精霊術師
--------
屋敷から出ると、さらに強まった雨によって火災の大部分は鎮火していた。むしろ今度は洪水によって町が流されてしまいそうだった。あまりに雨の勢いが強く、自然と声も強くなる。奥様がダークドラゴンの死骸のそばで、兵士たちを治療しているのが見えた。
「どうやって渡せばいいんですか!」
「僕に触れていればいい!"雨乞いの遺灰"で魔力が流れ出ていったあの感覚を思い出せ!間違っても吸うなよ!完全な魔王にそんなことをされれば恐らく即死するからな!」
どこに触れようか迷った私は、いっそ全身でぶつかってやれとセレスタン様を背中から抱き締めた。「うっ!?当たっ…い、いやすまん!なんでもない!」というセレスタン様の声がしたが、気にする余裕は私にもない。しばらくして、豊潤な魔力がセレスタン様に伝わっていくのがわかった。
「………よし、良いぞ。よくやった、コレット。君の魔力が僕に流れ込んでくるのを感じる。精霊の加護が僕にも宿ったかのようだ。…これで僕らはもう一度彼らに会うことが出来るようになった」
「彼ら…?」
「ああ…!!約束は必ず守るぞ、シア!!」
セレスタン様の瞳が虹色に輝く。それは複数属性の魔力が混じり合ったときの魔力反応だ。
「魔王の名代として、そして地の上位精霊オートンシアより任じられし精霊術師として命ずる!今こそここに顕現し、我が願うままに力を行使せよ!!」
セレスタン様の全身から迸る魔力が、緑色に一際輝いた。これは…この光は!!
「風の精霊チュベルーズ!!悪しき獣共をその風で巻き上げろ!!」
「はいはーい!!」
光の中から、にぃっと歯を見せた笑顔が元気よく飛び出した。
緑色の髪、緑の瞳、そして歯を見せて笑うその姿。
忘れもしない。忘れられるはずがない。
「チュ…チュベルーズ!!」
「あは!約束したでしょ!また会おうねって!」
「うん…うん!あなたにまた会えて嬉しい!」
「私も嬉しいよ!魔王になってもコレットはコレットのままでいてくれたね!」
大雨の中にいるのに、輝く笑顔はまるで太陽のようで。私は喜びの涙を止められなかった。ああ…!本当だった…!あなたたちは、死んでなんかいなかった!私の中で生きててくれたんだ!
「チュベルーズ!あの狂った魔獣どもが、コレットの幸せを奪おうとしている!やるぞ!」
「よーし!任せてよ!」
にぃっと笑いながら返事をした彼女は、次の瞬間には無風を思わせる静謐な瞳で魔獣へ向き直った。
「風の怖さを教えてあげるわ」
彼女が指を鳴らしながら片手を振り上げると、いかなる力によるものなのか、魔獣たちだけが空中に巻き上がっていった。兵たちは困惑しながらそれを見上げているしかできない。そして周囲の雷雲も全て巻き込んだことで上空の一点に暴風と雷が集中し、中の魔獣達は炭となって消えていく。晴れ渡っていく空の下で、ドラゴンと一部の大型魔獣だけは、飛ばされまいと地を這っていた。
「人間以外に使うのは初めてだよ!悪くないもんだね!」
再び歯を見せてにぃっと笑った彼女の体はだんだんと透明になっていった。
「ありゃ!?もう時間切れ!?じゃあ、また会おうねコレット!」
「うん!今度は戦わなくても良い時にね!」
「ありがとう、コレット!それを言われたのも初めてだよ!いっぱい初めてをくれてありがとう!!」
そして彼女は本当に心から嬉しそうに笑ったまま、光と共に消えていった。
「コレット!僕にもう一度抱きつけ!」
「はい!」
言われた通りに背中から抱きつき、魔力を流す。すると今度は、美しい赤色の魔力で輝き始めた。
「火の精霊アリストロシュ!地を這う愚かな獣どもを喰らい尽くせ!」
「いいねえ!それはとってもボク向きの提案だよお!」
焔を思わせる赤い髪、赤い瞳…!
