夢の先
はわわわー
死に対する恐怖ではない。それよりもずっと恐ろしい、終わりのない苦痛がそこにはあるような気がしたのだ。
逃げたくても手の届くものが何もない。
その上、黒点は段々と大きくなっていた。それは私が近づいて大きく見えているのか、それともあの黒い何かが私を飲み込もうとして大きく膨れ上がっているのか、どちらにせよ絶望の中に落とされる恐怖が私の中を暴れだす。
「嫌だ!・・・嫌!」
黒はどんどん大きくなる。
もういっそ、舌を噛んで意識を飛ばしてしまおうか。そう思った瞬間、もうすでに私の体が動かなくなっていることに気が付いた。
(どうして?体中の感覚が、なくなってる。)
体からの刺激はもうなくなっているのだが、その黒はもうなくなっているはずの私に不思議な気持ちをもたらした。
(なんで?寒い!)
それはまるで宇宙の中にいるかのような。実際に行ったわけではないのだが、宇宙にいったらこんな感じなのかもしれないと思ってしまうような感情だった。
何も便りがなく、体ではなく魂が寒いと訴えているような感覚。私の中の人間性が死んでいくような感覚だった。
そしてついに黒は私を空間ごとほとんど飲み込んでしまっていた。
色づいていた場所はもうずっと遠くに行ってしまっており、無限のような黒が私を包む。
「う、うあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
突如、その黒が包むだけではなく飲み込んできた。というのも、先ほどまで明確にあったはずの全身の神経が、感覚が途端になくなり始めたのだ。
驚きながら私の手に目を向けると、あったはずの私の両の手は消失していた。
「これは・・・死ぬってことなの⁉」
自分の消えていく感覚に思わず突飛な考えが浮かぶ。
もしかしたら、本当の私は何かの理由で死んでしまっていて、精神だけが夢の中で残っていたのだとしたら、そしてその夢の中の精神も本体である私の死に引っ張られているのだとしたら。
「なんだ。そういうことか。」
死にたいも死にたくないもない。
もう死んでしまっていたのなら、最初から結果は決まっている。
その結果がこの寒くて孤独な世界なのだとしたら、それは受け入れるべきことだろう。死因については分からないが、少なくともそんなに良い人生ではなかったのだから。
むしろ、このまま感覚も、思考も、何もかもなくなってくれる方がずっとありがたかった。
ふと、残してしまった人のことが頭を過ぎる。
「ごめんね。母さん。お父さん。・・・お姉ちゃん。」
なんとも、あっけなく、つまらない最後だなと、改めてうんざりとした気分になった。
「次は、次があるのかは知らないけど・・・もっと前向きな人生になれますように・・・」
そういえば・・・
「あの女の人の言ってた、次の世界ってどういうことなんだろう?」
生まれ変われるということなのだろうか。
もし、そんな夢みたいなことがあるのだったら、そんな都合のいいことが許されるのなら、本当に幸せだろうな。
最後に、そんなくだらない妄想を膨らませて、私の意識は薄れていった。
散っていった。
そして・・・消えていった。
と、思った時だった。
「何の、音?」
ざわざわと、人の喧騒を思わせる雑多な音が聞こえてきた。
真っ暗な中に様々な音がこだまする。
「なんなの?」
それはまるで光の入る余地のないような箱の中に閉じ込められた感覚だった。ついでに言うとその箱はご丁寧に人がひしめく町のど真ん中にあるのだろう。
「白くなったり黒くなったり一体私はどうなってんの?」
黒だったここは、今や箱の中としか思えないほどに現実味を感じれた。実際に先ほどまで体が浮いていて感覚がなくなっていく気分だったのに、今ではしっかりと重力を全身で感じることが出来ている。
私は試しに真っ暗な中で右手を伸ばしてみた。すると、中指が何かにコツリと触れた。
「これは・・・木?」
私は木箱の中に入っているのだろうか?
