恋心
--------
サンティレール領はダークドラゴンの炎によって大規模な火災が発生したものの、新魔王コレットの魔法によって鎮火され、さらには上位精霊術である精霊召喚を行使してスタンピードも鎮圧せしめた。
実際には色々と異なる点が多いのだが、公的にそのように発表されたことで、新しい魔王が民衆の敵ではないことが公式の見解となった。また精霊が認めし次代の勇者ポーラが、魔力が一切無いことで私に対する反存在として機能することも併せて発表され、私の存在が現在のところは必要以上に危険視されることは無かった。
尤も、中には「親友であるポーラにコレットを討つことなど出来はしない」という声も当然のようにあったのだが――。
「素晴らしい意見だわ。なら王妃たる私の意思に逆らって私の友人を討とうとする者は、勇者ポーラよりもさらに勇敢と言う事になるわけね?良い覚悟ですこと」
そう言って壮絶な笑みを浮かべて陳情者を睨みつけたことで、何も言えなくなってしまっていた。
さらに町の復興に際し、私とポーラが旦那様と共に建設作業の手伝いや食事提供に尽力していたことをフルール王妃自らが公表したことで、世界はまだ平和を維持できるという認識がさらに広まることになった。
それでも最初期には「魔王討つべし」と奮起する自称真の勇者を名乗る若い冒険者も何人かいたのだが、勇者アレックスと治癒士オレリー、そして上位精霊術師セレスタンによって捻りつぶ…追い返されていた。
というより殆ど旦那様一人で魔法も使わずに蹴散らしていて、奥様は旦那様に応援メッセージを送ったり、自称勇者パーティーの戦後治療のために立ち会っているだけだった。徒党を組んでレイド戦を挑もうとする自称勇者も居て、そういう時だけセレスタン様も協力して上級魔法で吹き飛ばしていた。あの戦いからセレスタン様の魔法熟練度も上がり、なんと上級魔法を片手に一つずつ発動させられるようにまでなっていたのだ。本人はイフを目標としているので、二発同時発動で賢者扱いされても不服そうではあったが。
復興と魔王討伐チャレンジをいなす毎日は、忙しくも平和だった。領民からの多くの注文をこなし、時には炊き出しをしたり新しい住民を迎え入れたりしている間に、季節はどんどん過ぎていった。
そして2年後…。
町が復興前よりも暮らしが安定するようになり、住民の数も増えだした頃になって、私達はパーティーを開くことになった。
復興中は領民感情を意識して開けなかったが、誰もが心の中で開きたいと思っていた。
そう、オートンシアとのお別れパーティーだ。
--------
お別れパーティーの会場は、王城のダンスホールをお借りした。友人を見送るためなら自由に使いなさいと言ってくれたのはフルール王妃だが、それを承認してシェフまで貸してくれたのは陛下だった。
とある事情から私は現場での設営作業には参加できていない。その代わりというわけではないが、すっかりベテランになった後輩メイド達を遠くから見守り、時々アドバイスを送っていた。仕事を覚えた彼女たちの動きは精練されている。ポーラが彼女たちのプライベートを削って体力づくりやキャンプに誘っているためという噂もあるが、定かではない。
椅子に座って作業を見守っていると、陛下とフルール王妃が私のところまで歩み寄ってきた。王冠を着けていないということは、あくまで個人的な用事らしい。
私は椅子から立ち上がり、カーテシーを取った。返礼後、すぐに座るように言ってくださったため、お言葉に甘える。陛下とフルール王妃も同じテーブルに座ったところで、妙な気分を味わった。学生時代、1年以上同じ学園に通っていたはずなのに、同じテーブルを囲ったのはこれが初めてだという事に気が付いたからだ。
あの追放劇からもうすぐ15年が経つ。相応の落ち着きを持った二人に対して、私は20そこそこの外見でしかない。彼らと共に年齢を重ねられなかったことが、今更になって悔やまれた。
「会場とシェフをお貸しくださり、本当にありがとうございます、陛下、王妃様。」
「ああ、構わないよコランティーヌ。私は君に対して大きな貸しがあるのだから」
「あの、貸しとは…それに、私は」
「今はコレットなのだろう?わかっているさ、そんなことは。だが…私にとってまだ君は、コランティーヌなんだ」
陛下の目に、燃え尽きた灰のような温かみが宿った。それは私が学園で悪意を取り込む前、私にいつも向けられていた目だった。
「コランティーヌ。今はそう呼ばせてくれないか」
