王妃になれた娘の苦悩
思ったより書き溜めが順調なので、もう少しだけ一日二話行きます。
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シャミナード城にある王妃の私室、その柔らかな絨毯の上に、新人の若い侍女が淹れた紅茶が撒かれた。沸騰させたばかりのお湯で長く出したせいで紅茶葉のえぐ味が酷く、舌に渋みが残った。
「どうしてこんな簡単な事も出来ないのですか!それでも私の専属侍女なの!?今すぐ出ていきなさい!片付けも他の者にやらせます!!」
「も、申し訳ありません……!」
傷付いた顔の新人侍女が、トボトボと肩を落として退室していった。扉が閉まってすぐ、私はティーポットに残っていた紅茶をもう一口分だけ注ぎ、口にする。やはり、苦味が酷かったが……。
「……我慢できないほどの味じゃないのに。どうして私はこんな小さなことにも心がささくれ立つの……?」
褒められた味ではない。だが、あそこまで怒鳴るほどの失態とは言えなかった。淹れ方が気に入らないなら、私が淹れ方を教えたって良かったというのに、何故か目の前の侍女を排除することしか考えられなかった。自己嫌悪に苛まれ、溜息が出る。
自分の心が均衡を失っていることは自覚している。些細な事で苛立ち、腹を立て、ヒステリックな声が勝手に出てしまっていた。学生だった頃はこんなことは一度もなかった。それをするのは一人の公爵令嬢のみであって、私の周りを取り巻く人々は皆優しく、確かな正義と愛を持って清い学生生活を送っていたはずだ。
だから私と殿下……いえ、陛下は私と身分を超えた真実の愛を育むことができ、私も王妃教育をクリアしたからこそ、今ここで王妃として過ごす事が出来ているというのに。
何故かここ最近、持て余した感情が心から溢れ出るような……心の器が小さくなったような不快感に苛まれていた。そしてそれをぶつける対象は侍女に対してだけでなく、愛する陛下に対してもだった。
「……学生時代と比べたら、今の方が忙しくとも幸せなはずなのに。陛下からも愛されているのだって実感できているのに、どうしてこんなに不快なの……どうして悪意を抑えられないの」
誰にも理解されないだろう、不可解な感情への苦悩。優しくしたいのにそれ以上に加虐心が蠢く苦痛。これじゃまるで……。
「…………まるで、あの人が乗り移ったみたい」
そう口にして思わず自嘲した。何を馬鹿なことを言っているのだ、私は。別に彼女は殺された訳でもない。当時の殿下が裁判所を通じて下した王都からの追放処分は、彼女が私を瀕死に追いやったことを考えれば妥当なものだ。
むしろ国外追放ではないから、家からの支援も公然と得られる分、慈悲深い処分ですらある。それで私を呪うなどと、逆恨みも甚だしいではないか。
私は気分を変えるべく、もう一口だけ苦い紅茶を口にした。やはり不味いが、少しだけ気分が変わった為か全て飲み切ることができた。
「……さっきの侍女を呼んできてください」
私室に控えていた別の侍女に命じ、先程追い出した侍女を再度呼びつけた。顔を青白くさせて再度部屋に入ってきた若い侍女は、年齢で言えば私が学園に入学した頃と変わらない。私が学生時代に王妃から怒鳴られたらどうだったかと、冷静になった頭で悔いた。
「全部飲みました。とても不味かったです」
「………………っ!?の、飲んだのですかっ!?」
「ええ。あなたが淹れてくれたのですから」
よほど意外だったのか、彼女ははしたない大声を上げた。だがそこを怒るのは先輩侍女に任せよう。先に言うべきことがある。
「さっきは紅茶を捨てて怒鳴ったりしてごめんなさい。でもあの紅茶は酷すぎます。あなたにはこれから紅茶の淹れ方を教えてあげますから、今後は大事に淹れるのですよ。あなたは私の専属なのだから。いいですね?」
「はっ…………、はいっ!!」
泣き笑いの侍女をテーブルに座らせ、先輩侍女に再びお茶のセットを用意させた。ついでに他の新人侍女も呼びつけて学ばせ、膀胱が限界に近かった私の代わりに紅茶の大半も飲ませてやる。いい紅茶葉なのだ。無駄遣いすべきでないことはよくわかっただろう。
こういう時間はすごく楽しい。身分差を盾にして相手に慈悲を与える優越感は気持ちいいものだ……と、露悪的に考えるのが難しいほど、私の中の善性が喜びに震えていた。
元々私はこういう事がしたかったんだ。かつて子爵令嬢に過ぎなかった私に優しかった陛下を見て、ああなりたいと憧れたから王妃になってからも実践していたというのに。
なのにどうして、今も侍女の手付きに苛立ちを覚えてしまうのだ。こんな幼い少女たちに怒鳴りたくなるのを必死に抑えなくてはならないのだ。
あなたも今の私のように悪意を抑えられなかったのかしら?
コランティーヌ・ド・カヴァリエ公爵令嬢。
私を虐げたことで殿下に追放された、学園の悪女よ。
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悪意を消せないことは罪なのかな。