28.引きこもりの早朝散歩オフ会
これから接し方が劇的に変化するわけでは無いが、晴れて恋人関係となった煌太と優羽。
そんな二人で朝の散策をしようとした矢先のこと、今度は二人揃って新たな不審者を発見してしまう。
ただ不審者とは言っても、それは遠目で見たら一人の少女が大型犬を散歩へ連れ出しているだけ。
だが、飼い主と思わしき少女の挙動が怯えた子犬そのものだった。
もし自動車を警戒しているにしても、その注意の払い方が尋常では無い。
「ね、ねぇ煌太?こんな事を大真面目に言いたくないけど、ちょっとアレ怪しいというか………、不自然じゃない?」
「言いたい事は分かるぜ。しかしこの住宅街、早朝は不審者がよく現れるのか?」
「あははっ、なにそれー?もしかして私まで不審者にカウントされている感じなの?辛辣だなぁ~」
「あからさまな覗きが不審じゃなかったら、もはや何でも許されるだろ。どちらにしろ、あの動きは心配になるレベルだ」
つい話題にしてしまったが、実際二人が見かけた少女は露骨なほど落ち着きが無く、焦燥している雰囲気が感じ取れた。
また、相手は足元へ視線を向けたままなのに、辺りを必死に見渡そうと首を回しているから余計に奇妙だ。
しかも歩幅が酷く小刻みであって、時折すり足同然の移動となっていた。
要するに、一挙一動の全てが怪しさ満点というわけだ。
更に少女が発する気配まで異様なせいで、急に発狂しても不思議では無いほど。
とにかく一目見ただけで不安に駆られてしまう。
やがて煌太は相手がパニック状態にでも陥っているのかもしれないと、心配する気持ちが段々と勝ってきた。
「なんか心配だな。それとなく声をかけてみるか」
「うーん、大丈夫かなぁ?」
「身なり自体は綺麗だし、たぶん大丈夫だろ。もしも喘息の予兆だったら、それこそ無視した方があとで後悔するからな」
煌太はお節介とも言える親切心から、相手の精神状態を知ろうとする。
そして通り過ぎようとする際に、まずは何気ない挨拶から入った。
「どうもおはようございます」
なるべく丁寧かつ自然体で声をかけたつもりだ。
しかし、相手にとっては予想外な挨拶だったらしい。
信じられないほど狼狽した上、とてつもなく怯えきった態度で返されてしまう。
「う、うえぇ……!?ひぃっ~……!」
どう考えても過敏な反応ぶりで、異常な感情変化だ。
そして近くで声をかけて気が付いたが、相手の見た目はかなり幼い印象を受けるものだった。
少なくとも二人が想像していたより幼く、もしかしたら後輩の月音より年下かもしれない。
とりあえず煌太は挫けず、このまま世間話を持ち掛けた。
「その犬、可愛くて利口そうですね」
「ふっ…はぁ……ひぃ………」
「いつもこの時間に散歩を?」
「ど、どう……なにが……?いや、私は……おぇ…」
「大丈夫ですか?もしかして眩暈とか?」
「お、おは、でも……うん……。おそ、…そうじゃなくて、…ちがくて……。こ、こひゅ~……ふぅ、はっは……」
相手からは、しどろもどろの一言では済まされない動揺が続く。
更に動悸が深刻そうであり、ここまでの反応が繰り返されると優羽も心配になってくる。
そのせいで妙な空気が流れる中、とある事実に優羽は気が付くのだった。
「ん………、あれ?この人、もしかしてチサトさんじゃないかな?」
「チサト?」
その名前が出た途端、相手の体が分かりやすくビクついた。
きっと的中したのだろう。
それから優羽はさりげなく大型犬の顔周りを撫でながら、煌太に向けて説明を始める。
「ほら、私が前に紹介した配信者だよ。ロゼッタちゃんがネット活動するに当たって、わざわざ相談役を引き受けてくれた親切な女の子」
「いや、俺は配信をチェックしてないから顔を知らないけど……。本当にそうなのか?」
「声質からして多分そうだよ。しかも、配信中に犬の声が入っている事があったし。ねぇ、私ユッキーだけど分かる?」
そう優羽が尋ねた途端、ようやく相手は少しだけ顔を上げてくれた。
まだ視線こそは合わせてくれてないが、さっきよりは話しやすい状態だ。
同じくして相手の警戒心も薄れたらしく、人見知りの雰囲気は漂わせつつ応えてくれた。
「ユッキーさん……?って、あのユッキー?えっ、この近くに住んでいるの?」
「そんな近くは無いけど、まぁまぁよく通る場所かな。というか、本当にチサトさんだったんだね。こうして生で見るとキュートな背丈でかわいいなぁ。この犬と同じくらい?」
優羽自身の身長も決して高くないはずだが、それでもチサトと比べたら一回り以上大きく感じられる。
それだけチサトの背は低く、かなり小柄で抱きかかえるのが簡単そうだ。
そのため、彼女から目線を合わせようとすれば見上げる形になるはずなのだが、まだ少し俯いたままだ。
「うぅ、ここでリスナーと会うなんて違和感が凄い………。普通に恥ずかしい。嫌だ。今すぐ帰りたい」
「大丈夫?」
「全然大丈夫じゃない。放送とは比にならない緊張で吐きそう。許されるものなら頭どころか全身にアルミホイルを巻いて、ついでに宇宙人が突如飛来して全人類を野菜人間へ変えて欲しい」
「よく分からないけど、混乱するぐらい落ち着かないってことだね。そういえば、いつも朝は犬の散歩をしているの?」