「私からも頼むわ、コレット。夫のわがままを聞いてあげて頂戴」
何故かフルール王妃…いや、フルールが少しだけ傷ついた表情を浮かべていた。不本意だが、承知しているような奇妙な表情。そんな顔をされては、嫌だとは言えない。
「…では、今だけはコランティーヌとしてお話を伺いたく存じます」
「ありがとう。…なあ、コランティーヌ。学園での君のことは、フルールから既に聞いている。だが、君の口からもちゃんと聞きたいんだ。あの時の君は……本心から動いていたわけではなかったんだね?」
学生時代に聞きたかった言葉だった。せめて追放される前に。だが全ては終わったことだ。
「……本心か、そうでないかの違いなど、私にもわかりません」
「魔王の器が未完成だったからこその悲劇だったと聞いているよ」
それはそうだったかもしれない。だけど、私の罪を器や体質だけのせいにするのは憚られた。
「そうかもしれませんが、それだけとは言えません。あの時の私は数日で悪意に溺れました。ですが、学園に入った当日に変貌したわけではありません。魔力を吸っている以外にも変調があったことを、誰にも…陛下にも相談しなかった私にも大きな落ち度がありました。私はさらなる化け物へと変貌することで嫌われることを恐れて、私の意思で体質の事を黙っていたのです。その失態を棚上げして、あの日々の行動を体質のせいだけにして逃げることなど…今の私には出来ません」
あるいはあの日、陛下が私の事を最後まで信じて私を追放しなければ…例えば尋問して、体質について追及をしていくことが出来ていれば、違った未来もあったかもしれない。だがその場合、私は魔王の器を完成させることは出来ず、志半ばで暴走するか、あるいは自死を選んでいただろう。当然あの老冒険者様や、愛しい人達に会うことも出来なかった。
「陛下の決断は正しいものでした。私をコレットにしてくださったのは陛下です。そこに感謝こそしていますが、もうあの日の事を悔いてはおりません」
「そんな寂しいことを言わないでくれ、コランティーヌ。私はあの日の決断を後悔しているんだ。婚約者の事を最後まで信じられなかった自分自身を、今日まで許したことは無い」
陛下の顔に痛みが走ったように見えた。だがそれは、とうの昔に塞がった傷を抉ったような、鈍い痛みにも見える。
「……陛下、おっしゃりたいことがあれば、どうぞ気兼ねなくおっしゃってください。今の私なら大丈夫です」
「そうよ、エドガール。思い切って言ってしまいましょう。若いころの失敗をいつまでも引きずるものではありませんわ」
転じてフルールは、私に感謝してくれているようだ。……一体、何に対してだろう。感謝するなら私の方だ。これまで彼女にどれほど助けられたか、それこそ言葉にしきれないほどだ。
陛下はそれからしばらくの間何も口にせず、目を伏せたまま何かを考えていた。そして、最終的にその口から飛び出してきたのはシンプルな、そしてこの場において最も相応しくない言葉だった。
「……私は君の事を心から愛していたんだ、コランティーヌ」
「…っ!!」
「幼少の頃より、君の優しさを好ましく思っていた。誰にも触れてもらえず、親からも避けられている中でも、君は誰の魔力も奪うことなく私の婚約者であり続けようと努力してくれた。初めてだったんだ。王子である私に取り入るのではなく、ただ私のことを案じ、私に触れられないことを泣いてくれる女の子は…」
それは陛下の懺悔にも等しい、愛の告白だった。
衝撃が大きすぎて、私は何も言えなくなった。ただ黙って、陛下の言葉を待つしかなかった。
「2年前…もうすぐ3年前か。あの日、夜会で魔道士セレスタンのエスコートを受けていた君を見て、私はひどく嫉妬した。私には触れることさえ出来なかったのに、どうして腕を組むことが出来たのかと…あの男を尋問してやろうかとすら思った。だが…ふふ…騎士ユリアンからの報告を聞いてみれば…何のことは無い。彼は自分の魔力を全て空へ放って、魔力ごと生命力を吸われないようにしてから君に触れていたのだと言うではないか」
陛下の瞳が嫉妬と後悔の炎に燃えている。もしかしたら陛下は、とっくの昔に本来の感情を取り戻していたのだろうか。じゃあ、夜会で二人が会っていた時――
『セレスタン殿、あなたが彼女をエスコートされたのか?触れただけで魔力を吸われるというのに、よくぞそれを成し遂げた。どのような手を使ったかは存じ上げないが、あなたの勇気と友情に敬意を表する』