よくよく下半身に意識してみると、裸足の足裏が木箱に触れていた。
「だ、だれか~」
叫ぶことはできなかった。
状況が理解できな過ぎて叫んでいいのかすらも判断付かなかったからだ。
コンコンと内側から木箱を叩いてみると、どうやらこの木箱はそこまで分厚くは無いようだった。とは言っても酒樽がものすごく丈夫であるように、この木箱も簡単に壊せるような脆いつくりではないだろう。
「うーん、どうしよう・・・」
あまりにも状況が掴めなすぎるのだ。これは夢なのか、現実なのか。現実ならば木箱の中に入ったのは故意なのか他意なのか。何にもわからないのに手掛かりになるのは触覚と聴覚だけで他は何もかも分からずじまいなのだ。
どうしたものか・・・
ずっと立っているのも面倒なのでとりあえず座ることにしたのだが、
「あれれ?」
私の両足ががくがくと経験したことが無いほどに震えていた。
慰めるように両手で震える両足を抱え込んであげたのだが、なかなかにこの震えは収まらなかった。
決して足は寒さに震えているのではなく、その体温もほんのりと暖かかった。
ようするには
「私、怖いんだ。」
先ほど叫べなかったのも、ドンドンと強く木箱を叩けなかったのも、そして座ってしまっているのも、全ては怖いからなのだ。
白い空間では死を覚悟できた。なのになんでこの暗闇ではこんなにも怖いのだろう。
もう、自分自身のことなのに、何がしたいのか全然分からない。
「落ち着け。落ち着け~。」
必死に言葉で自分を慰めてみる。
状況を再確認しよう。
私はとにかく記憶を遡っていく。私は、凛奈に呼び出されて買い物に付き合っていた。でも、どうにもむしゃくしゃして若干八つ当たり気味に別れを告げて一人で家に帰宅した。そしてその時はいつもよりも自分に対する失望感が半端なくて、明日の宿題も夕食も何もかもほっぽり出してすぐさまベットで眠った。
そこからなのだ。なにかおかしくなってしまったのは。
私は夢を見たのだ。けれどその夢は不思議なくらい現実味があって、今までで一番訳の分からない場所だった。
夢というのは夢を見る当人の記憶から形成されると聞く。けれどもあんな真っ白な空間はいままで経験したことなどない。だというのにどうしてあんな場所が、しかも鮮明な意識を持ったままに見れたというのだろう。
「夢じゃない?」
言ってすぐ、そんな馬鹿なと思いなおす。
世界のどこにあんな抽象的な空間があるというのだろう。あの白さは私の知っている建築技術では到底不可能に思えるのだ(それほど建築に詳しいわけではないのだが)。
つまりあの空間は夢の特徴である“あり得ないことが起こる”が作り出す以外に、あのようなものは創作不可能だ。
「じゃあ、今、私はなんでベットで寝てないの?」
なんで布にくるまっているのではなく、木材に囲われているのか?意味不明でしかない。
というかそもそも、私はいったいいつ夢から覚めたのだろうか?あの白い空間にいた女性に突き飛ばされてから、真っ暗な空間に飲み込まれ、気づけばこんなところにいるのだ。
「いや、まって?」
もしかして、夢、まだ続いている?
未だに現実かってくらいに感覚が現実味を帯びてはいるが、それは白い空間に入ってからずっとそうだった。つまり、今も夢である可能性は高い。
「そうだよ。こんなの夢よ。もう少ししたらなんかあって、そのまま目が覚めるよ。」
ひとりでうんうんと頷く。
そう思った途端、体がかるくなったきがした。きっと未知という恐怖がいなくなり、体のこわばりが無くなったのだ。
「ふふ、それにしても本当によくできた夢。体が緊張してるってことすら分かるなんてね。」
夢というのは基本的に目が覚めたら覚えていられないのだが、きっとここまで現実感の
あるものは無かったに違いない。もしこれを覚えていられたのなら、
「凛奈に、話してみるのあり、かな。」
私は体育座りをしていたのだが、ゆっくりと姿勢を倒して木箱に背を預けた。
これは夢なのだから、きっとこれから目が覚めるまでは私にはできることなどない。なので、その時までゆっくりしていようと思ったのだ。
「はあ・・・早く覚めないかな。」
そう言った直後だった。バキィッと箱がきしむ音を立てた。
「え?なに?」
まさか体重をかけすぎた?とも思っただ、そうだったこれは夢だったと思いなおし、一気に力が抜けた。
もうそろそろお目覚めの時間なのだろう。
寝起きの時に目が見開いていては嫌だと思ってあらかじめ目をとじておくことにする。
するとまたバキィッという音と共に今度は光が入ってきた。
ああ、やっと目覚めたのかな。
そう思って目を開けると、
「え?」
木箱の蓋を開け、上から見下ろした感じの青年が、私を驚いた顔で見つめていた。
「え?」
眠い。