「アリストロシュ!!」
「やあコレット!どうやらちゃんと自分が思う魔王になれそうじゃないかあ!ボクの美味しい魔力を食べさせてあげた甲斐があったってものだよお」
「もうっ!そういうところ直さないと本当に嫌いになりますよ!?」
ニヤニヤと笑いながらデリカシーのない言葉を口にするその姿は、お別れした時と全く同じ調子だった。怒ったつもりだったのに、ついつい釣られて顔がニヤつくのを止められない。
「アリストロシュ!口だけじゃないってところを見せてもらうぞ!」
「おお!?セレスタン君もなかなか言うねえ!どおれ、じゃあご覧に入れて差し上げようかあ!」
ニヤつく笑みを消した彼は、優しげな風貌のまま手を前に出した。
「火が温かなだけじゃないってことをねえ」
すると、魔獣の足元が急激に赤熱化し、マグマとなって襲いかかった。飛ばされずに済んでいた大型魔獣は逃げる暇も無くそのまま飲まれるか、咄嗟に飛び上がった拍子に雷雲へと吸い込まれていった。マグマから逃れ、吸い込まれずに生き残れたさらに大型の魔獣とドラゴンだけが、凶暴さを隠さないままに吠えている。
そしてやはり透明になっていく彼は、ちょっとだけ嫌そうな顔をしながら笑った。
「ありゃ随分残しちゃった。細かい仕事は神経質な彼に任せるとして……これは嗤われそうだなあ」
「アリストロシュ!私に心の闇と向き合う機会をくれてありがとうございました!デリカシーのない所はすっごい嫌いだけど、感謝してます!」
「なんかチュベルーズと扱い違うねえ!?まあ…いっかあ!ちゃんと復讐の方も遂げるんだよお?」
「はい!必ず!」
優しげな笑みを浮かべたまま、アリストロシュは姿を消した。
それを見届けた私は、再び迷いなくセレスタン様の体に飛び込んで魔力を送り込んだ。
「水の精霊イフ!精霊の裁きを逃れし罪深き獣に最後の鉄槌を!」
「ああ、いいだろう」
セレスタン様に似た、青い髪と青い瞳…!
「本当にあなたも力を貸してくれるのですか!?」
「君のためじゃない。あの二人が不甲斐ないから、私がお手本を見せてやろうというだけだ」
皮肉げなところも、本当によく似ている。あの人と違って素直じゃないけども。
「イフ!言ったからには全て仕留めてみせろ!僕より魔法が下手だなんて言わないだろうな!!」
「うん?……ふっ……ふははははは!!面白い冗談だ!!よかろう!!火をかき消し、風如きでは動かせぬ水の恐ろしさを、あの身の程を知らぬ獣の臓腑に刻み込んでくれるわ!!」
彼はどちらが魔王なのかわからなくなる邪悪な笑い声を上げながら、両手にいくつもの巨大な魔法陣を浮かべた。その一つ一つが上級破壊魔法のものだと気付いたとき、私の背筋がゾクリと冷えた。単身で複数の上級魔法を扱うなど、常識を遥かに超えている。従来なら初級魔法を複数同時に扱えるだけでも達人に数えられるのだ。
「そしてセレスタン!君もよく見ておけ!中級氷魔法如きで満足しているようでは、上位精霊術師は名乗れんと知るがいい!!」
そして全ての魔獣とドラゴンに、極大水柱と呼ばれる巨大な柱が次々と突き刺さり、あるいは押しつぶしていった。本来なら人間が保有するほぼ全ての魔力を練り上げてようやく一本発現させられる最強魔法の一つだが、イフにとってはアイススピアを呼び出すよりも簡単らしい。流石に数本の柱を杭のように撃ち込まれたドラゴンも耐えきれず、ついに力尽きていた。
さらにイフは、ヒールレインと呼ばれる中級治癒術を無詠唱で発動させた。しかしその範囲と威力が段違いだ。本来なら家一つ分程度の範囲がせいぜいのはずの魔法は、町と戦場の兵士たち全員に行き渡っていた。助かる見込みのない瀕死の兵が目覚め、腕や脚を失った者が四肢を取り戻していく。
「勉強になったかな?」
「……治癒は聖女の専売特許だと思っていたが」
「君の勉強不足だ、精進したまえ」
「イフ…あなたのお陰でこの戦いに臨めました!本当にありがとうございます!」
「礼など不要だ。勝ちたまえよ」
「はい!必ず!」
消えながらも最後まで素っ気ないのに、激励の言葉を残した所が本当に素直じゃなくて、苦笑いが浮かんでしまった。
「だ、第三波か!?なんだあの数は!?」
予備兵の一人がはるか南方の土煙を発見した。ここから見ただけでもわかる凄まじい数。おそらくは500を超えている。まさに魔獣の津波だ。
「セレスタン様、この数では流石に…!?」
「大丈夫だ、コレット。言っただろう、なんとかしてやると」
セレスタン様の笑みに温かなものが宿った。その笑みを浮かべる相手は二人だけ。一人は私。そして、もう一人は――
「起きろ!地の上位精霊オートンシア!お前が愛する姉を守りたくば力を貸せ!!」
「うん」
光と共に童女が姿を現した。アメジストを思わせる髪と、ガラスを思わせる、美しくも人間離れしたその姿。
……シアだった。
砂となって消えたはずのシアが、光の中から現れた。
「……シ……シアぁ!!」
「ケーキの山を食べ尽くすまでは死ねないって言ったでしょ」
無表情…ではなく、その口元が僅かに緩んでいた。私も笑い返してあげたかったけど、大きすぎる安堵と喜びで咽び泣くことしか出来なかった。
「シア!これだけ離れていれば問題はないな!?」
「グッジョブ」
「よし!やってやれ!」