『…恐縮です。ですが僕は好きでそうしているだけです』
『そうか、好きでそうしているのか。なるほどな』
あの時、私の目には陛下がいつもと変わらない気さくで穏やかなお姿に見えていた。だが実際は、気さくどころか激しい嫉妬心を押さえつけていたというのか。しかし私が殿下に触れた記憶は一度も無い。幼少の頃から学生時代に至るまで、殿下から感情が欠落した印象も持ったことはなかった。つまり…幼い頃、私が気付かぬうちににどこかのタイミングで触れた殿下は、悪意を取り戻してからずっとそれを私に悟らせてこなかった。
その理由は……恐らくは私のため。いや、それ以外には考えられない。陛下は私が悪意によって傷つかないように、自分の感情を殺してまで善良な周りに合わせてくださっていたのだ。
改めて陛下の深い愛情に触れて、それに気付いていなかったことに胸が痛んだ。気付いたところでどうにかなるものでもないのだが…それでも、元婚約者として忸怩たるものがある。
「どうして…どうして私にその発想が出来なかったのかと、ずっと後悔していたんだ。触れようと思えば、すぐにでも出来たというのに。しばらくは夜も眠れなかった。私が……君と何年も共に過ごし、君の苦悩を誰よりも知っていて、誰よりも君に触れたいと思っていたはずの私が、最初に気付くべきだったんだ。そうすれば君を抱きしめて、口付けを交わすことだって出来たはずだった。人の温かさを君に与える役目は……私が担えたはずだったのに」
陛下の両手は力が入るあまり、血が滲んでいた。私はそれを見ても…何もすることが出来ない。魔力を吸うことなく触れることが出来るようになった今でさえ、陛下と私の間には果てしない身分差が出来ている。陛下と、そして王妃のお許しが無ければ、手当をすることも出来ない。そしてそれを、二人とも望んでいないようだった。
「…コランティーヌ。これは私の、最後のけじめだ。だから、返事を聞かせてくれないか」
「……何に対してでしょうか」
陛下の目には変わらぬ熱が篭っている。
「今からでも遅くはない。私の側妃となってはくれないか」
「えっ…!?」
「私の正妃はフルールただ一人。それは間違いない。私が間違いを犯した後も、私の事を支え続けてくれた彼女こそ真の伴侶なんだ。だが、女々しい私は君を諦めきれない。どうか君の口から、返事を聞かせてくれ。…もちろん、受けてくれるなら国王の権限を以って全ての障害から君を護ると約束しよう」
陛下からそのようなお言葉を頂けて、嬉しくないと言えば嘘になる。私にとっても、陛下は心に刺さり残ったトゲのような存在だった。セレスタン様と愛を誓い合った後も、ふとした時に陛下を思い出してしまう自分がいたことも自覚していた。セレスタン様に対して罪悪感を持ちつつ、やはり私の中で一方的な別れが尾を引いていたのだと理解していた。どこかで決着を着けたかった。
…もちろん、私の返事は決まっている。伝える機会が無かっただけだ。もしかしたら陛下もそれを分かってて、あえて今になって浮気者を演じてくださっているのかもしれない。
だとすればなんと深く、大きな器だろう。やはりこの国に必要なのは、このお二人なのだ。
私には王妃ではなく、魔王の方が相応しい。
「……もったいなきお言葉ながら」
「やはり駄目か?」
「はい。申し訳ありませんが、私には既に心に決めた人がおります。それに…」
私はお腹を温めるように手を当てた。
「……私ももうすぐ母親になれそうなのです」
「なんですって!?聞いてないわよ!?」
「っ!!…そうか…!彼との…子供か…」
「はい……名前ももう、決めてあるんです」
セレスタン様との愛の結晶は、確実に私の中に宿っていた。
まだ目立って大きくなってはいないが、既に妊娠して5か月ほど経っている。後輩メイド達が文句も言わずに私を休ませてくれているのも、そのおかげだった。
「そうか……良かったっ……良かったっ……!!」
この場で誰よりも先に涙を流してくださったのは陛下だった。
「君は誰にも触れてもらえないまま……きっと一生赤ん坊を抱けないだろうって思ってた……!母親になるなんて夢のまた夢……私と結婚しても子供は望めないと思っていたんだ……!!そうか……ついに君にも輝かしい未来が宿ったのかっ……よかった…本当に…っ!!」
我がことのように喜んでくださった陛下に、深い感謝の念を抱いた。私の目からも自然と涙が流れる。私のことを我が事のように喜んでくれる人が、まだここにもいただなんて。そしてそれが、私の元婚約者だっただなんて、想像もしなかった。
