって、僅か一秒経過する毎に大きな騒ぎへ発展しそうだった。
「あらあら、ちょっと迂闊だったみたいね。このままだとスタッフに余計な迷惑をかけてしまうわ」
ここまで自分の登場が大衆の自制心を奪うとは思っていなかったらしく、危うい気配を察したロゼッタは混乱が拡大する前に姿を消す。
瞬間的かつ煙みたく音も無く去ってしまうため、つい先ほど話しかけてきた女性ですら、さっきの出来事は幻だったかもしれないと自分の正気を疑いたくなるほど。
それくらいあっという間の移動であり、ロゼッタは隠密行動を維持したまま舞台裏の建物へ逃げ込んだ。
「こういう騒ぎもイベントの醍醐味よね。祭りみたいなワクワク感があるわ。とは言え、勝手な事をしていたら煌太様に怒られるかしら。自覚が足りないって。ふふっ」
ロゼッタは遊び盛りの子どもみたく表情を輝かせつつ、建物内へ足を踏み入れる。
その建物は管理事務所として機能しており、こうしてイベントの際はスタッフ達が活用する空間の一つとなっている。
だから今日の建物内はもっとも慌ただしく、緊張感あふれる空気に包まれていた。
外の運営テントへ機材搬入する者、工程確認と指示を出す者、目が回る忙しさの合間に雑多の対応に追われる者。
そんな各々の仕事で大勢が入り乱れる中、ロゼッタは通路に座り込んでいる少女を一人見かける。
「あら?チサト先輩じゃない」
その少女は非常に小柄なため、すぐに引きこもり配信者のチサトだと気づけた。
そしてロゼッタは彼女に近づき、俯いたまま動かないチサトに対して普段通り声をかける。
「チサト先輩、こんな所に座り込んでどうしたのかしら?貧血?」
「……んー……?あぁ…、ロゼッタさんかぁ」
彼女は悲しい顔でロゼッタを見上げると共に、弱々しい声色で喋る。
明らかに不調のようだが、そこまで深刻そうな顔色はしていない。
「もし立てないほど具合が悪いのなら、私が医務室まで背負うわよ」
「いやぁ、うん。あの……、別にね。具合は大丈夫なんだ。大丈夫だけど、ちょっと人混み酔いして、それから迷子になっただけ」
「迷子?そういえば私の招待で来ているのだから、賓客専用のテントへ案内されていたはずよね」
「あのね……。私、なんか引き籠りの感覚が抜けなくて。外に対する苦手意識というか、免疫が弱いままなんだよね。しかもテントには私が知らない偉い人や外国人も居るしさ。そしてなぜか私に話しかけてきて、びっくりしちゃった」
「私の恩人だと知れば、そのまま見て見ぬふりはしないでしょうね」
「とにかく年代どうこうより、全く波長が合わない人と話すなんて無理だったわけ。元から私はマイペースに語る側だし。それで建物の中が落ち着くなーってなって。それからトイレを借りに外へ出たんだけど、私の狭い視界じゃあ元の場所が分からなくて。あまり戻りたく無かったし、目先の困難から逃げたい性根だもん。それで今に至るわけ」
正直やや散らかった説明であり、適切に事情を伝える言い方では無い。
それでも彼女が何を言いたいのかロゼッタは理解し、経緯と現状も把握した。
「要するに色々な出来事が重なってしまって、気持ちが追い付かなくなったのね」
「とりあえず、そういうことになるのかも。慣れない状況ばかりで、まったく私の情報処理が追い付かない。つまり引きこもりは環境変化に弱いのだ……。外だと極端にザコ。自室とネットでは最強の内弁慶。一人で勝手に切羽詰まって、些細な事を重大な問題みたく捉えがち。日の光りよりパソコンの明かりが落ち着くから夜の虫と一緒。いぇーい」
どこでスイッチが入ってしまったのか分からないが、チサトは唐突に自虐を始めてしまう。
このネガティブな考え方はオタクモードの月音研究員に似ているが、チサトの場合は妙なキレがあって隙が少ない。
おそらく配信で喋り慣れているからだろう。
そんな自分自身を追い詰める彼女に対し、ロゼッタはアドバイスを送った。