「た、偶々……。たぶん今日だけ、かな。お兄ちゃんが風邪で、あと配信のネタとして数ヵ月ぶりに外を出たみたいなことをしたくて……うん…。でも、こうして人と会うなんてやっぱり外は怖い。もしかしたら私が知らないだけで、外の世界は百年くらい経っていたのかも」
この過度に緊張した喋り方は、煌太からすれば初対面時の月音を彷彿させるものだった。
発言内容も意味不明だから、より似通っている気がした。
そこで煌太は、月音と初めて会った時のような対応を試してみる。
「それにしても、ずいぶんと毛並みが整った犬だな。この犬は何歳なんだ?」
「ま、間違って無ければ6歳……だったかな」
「6歳か。確か人間の年齢換算だと40歳を超えたあたりだ。お手とかできるのか?」
「う、うん」
「賢いんだな。それに顔つきが良いハンサムな犬だ。俺の家でも子犬を飼い始めたから、手間暇をかけて世話しているのが分かる。この犬独特の香ばしさも好きだ」
「香ばしさ?匂いってこと?………犬、好きなの?」
「犬というか、動物が好きかな。それで自立行動するロボットの研究をよくしている。ちなみに、ずっと前に優羽………こいつに小鳥のロボットをプレゼントしたくらいだ」
そこで煌太は、分かりやすく優羽に視線を向ける。
それは会話の促しを求める合図に等しく、すぐに優羽は彼の意図を汲み取って応えた。
「うん!凄い精巧で本物同然に動くんだよ!それに学習機能だとかのおかげで、ちょっと変わった癖まで覚えて個性が出るんだ~」
「ちょっと想像がつかないけど、すごいね………。えっ、というかロボットの研究って、もしかしてロゼッタのマスターさん?」
なぜかチサトは察すると同時に、険しそうな表情を浮かべる。
なんとか縮まり始めていたはずの距離感が、また開いてしまったような顔だ。
どこか気になる反応だが、煌太は先ほどと同じ感覚で会話を続けた。
「俺は護衛されているだけだから、マスターって呼び方は誇張表現な気もするな。でも、ロゼッタがそう言っていたなら一応そうなる」
「あとロゼッタさんに聞いたけど、すんごい研究員って本当?」
「それは俺が凄いというより、研究会が凄いって感じだな。世界と宇宙に通用するロボットを探究する、って理念で活動している研究会だ。偉大な創立者のおかげで多くの大企業と財団、それに数多の国々が絡んでいる」
「………じゃあ、もしかして君自身もすんごい偉い人?その規模が大きい組織に、主要メンバーとして所属しているわけだから」
「ははっ、まさか。俺は単なる一研究員で、都合が良いから所属しているだけだな。それに得意分野を専攻しているだけであって、そう威張れるような立場では無いさ。せいぜい与えられた役割をこなしているだけだ」
煌太が所属しているロボット研究会は、世界に大きな影響を与えるほどの巨大組織だ。
そして研究会は結果を出すのが尋常では無いほど早く、新たな文明の兆しを見せていることから一目置かれている。
だが、そんな組織に自分が所属しているからと言って、そこまで誇ることでは無いと彼は認識している。
だから謙虚に答え続けていると、チサトは急に話題の方向性を変えてきた。
「ちなみにお金持ち?」
「ははっ、中々突っ込んだ質問だな。まぁ俺自身はお金持ちってわけじゃない。給料や支援金は出ているけど、裕福さは一般家庭程度だよ」
「でも、その研究会は凄い組織なわけでしょ?それなのにケチなの?」
「そんなことは無いと思うぜ。まず現金以外の部分でサービスが良い。俺は利用してないが、研究に没頭できるよう専属マネージャーやスタッフが身の回りの雑事を片付けてくれるからな」
「私風に考えると、常に配信できるよう整っていることなのかな。それなら悪く無いかも」
「あと俺は気にしたことが無いから把握してないけど、研究会の資本金は莫大だろうな。そのおかげで研究に関する事だと理由をつけたら、けっこう無茶な融通も利かせてくれる」
実際、煌太は私的な理由で研究会からの支援を受けたことが度々ある。
それは研究とは別にアンドロイド関係でも支援を受けたことがあって、半年以上前の時はブルプラの改修作業で世話になったものだ。
何にしろ、いきなり金銭の話になって優羽は驚き戸惑っていた。
「なにこれ?あざとい話をするなんて、チサトさんは玉の輿でも狙っているの?」
「うん、もちろん。だって配信者だもの」
「わぁお、自分の欲を曝け出すときは素直だね。あと謎の偏見つきで凄い」
「そもそも、いきなり自分がお金持ちになるとか子どもの頃に一度は考えることじゃないかな?それでソシャゲに無限課金するって、夢溢れる話だよねー」
「それって、お金というよりゲームに関心が強い考え方な気がするなぁ。でも、なんかチサトさんらしさがあるね。さすが配信中毒のソシャゲ廃人!」
「でしょでしょ~?えっへん!」
斬新な褒め称え方をされたはずなのに、なぜかチサト本人は誇らしげだった。
きっとどんな言葉を投げかけられても、自分のアイデンティティとして受け入れる姿勢なのだろう。
子ども心が強いと共に寛容さを持ち合わせていて、不思議な感性と感受性に満ち溢れている。
一方で彼女の犬は保護者みたく、大人しく待ちながら会話を見守ってくれていた。