「おめでとう、コレット…!どうか幸せになってくれ…私も君たちが幸せに暮らせるように、この国を盛り立ててゆくことを誓おう!」
「ありがとうございます…陛下…!」
ポロポロと自然と涙が流れ落ちていく。
それは恋心に決着をつけられたことへの喜びか、それとも実るはずだった恋心への追悼か。
どちらだったとしても、私達の過去を洗い清める涙だったに違いなかった。
だって、追放された時に流したものと違って、こんなにも温かいのだから。
「全く…私にも黙ってるだなんて水臭いわね。生まれたら黙ってないで絶対見せに来るのよ?これは王妃命令だから」
「はい。かしこまりました…王妃様」
そして身分の離れた後に出来た友人の目にも、様々な思いを乗せた涙が浮かんでいた。
ありがとう、フルール。
あなたが陛下の伴侶となってくれて、本当に良かった。
--------
パーティー会場の準備が終わり、後は参加者が揃うのを待つのみとなった。流石に防衛戦の参加者全員は呼べないので、騎士団については代表者数名のみだ。既にサンティレール邸の参加者は全員揃っている。
ダンスをする予定もあるので立食形式ではあるのだが、参加者が一人10個以上食べてもなお余るほどの量のケーキバイキングが用意されていた。しかもそのケーキだけはサンティレール邸の偏屈なシェフが「俺にやらせろ指一本触れるな」と非常に珍しくやる気を出して作った力作だ。作ったケーキを美味しい美味しいと食べるシアについては、どうやら彼にも思うところがあるらしい。
お別れパーティーには国王夫妻も参加されるようだ。だが本人たちの強い希望により、あくまでコレットの友人として参加したいとのことだったので、服装もかなりラフなものになっている。どちらかと言えば平民服に近い装いにも関わらず、溢れ出るオーラが隠しきれていないので、誰が見ても高級貴族だろう。城で行う以上、平民を装うのも奇妙と言えば奇妙なのだが。
やがて開始時間が迫ってきた。残る参加予定者はあの4名だけとなっている。
「そういえば、あなた子供が出来たと言っていたけど、結婚式はまだ挙げていないんじゃない?私達に言えば教会くらいすぐ貸せますのに」
「ええ、籍はもう入れてあるのですが…結婚式は、今日この後でやる予定なんです」
「今日!?……ああ、なるほど、だから白いドレスを着ているのね」
「何がなるほどなんだい?」
「エドガール、本当にわからないの?結婚式を見せたい相手が今日じゃないと参加できないのよ」
「…そういうことか」
私達の結婚式を見たがってた子がいる。その子に結婚式を見せてあげたかったから、私達はこの日まで結婚式を挙げずに待っていたのだ。
本当なら赤ちゃんも見せてあげたかったのだけど「純粋な魔力体のまま何年姿を維持できるか僕にもわからない」というセレスタン様の懸念があり、一番早いタイミングでパーティーを行うことになったのだ。
「よし…では始めよう。コレット、僕に魔力を渡してくれ」
「はい、セレスタン様」
私の手からセレスタン様へ、過去最大の魔力が注ぎ込まれていく。毎日旦那様が息切れするほど注いでくれた魔力は濃縮され、4属性と混ざりあって虹色に輝いている。あまりの光量で逆に周囲が暗く感じるほどだった。
「綺麗だな…」
「旦那様が痩せるほど注いでくださいましたから」
「そっちじゃない。…まあいい、では呼ぶぞ」
「はい、お願いします」
私達はお互いに手を組んだまま、前へと突き出し…詠唱を開始した。
「魔王コレットの名代として、地の上位精霊オートンシアより任じられし上位精霊術師セレスタン・シュニエが命じる。この地の自然を慈しむ精霊達よ。魔王の召喚に応じ、ここに顕現せよ……!」
光が一層強く輝くとそれぞれの色に分かれ、徐々に人を象り始める。見覚えのある髪色と瞳が見え始めた時、私の胸は歓喜で震えた。
召喚魔法の光が収まった時、セレスタン様と私の目の前に精霊達が君臨していた。
これで参加者全員が揃った。そう思っていたのだが。
「やっほー!久しぶり!すごいすごい、本当に肉体を再現できてる!!これならケーキもお腹いっぱい食べられるね!!………て、あれ?」
「……どういうことだ?」
「なんで?」
「セレスタン様…?」
「いや…失敗はしていないはずだが…」
ただ一人。あのデリカシーの無いニヤついた笑いが鼻につく火の精霊。
アリストロシュの姿だけが無かった。
--------