「優羽様と一緒に観客席へ行ったらどうかしら。観客席だったら周りの視線を気にせずに済むわよ」
「えっ、私がユッキーと?大丈夫かな。ライブの観客席って動物園なんでしょ?配信コメントが大声で読み上げられるようなものだし、そんな四方八方から爆音攻撃されて鼓膜破れたりしない?」
「まず動物園だとしても鼓膜は破れないわ」
「あと私って弱小動物の代表みたいな所があるから、テンション高い空気に呑み込まれて心臓が破裂するかもしれない。ついでに物理的に押し潰されそう」
よほど人混みが嫌いらしく、主催者であるロゼッタに向かって下手な言い訳ができる神経の図太さは凄まじいものだ。
それだけ臆しない心を持っているのなら、もはや心配無用に思える。
ただロゼッタは一切気にしておらず、どうすればチサトが楽しんでくれるのかだけ考えて応援した。
「あれこれ心配せずとも、何かあれば優羽様が喜んで守ってくれるわ。それに気遣いもできる素晴らしい子だから安心できるわよ」
「うーん。まず根暗な私と一緒に居て、陽キャなユッキーが心置きなく楽しめるか心配だなぁ」
「むしろ楽しさ倍増よ。仲良い友達と一緒に会場で盛り上がる。これほど素晴らしい思い出作りは中々無いわ。それに優羽様なら、進んでチサト先輩を誘いたいと思っているわよ」
やや捻くれ気味なチサトの発言に対し、ロゼッタは即座に前向きな見解で返した。
理解力が高く、そして説得力ある言葉は彼女に勇気を与えることだろう。
加えてロゼッタは言葉のみならず、率先して相手の手を引いた。
「さぁ行きましょう。私が席まで案内するわ。そして楽しんでちょうだい。必ず、精一杯楽しませてあげるから」
「……うん、ありがとうね。なんだか、よくよく考えたら駄々こね過ぎたかも。しかも世間を賑わせているロゼッタさんに対して不遜過ぎでしょ」
「他人事みたく言うわね。それに言葉を付け加えると、今が一番慌ただしい時間なのよね。余裕を持って準備に入らないといけないから」
「うっ……。ご、ごめん。普通にごめんなさい。余計な迷惑をかけちゃった」
「ふふっ、冗談よ。努力を自負する私とて、友人に敬われようとするほど傲慢じゃないわ。そもそもアクシデントが起きた所で、私の計画が狂うことなんて無いもの。むしろ予期せぬ事態に直面してこそ、配信的にはおいしいのでしょう?」
この考え方は、きっとチサトからの受け売りなのだろう。
あえてロゼッタはしたり顔で言うなり、わざとらしく挑発的な眼差しを向けた。
するとチサトは軽く溜め息を吐いた後、すっかり本調子の様子で返した。
「いつもしている日常的な配信ならね。さすがに時と場合によるよ。そもそも企画でアクシデントがあっても困るってば」
「急に真面目な返事をするのね。びっくりしたわ」
「んー……まぁね。ロゼッタさんが楽しみにしている姿を見ていると、自分がちょっとネガティブに寄り過ぎたかなぁって思えるようになっただけ。うん、もう大丈夫。たまには配信以外でもテンション上げるよ」
「そう。少しでも気楽になってくれたのなら嬉しいわ。ネット活動について指南してくれた先輩だから、やっぱり一番に楽しんで欲しいもの。……ん?」
ようやく元気づいたと思い、ロゼッタは引っ張っていた彼女の手を離した。
しかし、その途端に付いて来なくなり、同時に相手がブツブツと呟いていることを知る。
「楽しんだ者勝ち、楽しんだ者勝ち………。テンション上げて、気楽に……何も深く考えず、ユッキーさんと……。とにかく周りなんて気にしないで、…楽しめ私……楽しめ…。そうだ、ここを自室と思い込め……」
「わざわざ自己催眠まで始めるなんて………。観客側なのに、なぜ私より緊張しているのかしら」
結局、ロゼッタが観客席の方まで付き添う事となってしまい、その手間は大勢のファンに囲まれるより遥かに大変なものだった。
そして優羽とスタッフに事情を伝えた後、ロゼッタは親愛なる友人二人の応援を受けながら舞台裏へ急いだ。