シアは目を閉じて、取り戻した無表情のまま、静かに告げた。
「さよなら」
すると大地が大きく揺れ始め、火災によって全焼してしまった家屋の一部が倒壊し始めた。それだけではない。はるか南方の大地が横に大きく裂けていた。大地を走っていた獣たちが地割れに飲み込まれて落下していく。
果敢に谷を飛び越えようとする魔獣もいたが、地割れの上までくると急激に谷底へ引っ張られるようにして落ちていく。飛翔型や小型のドラゴンでさえその力には逆らえないのか、上から押さえつけられるようにして地割れの中に次々と落ちていった。
全ての魔獣が視界から消えると、魔獣を飲み込んだまま地割れは閉ざされ、元の大地の姿を取り戻していた。それとほぼ同時に空中で暴れまわっていた雷雲も消滅し……戦場に静けさが戻った。
「………え……勝っ……た?……し、信じられない!!まじかよ、本当に勝ったあああ!!」
わああという大歓声が町中に響いた。地鳴りのような音が南方の戦場からも聞こえてくる。おそらく、旦那様が勝利宣言をなされたのだろう。
「お姉ちゃん」
「シア……ありがとう……!」
「ううん…護れてよかった」
私は消え始めたシアをギュッと抱き締めた。魔力を奪うためではなく、私の体温を少しでも分けてあげるために。シアも私の背中に腕を伸ばし、抱き返してくれている。大好きな、愛する人々に触れられるというのは、なんと温かで幸せなことなのだろう。この幸せをくれたシア達への感謝で、胸がいっぱいになる。
セレスタン様が優しげな瞳でシアの頭に手を乗せた。
「シア、ありがとうな」
「お安い御用」
「町がめちゃくちゃだ…恐らくお別れパーティーは復興後になると思うが……出られそうか?」
「……たぶん。でも純粋な魔力体になっちゃってるから、形を維持するのが難しくなってる。呼べるのは次が最後だと思って」
「……そうか。ならなるべく長い時間呼び出せるよう、その日までたっぷりと魔力を集めておこう。本当によく頑張ってくれたな、シア」
セレスタン様に撫でられて嬉しそうに笑うシアを見ていると、この二人は本当に強い絆で結ばれているのがわかる。いつか、私にも二人の出会いについて聞かせてほしいな。
いよいよ消えそうなシアは、私の背中に回した腕にギュウと力を込めてきた。私もその感触を惜しむように、強く抱きしめる。
「お姉ちゃん。姿は消えても、お姉ちゃんの器の中に私達はいる。ずっと見守ってるから……もう悲しまないでね」
「ええ……!あなたのこと、絶対に忘れない……!愛してるわ、シア!」
「わたしも愛してる。……元気でねっ!」
「ええ!必ずまた会いましょう…シア!」
最後に美しい泣き笑いを見せたシアは、光と共に消えていった。
「行ってしまったな」
「はい……でも寂しくはありません。パーティー会場で会えますから」
「そうだな。魔力の方はアレックスにも協力させよう。なんせ掃いて捨てるほど魔力があって困ってるらしいからな。正しく魔王の食糧としての本懐を果たしてもらおうじゃないか」
セレスタン様の皮肉が、いつもの日常に戻れることを示唆しているようで、万感の思いを抱いた。でも全部が今まで通りに戻るわけじゃない。町の復興には時間がかかりそうだし、イフが治す前に死んじゃった人たちもいる。シア達も姿を消した。
それでも、私は魔王になれた。私が優しい魔王になれたかどうかは未来の人々の判断に任せて、精一杯平和の中を生きて、幸せになろうと思う。
そして……魔王になれたら、必ずこの人に想いを伝えようと決意していた。
「……あの、セレスタン様」
胸が高鳴り、全身が熱くなった。それが精霊たちも私を応援してくれているみたいで嬉しくなった。
「待て、コレット。まずは僕から言わせてくれ」
「……はい」
「ひと目見た時から、君のことが気になっていた。そして君とダンスをして、旅をして、色々な出会いと別れを経験していく中で、絶対に君だけは失いたくないと思った。君に…コレットに夢中だった」
私がずっと聞きたかった言葉をそのままに、セレスタン様は熱い瞳を逸らさないまま、最後まで言い切ってくれた。
「君を一人の女性として愛している。コランティーヌだった過去も、コレットになった今も、全ての君を受け入れて生涯を共にしたい。僕と……結婚してくれないか」
嬉しくて、幸せで、本当に良いのかと何度も何度も思い返した。
でも、セレスタン様の瞳に宿る熱は高まるばかりで、私の身体もどんどん熱くなっていった。
これがチュベルーズの夢だとしたら、きっと私は二度と目覚めることは出来ないだろう。
でも、絶対にこれは夢ではない。シア達と、旦那様達の願いでもあるこの幸せを夢にはさせない。
だから私は、ずっと前から用意していたこの言葉に、想いの全てを込めて――
「はい…私も心からセレスタン様の事をお慕いしております。私の生命、私の魔力、そして私の幸せを…全てセレスタン様と共に分かち合わせてください。あなたを一人の男性として、この世界で一番愛しております、セレスタン様」
周りの兵士たちが固唾を飲んで見ているのにも気づかないままに、私達は強く抱擁を交わしながら、熱いベーゼを交わした。
周囲の拍手や歓声は勝利を祝う鬨の声よりも大きくて。
私は魔力と生命を吸っただけでは得られない幸福感で満たされていた。
--------




